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シンプレックス 50HP アメリカ 1912年
ニューヨークで輸入車代理店を営んでいた義理の兄弟スミスとマブレーは1904年にスミス-マブレー製作会社(Smith and Mabley Manufacturing Co.)を設立し、輸入したメルセデスの部品を使ってS-M シンプレックスという名前の4気筒エンジン搭載車を発売しました。(多分メルセデス ジンプレックスをお手本にしたのでしょう) 1906年にこの会社は倒産して1907年に資産がシンプレックス オートモービル カンパニーに移管され、それを輸入業者のハーマン ブレーセル(Herman Broesel)が買い取りました。彼はS-M シンプレックスをベースにして欧州の高級車に対抗できるモデル 50HPを開発させました。
モデル 50HPはシンプレックスとして一番有名なモデルで4気筒10Lエンジンを搭載した大型車でした。大型の高級車でしたが高性能でもあり、レース仕様車がアメリカの国内レースで活躍したそうです。シンプレックス社は1915年にクレーン モーターカー(Crane Motor Car)を買収し、クレーン シンプレックス社と改名しました。1915年に6気筒9.2Lエンジンを搭載した新型車が登場しましたが、同社の自動車は当時最も高価な大型高級車でしたので、販売は芳しくなかったようです。1916年に航空機会社に買収され航空機エンジン製造に業種転換し1917年にシンプレックス車は消えました。
ミニカーは1968年に発売されたマッチボックス製です。マッチボックスのクラシックカーは型番Y**からYシリーズと呼ばれています。Yシリーズはマニア向けの専門ブランドが作っていた高価なクラシックカーのミニカーを、造形を簡略化することで手ごろな値段にしたものでした。このシンプレックスも当時の定価は950円と安価でしたが、縮尺が1/48と中途半端で、コストダウンでヘッドライトとフロントグリルを一体成型しているなど本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでした。ただ実車の雰囲気がまずまず良く再現されていて値段相応に細部が再現されていたので、当時のミニカーとして良く出来ていたといえます。Yシリーズには車種的に貴重なミニカーがたくさんありました。このシンプレックスも2023年現在でも量産ミニカーはこれしかないので、車種的に貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クリスティ 前輪駆動 消防ポンプ車 アメリカ 1912年
アメリカ人の技術者で発明家でもあったJ.W.クリスティ(John Walter Christie)は、自動車創世記の各種発明で馬車から自動車への転換に寄与した人物でした。彼は前輪駆動方式の自動車の設計を行いその車でレースに参戦するなど自車の宣伝活動を行っていましたが、彼の前輪駆動方式は時期尚早で成功しませんでした。その後第1次大戦が勃発し彼は陸軍関係の車両開発を行うようになり、彼の考案したクリスティー式サスペンションは第2次大戦中の戦車に採用されました。
1912年にクリスティは彼の考案した前輪駆動方式を使った消防車を製作しました。この消防車は馬で牽引していた消防トレーラー(蒸気機関で駆動する放水用ポンプを積載していた)に、馬の代わりに4気筒4.5L(60HP)のガソリンエンジンを搭載したトラクターを接続する構造となっていました。車両後部の銀色の煙突がついた筒が蒸気ボイラーで、その前方にあるのがアーレンス フォックス製の放水用ポンプです。この消防車はニューヨーク市消防署に採用されその後国内の消防署に展開され、1918年まで製造されたそうです。
ミニカーはデルプラド(DEL PRADO)社のミニカー付雑誌「世界の消防車コレクション」の1台で2003年に発売されました。1912年に製作されたクリスティ消防車をモデル化しています。独特なトラクター駆動輪と灯火類、ボイラー、ホース等の消防用備品などが細部まで忠実に再現されていて、かなりレベルの高い出来ばえです。メーカーは明記されていませんが、これとほとんど同じ物をアメリカのロードチャンプス(ROAD CHAMPS)がモデル化しているのでそれを流用していると思われます。同じデルプラド製の「世界の名車シリーズ」は安価故にあまりぱっとしないミニカーが多かったのですが、この「世界の消防車コレクション」のクラシックな消防車は面白い車種があり、いずれも値段(約2000円)以上の良い出来ばえでした。これ以外のクリスティ消防車のミニカーは上述したロードチャンプス、フランクリン ミントの1/24などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ タイプ C アルペンジーガー ドイツ 1913年
戦前の高級車メーカー ホルヒ社の創立者アウグスト ホルヒがホルヒ社を辞めて1910年に設立したのがアウディ社でした。(アウディ社はその後1932年にアウトウニオン社に併合され、その後アウトウニオン社を傘下におさめたフォルクスワーゲン社によって1965年に名前が復活しました) 創立者のアウグスト ホルヒはモータースポーツに関心があり、初期のアウディ車は高級車ながらモータースポーツでも活躍していました。
1911年に登場したタイプ Cは4気筒3.6L(35HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速で最高速90km/hと高性能でした。アウグスト ホルヒはタイプ Cを自らドライブして、1912年のオーストリア アルペン ラリー(アルプスでの山岳レース)へ参戦し優勝しました。タイプ Cは同ラリーで3連覇を達成し、アルペン シーガー(アルプスの覇者)の名声を得ました。またこの勝利でアウディ車は国際的にも知られることになりました。タイプ Cは1916年まで生産され、総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS)製です。チィスは自動車創成期のクラシックカーを30種類ほどモデル化していました。(参照ページ→チィスのミニカー まとめページ) 1960年代のビンテージミニカーですので、金属パーツが多く頑丈にできていました。また当時のミニカーとしてはスケールモデル的な作風で良く出来ていました。このアウディ タイプ Cも尖ったテールのボディなど当時の軽快なスポーツカーの雰囲気がよく再現されています。タイプ C アルペンジーガーのミニカーはRICKOの1/87、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベデリア スポーツ フランス 1913年
1910-1920年代に2輪車の部品を使って小型軽量で安価な自動車が製作されていました。単気筒/2気筒エンジンを搭載した3輪/4輪車で2輪車の延長のような車でしたのでサイクルカーと呼ばれています。サイクルカーは安価だったので簡便な自動車としてブームになり、ヨーロッパやアメリカに製作メーカーが非常にたくさんありましたが、ほとんどが弱小メーカーでした。それらの中でもフランスのベデリアやアミルカー、イギリスのモーガンやGNが良く知られたブランドでした。 しかし1920年代後半になると、イギリスのオースチン セブンやフランスのシトロエン 5CVなどの本格的な自動車が安価で登場したことで、サイクルカーは瞬く間に淘汰されました。
ベデリアはフランス初のサイクルカーで、1910年から1925年まで製造されました。バイクのような2人乗りで、後席にステアリングホイールがありますので後席が運転席です。(前輪の操作はケーブルを介して行う) 車体前部にV型2気筒1056cc(9HP)エンジンを搭載し、後輪をベルト駆動しています。2段変速なのですが、変速はサイズの異なる2つのプーリーのベルト架替えで行うので、変速するにはまずベルト張りを緩める操作(クラッチがないのでベルト張りを緩めてクラッチ代わりとしていたのです)をしてからベルトを架替えるというやり方だったそうです。走行中でもやれたそうですが、ベルト架替えは前席の同乗者が操作したそうです。先端に付いている金色の円筒は燃料タンクです。なお1922年頃の改良型はボディが変更されて前席2座の2人乗りになり、通常の3段変速機が付くなどかなり一般的な仕様になっていました。
ミニカーは1977年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルム初期に作られた数種類のサイクルカーの1つです。ベデリアには様々なバリエーションがあったのですが、これは1913年にフランスで開催されたサイクルカーグランプリで優勝したレースカーにサイクルフェンダーと幌を追加した公道仕様をモデル化しているようです。(実車画像→ ベデリア 1913) レースカーなので変速プーリーなしでエンジン出力軸から直接後輪をベルト駆動しているようです。V型エンジン、ベルト駆動部などがそこそこリアルに再現され、前輪が操舵できるなど当時のミニカーとしてはなかなか良い出来ばえでした。ベデリアの量産ミニカーはこれしかないようなので車種的に貴重な面白いミニカーです。 以下はフロント(前輪操舵)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ アルフォンソ XIII スペイン/フランス 1913年
スペインの自動車会社がスイス人の技術者マルク ビルキヒト(Marc Birkigt)をチーフエンジニアに採用し、1904年にスペインのバルセロナに設立したのがイスパノ スイザ社でした。「イスパノ スイザ(Hispano-Suiza)」とは「スペインとスイス」という意味で、設立した経営者がスペイン人、チーフエンジニアがスイス人という意味で命名されました。(フランス語ではHを発音しないのでイスパノ スイザと発音します)イスパノ スイザ社は一般乗用車/トラックに加えて高級車やレーシングカーも生産しました。
イスパノ スイザ社はスペイン王室の援助を受けて王室御料車になったことで、高級車メーカーとして知られることになりました。初期の名車としては、スペイン国王のアルフォンソ 13世の名前を冠したアルフォンゾ XIIIがありました。この車はスペイン国王が開催した1911年のレースに優勝したレーシングカーをベースにしたスポーツカーでした。トランスミッションと一体化した高性能な4気筒3620cc(64HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速120km/hの性能で、当時としては高性能で軽快なスポーツカーでした。約500台が1914年までに生産されました。
ミニカーは1960年代に発売されたスペインのエコー(EKO)製です。エコーのミニカーはプラスチック製で、1/87サイズの乗用車/商用車や1/43サイズのクラシックカーをモデル化していました。このイスパノ スイザ アルフォンソ XIIIは自国の名車であることからモデル化に気合が入っているようで、車名ロゴの付いたフロントグリル、軽快なサイクルフェンダーなど実車がうまく再現されています。それ以外の細部もリアルで、1960年代のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえとなっていました。これ以外のアルフォンソ XIIIのミニカーはミニチャンプスのレジン製があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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