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ダイムラー PD ワーゲン ドイツ 1901年
1886年にダイムラー 1号車を完成させたゴットリーブ ダイムラーは1900年に他界しました。ダイムラー自動車会社(DMG:Daimler-Motoren-Gesellschaft)ではダイムラーの友人であったチーフデザイナーのウィルヘルム マイバッハと、1897年から働いていた長男のパウロ ダイムラーが設計を行っていました。マイバッハとパウロは設計上の意見が対立し、パウロは独立して別の設計事務所を設立し1899年から独自設計車の開発を始めました。
パウロが開発した車は当時のフランスでヴォワチュレット(VOITURETTE)と呼ばれていた小型車でした。この車はパウロ ダイムラーが設計したことから「PD ワーゲン(Paul Daimler Wagen)」と呼ばれています。2気筒1.4L(8HP)エンジンとギアボックスをフロントに搭載し後輪をチェーン駆動していました。6角形のラジエータグリルが付くなど馬車的な形態から脱却した進歩的なデザインとなっていて、同時期のダイムラー社のメルセデス 35HPとは雰囲気が違っていました。この車はメルセデス 35HPとの競合に敗れ、大量生産されることはありませんでした。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現されかなり良い出来ばえでした。このPD ワーゲンも特徴的な形状のフロントグリル、灯火類、ホワイトタイヤなどかなり実車に忠実にモデル化されています。サフィールは幌を立てたバリエーションも作っていました。これ以外のPD ワーゲンの量産ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス 35HP ドイツ 1901年
メルセデスの名前がつけられた最初の車は当時のレーシングカーで、この車が1901年のレースで大成功したことでメルセデスという名前が有名になったとのことです。マイバッハ設計の簡潔で軽量かつ重心の低いシャーシに高性能エンジン(4気筒 5.92L 35HP)を搭載していて、当時としては極めて進歩的な車でした。この後のメルセデス車の基本設計はこの車がベースになっています。
ミニカーは1978年に発売されたドイツのカーソル(CURSOR)製です。材質はプラスチックで、ダイムラー社の特注品でメルセデス ベンツの100周年記念品として作られた物でした。当サイトで紹介しているカーソル製のベンツ初期のミニカーは全てがその100周年記念品として販売されたもので、それらはメルセデス ベンツ博物館に展示されている実車をモデル化していました。それらはいずれも当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。
以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。床下部分にはエンジンの出力軸がボディ中央に搭載された変速機に接続され、その変速機出力のスプロケット駆動軸がチェーンで後輪を駆動するといった構造が再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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リュック コート フランス 1901年
フランスの工科大学を卒業したリュック コート(Luc Court)は、自動車の備品を製造するリュック コート社(?tablissements LucCourt et Cie)を1892年に設立しました。彼はリバース(後退)ギヤを備える変速機に関する特許を出願し、この特許を使った自社設計の自動車を1899年に発売しました。この車は水冷2気筒2.4L(13HP)エンジンを搭載する小型車で、当時としては先進的なリバースギヤを装備した5段変速機を介して後輪をチェーン駆動していました。この先進的な構造が評判となり、リュック コートは当時の自動車メーカーとしての地位を確立しました。
その後4気筒エンジンを搭載した20/24CVが発売されました。1904年にはエンジンを搭載したシャーシ前部とシャーシ後部を分割できる構造の車を開発しました。この構造は車体部分を搭載するシャーシが交換できるので、乗用車と商用車を作り分けるのに都合がよかったようです。1910年には4気筒2.1Lエンジン搭載のH4 14CVと6気筒エンジン搭載の18CVが登場しました。第1次大戦後は4気筒4.7Lエンジン搭載の大型車も登場しました。1930年代に乗用車の生産が終了し、その後は商用車の生産がメインとなりトラックは1952年頃まで生産していたようです。(実車画像→ リュック コート H4)
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。リュック コート社の最初の自動車をモデル化しています。実車の画像と見比べると、フロント先端にあるラジエーター、ヘッドライト、前後フェンダー、右サイドのブレーキレバーなど当時のミニカーとしてかなりリアルに実車を再現しています。 カラーリングも実車に準じていますが、シートを白/赤に変えて少しカラフルな見た目にしています。これ以外のリュック コートのミニカーはないようです。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。(参照ページ→ ラミーのミニカー一覧) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ (タイプ 0) ヴィザヴィ フランス 1901年
フランス人の技術者エミール ドライエは1894年にドイツのベンツのガソリンエンジン車を模倣して、独自設計した後輪ベルト駆動式の自動車を完成させました。この車は1896年に開催されたパリ-マルセイユ レースに参戦するなどこの当時盛んであった都市間レースで活躍しました。ドライエは当時としては高性能で信頼性が高い車だったようで、1898年からパリの工場で自動車の生産を始めました。初期にはレース活動をしていたドライエでしたが、創業者のエミール ドライエが1901年に経営陣から退いたことで1902年にレース活動から撤退しました。
1902年にドライエ初の4気筒4.4Lエンジン搭載車タイプ 11が登場しました。その後ドライエ車はドイツでライセンス生産され、アメリカのホワイト社に模倣されたりしていますので性能は優れていたようです。1911年に世界初のV型6気筒3.2Lエンジンを搭載したタイプ 44を開発しましたがあまり売れなかったようです。その後の1920年代はトラックや農業機械の生産を主力とする地味なメーカーとなっていましたが、1933年に6気筒エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)を発表して高性能車市場への進出を図りました。(以下 サラブレット期のドライエ 135Mに続く)
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。名前のヴィザヴィ(VIS A VIS)とは向かい合わせの座席配置のことを意味しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風でかなり良い出来ばえでした。モデルとなった実車があまり良く分からないのですが、年式から単気筒エンジン搭載で後輪をチェーン駆動した初期のモデル(タイプ 0 又は タイプ 4)と思われます。まだカーボンが使われていない白いタイヤと屋根の代わりの赤いパラソルが時代を感じさせるかわいらしいミニカーです。なおボディは同じサフィール製のプジョーのボディを流用しているので、見た目はそのプジョーとよく似た雰囲気となっています。以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デコービル 5CV ヴィザヴィ フランス 1901年
サトウキビ農場を経営していたポール デコービル(Paul Decauville)は労働力不足を解決する為に、農作業の機械化を考えていました。彼は農作物の搬出用に小型蒸気機関車を使用する簡易的な可搬式鉄道を考案しました。これはデコービル システムと呼ばれ、レールと枕木を組合わせて一体化した簡易線路(軌匡:ききょう)を並べるもので、通常の枕木上にレールを敷く方式に比べて簡単に敷設/撤去ができるものでした。このシステムは鉱山や軍事用にも使用されることになりました。このシステム用の線路や蒸気機関車を製造するデコービル社(Soci?t? Decauville)が1875年に設立されました。
デコービル社は自転車や自動車も製造しました。デコービル自動車社(Voitures Automotives Decauville)は1897年にデコービル社の子会社として設立されました。最初の自動車(Voiturelle)は3人乗りの小型車で、ド ディオン ブートン製の空冷2気筒498㏄(3HP)エンジンをリアに搭載し2段変速でした。この車は好評で大成功し、エンジン水冷化パワーアップ(5HP)、変速機の3段化、エンジンのフロント搭載化などの改良が行われました。その後1902年に水冷2気筒1.4L(8.5HP)エンジン搭載車、さらに1903年には4/6気筒エンジン搭載の大型車などが発売されましたが、販売は芳しくなく1909年に自動車生産から撤退しました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。デコービル社の初期型(Voiturelle)をモデル化しているようです。車名のヴィザヴィとは前席と後席が向かい合わせに配置されている形式のことです。WEBサイトで見つけた実車と思われる画像と見比べると、フロント周りの造形が多少違っています。これは同じサフィール製のプジョーのボディを流用しているからです。モデル化された実車もプジョーによく似ていますので、プジョーのライセンスを得てボディを真似たのかもしれません。(WEBで検索数するとプジョー デコービルという名前のモデルがありましたので、そのように思います) ミニカーはボディは共用していますが、灯火類や操作レバーなどの細部は変更しています。座席右横の丸ハンドルはエンジンを始動させるハンドルのようです。前席の前に付いている円筒形の物は燃料タンクだと思われます。 同時期のデコービルのミニカーはガマもモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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