Sorry Japanese Only
シャパラル 2F プロトタイプ アメリカ 1967年
1967年のスポーツカー世界選手権にシャパラル 2Fが登場しました。シャパラル 2Fは前述したシャパラル 2Dをベースにしてエンジンを7Lに変更したもので、ボディはそれまでの抑揚の大きいダイナミックなデザインから直線的なデザインに変わりました。リアには前述した2Eと同じ大きなリアスポイラーが付いていました。このスポイラーはボディ周辺の乱流を避ける為に、長い支柱で高い位置に配置(ハイマウント式)されていました。スポイラーは角度を変えることでダウンフォースを調整でき、ダウンフォースはサスペンション部分に直接作用するように設計されていました。
1967年シーズンの成績はブランズハッチ 6hで優勝していますが、ポールポジションを獲得してリタイアするパターンが多かったようです。パワーアップしたことで早くなりましたが、自動変速機がパワーアップに耐えられずオーバーヒートするなど信頼性が足りなかったようです。2Fが採用したリアスポイラーはF1にも波及し、1968年にはリアスポイラーを装着したF1マシン ロータス 49Bが登場しました。(実車画像→ ロータス 49B 1968 )
F1のスポイラーもハイマウント式や可変式に進歩していきましたが、支柱が折れるなどの問題があり、安全性の問題から1969年には高さの低い固定式に規制されました。1970年にはシャパラルとして最も独創的な設計がされたカンナムマシンのシャパラル 2Jが登場しました。
ミニカーは1968年に発売されたマーキュリー製の当時物です。シャパラル 2Fのプロトタイプをモデル化しているようなので、特定のレース仕様ではありません。黄色のヘッドライがやや玩具的ですが、プロポーションは悪くなく当時のミニカーとしては結構リアルに作ってありました。リアスポイラーは支柱が上下し角度が変えられ、ガルウィング式ドアと燃料供給口蓋の開閉ギミックが付いています。当時のミニカーは子供向けだったので、この種のギミックは必須の物でした。最近の1/43サイズのミニカーはコストの問題などがあってこの類いのギミックを付けていませんが、ギミックがあるほうが(子供でなくても)面白いことは明らかだと思います。(ロートルコレクターの私はこのようなギミックが好きです) シャパラル 2Fは発表当時に大きなスポイラーが話題になったことから、ソリド、ポリトーイ、メーベトイ、メルクリン、ガマなど当時の老舗ブランドが当時物ミニカーを作っていました。特にソリドは後車軸を押すとスポイラーの角度が変化するという凝ったギミックが付いているなど良く出来ていました。当時物以外ではイクソ、ミニチャンプス、エグゾトの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像、ドアと燃料供給口蓋開閉ギミックとコクピットの画像、スポイラーの動作ギミックの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1787
フォード マーキュリー クーガー アメリカ 1967年
フォード マーキュリー クーガーはマーキュリーのスペシャリティーカーとして1967年に登場しました。サンダーバートとマスタングの間を狙った車で、マスタングと主要なコンポーネントを共用していましたが、ホイールベースは75㎜長くボディもひとまわり大きくなっていました。ボディ形式は2ドアハードトップのみで、フロントグリルはカバー開閉式のヘッドライトを採用した全面グリルでリアのテールライトもフロントに合わせたデザインになっていました。このデザインは同時期のフォード サンダーバードと同じコンセプトで、万人向けのマスタングよりもスペシャリティーカーとしてよりスポーティになっていました。(参照動画→ マーキュリー クーガー ヘッドライト カバー開動作)
当初の標準エンジンはV型8気筒4.7L(200-225HP)で、GTオプションで高性能版V型8気筒6.4L(320HP)がありました。標準仕様でも3段自動変速で最高速190km/hと高性能でした。1968年にGT-EオプションとしてV型8気筒7L(390HP)エンジンが追加されました。1968年にマスタングが大型化したのに合わせて、マーキュリー クーガーも1969年のマイナーチェンジでボディが大きくなりコークボトルラインを強調したデザインとなりました。同時にV型8気筒5.8L(250HP)エンジンが標準となりました。1970年にはノーズ中央部がより強調されたデザインとなりました。1971年に2代目にモデルチェンジしました。初代の総生産台数は約43万台と大ヒットしました。(参照動画→ マーキュリー クーガー 1971)
ミニカーは1969年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。1/43サイズより少し大きめに出来ていますが、販売戦略で意図的に大きくしたと思われます。金属製パーツのフロント/リアグリルがディンキー(英)らしいやや武骨な造形ですが、プロポーションが良く当時物のミニカーとして良い出来ばえでした。なお当時はミニカーのコストダウンが進められていた時期で、このミニカーも前後バンパー/前後グリル/底板を一体成型するコストダウン設計がされていました。ちなみにこのミニカーの当時の定価は800円で、確かにそれ以前より少し安くなっていましたが、それでも同時期の国産ミニカーの約1.5倍の値段でした。ドア開閉ギミックと底板のレバー操作でリアのラジオ用アンテナが上下する変わったギミックが付いていました。(底板のレバーとアンテナは軟質プラスチック製の一体物で、レバーをスライドさせるとアンテナが上下するという仕掛けです) これ以外のマーキュリー クーガーのミニカーはマッチボックスの当時物 1/66と1/40、デルプラドの世界の名車シリーズ、ビテスの1/43、サンスターの1/18、アーテルの1/18、ジョニーライトニングの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とラジオアンテナ上下のギミック動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=420
BMW (グラース) 1600GT ドイツ 1967年
1895年に創立したドイツの老舗農機具メー カーであったグラース社は、第2次大戦後の1951年に125㏄エンジンを搭載したゴッゴローラーを開発しスクーター市場に進出しました。(実車画像→ グラース ゴッゴローラー) このスクーターがヒットしたことで、1955年には空冷2ストローク2気筒247ccエンジンをリアに搭載した超小型車ゴッゴモビル T250を開発し4輪車市場に進出しました。ゴッゴモビルが成功したことで1962年には4気筒1Lエンジンを搭載したグラース 1004を開発し本格的な乗用車市場へも進出しました。(実車画像→ グラース 1004) その後も上級指向は続きBMWクラスの中級車にまで進出し、1965年には高性能GTカーの2600 V8まで発表しました。しかしこれらの高級車は売れず、経営が行き詰まり1966年にBMWに吸収合併されました。
BMWがグラース社を買い取ったのは、車種構成を拡大するためでした。BMWは改良したグラース車をグラースの工場で生産し販売しました。BMWがグラースから選んだのは1300GT、2600 V8、ゴッゴモビルで、1300GTはイタリアのピエトロ フルアがデザインしたファーストバックのスポーティカーでした。この車のフロントにBMWの顔であるキドニーグリルを取り付け、1600TI用のエンジンとリアサスペンションを組み込んだのがBMW 1600GTで、1967年に発表されました。販売台数は約1000台ほどで直ぐに生産中止となりました。
ミニカーは1970年頃に米澤玩具(ダイヤペット)が代理店として輸入したベルギーのサブロン製です。サブロンのミニカーはホイールが合成ゴムのタイヤに添加された可塑剤で溶けることで知られています。(参照ページ→ ミニカーの材質と劣化) この1600GTもオリジナルのホイールが溶けたので、ホイールとタイヤを別の物に交換しています。ホイールの問題はありましたが、サブロンのミニカーは当時としては出来の良いミニカーでした。この1600GTもプロポーションが良く、そこそこの良い出来ばえで、ドア/ボンネット/トランクが開閉できます。1600GTの当時物ミニカーとしてはメルクリンもありました。当時物以外ではネオ(レジン製)の1300GTがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=507
フォルクスワーゲン T2 (タイプ2) 郵便バン ドイツ 1967年
フォルクスワーゲンのトランスポーター(タイプ 2)の2代目T2が1967年に登場しました。空冷エンジンをリアに配置する後輪駆動方式など基本的な構造はT1と同じでしたが、外観が大きく変更されました。大きな曲面ガラスのフロントウインドーとその下のベンチレーターグリルがT2の特徴でした。当初のエンジンは4気筒1.6L(48HP)でした。
T2は前期型T2a(1968-1971年)と中期型T2a/b(1972-1973年)と後期型T2b(1974-1979年)に大別されます。前期型と中期型の外観上の違いはテールライトが大きくなっていることで、後期型はさらにフロントウインカーがヘッドライト上のベンチレータグリル横に移動しバンパーが角ばった形状に変わりました。エンジンは1971年に1.7L、1973年に1.8L、1975年に2L(70HP)と拡大され、最高速度は130km/hに向上しました。1972年には3段自動変速も追加されました。なおブラジルではT2はコンビ(KOMBI)の名前で1975年から最近(2013年)まで販売されていたので、これをT2cと分類することもあるようです。1979年にT3 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1970年に発売されたガマ製の当時物です。前期型T1aの郵便車仕様でフロントのウインカーの位置、リアライト形状、バンパー形状などT2の特徴が良く分かります。(ただし底板と一体成型されたバンパーは少し大きすぎますが) テールゲート開閉ギミック付で、ゲートを開くと室内後部床上の位置が高く、床下にエンジン収納スペースがあることが分かります。なお経年変化でリアサスペンションがへたり極端な尻下がりになっていたので、リアにウレタンフォーム(スポンジ)をかました状態で撮影しています。T1ほどではないですがT2のミニカーもシュコー、ブレキナの1/87などたくさんあります。 以下はフロント/リア(テールゲート開閉)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1212
ポルシェ 910/6 ドイツ 1967年
1967年にポルシェ 906の改良型 910が登場しました。外観の主な変更点はノーズ左右のスポイラー廃止 ホイール小径化によるフェンダー高さの低減、ドアをガルウィング式から斜め前方立上げ方式に変更などでした。エンジンは910/6が空冷水平対向6気筒2L(220HP)、910/8がDOHC 空冷水平対向8気筒2.2L(270HP)で、ボッシュ製機械式燃料噴射装置を採用していました。
ポルシェ 910は1967年デイトナ 24hでスポーツカー選手権にデビューし、フェラーリ 330P4/P3に次ぐ4位となりました。その後タルガ フロリオで総合優勝、ニュルブルクリングで総合優勝するなど活躍しました。ただ市1967年のマニュファクチャラーズ選手権はフェラーリ 330P4に僅差で届きませんでした。1968年の日本GPでは生沢徹のドライブで出場し、総合2位となりました。(優勝は日産 R381でした)
高速走行が重視されるルマン用として、910をベースにした907が1967年に登場しました。小さく低くなったルーフ、長く伸びたロングテールなど空気抵抗が低減されたボディは風洞実験で決められました。時計回りのサーキット向けに、ステアリング位置が左側から右側に変更されました。1968年にはショートテールも設定されました。907は1967年ルマンでデビューして総合5位(910が総合6位)となり、1968年デイトナでは1-2-3フィニッシュしました。(実車画像→ ポルシェ 907)
ミニカーは1968年頃に発売されたメーベトイ製の当時物です。メーベトイは当時としてはスケールモデル的な造形で、独特の雰囲気がある作風でした。この910もフロント/リアパネルが開閉するギミック付きながらプロポーションの破たんがなく、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。フロントパネルを開くとスペアタイヤがあり、リアパネルを開いたエンジンルームには簡単な造形ですがエンジンが再現されています。これ以外の906の当時物ミニカーとしてはメルクリン、ソリドなどがあり、当時物以外ではエブロ、エグゾトの1/18、スパークなどがあります。907のミニカーでは、メルクリンの当時物、エブロ、シュコーなどがあります。以下はフロント/フロントパネルを開いた画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変わります)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1763
ページ « 前へ 1...161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 ...371 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.