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ルノー 35CV (タイプ AI) フランス 1906年
1903年にフランスは約3万台の自動車を生産し、世界最大の自動車生産国になっていました。当時はパナールやプジョーのシェアが高かったようで、ルノーのシェアはまだ大きくはなかったようです。1906年頃のルノーは6種類のモデルを揃えていました。それは2気筒1L/1.2Lエンジンのタイプ AX/AG、4気筒2.1Lエンジンのタイプ AM、4気筒3.1Lエンジンのタイプ X-1、4気筒4.4Lエンジンのタイプ V-1、4気筒7.4Lエンジンのタイプ AI、6気筒9.5Lエンジンのタイプ ARと小型車から大型車までそろっていました。(参照資料→ The Renault range from 1908)
2気筒エンジンの小型車は初期のヴォワチュレットの流れをくむもので、4気筒エンジン搭載車は初期のレーシングカーをベースにしたものでした。タイプ ARはルノー初の6気筒エンジン搭載の大型車で1907年に登場しています。画像の35CV (タイプ AI)は4気筒7.4Lエンジンを搭載した大型の高級車で、1906年の時点ではルノーの最上級車でした。ボンネットの側面に配置されていたラジエータは運転席前のスカットル部分に配置されるようになり、グリルのない台形に傾斜したボンネットを持つルノー独特の顔つき(「象の鼻」と呼ばれました)が完成していました。この顔つきは1920年代後半まで継承されました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このルノー 35CVはサフィールのなかでも大きめのモデルで、青/黄のカラーリングが綺麗で、当時の最上級車の雰囲気が良く再現されています。高級なリムジーンだったので、運転席背後のガラス仕切りの上部に運転手に指令を伝える為の伝声管が付いています。金メッキしたモールの付いた特徴的な「象の鼻」とラジエータもリアルにできています。シャーシ/フェンダーはダイキャスト製なので塗装されていますが、ボディはプラスチック製で塗装はされていません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー トルペード (タイプ 81) フランス 1906年
ベテラン期のプジョーで記載したように、当時のプジョーにはアルマン プジョーが「LES FILS DE PEUGEOT FRERES(プジョー兄弟の息子達)」社から独立して設立した「AUTOMOBILES PEUGEOT(オートモビル プジョー)」社が作るプジョー車と、元の兄弟の会社が1906年から作り始めたリオン プジョー車(LION-PEUGEOT)の2つがありました。1910年には両社は合併してひとつになりましたが、すぐに車を統一したわけではなく第1次大戦までは独自設計の車作りをしていました。(リオン プジョーは単気筒/2気筒エンジン搭載の小型車がメインでした) 現在のプジョーのロゴはリオン(ライオン)ですが、それはこの当時からの継承です。
このプジョー トルペードは当時最も標準的なモデルであったタイプ 81をモデル化しているようです。ラジエータ グリルの形状(裾が開いた台形)、ボンネット形状、灯火類などが実車の画像とよく似ているので、ほぼ間違いないと思います。タイプ 81は4気筒2.2L(15HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速機で最高最高速67km/hの性能でした。なおこの当時のプジョーの単気筒エンジン搭載の小型車は既にシャフトドライブを採用していましたが、この4気筒エンジン搭載の中型車はまだ後輪をチェーンドライブしていました。タイプ 81はは約250台が生産されました。
ミニカーはクラシックカーを多く手がけていたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。1960-1970年代に作られたミニカーですが、クラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。このプジョーも実車の画像と見比べるとフロントグリルやボンネットが結構リアルに再現されています。リアドアが開閉するギミックが付いているのはミニオールのクラシックカーとしては珍しいです。ただプラスチックの経年変化でボディが大きく弓なりに変形しているのは残念です。これ以外にも幌を外したものや幌を2連にしたバリエーションがありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シザール & ノーダン クーペ フランス 1906年
シザール & ノーダン社は1905年から1921年まで存在した短命の自動車メーカーでした。モーリス シザール(Maurice Sizaire)とジョルジョ シザール(Georges Sizaire)のシザール兄弟は独力で単気筒エンジンを搭載する小型車を1902年に開発しました。シザール兄弟は友人のルイス ノーダン(Louis Naudin)と共同でシザール & ノーダン社を設立し、1905年のパリ サロンで小型車を発表しました。この車は単気筒1244cc(8HP)エンジンを搭載し、 横置きリーフスプリングによる前輪独立懸架や3段ギヤボックスと一体化した後車軸など独創的な車でした。当時のレースで大活躍し小型スポーツカーのパイオニア的な車として成功しました。
シザール兄弟は投資家との意見の相違で1912年に会社を辞めました。創業者がいなくなったシザール & ノーダン社は4気筒エンジン搭載車を発売しましたが、1921年に会社は清算されました。シザール兄弟はイギリスの自動車輸入業者 フレドリック バーウィック(Frederick William Berwick)の資金援助で シザール-バーウィック(Sizaire-Berwick)社を1913年に設立しました。同社は4気筒3Lエンジンを搭載する大型高級車などを発売していましたが、1927年に消えました。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.i.)製です。1960年代のミニカーですから素朴な作りですが、実車の雰囲気はうまく再現されています。この車の特徴である横置きリーフスプリングの前輪サスペンションと、ギヤボックスと一体化された後車軸(大き目なサイズのデフギヤに見えます)が簡単な表現ながらきちんと再現されています。シザール & ノーダン車のミニカーはこれしかありません。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。(参照ページ→ ラミーのミニカー一覧) ラミーのミニカーが作られていた1960年代では初期の自動車は50年ほど前の古い車となりますが、現在(2022年)に置き換えると1970年代の古い車ということになります。したがって1960年代にラミーが初期の自動車をモデル化していたことは、現在で1970年代の車をモデル化していることと同じなのです。(いつの時代でも昔の車を懐かしむ人がいるのです) ただこのような初期のマイナーな自動車がミニカーになることは今後はもうないでしょうから、その観点からラミーのミニカーは貴重なのです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 14CV (タイプ X) フランス 1907年
1906年頃のルノーは6種類のモデルを揃えていました。それは2気筒1L/1.2Lエンジンのタイプ AX/AG、4気筒2.1Lエンジンのタイプ AM、4気筒3.1Lエンジンのタイプ X-1、4気筒4.4Lエンジンのタイプ V-1、4気筒7.4Lエンジンのタイプ AI、6気筒9.5Lエンジンのタイプ ARと小型車から大型車までそろっていました。(参照資料→ The Renault range from 1908)
このルノー 14CVは上記モデルレンジの上から4番目のタイプ Xで、4気筒3.1Lエンジンを搭載していました。4番目といっても当時としてはかなりの高級車で、特にこのミニカーの実車はフランス政府の公用車でダブル ベルリン形式と呼ばれる長距離旅行用の立派なボディが架装されていました。ベルリンとは箱型大型馬車の形式でそれが前後に二つ連結されている形なのでダブル ベルリンと呼ぶそうです。屋根には旅行用の荷物を積むルーフラックが付いています。タイプ Xは1909年に後継車のタイプ BXにモデルチェンジしました。(実車画像→ ルノー タイプ BX)
ミニカーは1970年代に発売されたリオの初期モデルです。この当時のリオはクラシックカー専門のマニア向けブランドでした。(リオは1990年代になるとクラシックカー以外も手掛けるようになりましたが) リオのクラシックカーは細かい部品まで良く再現された手の込んだ造りで、当時のミニカーとしては最高の出来ばえでした。この14CVも金メッキされた特徴的なラジエータ、ヘッドライトなどの灯火類、キャビン窓枠、ルーフ上のルーフラックなどリアルな仕上げで、カラーリングも綺麗です。1900-1920年代のクラシックカーのミニカーは最近ほとんど作られないので、その点で貴重なミニカーでもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール タイプ X ’LA MARQUISE’ フランス 1908年
1904年にパナールは1000台以上の車を販売しており、当時世界最大の自動車メーカーになっていました。この頃には先進的であったエンジン/ギヤボックス/後輪ドライブを一列配置する「システム パナール」も他の会社が同様の方式を採用したことで優位性を失っていました。1901年にドイツのメルセデスから4気筒6.6L(40HP)エンジンを搭載する高性能高級車ジンプレックスが登場し、パナール ルヴァッソールはこのメルセデスを模倣したような高級車を製作するようになりました。
パナールは1911年にアメリカ人のチャールズ ナイトが考案したスリーブバルブ エンジンを搭載するようになりました。スリーブバルブ エンジンとはシリンダ側面に吸排気ポートを設けそれをシリンダーを囲むスリーブと呼ぶ筒で開閉する構造のエンジンです。低効率ながらバルブ作動音が小さく静粛性に優れていたので、1920年代頃まで高級車に使われました。パナールはこのエンジンを1930年代まで主力エンジンとして搭載し続けました。またこのエンジンの高性能化にも注力し、1925年にはこのエンジン(4気筒4.8L)を搭載したレースカーで平均速度185.51km/hの国際速度記録を達成しました。
ミニカーは1960年代に発売されたフランスのラミー製です。1908年式のパナール ルヴァッソール タイプ Xをモデル化しています。この車は4気筒3.3Lエンジンを搭載したシェーファードリブンの高級車だったようです。名前の「LA MARQUISE(ラ マルキーズ )」とはフランス語で「候爵夫人」という意味でこの車の愛称だと思いますが、他の意味があるのかもしれません。ラミーのミニカーは現在の感覚では簡素な出来ばえですが、1960年代当時としては本格的なクラシックカーのミニカーでカラフルなカラーリングが特徴でした。このパナールも当時のミニカーとしてはそこそこ実車に忠実な造形で、薄紫/オレンジの色使いが洒落ていました。(実車は地味なカラーリングですが、ミニカーはこんな具合にカラフルに仕上げてありました) なお50年前に製作されたものですので、フロントグリルなど金属パーツが少々錆びています。 屋根の上の丸い物はスペアタイヤの置き場所で、丸い蓋をとるとちゃんとスペアタイヤが入っています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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