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フォード エスコート MK III GL イギリス 1982年
1980年にフォード エスコート MK IIIが登場しました。先代までの後輪駆動方式を一新し、横置きエンジンによる前輪駆動方式、全輪独立懸架、ハッチバックのボディと最新技術を採用した小型車となりました。エンジンは従来の4気筒1.1L(50HP)と新設計の4気筒1.3L(69HP)/1.6l(79HP)で、4段変速で最高速167km/h(1.6L)の性能でした。ボディは当初3/5ドアハッチバックと3ドアワゴンだけでした。ハッチバックは小さなノッチが付いたもので、2.5ボックスと表現できるデザインでした。1983年には5ドアワゴン、カルマン製カブリオレが追加されました。
1981年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞し、販売は先代同様に好調でした。1984年には1.6L(54HP)のディーゼルエンジンが追加されました。またフォルクワーゲン ゴルフ GTIに対抗して登場したSOHC4気筒1.6L(96HP)エンジンを搭載するスポーティ仕様のXR3は人気を博し、1983年に燃料噴射式(105HP)のXR3i、1985年にRSターボ(135HP)が追加されました。1986年まで生産され、4代目のエスコート MK IVにモデルチェンジしました。総生産台数は約150万台でした。
ミニカーは1982年に発売されたソリド製の当時物です。エスコート MK IIIの初期型 GLをモデル化しています。ソリドの型番1300番台の1300シリーズは従来の1/43のシリーズを引き継ぐものでしたが、コストダウンで仕上げが簡素になっていました。(当時はそのようなコストダウンをした安価なミニカーが主流になっていました) このエスコート MK IIIもプロポーションは良いのですが、安っぽいホイールや塗装処理していないテールライトなど細部が簡素化されていて今一つの出来ばえでした。1986年にテールスポイラーやオーバーフェンダーを追加したRS ターボが型番1207で発売され、それをさらにラリー仕様などにした物が型番1350でも発売されました。これ以外のエスコート MK IIIのミニカーはコーギーの当時物 1/36、ノレブの当時物、ポリスティルの当時物のXR3 1/25と1/40、当時物以外ではビテス、ミニチャンプス、バンガーズ、オックスフォードの1/76などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルボ 760 GLE スウェーデン 1982年
1982年にボルボ 200シリーズの後継車として700シリーズが登場しました。ボルボ 760は260から引継いだPRV V型6気筒2.8L(155HP)エンジンを搭載し、4段自動変速で最高速190km/hの性能でした。ボディは260同様に角張っていましたが、キャビン形状などがスタイリッシュになっていました。2/4ドアセダン、5ドアエステートワゴンが設定され、4気筒2.3Lターボ(182HP)や6気筒2.4Lディーゼル(109HP)エンジンが追加され、1990年まで生産されました。
1984年には760と同じボディに4気筒2.3L(117HP)エンジンを搭載し、装備を簡素化した740が登場しました。740は4段自動変速/5段変速で最高速180km/hの性能でした。2Lターボ(158HP)や6気筒2.4Lディーゼル(109HP)エンジンなどが追加され、1992年まで生産されました。先代の200シリーズのクーペ 262Cはアメリカ市場で人気があり、760にも同じベルトーネ製の2ドアクーペ 780が1985年に追加されました。780はセンスの良いデザインのクーペボディに、ウッドパネルと革張りの豪華な内装を持つボルボの最上級パーソナルカーで、V型6気筒2.8L(170HP)エンジンを搭載し4段自動変速で最高速200km/hの性能でした。
1970年代にボルボは生産工場の作業環境改善の為、ベルトコンベアによる流れ作業の生産方式を廃止し、行程毎に数人の作業チームが担当する生産方式を採用しました。作業環境は改善されましたが、生産コストが上昇しボルボは高級車に移行せざるを得ませんでした。安全性と信頼性を売り物にした戦略は成功し、ボルボは高級車ブランドとなりました。そのボルボも世界的な自動車会社再編で1999年に乗用車部門がフォードに売却されました。以後ボルボはフォードの1ブランドとなり、2010年以降は中国の自動車メーカー(吉利汽車)の傘下となっています。
ミニカーは1990年頃に発売されたポリスティル製の当時物です。当時のポリスティルはアメリカの玩具メーカー トンカ(TONKA)に買収されブランド名がTONKA/POLISTILとなっていました。このボルボ 760はプロポーションが良く特徴的なキャビン形状も良く再現されていました。これでフロントグリルをもう少しリアルに仕上げてあれば、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえだったのですが。ドアが開閉するギミック付きです。ポリスティルは760ワゴンと780クーペもモデル化していましたが、それらはボルボの販促プロモーション用ミニカーとしても使われたようです。ポリスティルは同時期に1/25サイズでも760 セダンとワゴンをモデル化していました。それ以外のボルボ 700シリーズのミニカーはミニチャンプスのセダン/ワゴン、オックスフォードのセダン 1/76、ネオ(レジン製)のクーペ、イクソ プレミアムXのセダン/クーペなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ガズ 3102 ボルガ ロシア 1982年
前述したガズ 2401 ボルガの後継車としてプロトタイプのガズ 3101が開発され、1982年にガズ 3102 ボルガが登場しました。基本的な構造はガズ 2401を踏襲していましたが、エンジンは改良されてパワーアップし、変速機も5段になって性能が向上しました。ガズ 3102は高級車でしたので、主にKGBを始めとする官公庁の公用車として使われました。外観は旧共産圏の政府公用車に共通した威圧的なごつい感じのデザインでした。1991年にソビエト連邦が崩壊しガズ社は民営化されましたが、ガズ 3102は多少の改良が行われて2010年頃まで生産されました。現在のガズ社はミニバン、トラック、バスなどを生産するロシア最大の商用車メーカーです。
近年になってわかったことですが、前述したソ連の自動車会社アフトヴァース(Avto VAZ)社は1970年代にロータリーエンジンを製造していました。ガズ社もこのロータリーエンジンの供給を受けていて、ガズ 3102や高級官僚向けリムジンのチャイカに3ローターのロータリーエンジンが使われていたとのことです。3ローターを市販車に採用したのはマツダのユーノス コスモだけだと思っていましたから、これには驚きました。(ただしエンジンの耐久性には問題があったそうです) ロータリーエンジンの特許使用料を支払っていなかったので、この事実は伏せられ最近まで知られていませんでした。
ミニカーは2005年頃にWEBオークションで入手したソ連製です。前述したガズ 2401のソ連製ミニカーと同じような箱に入っていましたので、同じメーカーが1980年代に製造したものと思われます。プラスチックのメッキパーツが使われるなど見た目は多少目新しくなっていますが、中身はガズ 2401と同じようなややレトロな出来ばえで、1980年代のミニカーとしては良く出来ていました。フロントグリルが違っていますが、キャビン部分はガズ 2401と同じであることがミニカーからも伺えます。ボンネット/4ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外のガズ 3102のミニカーはイクソ系列のIST MODELSがモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。トランク内にはスペアタイヤを備えています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ブルーバード ハードトップ 2000 SSS-X 910型 日本 1982年
日産 ブルーバード 6代目(910型)が1979年に登場しました。先代よりさらにシンプルで無駄な飾りのないボディに、大型の角形2灯式ヘッドライトを組み合わせていました。国内仕様では610型から始まった6気筒エンジン搭載車を廃止し、4気筒1.6L/1.8L/2L(120HP)Z型エンジンを搭載し、3段AT/5MTで最高速は170Km/h(2L)の性能でした。当初は4ドアセダン、2ドアハードトップ、後にワゴン(バン)、4ドアハードトップが追加されました。なお廃止した6気筒エンジン版の後継車として1980年にレパードが登場しました。
ブルーバード 910型は6気筒エンジンを止めてブルーバードの基本に返った設計方針と品の良いデザインが評価されて、2年間ほどベストセラー車となりブルーバードとしては久々の大ヒットとなりました。1980年に1.8Lターボと2Lディーゼルが追加され、1982年のマイナーチェンジで内外装が変更され、同年に1.6L/1.8LエンジンがCA型に変更されました。この当時はターボ過給のエンジンに人気がありました。なおブルーバードの輸出仕様であるマキシマには6気筒2.4LのL型エンジンが設定されていました。1983年にブルーバード 7代目 U11型にモデルチェンジしました。
ミニカーは2009年に発売されたアシェット 日産 名車コレクション製で、メーカーはノレブで4ドアハードトップをモデル化しています。ヘッドライト/フロントグリルの造形が巧みで、フェンダーミラーやリアライトなどの細部もリアルで、雑誌付きミニカーながら良い出来ばえでした。(ただキャビン部分がやや小さめな感じもしましが) 当時物ミニカーではダイヤペットのクーペとトミカのセダンがありました。当時物以外では、アオシマの4ドアハードトップ(コールドキャスト製)、トミーテックのセダン(1/80)があります。なおシルエット フォーミュラーのレース仕様をトミカ リミッテド、エブロ、 TRUE SCALEがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 プレーリー 日本 1982年
1982年に登場した日産 プレーリーは、現代のミニバンの元祖と考えられるユニークな車でした。高い車高と低い床で広い室内を確保し、そこに3列シート(回転対座シート付)を配して8人乗りを可能としながら、セダン並の操縦性でした。最大の特長はセンターピラーのないスライドドアを両サイドに採用し、後席への乗り降りを容易にしたことでした。これらの構造は、現在のミニバンに通じるもので、当時としては革新的な構造でした。
1981年にモデルチェンジしたオースタ/スタンザ 2代目(FF車)をベースにして開発され、4気筒1.5L/1.8L(100HP)エンジンを搭載し、3段ATと5/4段MT変速で、最高速160km/hの性能でした。1985年のマイナーチェンジで、ボディが補強され2Lエンジン搭載のパートタイム4WD仕様が追加されました。プレーリーのコンセプトは高く評価されたのですが、地味なデザインと重い車体ゆえの低い走行性能、センターピラーレス構造による車両剛性の不足などが災いし、商業的には成功しませんでした。1988年にプレーリー 2代目にモデルチェンジしました。プレーリーのコンセプトは良かったのですが、技術的/時代的に登場時期が早すぎたのでした。同じようなコンセプトで1984年に登場したフランスのルノー エスパスは商業的に成功しました。
ミニカーは1983年に発売されたダイヤペット製の当時物です。この頃のダイヤペットは基本的なプロポーションがきちんと出来ているものが多く、このプレーリーも高い車高の四角いデザインがよく再現されています。また昔のミニカーゆえにバックドアとスライドドアが開くので、この車のコンセプトがよく分かるミニカーになっています。ただヘッドライトがリアライトと同じ黄色なのはご愛嬌ですが。。これ以外の当時物ミニカーとしてはトミカ ダンディ、フランスのソリドの輸出仕様がありました。当時のソリドが日本製乗用車をモデル化したのは珍しいことで、この車のコンセプトが外国で高く評価された証拠でした。当時物以外ではトミカ リミッテドの1/64とハイストーリー(レジン製)があります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/バックドア開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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