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フィアット 60HP イタリア 1905年
フィアット 24HPの解説に記載したように、1905年当時のフィアットの上級車としては24/32HPと60HPがありました。1904年に登場した60HPは当時のフィアットで一番大きく豪華な車でした。当時の同クラスのライバルは4気筒9.2L(60HP)エンジンを搭載するメルセデス 60HPで、それに対抗してフィアット 60HPは4気筒10.6L(60HP)エンジンを搭載していました。その後1907年にフィアット初の6気筒エンジン11L(65HP)を搭載する50/60HPが登場し、1908年には6気筒7.4L(50HP)エンジンを搭載する35/45HPが登場しました。
60HPはそのほとんどがアメリカ市場に輸出され、潤滑油給油装置など先進技術を装備したこの類の高級車は富裕層に人気がありました。ホイールベースは長短2タイプがあり、アメリカのコーチビルダーが豪華なボディを架装していました。1903年のフィアット車の総生産台数は130台ほどで、その頃にアメリカ市場への輸出が始まり生産台数は増えていきました。60HPは1906年までの2年間で約80台ほどが生産されたそうですので、当時のアメリカ市場はフィアットにとって重要な市場だったはずです。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されています。この60HPも3列シートに大きな幌がついた当時のフィアット最大の高級車を忠実に再現しています。底板部分にはエンジン/変速機と後輪のチェーン駆動部が再現されています。なお幌前端部を引っ張ってフェンダー部に固定している革紐は本物の皮革です。ミニカーの箱に添付されているリオの解説書ではこの車はフィアット初の6気筒7.4Lエンジンを搭載した60HPとしていますが、正しくは4気筒エンジン搭載の60HP(1905年式)だと考えます。バリエーションで幌を畳んだタイプもありました。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分/後輪のチェーン駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ビアンキ 20/30HP ランドレー イタリア 1905年
ビアンキ社は1885年にエドアルド ビアンキ(Edoardo Bianchi)が自転車メーカーとして設立しました。同社の自転車は安全で使いやすく1930年代にはイタリアの主要な自転車メーカーとなっていました。同社は1900年頃からバイクと自動車の製造も手掛けるようになり、イタリアの自動車メーカーのパイオニアでもありました。最初の自動車は単気筒エンジンを搭載した小型車でした。その後1905年頃から4気筒(3L-8L)エンジンを搭載した数車種のモデルを製造していました。ビアンキは1918年まではフィアットに次ぐ大きな自動車メーカーでした。
1914年頃にはフィアット 0に対抗する4気筒1.2Lエンジンを搭載したティーポ Sが登場しました。この車は改良されて1930年代まで製造され、ビアンキは主に小型で高品質の車を作っていました。1930年には8気筒3Lエンジンを搭載するティーポ S8が登場しましたが、あまり売れせんでした。乗用車の販売が不振となり、ビアンキはトラックなどの大型商用車生産に注力しました。第2次大戦後に経営不振となり、自動車部門はフィアットの資本参加でアウトビアンキ社として独立しました。アウトビアンキはフィアット傘下でプリムラ、パノラミカなどの小型車を生産していましたが最終的にフィアットに吸収されました。
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。ミニカーに同梱されていたリオの解説書によると、この車は4気筒5L(25HP)エンジンを搭載した20/30HPをモデル化しているそうです。ただしこのミニカーのような外観の実車について説明した資料や画像がWEB上で見つからないので裏付けはとれていません。したがって実車の詳細は不明ではありますが、馬車時代の名残りを感じられる優雅な形状のキャビンと綺麗なカラーリングがこのミニカーの魅力です。1970年代当時のリオのクラシックカーのミニカーは他社を圧倒する素晴らしい出来ばえでしたが、2023年現在でも一級品レベルの出来ばえといえます。(現在この時代のクラシックカーはほとんどモデル化されていませんが) このビアンキは独特な雰囲気のボディやカラーリングなどが好きで、私のお気に入りの一台です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アドラー フェートン ドイツ 1906年
アドラー(ADLER)社の前身はハインリヒ クライアー(Heinrich Kleyer)が1880年に設立した自転車製造会社でした。(ADLERとはドイツ語で「鷲」の意) 1900年にド ディオン ブートン社の単気筒エンジンを搭載したバイクと小型車の製造を始め、最初の小型車は既にシャフト ドライブを採用していました。その後自社製エンジンを開発し、このエンジンを搭載した車はレースで活躍しました。第1次大戦前には2気筒/4気筒エンジン搭載車をそろえた先進的で堅実な自動車メーカーに成長しました。
第1次大戦後は6気筒エンジン搭載のスタンダード6、8気筒エンジン搭載のスタンダード8などが登場しました。1932年に先進的な前輪駆動方式と独立懸架サスペンションを採用した4気筒1L-1.7Lエンジンを搭載したトルンプ(TRUMPF)シリーズが登場し、この車は優れた性能でヒットしたそうです。1930年代中ごろに6気筒2.5Lエンジンを搭載した2.5L(タイプ10)が登場し、この車は当時最新の流線形ボディを採用していました。第2次大戦後は占領軍の方針で自動車生産が出来なくなり、自転車やバイクと事務機器の生産を行いました。アドラーのバイクは人気があったそうですが、アドラーは買収されて1950年代後半以降は事務機器(タイプライターなど)を生産するようになりました。
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS-MODELL)製です。チィスはMINI-AUTO社のブランドでドイツ車中心でクラシックカー、乗用車、商用車などのミニカーを1960年代に生産していました。チィスのクラシックカーのミニカーはフロントグリルや灯火類などに金属製パーツを使っていますのでがっちりとしたつくりとなっています。モデル化された実車の詳細はよくわからないのですが、当時の上流階級が使用した4気筒エンジンを搭載した高級車24/28HPだと思われます。大きなソファーのような後部シートとその前にある補助席的なシート(付き人用)の配置に当時の高級車らしさが感じられます。後車軸のデフなど細部まで再現されていて、1960年代のクラシックカーのミニカーとしては良く出来ていました。大きなADLERのロゴが付いたフロントグリルが目立ちますが、実車の画像でこのようなロゴが付いているモデルは見当たらないので、たぶんチィスの創作でしょう。バリエーションで密閉したキャビンを持つタイプもモデル化していました。これ以外のアドラー初期のミニカーはAUTOCULT(レジン製)がこれと同じ18/35HPをモデル化しています。また1930年代のアドラーのミニカーはメルクリンのビンテージ物やネオ(レジン製)の2.5Lなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 35CV (タイプ AI) フランス 1906年
1903年にフランスは約3万台の自動車を生産し、世界最大の自動車生産国になっていました。当時はパナールやプジョーのシェアが高かったようで、ルノーのシェアはまだ大きくはなかったようです。1906年頃のルノーは6種類のモデルを揃えていました。それは2気筒1L/1.2Lエンジンのタイプ AX/AG、4気筒2.1Lエンジンのタイプ AM、4気筒3.1Lエンジンのタイプ X-1、4気筒4.4Lエンジンのタイプ V-1、4気筒7.4Lエンジンのタイプ AI、6気筒9.5Lエンジンのタイプ ARと小型車から大型車までそろっていました。(参照資料→ The Renault range from 1908)
2気筒エンジンの小型車は初期のヴォワチュレットの流れをくむもので、4気筒エンジン搭載車は初期のレーシングカーをベースにしたものでした。タイプ ARはルノー初の6気筒エンジン搭載の大型車で1907年に登場しています。画像の35CV (タイプ AI)は4気筒7.4Lエンジンを搭載した大型の高級車で、1906年の時点ではルノーの最上級車でした。ボンネットの側面に配置されていたラジエータは運転席前のスカットル部分に配置されるようになり、グリルのない台形に傾斜したボンネットを持つルノー独特の顔つき(「象の鼻」と呼ばれました)が完成していました。この顔つきは1920年代後半まで継承されました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このルノー 35CVはサフィールのなかでも大きめのモデルで、青/黄のカラーリングが綺麗で、当時の最上級車の雰囲気が良く再現されています。高級なリムジーンだったので、運転席背後のガラス仕切りの上部に運転手に指令を伝える為の伝声管が付いています。金メッキしたモールの付いた特徴的な「象の鼻」とラジエータもリアルにできています。シャーシ/フェンダーはダイキャスト製なので塗装されていますが、ボディはプラスチック製で塗装はされていません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー トルペード (タイプ 81) フランス 1906年
ベテラン期のプジョーで記載したように、当時のプジョーにはアルマン プジョーが「LES FILS DE PEUGEOT FRERES(プジョー兄弟の息子達)」社から独立して設立した「AUTOMOBILES PEUGEOT(オートモビル プジョー)」社が作るプジョー車と、元の兄弟の会社が1906年から作り始めたリオン プジョー車(LION-PEUGEOT)の2つがありました。1910年には両社は合併してひとつになりましたが、すぐに車を統一したわけではなく第1次大戦までは独自設計の車作りをしていました。(リオン プジョーは単気筒/2気筒エンジン搭載の小型車がメインでした) 現在のプジョーのロゴはリオン(ライオン)ですが、それはこの当時からの継承です。
このプジョー トルペードは当時最も標準的なモデルであったタイプ 81をモデル化しているようです。ラジエータ グリルの形状(裾が開いた台形)、ボンネット形状、灯火類などが実車の画像とよく似ているので、ほぼ間違いないと思います。タイプ 81は4気筒2.2L(15HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速機で最高最高速67km/hの性能でした。なおこの当時のプジョーの単気筒エンジン搭載の小型車は既にシャフトドライブを採用していましたが、この4気筒エンジン搭載の中型車はまだ後輪をチェーンドライブしていました。タイプ 81はは約250台が生産されました。
ミニカーはクラシックカーを多く手がけていたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。1960-1970年代に作られたミニカーですが、クラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。このプジョーも実車の画像と見比べるとフロントグリルやボンネットが結構リアルに再現されています。リアドアが開閉するギミックが付いているのはミニオールのクラシックカーとしては珍しいです。ただプラスチックの経年変化でボディが大きく弓なりに変形しているのは残念です。これ以外にも幌を外したものや幌を2連にしたバリエーションがありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)