ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

DAIMLER Paul Daimler Wagen 1901 GERMANY

DAIMLER Paul Daimler Wagen
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DAIMLER Paul Daimler Wagen


SAFIR 20 1/43 全長63mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m エンジン 変速機: 2気筒 1.4L 8HP/850rpm 4段変速
性能: 最高速45km/h  データーベースで戦前のダイムラーのミニカー検索

ダイムラー PD ワーゲン ドイツ 1901年

 

 1886年にダイムラー 1号車を完成させたゴットリーブ ダイムラーは1900年に他界しました。ダイムラー自動車会社(DMG:Daimler-Motoren-Gesellschaft)ではダイムラーの友人であったチーフデザイナーのウィルヘルム マイバッハと、1897年から働いていた長男のパウロ ダイムラーが設計を行っていました。マイバッハとパウロは設計上の意見が対立し、パウロは独立して別の設計事務所を設立し1899年から独自設計車の開発を始めました。

 

 パウロが開発した車は当時のフランスでヴォワチュレット(VOITURETTE)と呼ばれていた小型車でした。この車はパウロ ダイムラーが設計したことから「PD ワーゲン(Paul Daimler Wagen)」と呼ばれています。2気筒1.4L(8HP)エンジンとギアボックスをフロントに搭載し後輪をチェーン駆動していました。6角形のラジエータグリルが付くなど馬車的な形態から脱却した進歩的なデザインとなっていて、同時期のダイムラー社のメルセデス 35HPとは雰囲気が違っていました。この車は>メルセデス 35HPとの競合に敗れ、大量生産されることはありませんでした。

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現されかなり良い出来ばえでした。このPD ワーゲンも特徴的な形状のフロントグリル、灯火類、ホワイトタイヤなどかなり実車に忠実にモデル化されていました。サフィールは幌を立てたバリエーションも作っていました。これ以外のPD ワーゲンの量産ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DAIMLER 1
DAIMLER 2

 以下は同じサフィールのバリエーションで幌を立てたダイムラー PD ワーゲン 1901 (1/43 型番15)の画像です。カラーリングと幌以外は上記と同じです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DAIMLER 3
DAIMLER 4

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MERCEDES 35HP 1901 GERMANY

MERCEDES 35HP
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35HP


CURSOR 969 1/43 全長73mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 車重 1200㎏ エンジン 変速機: 4気筒 5.92L 35HP/1000rpm 4段変速 後輪チェーン駆動
性能: 最高速86km/h  データーベースで初期のメルセデスのミニカー検索

メルセデス 35HP ドイツ 1901年

 

 当時のフランスの裕福な実業家 エミール イェリネック (Emil Jellinek)はダイムラー自動車会社(DMG:Daimler-Motoren-Gesellschaft)に製作させたレーシングカーでレースに参戦していました。彼は自分のレーシングカーに娘のニックネームであったメルセデスという名前を付けました。1901年にメルセデス 35HPの名前が付けられた新型レーシングカーが開発されました。この車はマイバッハ設計の簡潔で軽量かつ重心の低いシャーシに高性能な4気筒 5.92L(35HP)エンジンを搭載し、当時としては極めて進歩的な車でした。1901年にニースで開催されたレースで、メルセデス 35HPは最高速度86km/hを達成するなど他車を圧倒して優勝しました。この車が活躍したことでメルセデスという名前が有名となり、ダイムラーの車にメルセデスの名前が付けられようになりました。この後のダイムラー車の基本設計はこの車がベースになりました。

 

 ミニカーは1978年に発売されたドイツのカーソル(CURSOR)製です。材質はプラスチックで、ダイムラー ベンツ(現在はメルセデス ベンツ グループ)社の特注品でメルセデス ベンツの100周年記念品として作られた物でした。当サイトで紹介しているカーソル製のベンツ初期のミニカーは全てがその100周年記念品として販売されたもので、それらはメルセデス ベンツ博物館に展示されている実車をモデル化していました。それらはいずれも当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。このメルセデス 35HPもフロントフェンダーや後輪を駆動するチェーンなど細部まで良く再現されていました。

 

 

 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。床下部分にはエンジンの出力軸がボディ中央に搭載された変速機に接続され、その変速機出力のスプロケット駆動軸がチェーンで後輪を駆動する構造が再現されていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

>MERCEDES 35HP 1
MERCEDES 35HP 2

 以下は2010年に発売されたイクソ製のメルセデス 35HP (1/43 型番MUS027)の画像です。上記のカーソル製と同じ車をモデル化しています。製作時期が新しいので、運転席周りのアクセルペダルや変速/ブレーキなどの操作レバーなどがリアルに再現されていました。底板部分のメカも再現されていて、後輪を駆動するチェーンがリアルに再現されていました。イクソはこれをベースにした乗用車仕様のジンプレックス 40HPも型番MUS036でモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35CV 3
MERCEDES 35CV 4

 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35CV 5
MERCEDES 35CV 6

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LUC COURT 1901 FRANCE

LUC COURT
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
LUC COURT


RAMI 31 1/43 全長70㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 全幅約1.6m エンジン 変速機: 水冷2気筒 2.4L 13HP 5段変速(リバース付)
性能: 最高速 60km/h  データーベースでラミーのミニカーのミニカー検索

リュック コート フランス 1901年

 

 フランスの工科大学を卒業したリュック コート(Luc Court)は、自動車の備品を製造するリュック コート社(Etablissements Luc Court et Cie)を1892年に設立しました。彼はリバース(後退)ギヤを備える変速機に関する特許を出願し、この特許を使った自社設計の自動車を1899年に発売しました。この車は水冷2気筒2.4L(13HP)エンジンを搭載する小型車で、当時としては先進的なリバースギヤを装備した5段変速機を介して後輪をチェーン駆動していました。この先進的な構造が評判となり、リュック コートは当時の自動車メーカーとしての地位を確立しました。

 

 その後4気筒エンジンを搭載した20/24CVが発売されました。1904年にはエンジンを搭載したシャーシ前部とシャーシ後部を分割できる構造の車を開発しました。この構造は車体部分を搭載するシャーシが交換できるので、乗用車と商用車を作り分けるのに都合がよかったようです。1910年には4気筒2.1Lエンジン搭載のH4 14CVと6気筒エンジン搭載の18CVが登場しました。第1次大戦後は4気筒4.7Lエンジン搭載の大型車も登場しました。1930年代に乗用車の生産が終了し、その後は商用車の生産がメインとなりトラックは1952年頃まで生産していたようです。(実車画像→ リュック コート H4)

 

 

 ミニカーは1960年代に発売されたラミー(RAMI)製です。ラミーはフランスのミニカーメーカー JMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。リュック コート社の最初の自動車をモデル化しています。実車の画像と見比べると、フロント先端にあるラジエーター、ヘッドライト、前後フェンダー、右サイドのブレーキレバーなど当時のミニカーとしてかなりリアルに実車を再現していました。 カラーリングも実車に準じていましたが、シートを白/赤に変えて少しカラフルな見た目にしていました。これ以外のリュック コートのミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

LUC COURT 1
LUC COURT 2

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DELAHAYE (TYPE 0) VIS A VIS 1901 FRANCE

DELAHAYE (TYPE 0) VIS A VIS
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE (TYPE 0) VIS A VIS


SAFIR 6 1/43 全長66㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約2.8m? エンジン 変速機: 単気筒 1521cc ? 2段変速
性能:   データーベースでドライエのミニカー検索

ドライエ (タイプ 0) ヴィザヴィ フランス 1901年

 

 フランス人の技術者エミール ドライエは1894年にドイツのベンツのガソリンエンジン車を模倣して、独自設計した後輪ベルト駆動式の自動車を完成させました。この車は1896年に開催されたパリ-マルセイユ レースに参戦するなどこの当時盛んであった都市間レースで活躍しました。ドライエは当時としては高性能で信頼性が高い車だったようで、1898年からパリの工場で自動車の生産を始めました。初期にはレース活動をしていたドライエでしたが、創業者のエミール ドライエが1901年に経営陣から退いたことで1902年にレース活動から撤退しました。

 

 1902年にドライエ初の4気筒4.4Lエンジン搭載車タイプ 11が登場しました。その後ドライエ車はドイツでライセンス生産され、アメリカのホワイト社に模倣されたりしていますので性能は優れていたようです。1911年に世界初のV型6気筒3.2Lエンジンを搭載したタイプ 44を開発しましたがあまり売れなかったようです。その後の1920年代はトラックや農業機械の生産を主力とする地味なメーカーとなっていましたが、1933年に6気筒エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)を発表して高性能車市場への進出を図りました。(以下 サラブレット期のドライエ 135Mに続く)

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。名前のヴィザヴィ(VIS A VIS)とは向かい合わせの座席配置のことを意味しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風でかなり良い出来ばえでした。このドライエはモデルとなった実車があまり良く分からないのですが、年式から単気筒エンジン搭載で後輪をチェーン駆動した初期のモデル(タイプ 0 又は タイプ 4)と思われます。まだカーボンが使われていない白いタイヤと屋根の代わりの赤いパラソルが時代を感じさせるかわいらしいミニカーでした。なおボディは同じサフィール製の型番4のプジョーのボディを流用していたので、見た目はそのプジョーとよく似た雰囲気となっていました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DELAHAYE VIS A VIS 1
DELAHAYE VIS A VIS 2

 以下は1960-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのラミー(RAMI)製のドライエ 1904 (1/43 型番26)の画像です。モデルとなった実車は年式から4気筒エンジンを搭載したタイプ 13だと思われます。ホイールとハンドルはラミーのクラシックカー シリーズに共通するパーツなのでプラスチック製ですが、それ以外のほとんどのパーツは幌までも金属製です。1960年代のミニカーながら当時のミニカーとしては結構リアルに作られていました。(実車画像→ ドライエ 1904) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 1904 1
DELAHAYE 1904 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 1904 3
DELAHAYE 1904 4

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DECAUVILLE 5CV VIS A VIS 1901 FRANCE

DECAUVILLE 5CV VIS A VIS
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DECAUVILLE 5CV VIS A VIS


SAFIR 5 1/43 全長66mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約2.8m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 水冷2気筒 498㏄ 5HP 3段変速
性能: 最高速 不詳  データーベースでサフィールのミニカーのミニカー検索

デコービル 5CV ヴィザヴィ フランス 1901年

 

 サトウキビ農場を経営していたポール デコービル(Paul Decauville)は労働力不足を解決する為に、農作業の機械化を考えていました。彼は農作物の搬出用に小型蒸気機関車を使用する簡易的な可搬式鉄道を考案しました。これはデコービル システムと呼ばれ、レールと枕木を組合わせて一体化した簡易線路(軌匡(ききょう))を並べるもので、通常の枕木上にレールを敷く方式に比べて簡単に敷設/撤去ができるものでした。このシステムは鉱山や軍事用にも使用されることになりました。このシステム用の線路や蒸気機関車を製造するデコービル社(Societe Decauville)が1875年に設立されました。

 

 デコービル社は自転車や自動車も製造しました。デコービル自動車社(Voitures Automotives Decauville)は1897年にデコービル社の子会社として設立されました。最初の自動車は3人乗りの小型車(Voiturelle)で、ド ディオン ブートン製の空冷2気筒498㏄(3HP)エンジンをリアに搭載し2段変速でした。この車は好評で大成功し、エンジン水冷化とパワーアップ(5HP)、変速機の3段化、エンジンのフロント搭載化などの改良が行われました。その後1902年に水冷2気筒1.4L(8.5HP)エンジン搭載車、さらに1903年には4/6気筒エンジン搭載の大型車などが発売されましたが、販売は芳しくなく1909年に自動車生産から撤退しました。

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。デコービル社の初期型(Voiturelle)をモデル化しているようです。車名のヴィザヴィとは前席と後席が向かい合わせに配置されている形式のことです。WEBサイトで見つけたデコービルの実車と思われる画像とミニカーを見比べると、フロント周りの造形が多少違っています。デコービルの外観は同時期のプジョーによく似ていましたので、サフィールはデコービルをモデル化するにあたり、型番4のプジョーのボディを流用したようです。ボディは流用していましたが、灯火類や操作レバーなどの細部は変更してありました。座席右横の丸ハンドルはエンジンを始動させるハンドルのようです。前席の前に付いている円筒形の物は燃料タンクだと思われます。同時期のデコービルのミニカーはガマもモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DECAUVILLE VIS A VIS PARIS-MADRID 1
DECAUVILLE VIS A VIS PARIS-MADRID 2

 以下は1965年に発売されたドイツのガマ製のプジョー デコービル 1901 (1/46 型番990)の画像です。こちらはプジョー デコービルという名前になっていて、これも同じガマ製のプジョー(1/46 型番989)のボディを流用していました。したがってこれも上記と同じ車をモデル化しているようですが、プジョー デコービルという名前の実車は存在しなかったようなので、この名前はプジョー のボディ形式をしたデコービルという意味なのだと思います。底板に縮尺1/46と銘記されていましたが、大きめに出来ていました。ガマのクラシックカーは金属製ホイールなどかなり頑丈に出来ていました。(昔のドイツ流です) ランタンや操作レバーなどはきちんと再現してあって、当時のミニカーとしてはまずまずの良い出来ばえでした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DECAUVILLE 5CV VIS A VIS 1
DECAUVILLE 5CV VIS A VIS 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DECAUVILLE 5CV VIS A VIS 3
DECAUVILLE 5CV VIS A VIS 4

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