Sorry Japanese Only
グレゴアール トリプル ベルリーヌ (14/24HP) フランス 1910年
フランスの自動車/航空機用エンジンメーカーであったグレゴアール社はP.J.グレゴアール(Pierre Joseph Gr?goire)が1902年に設立しました。グレゴアール社は1904年から自動車製造に乗りだし単気筒/2気筒/4気筒/6気筒エンジンを搭載したモデルを製造しました。アルミ合金ピストンをいち早く採用した4気筒エンジン、6気筒スリーブバルブエンジン、第1次大戦後にOHV(オーバーヘッドバルブ)を採用した高性能な4気筒エンジンを開発するなど、エンジン技術には優れていたようです。ただいずれもあまり売れなかったようで、結局1924年に倒産しました。なお同じグレゴアールという名前で1947年設立で1962年まで存在したフランスの自動車会社もありましたが、上記とは関係のない別会社でした。
画像のトリプル ベルリーヌと称するモデルは、その変わったスタイルで有名でした。現在のキャンピングカーの元祖のような6人乗りの乗用車で、3台の馬車を連結したようなボディの為トリプル ベルリーヌと呼ばれています。この長いボディは自動車で快適に旅行ができるように設計されたもので、屋根の上とリアには長距離旅行に必要な荷物がたくさん積めるトランクが載っています。室内の内装はレースでトリミングされたベルベット張りの豪華なもので、窓にはカーテンがついていました。広い室内を生かした軍用救急車仕様もあったようです。(実車画像→ グレゴアール 軍用救急車 )
ミニカーはフランスのサフィール製で1960年代に発売されました。ボディの材質はプラスチック製で実車のユニークなボディを忠実に再現しています。赤/黒のカラーリングがきれいで、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえで、サフィールの傑作ミニカーでした。屋根の上にはトランクが載っていますが、その屋根は室内を見る為に簡単に取外せるようになっていて、屋根を外すと室内を見ることができます。なおグレゴアールのミニカーはこのサフィール製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=90
ベルリエ フランス 1910年
モーリス ベルリエ(Marius Berliet)は1894年に自動車の製作をはじめて単気筒/2気筒エンジン搭載車を完成させ1899年にベルリエ自動車会社を設立し、廃業した自動車メーカーの工場を引き継いで生産を始めました。1903年に登場した4気筒エンジン搭載車20CVは同時期のドイツのメルセデスとよく似ていました。この車は1906年にアメリカのアメリカン ロコモーティブ社がライセンスを買い取ってALCOという名前で販売したとのことで、当時としては優秀な車だったようです。(実車画像→ ベルリエ 20CV 1903)
1910年代にはベルリエは4気筒/6気筒エンジンを搭載する乗用車とバス/トラックを生産していました。第1次大戦の勃発でフランス軍向けの軍用トラックの需要が急増し、ベルリエは工場を増設して対応しました。またルノーのライセンスによる戦車の生産も行うようになりました。戦後も乗用車の生産を行いましたが経営不振となり、1930年代後半に乗用車生産からトラックなどの産業用車両生産に転換しました。その後1974年にルノーに買収され、1978年にサビエムと合併してルノー トラックス社となり、1980年にベルリエ ブランドは消えました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたラミー(RAMI)製です。モデル化している実車がはっきりとは分からないのですが、年式からおそらくタイプ Cと呼ばれる4気筒2.4Lエンジンを搭載した中型車をモデル化していると考えます。密閉されたキャビンを持つセダンですので当時としては高級車であったと思われます。実車のキャビンがこのような緑と白に塗り分けられていたとは思えませんので、このカラーリングはラミーの創作だと思います。ラミーのミニカーとしては後期のものなので、フロントグリル/ヘッドライト/ホイールにメッキしたプラスチックが採用されています。またカラフルなカラーリングと側面の木目模様のライン(デカール)など凝った仕上げで、当時としては良い出来ばえのミニカーになっていました。第2次大戦後のベルリエはトラック専門メーカーになりましたので、ベルリエのミニカーはほとんどがトラックです。(トラックのミニカー→ ベルリエ ストラデール トラック) トラック以外のベルリエのミニカーとしては、これと2015年に発売されたイクソ製のベルリエ 11CV ドーフィン 1939年式(ベルリエの最後の乗用車)ぐらいしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1620
フィアット タイプ 2 (15/20HP) イタリア 1910年
大型の高級車を作ってきたフィアットは1908年に小型車のタイプ 1(12/15HP)を発売しました。タイプ 1は4気筒1.9L(15HP)エンジンを搭載した小型車で、4段変速で最高速70km/hの性能でした。この車は基本的にはタクシーキャブで、イタリアだけではなく欧州の大都市のタクシー会社で大量に使われました。タクシーキャブを大量生産して市場を拡大するやり方は、同時期のフランスのルノー タイプ AGと同じでした。タイプ 1は1922年まで生産され、総生産台数は約6000台でした。(実車画像→ フィアット タイプ 1 1908)
1910年には一般向けとしてタイプ 1をベースにしたタイプ 2 (15/20HP)が登場しました。タイプ 2は4気筒2.6L(20HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速で最高速70km/hの性能でした。ただしまだ高価格で大衆車とは言えませんでした。タイプ 2はイタリアの軍隊に正式採用された最初の車となりました。1912年にエンジンを4気筒2.8L(28HP)に拡大したタイプ 2Bに変わりました。ボディ形式はランドレー型セダン、オープンのトルペード、商用バンなどがありました。1920年まで生産され、タイプ 2/2Bの総生産台数は約2.2万台でした。
ミニカーは1978年頃に発売されたリオ製です。お抱え運転手が運転するランドレー型セダン(後部が幌になっている)をモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されています。このタイプ 2も折れ曲がったフロントスクリーンやボンネットからキャビンにつながる曲面的な造形など実車のボディ形状をよく再現しています。エドワード期のクラシックカーのミニカーとして非常に良い出来ばえです。タイプ 2のミニカーはこれしかありませんので、車種的にも貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=94
ディムラー 38HP イギリス 1910年
イギリスの技術者フレデリック シムス(Frederick Richard Simms )はゴットリープ ダイムラーからダイムラー製エンジンの特許実施権を得て、そのエンジンを搭載した自動車を完成させました。投資家のハリー J ローソン(Harry John Lawson)はシムスの特許権を買い取り、1896年にイギリス最古の自動車メーカー ディムラー モーター社を設立しました。1897年には最初のディムラー車(2気筒エンジン搭載)が発売されました。なお「ディムラー」と「ダイムラー」はどちらも綴りは同じDAIMLERなのですが、イギリス製のDAIMLERはドイツ製と区別する為「ディムラー」と表記しています。(最近はあまり区別しないようですが、私は昔流でディムラーとしています)
1900年にイギリス王室は初めての自動車としてディムラー車を購入し、エドワード7世がディムラー 22HP(1902年式)を王室最初の御料車に指定したことで、それ以後の約50年間 英王室御料車はディムラーが担当するようになりました。(実車画像→ ディムラー 22HP) ディムラーは御料車に指定されたことで上流階級の人気を得て業績を伸ばしていきました。1908年にはスリーブ バルブ(シリンダ側面のスリーブに吸排気ポートを設ける構造)式エンジンの製造権を得て、このエンジンの優れた静粛性を生かした高級車を製造しました。画像のディムラー 38HPもそのスリーブ バルブ式エンジンを搭載した車で、この車のリムジーンは王室御料車に採用されていました。
ミニカーは1964年に発売されたコーギー製で、当時のマニア向けのクラシック シリーズの一台です。コーギーのクラシック シリーズはいずれも当時のミニカーとしては素晴らしい出来ばえでした。このディムラー 38HPもディムラーの特徴である上部にフルート(縦溝)が刻まれたフロントグリル、ウインドースクリーン中央のクラクション、灯火類などの細部がリアルで良く出来ています。またコーギーが得意としていたフィギュアが4体乗っています。この当時の服装をしたフィギュアは綺麗に彩色された良い出来ばえで、お抱え運転手の運転で家族がドライブしているといった楽しい雰囲気のミニカーになっています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=113
デニス 消防車 はしご付 イギリス 1910年
イギリスのデニス スペシャル ビークル社(Dennis Specialist Vehicles)は大型トラックと消防車のメーカーでした。その前身はデニス兄弟が1895年に創立した自転車を製造するデニス兄弟社で、1898年から自動車の製造を始めました。同社はイギリス初の自動車製造工場を設立し、1900年代には小型車から中型車まで数モデルを販売するようになりました。1903年には最初のバス、1908年に最初の消防車を製造し商用車メーカーとして発展しました。第1次大戦では軍用車を製造しましたが、戦後は軍用車の需要がなくなり清掃車やバスなどを製造し乗用車生産から撤退しました。第2次大戦中はトラック製造を行い、戦後はバス/トラック/消防車のメーカーとして2007年まで存続しました。
同社は消防車に関しては独特の技術を保有していました。デニス消防車は当初から、他のメーカーが使用しているピストンポンプではなく遠心ポンプまたはタービンをウォーターポンプとして使用していました。これは一般的なピストンポンプよりも構造が複雑で製造が難しいのですが、送水ポンプとして利点がありました。河川などから消火用の水を吸引するのではなく消火栓から水が供給される場合、この消火栓の水圧は遠心ポンプを介することで増圧されるのですが、ピストンポンプではその増圧が出来ませんでした。またピストンポンプの吐出圧は大きく変動するので、この変動を抑えるために空気を満たしたレシーバーを介する必要がありました。
ミニカーは1985年に発売されたコンラート(CONRAD)製で、1910年のデニス 消防車をモデル化しています。コンラートはドイツのミニカーメーカーで、1950年代からダイキャスト製のミニカーを販売していました。(以前はGESCHというブランド名も使っていました) 1980年代には1/43の乗用車も手掛けていましたが、現在は1/50のトラックやクレーン車などをメインにしています。(日本国内にはほとんど輸入されていませんが) このデニス 消防車は、はしご以外はほとんどがメタル製パーツなので、がっちりとした出来ばえです。実車の画像と見比べると、クラクションと鐘やはしごの取り付け金具など細かなところまで良く再現されています。ボンネットを取り外すとエンジンが再現されています。また移動用の車輪が付いたはしごは実車同様に脱着でき、はしごは3段重ねで延ばすこともできます。これ以外のデニス消防車のミニカーは同じようなタイプの1921年式をヤトミンが1/43でモデル化しています。消防車以外のデニスのミニカーとしてはTINYが2階建てバスを10数種類モデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。フロントグリルの上部には見難いですが「DENNIS」のロゴが付いています。リアの荷台の横には「LONDON FIRE BRIGADE(ロンドン消防署)」と表示されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2038
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.