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ハノマーク 2/10HP コミスブロート クーペ ドイツ 1924年
ドイツのザクセン州ハノーファーにあったハノーファーシェ マシネンバウ社(Hannoversche Maschinenbau AG)は1835年に蒸気機関を製造する会社として創立されました。蒸気機関車や軍用の蒸気車を製造し、1910年代からガソリンエンジン搭載の農業用トラクターも製造しました。1920年代にガソリンエンジン搭載の自動車製造に着手し、1925年に小型車ハノマーク(HANOMAG) 2/10HPを発売しました。ハノマーク 2/10HPは水冷 単気筒503cc(10HP)エンジンを車体後部に搭載する全長約2.8mのオープン2座の小型車で、3段変速で最高速60km/hの性能でした。後輪をチェーン駆動していましたが、ディファレンシャル機構のない簡単な構造でした。
当時のドイツは第1次大戦の敗戦で経済的に苦しい状況だったので、同時期のオペル ラウプフロッシュやBMW デキシーも小さな車でした。ハノマーク 2/10HPはその丸みのある外観が軍隊で供給されていた安価なコミスブロート(KOMMISSBROT:コッペパンの意 (あまり美味しくなかったらしい)) に似ていたことから、コミスブロートの愛称で呼ばれました。乗用車と商用バンがあり1928年まで約15000台が生産されました。その後ハノーファーシェ マシネンバウ社は第2次大戦後まで軍用車両を製造し、1960年代の終わりに大型トラックメーカーのヘンシェルと合併し、その後1970年代にダイムラー ベンツに買収されました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたチィス(ZISS)の別ブランドであったR.W. MODEL製です。簡単なハードトップの付いたクーペをモデル化しています。小さなミニカーですが、コミスブロートと呼ばれた丸っこいボディがうまく再現されていました。灯火類や室内なども良く再現されていて当時のミニカーとして良く出来ていました。リアのエンジンカバーが開閉でき、エンジンが再現されていました。これ以外のコミスブロートのミニカーはシュコーが10数種類をモデル化しています。なおそれ以外のハノマークのミニカーは商用車やトラクターがほとんどです。 以下はフロントの拡大画像とリア/エンジンカバーを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)




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シトロエン B2 タクシー フランス 1924年
戦前に自家用車を所有していた一般市民は少なかったので、当時のタクシーは重要な公共交通機関でした。パリのタクシーとしては第1次大戦中(1914年)に活躍した「タクシー ド ラ マルヌ」(マルヌのタクシー)と呼ばれたルノー AG タクシー仕様が有名でした。1921年に登場したシトロエン B2には、たくさんのボディバリエーションがあり、タクシー仕様も設定されていました。タクシー仕様は客席だけが密閉式でドライバー席はオープンのクーペ ド ヴィル(デビル)形式のボディが使われました。
大量生産されて安価だったB2のタクシーは、ルノー AG タクシーに変わってパリの風物詩となっていきまました。なおこのB2 タクシー仕様はタイプ AがB2にモデルチェンジした際に、在庫として残ったタイプ Aのエンジン/シャーシを活用する為に設定されたものだったそうです。したがって当初のエンジンはタイプ Aの4気筒1327ccを使っていたようです。二玄社の書籍 「世界の自動車 シトロエン」の記載によると、B2は少数が日本に輸入されタクシーとして使われたそうです。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このタイプ B2 タクシーもプロポーションが良く赤/黒のカラーリングが綺麗で良くできていました。これはフロントグリルや灯火類にメッキされたプラスチックパーツが使われていたので、サフィールのクラシックカーとしては発売時期が新しいものだと思います。(私はオークションで入手したので、実際に販売された時期がいつだったのかは不明です) 客室のドアに紋章が付いていますが、これはパリ市の紋章で、パリ市のタクシーであることを表示しています。 以下はフロント/リアの拡大画像像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)












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イスパノ スイザ H6C チューリップウッド スペイン/フランス 1924年
イスパノ スイザ H6Cは前述したH6の6.6Lエンジンを8Lに拡大したスポーツ仕様でした。このチューリップウッドという名前の車は元々はレーシングカーで、フランスの富豪アンドレ デュポネ(レーシングドライバーでもあった)が、戦前の戦闘機メーカーNIEUPORT(ニューポール)社に製作させた特注品でした。ボディは軽量化の為に木製フレームの上に木の薄板を貼り付けた構造となっていました。「TULIPWOOD(ユリノキ材の意)」の名前は使われた木材にちなんだものです。
この車はレーシングカーとして1924年のタルガ フロリオで6位、コッパ フロリオでは総合5位でクラス優勝しています。その後実用的なフェンダーやスペアタイヤなどが付けられて、ツーリングカーに改装されました。6気筒8L(200HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速170km/hの性能でした。アンドレ デュポネはこの車をイギリスに売却し、現在はアメリカのブラックホーク博物館に所蔵されています。
このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUESシリーズ」のNo.17として2006年頃に発売されたもので、メーカーはイクソです。これはその雑誌付きミニカーを流用して細部をリファインしてイクソのカタログモデルとして2010年に発売されたものでした。実車の板張りのボディがうまく再現されていてフロントグリルなどの細部もリアルで、とても良く出来ていました。雑誌付きミニカーとこのカタログモデルでは細部の仕上げに大きな違いがありました。特にカタログモデルのスポーク ホイールはスポークが細くなりリアリティが圧倒的に向上していました。また木目を再現したボディの塗装や、メッキされた金属パーツも雑誌付きミニカーよりレベルの高い仕上げとなっていました。(詳細が知りたい方は当サイトのこちらを参照されたし→ 2010年新製品レビュー) なお側面についたスペアタイヤやフェンダーは取り付け部がプラスチック材なので強度がなく折れやすいので取り扱いに注意する必要があります。イクソ以外のH6C チューリップウッドのミニカーはフランクリンミントの1/24がありました。 以下はフロント(フロントグリル拡大とスポークホイール拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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フィアット 509 イタリア 1924年
1920年代にフランスのシトロエン 5CVなど排気量が1L以下の小型車による自動車の大衆化が進む中、フィアットも新しい小型車を開発しました。1924年に登場した509は4気筒990cc(22HP)エンジンを搭載した小型車で、3段変速で最高速78km/hの性能でした。低価格ながら電動スターター、前輪ブレーキを備えるなど意欲的な小型車でした。ボディ形式も2/4ドアセダン、2/4ドアトルペード、2ドアスパイダー、商用バンなど充実していて、タクシーにも使われました。
1925年に2シーターのスポーツ仕様車としてエンジンを27HPにパワーアップした509Sが追加されました。509SはスポーティなV字型のスクリーンとラジエータのデザインで最高速99km/hの性能でした。(実車画像→ フィアット 509S) レース仕様車として30HPにパワーアップした509SM(最高速105km/h)も開発され、ミッレ ミレアなどの小型車クラスで活躍しました。509は1926年に改良されて509Aとなり、1929年まで生産されました。総生産台数は約9万台で、当時のイタリアのベストセラーカーでした。後継車は1932年に登場した508でした。
ミニカーは1960年代に発売されたドゥグー製です。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのフィアット(旧ビスカレッティ)自動車博物館に保存されていた実車を忠実にモデル化していました。このミニカーがモデル化している実車が自動車博物館に保存されていたのかどうかは不明ですが、当時の509の写真(実車諸元の画像参照リンク先)を見ると、実車を忠実にモデル化していることが分かります。フロントグリルのFIATロゴなど細部まで良く仕上げてあり、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ラジエータグリルの下の丸い物は電動スターターです。(従来の始動用クランクハンドルを電動化していました) なお屋根中央にある突起はプラスティック成形時のバリでアンテナなどではありません。ドゥグーはオープン仕様のトルペードもモデル化していました。509の量産ミニカーは2024年現在でもこのドゥグー製しかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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イソッタ フラスキーニ 8A スパイダー イタリア 1924年
イソッタ フラスキーニ社は1900年にチャザーレ イソッタ(Cesare Isotta)とヴィンチェンツォ フラスキーニ(Vincenzo Fraschini)が設立しました。ルノーの小型車のノックダウンから始まり1904年にルノーを真似たオリジナルモデルを開発しました。1908年のタルガ フローリオで優勝するなどレースで活躍し、小型車から大型車まで幅広いモデルを製作していました。同社でよく知られているのは大型高級車で、その代表的なモデルが1919年に登場した世界初の直列8気筒エンジン(5.9L)を搭載したティーポ 8(以下 8と記載)でした。1924年にエンジンを7.4Lに拡大した8Aとなり、1930年にエンジンを強化した8Bとなりました。約100台が1932年まで生産されました。
イソッタ フラスキーニ 8は8気筒エンジン以外に技術的に目新しいものはなく、同じ頃のライバル車(イスパノ スイザやロールス ロイス)には内容的に及ばないとの評価でした。イソッタ フラスキーニの売りは大型シャーシとイタリア有数のコーチビルダーが贅を尽くした豪華なボディで、アメリカの富裕層には人気がありました。イソッタ フラスキーニの全盛期は長くは続きませんでした。1928年から始まった世界的不況は高級車市場を直撃し、苦境に陥ったイソッタ フラスキーニは8の後継車を発表しましたが、1935年に工場が閉鎖され航空機会社に買いとられました。その後再起を図りましたが結局1949年にその歴史を閉じました。
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。8A スパイダーという名前で4ドアのカブリオレをモデル化していますが、該当する実車の画像は見つかりませんでした。ホワイトリボンタイヤを履いているのでおそらくアメリカ向けに架装されたボディと思われます。白いボディに赤いラインのスポーティなカラーリングが綺麗で、豪華なカブリオレの雰囲気がうまく再現された良い出来ばえとなっていました。円筒形のヘッドライトや運転席横のスポットライトなどもそれらしい出来ばえになっていました。リオの8Aはこれ以外にも数種類のバリエーションがあります。リオ以外のイソッタ フラスキーニのミニカーはフランクリン ミントの1/43、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)



















