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フォード タウナス トランジット ドイツ 1961年
フォード トランジットはヨーロッパでは一番販売台数の多い商用車で、バン、ミニバス、ピックアップ、トラックなど多くのバリエーションがあります。1953年にドイツ フォードが発売した商用車FK1000からトランジットの歴史が始まりました。(1000は積載量1000㎏の意で後に1250も追加された) FK1000は、1950年に登場したフォルクスワーゲン T1によく似たデザインでしたが、リアエンジンのT1に対してFk1000は運転席の下にタウナス 12M用の4気筒1.2Lエンジンを搭載する後輪駆動車でした。(実車画像→ フォード FK1000)
1955年にエンジンがタウナス 17M用の1.5L(55HP)に変更され、搭載位置が運転席足元から運転席の中央に移動しました。フォルクスワーゲン T1の1.2Lエンジンは25HPだったので走行性能的にはFK1000が高性能でしたが、運転席下にエンジンがあることでうるさいことなど快適性はT1より劣っていたようです。1961年にFK1000は名前がタウナス トランジットに変更されました。
タウナス トランジットは1965年にモデルチェンジし、名前がトランジットとなりました。トランジットはドイツとイギリスの両フォードに共通するモデルで、イギリス フォードではテームズ 400Eの後継車でした。1965年のトランジットはイギリスでは初代となりますが、ドイツではタウナス トランジットの後継でトランジットの2代目とされています。当サイトのデーターベースでは車名に世代を意味するMK *を付けていますが、トランジットは1965年のモデルをMK Iとしています。以下1978年モデルをMK II、1986年モデルをMK III、1991年モデルをMK IV、1994年モデルをMK Vとしています。(実車画像→ フォード テームズ 400E)
ミニカーは1960年代に発売されたデンマークのテクノ製の当時物です。デンマーク郵便のロゴが側面に付いた郵便車をモデル化しています。テクノは1960年代のミニカーでしたので、パーツのほとんどが金属製で独特の味のある造形が特徴でした。このトランジットはプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。塗装がしっかりしているので、約60年も前に作られたとは思えないほど綺麗な状態です。リアウィンドーを組込んだバックドアが開閉し、内部もきちんと再現されています。テクノのトランジットには救急車や企業ロゴのついたバリエーションがたくさんありました。これ以外のタウナス トランジットのミニカーとしては、ジクの当時物やシュコーの最近の物があります。 以下はフロント/運転席の画像とリア/バックドア開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 4L フランス 1961年
1961年にルノー 4CVの後継車としてルノー 4が登場しました。ルノー初の前輪駆動方式を採用し、2ボックスのハッチバックボディなど、ライバルのシトロエン 2CVを意識した設計でした。ボディはセダン以外にフルゴネット(後部がハイルーフの箱形商用車)、ブレーク(バン)、ピックアップなどがありました。エンジンは4CV譲りの747cc(32HP)で3段変速機、最高速113km/h の性能でした。なおエンジンが603ccの廉価版ルノー 3も短期間ですが販売されました。
リアサスペンションは横置きトーションバーを用いたトレーリングアーム方式で、ボディ全幅に渡る長い左右輪用トーションバーが2本前後に並んでいたので、ホイールベースが左右で少し異なっていました。当初はフロントグリルとヘッドライトが分離していましたが、1968年以降はアルミ製グリルで一体化され、1975年には黒い樹脂製グリルとなりました。1972年にエンジンが800ccに拡大され、1978年には1.1Lエンジンも追加されました。コストを抑えた設計による実用性/経済性が評価され、同じようなコンセプトのシトロエン 2CV以上に大成功し1992年まで生産されました。総生産台数は835万台でこれはモデルチェンジしていない量販車としてはフォルクスワーゲン ビートル(2153万台)、フォード T型(1500万台)に次ぐ第3位でした。(ちなみにシトロエン 2CVは387万台) 後継車はトゥインゴでした。
ミニカーは1962年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。豪華仕様の4L(リアクォーター後部に3枚目の窓がある)をモデル化しています。ディンキー(DINKY TOY)はイギリスとフランスに生産拠点があって、フランスのディンキー(仏)は主にフランス車を手掛けていました。ディンキー(仏)のミニカーはプロモーションモデル的なリアルな作風が特徴でした。このルノー 4も1960年代の素朴な作りですが、プロポーションはしっかりしていて細部も結構リアルで良い出来ばえでした。スプリングサスペンションのギミックが付いています。これ以外のルノー 4の当時物ミニカーはノレブ、ディンキー(仏)をコピーしたオートピレン、ソリドのフルゴネット、トミカのフルゴネットなどがありました。当時物以外ではビテス、ソリド、ノレブ、ブレキナの1/87など商用車のバリエーションも含めてたくさんあり、最近でも新製品が出されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン アミ 6 フランス 1961年
シトロエン 2CVとDSとの中間車種として、アミ(AMI)が1961年に登場しました。(AMIとはフランス語で友人の意) 基本的な部分は2CVがベースで、2CVより大型のボディに2CVの空冷水平対向2気筒エンジンを602cc(22HP)に拡大したエンジンを搭載していました。当時珍しかった角形ヘッドライトを使った奇抜なフロント、当時流行していたクリフカット デザイン(リアウインドウが逆に傾いている)のルーフなど、この車もシトロエンらしい独特なデザインの車でした。セダンとブレーク(ワゴン)がありました。
アミは一時的にシトロエンの最量販車種になるなど商業的に成功しました。1969年にはクリフカットをハッチバックスタイルに変えるなど、デザインをリファインしたアミ 8に発展しました。(実車画像→ シトロエン アミ 8) さらに1973年には1971年に登場したGSに使用した空冷水平対向4気筒1L(61HP)エンジンを搭載し性能を大幅に向上させたアミ シュペール(AMI SUPER)が追加されました。また1970年にアミ 8をベースにしてシングル ローターのロータリーエンジンを搭載したM35 プロトタイプが限定生産されました。アミは1978年に生産中止となり、後継車はビザとなりました。(実車画像→ シトロエン M35 試作車)
ミニカーは1961年に発売されたソリド製の初期物です。ずいぶん昔のミニカーですので、ヘッドライトとバンパーが銀塗装されたレトロな造形です。レトロではありますが、全体的なプロポーションは正確で実車の雰囲気がうまく再現されていて、フロントグリル手前のガードリングやボディ各部のプレスラインなどもよく再現されてます。室内も簡単な造形ですが、一本スポークのステアリングホイールが再現されています。これ以外の当時物ミニカーとしてはCIJ/JRD、ディンキー(仏)、ノレブ、ポリトーイのアミ 8(1/55)などがありました。最近の物では、ノレブ、ミニチャンプス、ヘルパ(1/87)、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シムカ 1000 フランス 1961年
1961年にシムカ アロンドの後継車としてシムカ 1000が登場しました。1000はシムカとして初のリアエンジン車で、モノコックボディに4気筒1L(34HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。当時のシムカは大株主フィアットのコントロール下にあり、1000の中身はフィアット 600を大きくしたような設計でした。ボディはごくシンプルな3ボックススタイルで、見た目は同時期に登場した同じリアエンジン車のルノー 8と非常に良く似ていました。
シムカ 1000はルノー 8と同様に大ヒットし、当時の大衆車市場をこの2台が席巻していました。その後シムカ 1000には777ccエンジンを搭載した廉価版の800、1.1L/1.3L(60HP)エンジンを搭載した上級車のスペシャル、1.3Lエンジンを搭載した高性能版のラリー I (60HP)、ラリー II (82HP)、ラリー III (103HP)などが追加されました。1977年のマイナーチェンジでフロントグリルが追加されヘッドライトが角形に変更されて外観が大幅に変わりました。1978年まで長く生産され、総生産台は約195万台でした。(実車画像→ シムカ 1000 1977)
1962年にアロンドのクーペ/カブリオレ仕様のプラン シエル/オセアーヌの後継車として1000 クーペが登場しました。ベルトーネのデザインによる美しいクーペスタイルに52HPにパワーアップしたエンジンを搭載し、最高速は140km/hでした。イタリア車的なデザインには親会社フィアットが影響していたようです。1967年にはラリー IIの1.3L(85HP)エンジンを搭載し、最高速178km/hと本格派のスポーツカー1200Sに発展しました。1200Sはリアエンジン車ながら、フロントにラジエータを持つためフロントグリルが付いていました。(実車画像→ シムカ 1000 クーペ 1962)
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。1960年代のミニカーですので素朴な作りですが、ディンキー(仏)らしい正確なプロポーションで、実車のイメージがよく再現されていました。室内も当時のミニカーとしては良く再願されています。これ以外のシムカ 1000の当時物ミニカーは、このディンキー製をコピーしたオートピレン、CIJとJRDのセダン、ノレブ初期のプラスチック製のセダンとクーペ、コーギーのクーペなどがありました。当時物以外ではノレブの新製品の1/43と1/18でセダンとラリー II、ソリドのラリー I、イクソのラリー IIなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 156 F1 イタリア 1961年
1961年にF1のエンジン排気量が2.5Lから1.5Lに変わり、V型6気筒エンジンを搭載する156 F1が1961年に登場しました。当時主流となりつつあったミドシップ搭載エンジン方式は1960年のプロトタイプ 246Pを経て、156 F1に正式に採用されました。当初はVバンク角が65°のV型6気筒エンジン(180HP)を搭載しましたが、Vバンク角を120°に広げて低重心化した新開発のV型6気筒エンジン(190HP)も追加されました。156 F1は個性的なフロントノーズの形状から、シャークノーズと呼ばれました。
1961年シーズンはライバルよりエンジンパワーが勝る156 F1が席巻し、参戦した選手権7戦で5勝し、H.ヒルによるドライバーズタイトルとフェラーリ初のコンストラクターズタイトルを獲得しました。なおイタリアGPではW.V.トリップスが観客を巻き込む事故死を遂げ、フェラーリは最終戦アメリカGPを欠場しています。1962年シーズンはライバルのイギリス勢がエンジンをパワーアップして盛り返し、156 F1は苦戦するようになりました。そこでシーズン中盤からサスペンション設定変更やシャークノーズを一般的なノーズに変えるなどの変更を行いましたが、156 F1は1勝もできませんでした。
1963年シーズンはボッシュ製燃料噴射を採用してエンジンをパワーアップし、ボディはセミモノコックシャーシ構造「AERO(アエロ)と称する」を採用し、サスペンションなどの変更を行いました。しかしこの年もロータスなどのイギリス勢が圧倒的に強く、156 F1はドイツGPで1勝(ドライバー J.サーティース)しただけでした。1964年には後継車のV型8気筒エンジンを搭載した158 F1が登場し、156 F1はオーストリア GPで1勝(ドライバー L.バンディーニ)しました。
ミニカーは1985年に発売されたブルム製です。1961年のオランダ GP 優勝車(ドライバー W.V.トリップス)をモデル化しています。特徴的なシャークノーズの合わせ目に隙間があるのはいまいちですが、サスペンションが再現されているなど、当時のミニカーとしてはそこそこ良い出来ばえでした。ブルムは型番R289の後期型など156 F1を10種類ほどモデル化しています。当時物ミニカーとして老舗メーカーのコーギー、ソリド、ディンキーが揃ってモデル化していることは、156 F1の人気が高かったことを示しています。最近のものではイクソ、カルツォ、マテルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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