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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41121 (3号車) フランス 1931年
ブガッティ T41 3号車はドイツの医師ヨーゼフ フックス博士が購入し、ミュンヘンのコーチビルダーがドイツ式の分厚い幌が付いた4シーターのカブリオレ ボディを架装し1931年に納入されました。ドイツの政情不安でフックス博士は1937年にアメリカに移住し、T41 3号車もアメリカのロングアイランドに移動しました。その後寒さでエンジンが凍結して破損し、修理不能ということでスクラップ同然で放置されていました。
このスクラップ状態のT41 3号車は1946年にGMの副社長であったチャールス チェイン氏が購入して、一部を改造してレストアを行いました。チェイン氏はこの車を使用した後、ミシガン州ディアボーンにあるフォード社を創立したヘンリー フォードが建設したヘンリー フォード ミュージアムに1957年に寄贈しました。現在もそのヘンリーフォード ミュージアムに展示されているようです。
ミニカーは1972年に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツからシャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。これはリオのブガッティ T41のミニカーとしては最初にモデル化された物でした。実車が大きいのでミニカーも全長145㎜と大きなサイズで、ドイツ流の分厚いカブリオレを持つT41 3号車が再現されています。製作された年代を考えるとリオはチェイン氏がレストアしたT41 3号車をモデル化していると思われます。ミニカーはヘンリーフォード ミュージアムに展示されている実車とは幌周りの造形やフロントグリルの上にあるマスコットなどが異なっていますが、これはヘンリーフォード ミュージアムで改修されたのではないかと考えます。ボンネットを外すとエンジン、床下部分のシャーシやサスペンションも表現されていますが、その部分は前述したリオ製のT41 1号車と同じですので、そちらを参照してください。同じボディで幌を畳んだ状態の色違い(緑と青)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 201 フランス 1931年
前述したプジョーの小型車クアドリレット(5CV)の後継車としてプジョー 190が1928年に登場しました。190はプジョーとしては伝統的な木製フレームを採用した最後の車で、5CVと同じ4気筒695㏄(14HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速60km/hの性能でした。190は1931年まで生産され総生産台数約33000台と、先代以上に成功しました。なお190という名前はプジョーが190番目に開発した車という意味でした。(実車画像→ プジョー 190 1928)
プジョー 190の上級車として1929年に新型の小型車プジョー 201が登場しました。プジョーが最近まで続けていた0を挟む3桁の数字によるネーミングはこの201から始まりました。201は4気筒1.1L(23HP)エンジンを搭載し3段変速で80km/hの性能でした。1931年のマイナーチェンジで前輪独立懸架式サスペンションを採用した201Cとなり、この方式のサスペンションを採用した世界初の量産車となりました。201はセダン以外にもクーペや商用車があり、排気量拡大(1.5L 35HP)やボディの流線化などの改良を行い1937年まで生産され202にモデルチェンジしました。総生産台数は約14万台で世界大恐慌による不況化で安価な車として大ヒットしました。
ミニカーは1979年頃に発売されたエリゴール製です。1931年にマイナーチェンジした201Cをモデル化しているようです。シンプルで実用的な箱型ボディがうまく再現され当時のミニカーとして良く出来ていました。初期のエリゴールは同時期のノレブのプラスチック製ミニカーをベースにしているものが多いのですが、これもノレブの出来の良い201の型を流用したダイキャスト製でした。これ以外の201のミニカーは2007年にノレブがクーペをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 8C 2300 イタリア 1931年
アルファ ロメオは6C 1750でイタリア国内のスポーツカーレースを制覇し、さらに国際レースに進出するため、1930年に新型の8気筒エンジンを搭載した8C 2300を開発しました。6C 1750には4座のツーリングカー(セダン)がありましたが、レーシングカーとして設計された8C 2300はほとんどが2座のスポーツカーでした。エンジンはレーシングカー用の軽合金製(公道仕様 142HP)で、最高速175km/hの高性能車でした。ただシャーシは6C 1750とほぼ同じでしたので見た目はほとんど同じでした。
アルファ ロメオ 8C 2300は狙いどうりに国際レースで圧倒的な強さを発揮しました。輝かしい戦歴の中でも特筆すべきはメルセデス ベンツ (SSK)、ブガッティ(T37)、アストン マーチンなどの強力なライバルがいるなかで、1931年から4年間連続してルマンで優勝していることです。なお当時のルマンのツーリングカークラスの規定で4座が要求されていた為、8C 2300 ルマン仕様はロングホイールベースの4座ツーリングカーボディとなっていました。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製で、8C 2300の公道仕様をモデル化しています。ブルムとしては初期の物ですが、プロポーションが良く当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。前述した同じブルム製の6C 1750と比べると、この8C 2300はリアのスペアタイヤ上に整流板のようなカバー(羽)がありグリルが黒いなどの外観の違いがあります。同じ型を使ったバリエーションで幌を立てた物やミッレ ミリア仕様などがありました。なおブルムの6C 1750はこの8C 2300をベースにして細部をリファインして2005年に発売されたものでしたので、この8C 2300より仕上げレベルが上がっていました。これ以外の8C 2300のミニカーはイクソのルマン レース仕様、Bブラーゴの1/18、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 452A V16 アメリカ 1931年
1902年に創業したキャディラック社は1909年にGM傘下となりましたが、技術的な先進性を重視する基本路線はその後も継承されました。1914年にV型8気筒エンジン搭載車を発表し、1928年には世界初のシンクロ機構付き変速機を採用するなど技術革新を進めました。1930年には世界初のV型16気筒エンジン7.4L(165HP)を搭載したモデル 452(452は立法インチでの排気量表示)が登場し、1931年にV型12気筒6L(135HP)エンジン搭載のモデル 370が登場しました。静かでスムーズに作動するV型16気筒/12気筒エンジンをラインナップに加えたキャディラックはライバル他社を圧倒し、アメリカの高級車No.1の地位を確立させました。
当時のキャディラックには標準ボディがありましたが、最上級車452のボディは全てオーダーメイドで、当時GM傘下となったコーチビルダーのフリートウッドが専門で架装していました。スポーティなコンバーチブルからフォーマルセダンまで30数種類のモデルがあったそうです。1938年にはサイドバルブ式を採用した新しいV型16気筒エンジンが開発されました。このエンジンはVバンク角を従来のOHV方式90°から135°に広げ、従来の半分の部品で構成されていました。排気量は7Lと少し小さくなりましたが、185HPに性能は向上していました。このエンジン搭載車は1940年まで生産されました。
ミニカーはソリド製で、1979年に発売されました。初期型の452Aをモデル化しています。オーソドックスなセダンのスタイルですが、後席がオープンになっていてアメリカ車としてはちょっとしゃれたデザインです。フロントグリル上に付いている女神像のマスコットなどフロント周りがリアルに再現されていて、とてもよく出来ています。ソリドはバリエーションでキャディラック V16の商用車やポリスカーなどもモデル化していますが、V16がそのような用途に使われたとはとても考えられないので、V16ではなくV8のはずです。(細かいことを言わないおおらかな時代のミニカーですから、実車がなくても派手なV16でモデル化していたわけです) 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 452 V16 カブリオレ アメリカ 1931年
1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。
452 V16は初年度に購入できる人のほとんどが購入してしまったので、翌年はほんの300台ほどしか売れませんでした。キャディラックといえども452 V16は特別な車で、1932年以降は年間百台ほどが生産された程度で、キャディラックの販売の中心は8気筒エンジン搭載車でした。同時期のライバルであったリンカーンやパッカードも8気筒エンジン搭載車で、これらの車は年間数万台生産されていました。452 V16は1940年まで生産されましたが、総生産台数は約4000台ほどでした。なおその後V型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 量産車はありません。2023年現在で16気筒エンジンを搭載している市販車はブガッティ ヴェイロン(とその後継車シロン 価格約1.6億円)ぐらいしかありません。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製の1/43で、「The World`s Great Classic Cars」というシリーズの1つです。このシリーズは戦前の高級車を12種類モデル化していましたが、いずれも良い出来ばえでした。そのなかでも特にこのキャディラック V16は、金色/茶色の綺麗なカラーリングや全体的な雰囲気が実車を良く再現していて非常に素晴らしい出来ばえでした。ドア開閉とボンネット取り外しとリアの予備席(ランブルシート)開閉のギミック付きで、エンジンや室内などの細部もリアルにできていました。以下はフロント(鳥(アオサギ)のマスコット拡大)の拡大画像とリア/ランブルシート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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