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デューセンバーグ J セダン アメリカ 1931年
ドイツから移民してきたデューセンバーグ兄弟が、レーシングカーを作る目的で1914年に設立したのがデューセンバーグ社でした。当初は航空機用エンジンを製造し、ブガッティの航空機用エンジンの国産化を行いました。1920年に8気筒4.3Lエンジンを搭載し世界初の油圧ブレーキを備えた、自社初の市販車モデル Aを発売しました。デューセンバーグのレースカーは1923年のフランスGPでアメリカ車として初めてのGP優勝、1924年と1925年のインディで優勝などレースで大活躍しています。ただモデル Aは高価すぎて売れず、ビンテージ期で述べたエレット ローバン コードが経営する「コード帝国」に1926年に買収されました。
コード傘下で1928年に発表されたモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車T型フォードの約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。
ミニカーはソリド製で、1960-1970年代に作られたクラシックカーシリーズ(AGE D'EOR シリーズ)の一つで1972年に購入しました。デューセンバーグとしてはおとなしいオーソドックスなセダンをモデル化しています。このクラシックカーシリーズは大人のマニア向けでしたので、スケールモデル的でリアルな造形がされ、当時としては素晴らしい出来ばえでした。「デューセンバード」と呼ばれる鳥のマスコットの付いたフロントグリル、ボンネット内に再現されたリアルなエンジン、ドアが開閉するキャビンなど細かいところもよく再現されています。ソリドはバリエーションでスパイダーもモデル化しています。これ以外のモデル Jのミニカーとしては、ビンテージものではドゥグー、リオ、マッチボックスなど、最近の物ではフランクリンミントの1/43と1/24、シグネチャーの1/32、ミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デューセンバーグ J スパイダー アメリカ 1931年
デューセンバーグは1926年にコードに買収されました。コード傘下で1928年に発表したモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発されました。当時はレーシングカーしか採用していなかったDOHC方式の8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速180km/hの性能でした。1932年にはスーパーチャージャーでエンジンを320HPにパワーアップし最高速208km/hとした高性能版のSJが追加されました。SJはボンネット右側面から排気管が出ています。
ボディ形式としては4ドアセダン(リムジン)、2ドアクーペ、スパイダー、フェートン(4座オープン)、ダブル カウル フェートン(前席/後席にスクリーンが付いた4座オープン)などがあり、全長は5.6mを超える大柄なサイズでした。著名なコーチビルダーが華麗なデザインの特注ボディを架装して販売され、その価格は当時の大衆車フォード T型の約40倍で、当時最高の超豪華高級車でした。したがってこの車を買えたのはハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。最も高価なモデルは当時の価格が2万ドルであったことから「トゥエンティ グランド(Twenty Grand)」と呼ばれていました。
ミニカーは1976年に発売されたソリド製です。前述したソリドのJ セダンのバリエーションで、ボディ後半を変更して2シーター スパイダーをモデル化しています。巨大なボディに小さな2シーターのキャビンという贅沢なスペース配置は、いかにも昔のアメリカ車的なスタイルです。前述したJ セダンと同様に実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。室内はインパネが紙シールで再現され、ボンネットを取り外すとエンジンが再現されています。これ以外のデューセンバーグ J スパイダー(クーペ)のミニカーは、リオ、シグネチャーの1/32、デルプラドのSSJ、ミニチャンプスのコンバーチブル クーペ、イクソのSSJ、マトリックス(レジン製)のSJなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スチュードベーカー プレジデント ロードスター アメリカ 1931年
スチュードベーカー社の前身は19世紀から馬車製造を行っていた歴史のある会社で、19世紀後半には世界最大の馬車メーカとなっていました。1904年に他社のガソリンエンジン車の販売を開始し、1911年にスチュードベーカー社を設立し1914年から自社ブランドの自動車を発売しました。当初は4気筒エンジンと6気筒エンジン搭載車があり安価であったので良く売れたそうです。1920年代には6気筒エンジン搭載車が3車種あり、1925年には10万台以上を生産していました。1928年には高級車メーカーのピアス アロー社を吸収合併しました。
最上級モデルであった6気筒5.8Lエンジンを搭載したプレジデントに8気筒5.1Lエンジンが1928年に追加されました。同時期に6気筒エンジン搭載車はディクテーター(DICTATOR 独裁者)とコマンダー(COMMANDER 司令官)という名前になりました。どちらも大げさな名前で、プレジデントは大統領車だったわけではありません。1931年にプレジデントののエンジンは8気筒5.5L(122HP)に拡大され、スチュードベーカーの最上級車であることを示す為に楕円形のヘッドライトが採用されました。当時のプレジデントはGM キャディラックやパッカードと同等レベルの高級車でした。
ミニカーはこの時代のアメリカ車を多くモデル化していたイギリスのブルックリン製です。ブルックリンのミニカーは全てホワイトメタル製でハンドメイドの少量生産品です。少量生産なのでほとんどのパーツが金属製で、手に持つとずっしりと重く存在感があります。(個人的な好みですがこのような重量感のあるミニカーが好きです) ホワイトメタル製ミニカー独特のごつい感じの造形ですが、プロポーションは良く、フロントグリルや楕円形のヘッドライトもうまく再現されています。またフロントグリル上の鳥のマスコットや室内などの細部もそれらしく再現されています。この当時のスチュードベーカーのミニカーはほとんどないのでその点で貴重なミニカーです。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ディムラー ダブル シックス 50 ドロップヘッド クーペ イギリス 1931年
自動車の創生期にイギリス王室の御料車に指定されたディムラーは、上流階級の人気を得て業績を伸ばしていきました。1908年にはスリーブ バルブ(シリンダ側面のスリーブに吸排気ポートを設ける構造)式エンジンの製造権を得て、このエンジンの優れた静粛性を生かした高級車を製造しました。ディムラー車は1920年代までスリーブ バルブ方式の6気筒エンジンを搭載していました。1926年に主任技術者ローレンス ポメロイが6気筒エンジンを2つ並べたV型12気筒7.2Lエンジン(150HP)を開発し、そのエンジンを搭載したダブル シックス 50が登場しました。このエンジンは当時のライバルであったロールス ロイス ファントム Iの6気筒7.7L(90-100HP)エンジンに対抗した物でした。
ダブル シックス エンジンは非常に静粛で、アイドリング状態(150rpmと低回転)ではほぼ無音だったそうです。1927年にはダブル シックスの3.7L版を搭載したダブル シックス 30が登場しました。1930年にダブル シックスは改良されて6.5Lと5.3Lの2タイプとなりました。ダブル シックスは1936年に生産中止となりました。ダブル シックス エンジンを搭載した車はほとんどが高級なリムジンで、生産台数は少なく実車の画像などの情報も少ないです。 なおスリーブ バルブ式エンジンの弱点は構造上高回転に対応できないことで、1930年代には時代遅れとなりました。
ミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.25用として作られたもので、メーカーはイクソです。本来はリムジン用であったダブル シックス エンジンを搭載したスポーツカー ドロップヘッド クーペをモデル化しています。この車は車高を下げる為シャーシが低重心化されていて、低く極めて長いボンネットが特徴でした。ロングノーズ/ショートデッキの古典的なスポーツカのデザインが印象的で赤/黒のカラーリングも綺麗なので、とても魅力的なミニカーに仕上がっています。フロントグリルとその上のかなり大きめのエンブレムも良く出来ています。(エンブレムは1/43サイズで作ると何のエンブレムか分かり難いので大きめに作るのが良いのです) ダブル シックスのミニカーは少ないので、その点で貴重なミニカーでもあります。イクソはカタログモデルでも型番MUS040で色違いをモデル化しています。ドロップヘッド クーペのミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、セダンはオックスフォードがイギリス王室の御料車をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 770K (W07) ドイツ 1932年
1930年代のメルセデス ベンツの高級車としては8気筒4.6Lエンジンを搭載した460/500 (W08)がありました。1930年には460/500より高級な国家元首クラス向けの最上級車として「グロッサー メルセデス」と呼ばれるメルセデス ベンツ 770K (W07)が登場しました。770KのKは過給器(KOMPRESSOR)付きエンジンを意味し 8気筒7.66L(150HP 過給時200HP)エンジンを搭載していました。このような最上級高級車にも過給器を付けてしまうところがメルセデス ベンツのすごいところでした。(なお過給器が付かない仕様の770も選択できました) 4段変速で最高速160km/h(過給時)の性能でした。
当初は4ドア6人乗りセダンだけでしたが、1932年にカブリオレが追加されました。770 (W07)は117台が生産され、そのなかにはカイザーヴァーゲン(皇帝の車)の名前で知られる帝政ドイツ最後の皇帝ウイルヘルム 2世の為に特注された4ドア カブリオレや日本の宮内庁に納入された昭和天皇の御料車などがありました。1938年に全面的な変更が行われ770K シリーズ II(W150)に発展しました。
ミニカーは1996年頃に発売されたディンキーのブランドが併記されたマッチボックス製です。770K (W07) カブリオレをモデル化しています。マッチボックスは1990年代にアメリカのマテル社傘下となりディンキーも1980年代にマテル傘下になっていたので、この当時は両ブランドが併記されていました。マッチボックスのYシリーズはクラシックカーのシリーズで、仕上げを簡素化することで比較的安価に仕上げてありました。これは1990年代のYシリーズの新作で定価は約2000円程でした。縮尺が1/48と中途半端なのが今一つですが、そこそこリアルな造形で良く出来ていました。細かいところですがAピラーのすぐ下についている銀色の部品は昔懐かしい腕木式方向指示器です。(腕木式が分からない人はWEBで調べてみてください) これ以外の770 (W07)のミニカーはイクソ、ミニチャンプス、フランクリン ミントの1/24などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)