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プリンス (日産) スカイライン 2000GT-B S54B型 日本 1965年
前述したプリンス スカイライン(初代)の2Lクラスはグロリア(初代)に移行したので、スカイライン 2代目は小型車として開発され1963年に登場しました。オーソドックスな設計で当初は4ドアセダンとワゴン(バン)の設定があり、4気筒OHV 1.5L(70HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速135km/hの性能でした。ボディはフロントグリルなどがグロリア 2代目のデザインに準じた物でアメリカ車風でした。
1964年の日本グランプリに出場する為にグロリアの2Lエンジンを搭載したレース仕様車が開発され、この車はGT-IIクラスでポルシェ 904に次いで2位になりました。 この車をベースにして1965年に2000GT-A(105HP)と2000GT-B(125HP)が発売されました。2000GT-Bは最高速180km/hと高性能なスポーツカーで、後のGT-Rに繋がる車でした。1966年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、デラックスはテールライトが丸形から角型に変更されました。1968年にスカイライン 3代目にモデルチェンジしました。
プリンス自動車は前述したグロリアの販売が思わしくなく資金繰りが悪化して、1965年に日産自動車との合併を発表しました。(1968年に合併完了) 当時のスカイラインのレースでの活躍で合併後もプリンスの名声は残ったのですが、合併後に発売したスカイライン 3代目が大ヒットしたことを考えると、合併しなくてもやっていけたかもしれません。
ミニカーは2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、高性能版の2000GT-B (S54B)をモデル化しています。プロポーションが良く、ブラックアウトしたフロントグリルや灯火類などの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。同じ型の色違い(黒 白ルーフ)が日産名車コレクションのNo.8でも発売されました。スカイライン 2代目の当時物ミニカーとしては、ミクロペットのチェリカ フェニックスとその型を引き継いだダイヤペットがありましたが、どちらもレアなビンテージミニカーです。当時物ではないですが、ダイヤペットの当時物の復刻版やカドーの2000GT-Bなどもありました。最近の物ではエブロの2000GT-B、トミカ リミッテドの1500と2000GT-Bレース仕様、MARK43(レジン製)の2000GT-Bなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ スポーツ 800 日本 1965年
自動車メーカーが自社のラインナップを魅力的にする為にスポーツカーは欠かせません。トヨタはパブリカのエンジンとシャシを流用したスポーツ 800を1965年に登場させました。小さなエンジンで高性能を得るため、軽量化(重量580kg)と空気抵抗低減が図られ、独得の空力ボディとなっていました。完全なオープンではなくタルガトップ形式(有名なポルシェ 911 タルガより先に採用)になっているのはモノコック構造を採用していたからでしょう。
パブリカのエンジンを約100ccの排気量拡大とツイン キャブレターで45HPにパワーアップした空冷水平対向2気筒790cc2U型エンジンを搭載し、4段変速で、最高速155km/hの性能でした。「ヨタハチ」の愛称で呼ばれ、ライバルのホンダS600とレースで競い合った傑作車でした。1968年のマイナーチェンジで、フロントグリルのデザインなどが変更されました。このような2シータースポーツカーがたくさん売れる時代でもなかったので、1969年までに約3000台が生産されただけでした。
ミニカーは1999年に発売されたエブロ製です。エブロらしいリアルな造形でプロポーションが良く、実車の雰囲気が良く再現されています。灯火類などの細部もリアルで、実車同様に屋根が脱着できます。なおこれは前期型ですが、エブロはフロントグリルが異なる1968年式後期型もモデル化してます。当時物のミニカーとしてはモデルペット製が有りましたが、かなりのレア物です。当時物以外では京商、トミカの特注品(アンチモニー製)、トミカ リミッテド、国産名車コレクション(ノレブ製)、京商の1/64と1/43、コナミの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 コルト 800 日本 1965年
三菱 ミニカを製造していた水島自動車製作所(岡山県)が小型車を開発し、コルト 800として1965年に登場しました。地味なデザインであったコルト 1000と違って、ファーストバックを採用したスタイリッシュなデザインとなっていました。当初は2ドアでテールゲートは無かったのですが、1967年に3ドアハッチバック、1968年に4ドアが設定されました。水冷2サイクル3気筒843cc(45HP)エンジンをフロントに搭載するFR方式で、4段変速で最高速120km/hの性能でした。
1966年にコルト1000の4気筒1Lエンジンを搭載した1000Fが追加され、さらに1968年のマイナーチェンジでは3気筒エンジンが廃止され、1.1L(58HP)エンジンを搭載した1100Fが追加されました。1969年には1.1Lエンジンだけとなり名前も11Fに変わりました。11Fは1971年まで生産され、実質的な後継車は1973年に登場したランサーでした。なおコルト 1000Fは1967年のサザンクロス ラリーに参戦してクラス優勝しました。これは三菱車として初の国際ラリー参戦でした。
コルト800と1000は新三菱重工業の異なる製作所で独自に開発されたものであり同じような車であった為、市場では競合関係となっていました。三菱重工の自動車部門は1970年に三菱自動車工業として独立しましたが、それ以前にはこのような開発体制上の問題があったようです。
ミニカーは1966年に発売されたダイヤペット製の当時物でアンチモニー製です。 フロントグリルやリアの造形がきちんと再現されていて当時のミニカーとして良く出来ていました。ボンネットとトランクが開閉するギミック付で、室内も起毛仕上げがされているなど凝った作りです。ボディの塗装は一部が剥離していますが、全体的にはまだきれいな状態なのですが、ホイールが経年変化で劣化して変形しているのが残念です。コルト 800のミニカーは最近までこれしかありませんでしたが、2007年に国産名車コレクションでもモデル化されました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランクの開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ RA272 F1 日本 1965年
マン島TTレースでの優勝など2輪車レースで成功したホンダは、1962年にF1に参戦することを表明しエンジンの開発を進めました。開発されたV型12気筒1.5L RA271型エンジンは、当初ロータスへ提供される予定でした。しかし1964年にロータスが提携をキャンセルした為、ホンダはシャーシも自社開発して参戦することとなりました。 最初のF1カーRA271型は、1964年のドイツGPでデビューし、結果は事故でのリタイヤでした。しかし翌年の1965年メキシコGPではアメリカ人ドライバー リッチー ギンサーが操るRA272が初優勝を遂げました。これは今考えると凄いことですが、当時はモータースポーツに対する理解が少なくあまり評価されなかったようです。
ホンダのF1はRA273、RA300、RA301、RA302と発展し活躍を続けましたが、低公害型エンジン開発に注力するとして1968年シーズン終了後に活動を休止しました。このF1参戦はホンダ F1 第1期と言われています。その後1983年にエンジン供給する形でF1に復帰し、1980年代後半はマクラーレン ホンダが圧倒的に強い時期がありました。これはホンダ F1 第2期と呼ばれますが、国内のバブル崩壊による業績不振で1992年末にF1から撤退し第2期が終わりました。
2000年にエンジン供給でF1に復帰し、2006年からはエンジンだけではなくシャーシも開発するフルコンストラクターとして参戦しました。しかし第2期のような活躍が出来ず、サブプライム問題の不況による業績不振で2008年末でF1から撤退しF1 第3期が終わりました。2015年にエンジン供給で3度目のF1復帰を果たし、当初の結果は期待外れでしたが、2021年にはレッドブル ホンダがコンストラクター2位の好成績を残しました。ただ自動車のEV化対応に注力する為、2021年末でホンダはF1を撤退し第4期が終わりました。
ミニカーは2006年に発売された国産名車コレクション製です。国産名車コレクションの購読予約者向けプレゼント品で、メキシコ GPで初優勝したRA272をモデル化しています。メーカーはノレブで、エンジンなどの細部もそこそこリアルに再現されていて、安価な雑誌付きミニカーとしては結構良い出来ばえです。RA272のミニカーとしても貴重な一台です。 以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン/コクピットの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日野 コンテッサ 1300 クーペ 日本 1965年
前述したように、日野 ルノー の国産化で技術を習得した日野自動車は1961年にコンテッサ 900を登場させました。基本的な構造は日野 ルノーを踏襲したリア エンジンの4ドアセダンで、外観はルノー 4CVの上級車であったルノー ドーフィンとよく似たデザインでした。搭載した4気筒893㏄(35HP)エンジンもルノーのエンジンがベースで、リアエンジン車ながらコラムシフトが採用されました。1962年にコンテッサ 900をベースにしてミケロッティがデザインした2ドアクーペの900 スプリントが発表ましたが、市販はされませんでした。1965年まで生産され、日野 ルノーの実績からタクシーとして使われることが多かったようです。(実車画像→ 日野 コンテッサ 900 1961)
1964年にコンテッサ 2代目としてコンテッサ 1300が登場しました。当初は4ドアセダンのみで、1965年に2ドアクーペが追加されました。どちらもミケロッティのデザインで、グリルのないシンプルなフロントと直線的なボディラインが特徴の美しいデザインでした。日野が独自設計した4気筒1.3L(55HP)エンジンをリアに搭載し、リアに配置したラジエーター冷却の為リアには吸気用のグリルがありました。3/4段変速で最高速135m/hの性能でした。クーペのエンジンは65HPにパワーアップされ最高速145m/hの性能でした。日野自工は1966年にトヨタと提携したことから、乗用車開発から撤退し、コンテッサは1967年に生産中止となりました。
ミニカーは2007年に発売された国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、コンテッサ 1300 クーペをモデル化しています。プロポーションが良く特徴のあるフロントの顔付など実車の美しいデザインがうまく再現されています。リアの吸気用グリル、フェンダーミラー、ステアリングが着色された室内などの細部も良く再現されています。当時の流行りだったホワイトリボンタイヤを履いているのは時代を反映しています。これ以外の日野 コンテッサのミニカーはミクロペットの当時物 900と900 スプリント、モデルペットの当時物 1300と1300 クーペ、ダイアペットの当時物 1300 クーペ、CAM(レジン製)の900 スプリント、ファインモデル(アンチモニー製)の 900と900 スプリント、トミカ リミッテドの1300、エブロの1300 クーペなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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