Sorry Japanese Only
ドラージュ D8 トルペード フランス 1932年
フランス人技術者 ルイ ドラージュが1906年に製作した最初の車はド ディオン ブートン製の単気筒エンジンを搭載した小型車でした。この車は翌年の小型車レースで優勝しその後もレースで活躍し名声を高めていきました。1914年にはインディ 500に優勝するなど1920年代にはフランスの代表的なGPカーメーカーとなっていきました。ドラージュは1925年のフランス GP、スペイン GPに優勝しましたが、その後のGP規定の変更でレース活動から離れました。
1930年代のドラージュはフランスを代表するエレガントな高級スポーツカーとなっていきました。そのなかでも最も有名なモデルが1929年に発表されたD8で、8気筒4.1L(102HP)エンジンを搭載していました。D8にはショート ホイールベース版のD8 S、エンジンを145HPにパワーアップした高性能版(最高速160km/h)のD8 SSがありました。D8のボディ形式はスポーティなオープンカーのトルペード(TORPEDOとは魚雷の意)が典型的なものでしたが、フォーマルなフェートン(セダン)もありました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたラミー(RAMI)製で、これは1968年頃に発売されたものです。ラミーはフランスの自動車博物館に展示されていたクラシックカーを1/43サイズでモデル化していました。このドラージュ D8はドラージュのボディの多くを担当していたコーチビルダーの「Letourneur et Marchand」(レットヌール&マーチャンド)が架装した優雅なトルペードをモデル化しています。車輪部分以外をカバーした前後フェンダー、フロントウィンドー横に付いたサイドウィンドー、ツートンのカラーリングなど保存されていた実車を忠実に再現していました。プラスチック製メッキパーツを使ったフロントグリルやボンネットが脱着できるギミック付きなど、ラミーの後期に作られた出来の良い傑作ミニカーでした。これ以外のドラージュ D8のミニカーはエリゴール、イクソ、ソリドなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを取り外したエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=276
ブッチアリ (ビュッキアリ) TAV 8-32 フランス 1932年
1930年代のフランスに登場したブッチアリ(ビュッキアリ)は当時としては革新的な車でした。ブッチアリ自動車(Soci?t? Bucciali Fr?res)はアンジェロ ブッチアリ(Angelo Bucciali)とポール アルバート ブッチアリ(Paul-Albert Bucciali)のブッチアリ兄弟によって1922年に設立されました。同社の最初の車はBUC(ブク)という名前で販売された2気筒1.3Lエンジンを搭載した小型スポーツカーでした。その後4気筒1.6Lエンジンや6気筒1.5Lスーパーチャージャー付エンジンを搭載したスポーツカーも発売しましたが、いずれもあまり売れなかったようです。
1926年から同社は方針を転換し、当時としては革新的な前輪駆動方式を採用した高級車を開発するようになりました。1932年までに前輪駆動方式の高級車 ブッチアリ TAVが7車種開発されました。それらは少量生産されたモデルもありましたが、モーターショーで発表されただけのモデルもありました。最初のブッチアリ TAV 1は4気筒1.7Lエンジンを搭載した前輪駆動車で、全輪独立サスペンションを備えていました。ただし前輪駆動用変速機がなかったので走行できなかったようです。1929年に登場したTAV 8は8気筒4.4Lエンジンを搭載し、1932年に登場した最終型のTAV 12はヴォアザン製のV型12気筒4.9Lエンジンを搭載し、ブッチアリが開発した変速機を備えていました。(なおTAV*の車名には諸説があります) 1932年に会社は活動を止めました。
ミニカーはイクソ製でフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.23で2006年頃に発売されました。ミニカーの台座にはTAV 8-32と表示されていますが、1932年にパリ モーターショーで発表されたTAV 12 Fleche d'Or (金の矢の意)をモデル化しているようです。ボディはソーチック製でブガッティ T41のようなデザインでした。全長は6m超との文献もある長大なサイズの車ながら、車高は当時としてはかなり低く約1.5mでした。ミニカーは黒/赤ラインのカラーリング、ナンバープレート「710 BA3」、ボンネットの横に付いたコウノトリの紋章など現在する実車を忠実にモデル化していて、かなり良い出来ばえです。室内も彩色されていて良く仕上げてあります。イクソはこれとほとんど同じ物を2010年に型番MUS032で発売しています。これ以外のブッチアリのミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1983
イスパノ スイザ J12 リムジーン スペイン/フランス 1932年
イスパノ スイザ社は前述したH6シリーズで高級車メーカーの地位を確立しました。1932年のパリ サロンでV型12気筒エンジンを搭載したイスパノ スイザ J12が登場しました。J12はイスパノ スイザとしては最も大きく最も高価な車で、当時世界最高の高級車でした。当初のエンジンはV型12気筒9.4L(220HP)で1935年に11.3L(250HP)に拡大されました。ホイールベースは3.43m、3.71m、3.81m、4.01mの4タイプがあり、コーチビルダーが2シータカブリオレからリムジンまで豪華な特注ボディを架装していました。J12は当時の裕福層に人気を博したそうです。
架装されたボディによる違いがあったでしょうが、J12は3段変速で最高速150-170km/hほどの性能でした。ショートホイールベースのスポーツ仕様は当時最速の性能だったそうです。戦争が近づいたことからイスパノ スイザ社は1938年に自動車の生産を中止し航空機エンジン生産に専念しました。J12の生産台数はたったの120台でした。1930年代は世界大恐慌の影響で不況だったのですが、不思議なことにこの時期にアメリカでもデューセンバーグなど豪華な高級車が登場しています。
ミニカーは1978年に発売されたリオ製です。フォーマルな4ドアリムジンをモデル化しています。ミニカーは全長が138mmもあり、実車に換算すると全長約6mの大型車となりますが、ミニカーはJ12のイメージを強調する為少し大きめに作られているようです。そんなわけで実車の雰囲気はうまく再現されていて、空/青/白のカラーリングも綺麗です。フロントグリルの上に付くコウノトリのマスコットもかなりオーバースケールながら良く再現されています。ボンネットを取り外すと12気筒エンジンが再現されていて、床下部分のシャーシやサスペンションも実車に忠実かどうかは不明ですがそれらしく再現してあります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=288
フィアット 508 バリッラ イタリア 1932年
1932年にフィアット 509の後継としてフィアット大衆車の最高傑作といわれるフィアット 508 バリッラが発表されました。アメリカのフォード A型を小さくしたようなオーソドックスなデザインで、2ドアセダンとトルペード(4シーターのオープン仕様)と2シーター スパイダーがありました。4気筒995cc(20HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速80km/hの性能でした。4輪油圧ブレーキを備えていたこと以外はごく平凡な車でしたが、価格、燃費、メンテナンスの総合的なコストが安くイタリアの大衆にとって画期的な車でした。なお508にも高性能なスポーツ仕様の2シーター スパイダーの508Sがありました。
1934年に大幅な変更が加えられ508B バリッラとなりました。ホイールベースが50㎜延長されたことで、観音開きの4ドア仕様が追加されました。車重が増加しましたが、エンジンは24HPにパワーアップされギヤボックスが4段となり、走行性能は維持されました。ボディもフロントグリルやフロントウィンドーに傾斜が付き全体的に丸みが付きました。1937年に後継車の508Cが登場しました。508/508Bは約11万台が生産され大ヒットしました。(実車画像→ フィアット 508B 1934)
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのミニカーとしては初期の物ですが、508 バリッラは自国の名車だけにかなり力の入った作りとなっていて、この小さい車を忠実に再現しています。特に小さなドアが実車同様に大きく開閉するようにヒンジ部分を工夫してあり、室内も結構リアルに再現しています。リアバンパー上にトランクが載せてあり、初期の自動車のトランクはこのようなものでした。リオは商用車や救急車など十数種類のバリエーションを作っています。リオ以外の508のミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=291
アルファ ロメオ P3 イタリア 1932年
GPカー アルファ ロメオ P2の後継として技術者ヴィットリオ ヤーノが開発したP3(ティーポ B)は戦前のGPカー(現F1)の最高傑作といわれています。エンジンは8C用を2654ccに拡大したもの(215HP)で最高速232km/hの性能でした。P3の最大の特徴は左右の後輪を2本のドライブシャフトで独立して駆動していることで、2本のドライブシャフトの間にドライバーのシートを収めることで重心を低くしていました。
1932年のイタリア GP 優勝を皮切りに、P3はほとんど向かうところ敵なしの状態で、この勢いは1934年の新フォーミュラー レギュレーション発効まで続きました。1934年のレギュレーション変更に対応して、エンジンが2.9L(255HP)に拡大されました。1934年もP3は大半のレースに勝利しましたが、後半になるとドイツのメルセデス ベンツ/アウトウニオンが台頭してきました。1935年になると、ヨーロッパ選手権(全7戦)でP3はドイツ勢(6戦を優勝した)に対抗できなくなりました。ただドイツ GP(ヨーロッパ選手権 7戦のひとつ)ではエンジンを3.2L(265HP)に拡大したP3が、T.ヌヴォラーリのドライブで優勝して、強いドイツ勢に一矢を報いました。
ミニカーは1962年に発売されたリオの初期物です。60年以上も昔に作られたミニカーとは思えないほど、結構リアルな良い出来ばえです。またミニカーをひっくり返すと床下にエンジンやサスペンションが再現されていて、簡単な造形ですがドライブシャフトがちゃんと2本付いています。リオはP3のミニカーを20種類ほどモデル化していますが、量産ミニカーではリオ以外ではP3をモデル化していません。(ライセンスの関係でしょうか? CMCの1/18精密モデルやレジン製のNEOなど少量生産品がありますが) 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=303
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.