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アウディ タイプ C アルペンジーガー ドイツ 1913年
戦前の高級車メーカー ホルヒ社の創立者アウグスト ホルヒがホルヒ社を辞めて1910年に設立したのがアウディ社でした。(アウディ社はその後1932年にアウトウニオン社に併合され、その後アウトウニオン社を傘下におさめたフォルクスワーゲン社によって1965年に名前が復活しました) 創立者のアウグスト ホルヒはモータースポーツに関心があり、初期のアウディ車は高級車ながらモータースポーツでも活躍していました。
1911年に登場したタイプ Cは4気筒3.6L(35HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速で最高速90km/hと高性能でした。アウグスト ホルヒはタイプ Cを自らドライブして、1912年のオーストリア アルペン ラリー(アルプスでの山岳レース)へ参戦し優勝しました。タイプ Cは同ラリーで3連覇を達成し、アルペン シーガー(アルプスの覇者)の名声を得ました。またこの勝利でアウディ車は国際的にも知られることになりました。タイプ Cは1916年まで生産され、総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS)製です。チィスは自動車創成期のクラシックカーを30種類ほどモデル化していました。(参照ページ→チィスのミニカー まとめページ) 1960年代のビンテージミニカーですので、金属パーツが多く頑丈にできていました。また当時のミニカーとしてはスケールモデル的な作風で良く出来ていました。このアウディ タイプ Cも尖ったテールのボディなど当時の軽快なスポーツカーの雰囲気がよく再現されています。タイプ C アルペンジーガーのミニカーはRICKOの1/87、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベデリア スポーツ フランス 1913年
1910-1920年代に2輪車の部品を使って小型軽量で安価な自動車が製作されていました。単気筒/2気筒エンジンを搭載した3輪/4輪車で2輪車の延長のような車でしたのでサイクルカーと呼ばれています。サイクルカーは安価だったので簡便な自動車としてブームになり、ヨーロッパやアメリカに製作メーカーが非常にたくさんありましたが、ほとんどが弱小メーカーでした。それらの中でもフランスのベデリアやアミルカー、イギリスのモーガンやGNが良く知られたブランドでした。 しかし1920年代後半になると、イギリスのオースチン セブンやフランスのシトロエン 5CVなどの本格的な自動車が安価で登場したことで、サイクルカーは瞬く間に淘汰されました。
ベデリアはフランス初のサイクルカーで、1910年から1925年まで製造されました。バイクのような2人乗りで、後席にステアリングホイールがありますので後席が運転席です。(前輪の操作はケーブルを介して行う) 車体前部にV型2気筒1056cc(9HP)エンジンを搭載し、後輪をベルト駆動しています。2段変速なのですが、変速はサイズの異なる2つのプーリーのベルト架替えで行うので、変速するにはまずベルト張りを緩める操作(クラッチがないのでベルト張りを緩めてクラッチ代わりとしていたのです)をしてからベルトを架替えるというやり方だったそうです。走行中でもやれたそうですが、ベルト架替えは前席の同乗者が操作したそうです。先端に付いている金色の円筒は燃料タンクです。なお1922年頃の改良型はボディが変更されて前席2座の2人乗りになり、通常の3段変速機が付くなどかなり一般的な仕様になっていました。
ミニカーは1977年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルム初期に作られた数種類のサイクルカーの1つです。ベデリアには様々なバリエーションがあったのですが、これは1913年にフランスで開催されたサイクルカーグランプリで優勝したレースカーにサイクルフェンダーと幌を追加した公道仕様をモデル化しているようです。(実車画像→ ベデリア 1913) レースカーなので変速プーリーなしでエンジン出力軸から直接後輪をベルト駆動しているようです。V型エンジン、ベルト駆動部などがそこそこリアルに再現され、前輪が操舵できるなど当時のミニカーとしてはなかなか良い出来ばえでした。ベデリアの量産ミニカーはこれしかないようなので車種的に貴重な面白いミニカーです。 以下はフロント(前輪操舵)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ アルフォンソ XIII スペイン/フランス 1913年
スペインの自動車会社がスイス人の技術者マルク ビルキヒト(Marc Birkigt)をチーフエンジニアに採用し、1904年にスペインのバルセロナに設立したのがイスパノ スイザ社でした。「イスパノ スイザ(Hispano-Suiza)」とは「スペインとスイス」という意味で、設立した経営者がスペイン人、チーフエンジニアがスイス人という意味で命名されました。(フランス語ではHを発音しないのでイスパノ スイザと発音します)イスパノ スイザ社は一般乗用車/トラックに加えて高級車やレーシングカーも生産しました。
イスパノ スイザ社はスペイン王室の援助を受けて王室御料車になったことで、高級車メーカーとして知られることになりました。初期の名車としては、スペイン国王のアルフォンソ 13世の名前を冠したアルフォンゾ XIIIがありました。この車はスペイン国王が開催した1911年のレースに優勝したレーシングカーをベースにしたスポーツカーでした。トランスミッションと一体化した高性能な4気筒3620cc(64HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速120km/hの性能で、当時としては高性能で軽快なスポーツカーでした。約500台が1914年までに生産されました。
ミニカーは1960年代に発売されたスペインのエコー(EKO)製です。エコーのミニカーはプラスチック製で、1/87サイズの乗用車/商用車や1/43サイズのクラシックカーをモデル化していました。このイスパノ スイザ アルフォンソ XIIIは自国の名車であることからモデル化に気合が入っているようで、車名ロゴの付いたフロントグリル、軽快なサイクルフェンダーなど実車がうまく再現されています。それ以外の細部もリアルで、1960年代のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえとなっていました。これ以外のアルフォンソ XIIIのミニカーはミニチャンプスのレジン製があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モーリス オックスフォード ブルノーズ イギリス 1913年
ウイリアム リチャード モーリス(William Richard Morris)は自転車製造からはじめバイク製造を経て、1912年に自身の頭文字を付けたWRMモータ社を興し4輪車製造に進出しました。1913年に開発した第1号車のオックスフォードは、会社の所在地のオックスフォード州に因んだ名前でした。オックスフォードは4気筒1Lエンジンを搭載する2座の小型車で、ほとんどの部品が他社製でモーリスでは組立だけを行ったそうです。1914年にクーペとバンが追加されました。この車は低価格ながら出来の良い車として好評で、フロントの丸みを帯びたラジエータ形状からブルノーズ(牛の鼻)と呼ばれるようになりました。
1915年にアメリカ製の4気筒1.5Lエンジンを搭載したカウリー ブルノーズが追加されました。従来のブルノーズより大型化したので4人乗りが可能となり装備も充実しました。1919年にアメリカ製エンジンが入手できなくなったので、オックスフォード ブルノーズはライセンス生産したフランスのオチキス製の4気筒1.5L(12HP)エンジンに変更しました。その変更でオックスフォード ブルノーズは4人乗り、カウリー ブルノーズは2座の小型ボディだけになりました。オックスフォード ブルノーズとカウリー ブルノーズは1926年まで生産されました。第1次大戦後に価格を下げたカウリーがヒットし、モーリス社はオチキス社やウーズレー社を吸収合併してイギリス有数のメーカーになっていきました。
ミニカーは1971年に発売されたディンキー(英)製です。ディンキー(英)のモーリス オックスフォードは型番476で1965年に発売されました。これはそれを流用した「Parsley's Car」という名前のキャラクター物ミニカーで、BBCのTV番組「The adventures of Parsley(パセリの冒険)」のキャラクター人形が付いていました。(人形は外して撮影しています) この「Parsley's Car」はキャラクター物ですのでカラーリングなどがやや玩具的ですが、モーリス オックスフォードの特徴であるブルノーズがうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良くできていました。1/43より大きめ(1/38ぐらい)のサイズで出来ていて、リアのトランクが開閉するギミックが付いています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック モデル 30 ツアラー アメリカ 1913年
フォード自動車の創立者のヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が33歳の1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商のウイリアム H マーフィーは、1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わり、この会社に精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが雇われました。高級車を目指していたヘンリー リーランドと大衆車を目指していたヘンリー フォードは意見が対立し、ヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。その後会社は「キャディラック自動車」社に改名され、1902年にキャディラック モデル Aが登場しました。(実車画像→ キャディラック モデル A) 因みにキャディラックという名前はデトロイトの町をひらいた人物の名前に因んでいます。
精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが率いるキャディラック社は高い製造品質の自動車を製造しました。1908年には3台の車を分解し部品をバラバラに混ぜあわせてから組立て直して走行させることで部品の互換性を実証する試験を行い有名になりました。1909年にはキャディラック社はGM傘下となり、GMの最上級車となりました。なおヘンリー リーランドはGM首脳とそりが合わなくなり、1917年にGMを退社しリンカーン モーター社を設立しました。リンカーンもフォードの最上級車ですから、アメリカの最上級車2ブランドはリーランドが興したのです。
ミニカーがモデル化しているのはキャディラック モデル 30 1913年式のスポーティな2ドア ツアラーです。1909年に登場したモデル 30は4気筒エンジンを搭載したキャディラックとしては最後のモデルで、この1913年式には4気筒6L(48HP)エンジンが搭載されていました。またこの車には世界初の電気式スターターとライトが標準装備となっていました。特に電気式スターターは自動車の取り扱いを極めて簡便にしました。(それまではクランクハンドルを手動で回して始動させていました)
ミニカーは1968年に発売されたマッチボックス製です。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに提供したものでした。ヘッドライトなど細部の造形を簡略化したことで比較的安価(1970年代当時の値段は約1000円)で、クラシックカーらしくないカラフルなカラーリングであったので、マニア以外にも結構売れました。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。このキャディラックはヘッドライトがフロントグリル横から生えているなど細部がマッチボックス流で簡略化されていますが、ボディ全体のプロポーションは実車を良く再現しています。同時期のキャディラックのミニカーはフランクリン ミントの1/24やシグネチャーの1/32などがありますが、1/43相当ではこのマッチボックス製しかなく、車種的に貴重なモデルです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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