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マツダ ロードペーサー 日本 1974年
トヨタ センチュリーや日産 プレジデントといった最高級車市場にマツダはロードぺーサーで1975年に参入しました。ただ一から自社開発するのは当時のマツダ(東洋工業)には荷が重く、この車はオーストラリアのGM ホールデン社から輸入した1974年式の右ハンドルの大型車プレミア (PREMIER 実車画像)を改造した物でした。内外装を高級に仕上げ、13B型エンジン(135HP)にジャトコ(日本自動変速機)製の3段自動変速機を組み合わせて、最高速は165km/hでした。
低回転域でのトルクに難があるロータリーエンジンはこの手の高級車には不向きなこともあって、この車はあまり出来が良くなかったようです。1979年の生産中止までに約800台ほどしか生産されていません。結局国内の最高級車市場の牙城(センチュリやプレジデントの市場)は崩せなかった訳です。なお同時期にいすゞ自動車も同じホールデン プレミアを輸入してステーツマン デビルの名前で販売していましたが、これもほとんど売れませんでした。
1970年代にマツダはロータリーエンジン搭載車でのフルラインナップを計画しており、このロードペーサーもその計画の一環でした。また軽自動車でもシャンテに搭載する予定でしたが、さまざまな事情で実現しませんでした。1973年のオイルショックが起こるまでは、ロータリーエンジン車は輝いていたのですが。。。
ミニカーは2010年に発売された国産名車コレクション製です。メーカーは不明ですが、おそらくイクソではないかと思います。このロードぺーサーは国産名車コレクションシリーズの中でも、かなり出来の良い部類だと思います。ただ実車がほとんど知られていないので、あまり欲しい人はいないでしょう。これの型を流用してFIRST43からもロードぺーサーが発売されました。当時物ミニカーとしてはトミカ ダンディ製がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ シビック 1500 GF 日本 1974年
ホンダ 1300での失敗を糧にして設計され、1972年に登場した小型車がシビックでした。前述したライフを大型化したような構成で、ヨーロッパ車風の2ボックス スタイルは当時の国産車としては新鮮なイメージがありました。4気筒1.2L(60HP)エンジンを搭載し、サスペンションは4輪ともストラット式の独立懸架、4段変速で最高速145km/hの性能でした。当初は2ドアセダンだけでしたが、3ドアハッチバックと上級グレードのGL(69HP)が直ぐに追加されました。
1973年に「ホンダマチック」と称する半自動2段変速機仕様が設定されました。同年に独自開発の排ガス対策CVCC(複合渦流調整燃焼)方式を採用した1.5L(70HP)エンジンが追加され、ホイールベースを延長した4ドアセダンが追加されました。1974年にはスポーツ仕様の1200RS(76HP)が追加され、翌年には1.5Lの1500RSLに変わりました。1974年に5ドアの商用バンも追加されました。1977年に4ドアセダンをハッチバック化した5ドアが追加されました。1978年にエンジンが1.2Lエンジンが1.3Lに拡大され4ドアセダンが廃止されました。
ホンダは横置エンジンの前輪駆動車として経験を積んだことで、操縦性などの問題を解消し、シビックでは居住性等に前輪駆動車のメリットが発揮されました。従来の国産車の概念を越えたことで大ヒットした傑作車でした。アメリカの排ガス規制(マスキー法)にCVCCエンジンでいち早く対応し、アメリカ市場など輸出先でも成功しました。1979年にシビック 2代目にモデルチェンジしましたが、外観をほとんど変えなかったことなどの原因で国内販売は芳しくありませんでした。
ミニカーは1975年に発売されたダイヤペット製の当時物です。1973年に追加された4ドアセダンをモデル化しています。当時のダイヤペットの8番協力工場が製作していますが、この工場は型番G33のフェアレディ Z 2by2や型番G39のシルビア S10なども製作していて、センスの良い造形をしています。このシビックも少しずんぐりとした実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のダイヤペットのミニカーのなかでもかなり良い出来ばえでした。ただしこの頃から採用され始めたプラ製のホイールが安っぽく見えるのが、いまひとつです。ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付です。ダイヤペットはこれより前の1973年に2ドアをチェリカ100シリーズ(1/34)でもモデル化していました。そのほかの当時物ミニカーはトミカの初期型のGL、トミカ ダンディのCVCC 4ドア(1/42)、エイダイ グリップの1500RSL(1/28)などがありました。当時物以外ではエブロのGL/1200RS、トミカ リミッテドのGL、コナミの1200RS、国産名車コレクションの1200RS、京商サークルK(1/64)の1200RSなどがあります。なおシビック 2代目のミニカーは外観がほとんど初代と変わらないことが原因でしょうか、2020年現在でもワゴン仕様のカントリーがトミカでモデル化されているだけです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア(トランク開閉ギミック)/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ニュー シルビア S10型 日本 1975年
日産 シルビア 2代目が1975年に登場しました。高級スポーツカーであった初代とは異なり、北米をターゲットにした女性向けの小粋なスペシャルティカーとしてデザインされました。車名には敢えてニューを付けて新しさを強調していました。サニー B210型をベースにした設計で、ブルーバード用の4気筒1.8L(105HP)L型エンジンを搭載し、3段AT 5/4MT変速で最高速170Km/hの性能でした。北米での車名はダットサン 200SXで、4気筒2Lエンジンを搭載していました。
今見ると未来志向のデザインが目新しかったと思いますが、北米向けでアメリカ人が好む癖のあるデザインが当時の日本では受け入れられず、国内販売は芳しくありませんでした。1976年にエンジンがEGI(電子制御式燃料噴射)化され、1977年のマイナーチェンジで、フロントグリルのデザインが変更されました。1979年にシルビア 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製の当時物です。実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。(ドアなどの立て付けはいまひとつですが) これは当時のダイヤペットの8番協力工場が製作していましたが、この工場はフェアレディ Z 2by2(型番G33)なども製作していてセンスの良い造形をしていました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーとしてはトミカとトミカ ダンディがあり、どちらも良い出来ばえでした。当時物以外ではハイストーリー(レジン製)、国産名車コレクション 1/24がモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 セドリック 2800 SGL 330型 日本 1975年
1975年に日産 セドリックは4代目(グロリアは5代目)にモデルチェンジしました。コークボトルラインを取り入れた基本的なフォルムは先代をほぼ踏襲していましたが、前後のパネルがより抑揚の大きいアクの強いデザインになりました。4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアハードトップ、バンが設定され、ワゴンは廃止されました。エンジンは先代の6気筒2.6Lが2.8L(145HP)となり、あとは6気筒2L、4気筒2L、4気筒2Lディーゼル(60HP)の4タイプで、50年排ガス規制対応で触媒/EGR(排気ガス再循環装置)/2次空気供給装置を組み合わせた排ガス浄化システム NAPS(NISSAN ANT-POLLUTION SYSTEM)が採用されました。
その後EGI(電子制御燃料噴射装置)を採用した6気筒2L L20E型(130HP)エンジンも追加されました。3段AT 5/4段MT変速で最高速180km/h(2.8L)の性能でした。1977年のマイナーチェンジで後期型となり最上級仕様としてブロアムというグレードが登場し、2.2Lディーゼルエンジンが追加されました。1979年に5代目のセドリック/グロリア 430型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションはまずまずで、フロント/リアの造形はオーバーなデフォルメでアクの強いフロントの顔付きを再現しています。(かなりやり過ぎですが) ボンネット/4ドア/トランクが開閉するギミック付きで、この4ドア開閉は当時としては意欲的なギミックでした。4ドアが開くことでよく見える室内の造形は当時として良い出来ばえでした。これ以外の当時物としてはトミカ、トミカ ダンディのセダンがありました。またトミカがグロリア 330型のバンをモデル化していました。当時物以外ではアンチモニーコレクションのセダン(グロリアもある)、アオシマ DISMのセダン(グロリアや西武警察のパトカーなど)、国産名車コレクション、トミカ リミッテドのセダン/パトカー/タクシーなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ ランドクルーザー FJ40V型 日本 1975年
1951年にトヨタは警察予備隊(現在の陸上自衛隊)への納入を目的として、ジープ形式の試作車を開発しました。最終的に警察予備隊が採用したのはウィリス ジープをライセンス生産した中日本重工業(三菱重工業の前身)のジープとなったので、トヨタの試作車は民間用として生産されることになりました。この車が1954年にランドクルーザーとして登場しました。小型トラックのはしご型フレームに4輪リーフリジット サスペンションを備えた4輪駆動車でした。なおランドクルーザーの型式名のJはジープが由来です。
1955年に登場したランドクルーザー J20型にはホイールベースの異なる3タイプがあり、エンジンは6気筒3.4L(85HP)B型と6気筒3.9L(105-125HP)F型の2種類で、ソフトトップ/ハードトップのジープ形式、ピックアップ、バンなど様々なボディ形式がありました。J20型は北米などへの輸出が行われ、好評だったそうです。1960年にJ40型にモデルチェンジし、1967年に乗用車的なデザインを採用したJ55/56型が追加されました。J40型は1984年まで長く生産されましたので、ランドクルーザーといえばこのJ40型が有名で、その耐久性と信頼性は世界中から高い評価を受けました。1984年にJ70型にモデルチェンジしました。
ミニカーは2003年に発売されたエブロ製で、FJ40V型をモデル化しています。ワイパーアームの支点がウィンドー下にあることから1975年以降の車をモデル化しています。実車の雰囲気が良く再現されていて、特徴的なフロントグリルや灯火類などの細部もリアルです。底板部分にはサスペンションやドライブシャフトなどもそこそこ良く再現されています。FJ40系の1/43量産ミニカーとしてはこのエブロ製が一番出来が良いと思います。ランドクルーザー 20/40系のミニカーはたくさんあります。当時物ミニカーではモデルペットの21型が1960年に発売され、トミカが1975年頃に40型を、ダイヤペットが1980年頃に1/30で40型を、トミカ ダンディが1982年頃に40型を、外国製ではポリスティルが1980年頃に40型を数種類モデル化しています。当時物以外ではエブロとよく似た出来ばえの国産名車コレクション(ノレブ製)の40型、国産名車コレクションの型を流用したFIRST43の40型、トミカ リミッテドの40型 1/60、ブッシュの40型 1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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