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フェラーリ 410 スーパー アメリカ 'スーパーファースト' イタリア 1956年
前述したフェラーリ 375 アメリカの後を引き継ぎ、410 スーパー アメリカ(SA)が1955年に登場しました。410 スーパーアメリカはV型12気筒5L(340HP)エンジンを搭載した高性能GTカーで、4段変速で最高速260km/hの性能でした。410 スーパーアメリカのほとんどにはピニンファリーナがデザインしたクーペやロードスターの特注ボディが架装されていました。当時高価であった高性能スポーツカー メルセデス ベンツ 300SLの2倍以上の価格の非常に高価な車でしたので、生産台数はわずかに35台でした。
410 スーパーアメリカの中で最も有名なモデルとして「スーパーファースト(SUPERFAST) 」という名前が付けられたピニンファリーナ製のクーペがありました。この車は派手なテールフィンが付いていることが最大の特徴でした。このテールフィンやクロムメッキされたフロントグリル/バンパーとボディ側面を一周するクロームモールが実にアメリカ車的なデザインですが、ピニンファリーナのデザインと聞くとなにやら品良く見えます。
ミニカーは1984年頃に購入したアイデア3製です。410 スーパーアメリカ スーパーファーストをモデル化しています。アイデア3はイタリアのマルコ ボッシ(Marco Bossi)氏が1970年代に設立したブランドで、ホワイトメタル製のハンドメイドの完成品でした。フロントの雰囲気とリアの特徴的なテールフィンが良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。1980年代に他にも2台ほどアイデア3製のホワイトメタル製のフェラーリをf購入したのですが、今その1台はボディがバラバラに崩壊してしまいました。(参照ページ→ミニカーの材質/劣化 ホワイトメタル素材の変形) 私はこの経験に懲りてホワイトメタル製のミニカーはほとんど買わないようになりました。ただこのスーパーファーストは問題がないので、この問題はホワイトメタル製だから起こるということではありません。これ以外の410 スーパーアメリカのミニカーはマテルの1/18、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ D50 イタリア 1956年
フェラーリは1955年F1 GPシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになりました。ランチア D50はサイドポンツーン内の燃料タンクをコクピット後方に移すなどの変更が行われてフェラーリ D50となりました。1956年にメルセデス ベンツからドライバーのJ.M.ファンジオが移籍してきました。彼はアルゼンチン、イギリス、ドイツ GPで優勝し、チャンピオンドライバーとなりました。フェラーリ D50はベルギー、フランス GPでも優勝し1956年のGPシーズンを席巻しました。
1957年にはD50を大幅に変更した801 F1が登場しました。(実車画像→フェラーリ 801 F1) 801 F1は新設計のシャーシ、新設計のV型8気筒2.5L(275HP)エンジン、改良されたサスペンション、ポンツーンをなくしたボディなどD50とは全くの別物になりました。1957年にJ.M.ファンジオはフェラーリを去りマセラティに移籍しました。彼がドライブしたマセラティ 250Fは大活躍し、マセラティは初のワールドチャンピオンシップを獲得しました。そのせいもあって1957年シーズンにフェラーリは1勝もできませんでした。
ミニカーはブルム製で1985年頃に発売されました。1956年のモナコ GP 出場車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ランチア D50のページに載せた型番R076のランチア D50とはノーズの形状が異なっており、この型番R127のD50のほうがタイヤのホワイトレター表示など仕上げが少しレベルアップしています。これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、フェラーリに移譲される前のランチア D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モーリス マイナー 1000 イギリス 1956年
第2次世界大戦が終わると、モーリスは戦前型の小型車エイト(EIGHT 4気筒918㏄エンジン搭載)とテン(TEN 4気筒1.1Lエンジン搭載)の生産を再開しました。これら戦前型の後継車としてモーリス マイナーが登場したのは、モーリスがBMCに統合される前の1948年でした。このマイナーという車名は1928年に登場した小型車モーリス マイナー(MINOR 4気筒847㏄エンジン搭載)で一度使われていた車名の復活でした。(実車画像→ モーリス エイト 1936、モーリス マイナー 1928)
モーリス マイナーは後にミニを設計したことで知られているアレック イシゴニスの設計で、モノコックボディに前輪独立懸架という当時としては先進的な車でした。最初のMM シリーズは2/4ドアセダンとコンバーチブルがあり、4気筒918cc(27HP)エンジンを搭載し、最高速は95km/hの性能でした。MMシリーズは1953年まで生産されました。 (実車画像→ モーリス マイナー MM シリーズ)
1952年にフロントグリルを近代化し4気筒803cc(30HP)エンジンを搭載したシリーズ 2に発展しました。1953年にワゴンのトラベラーや商用車のバンが追加されました。1956年には4気筒948cc(37HP)エンジンを搭載したマイナー 1000(シリーズ 3)となり、4段変速で最高速は120km/hに向上しました。1962年にエンジンが1.1L(48HP)に変更された最終型になりました。1971年に生産中止となり23年間に約136万台が生産された超ロングセラーの車でした。
ミニカーは1998年頃に発売されたコーギー製で、マイナー 1000をモデル化しています。主に大人のマニア向けとして作られた「MOTORING MEMORIES」というシリーズの1台でした。1960年代のミニカー風のレトロな仕上げとなっていましたが、プロポーションはしっかりしていて、実車の雰囲気がうまく再現され良い出来ばえでした。室内もレトロな仕上げですが、そこそこうまく再現されています。モーリス マイナーは1950年代の車でミニカーがあまり作られていなかったので、当時物ミニカーはありません。当時物以外ではブレキナの1/87、オックスフォード、コーギー、バンガーズなどでたくさんモデル化されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン A35 イギリス 1956年
戦前の名車オースチン セブンで有名なオースチン グループは第2次世界大戦中は自動車と軍用機の生産に従事していました。戦争が終わると1945年には4気筒2.2L(67HP)OHVエンジンを搭載するオースチン 16を発表し生産を再開しました。1947年には6気筒3.5(110HP)/4L(127HP)エンジンを搭載する大型車のオースチン A110/125が登場しました。16もA110/125も戦前型の古いデザインの車でした。(実車画像→ オースチン 16)
(実車画像→ オースチン A110/125)
1950年に小型車オースチン A30が登場しました。モノコック構造のボディに前輪独立懸架、新開発の4気筒803cc(28HP)エンジン、最高速100km/hとライバルのモーリス マイナー同様に革新的な設計の車でした。当初は4ドアセダンだけでしたが、2ドアセダンやワゴン/商用バンが追加され、1956年には排気量が948cc(34HP)に拡大されA35となりました。 1958年にA40 ファリーナにモデルチェンジしましたが、商用バンは1968年まで生産されました。総生産台数は約28万台でした。
1952年にオースチン グループはモーリスと合併しBMC(ブリティッシュ モーター コーポレーション)となりました。当時のオースチンにはA40 サマーセット(4気筒1.2L)、A70 ヘレフォード(4気筒2.2L)、プリンセス リムジーン(6気筒4L)などがありました。なおこのA40は当時の日産自動車がライセンス契約で日産 オースチンとしてノックダウン生産していました。(実車画像→ オースチン A40 サマーセット)
ミニカーは2002年頃に発売されたコーギー製です。マニア向けの「MOTORING MEMORIES」というシリーズの1台でした。前述したモーリス マイナーと同じような1960年代のコーギー製を思わせるようなレトロな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。実車のユーモラスな感じの顔付が少し誇張されていますが、この辺の味付けはコーギーならではのもので、私はこのような少しレトロなミニカーが好きです。A30/35の当時物ミニカーはディンキーのビンテージ物がありました。最近の物ではバンガーズ、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー クラウド I フーパー エンプレス イギリス 1956年
1955年にロールス ロイス シルバー ドーンはシルバー クラウド Iに、ベントレー R タイプはS1 タイプにモデルチェンジしました。これ以前のロールス ロイスとベントレーはホイールベースが異なるなどの明確な違いがありましたが、この時点で両車はグリルとエンブレムだけが異なるだけのほとんど同じ車になってしまいました。シャーシは新設計でエンジンはシルバー レイス用の6気筒4.9Lを大幅に改良して搭載し、最高速は170km/hとロールス ロイスとしては初めて100mp/h(160km/h)を越えた車となりました。
フーパー エンプレスという名前はコーチビルダーのフーパーが1950年代半ばにデザインしたフロントフェンダーが長く裾を引いたエレガントなデザインのボディのことを示します。もともとはベントレー用として使われたデザインだったようですが、同じデザインがロールス ロイスにも使われたようです。この時期からロールス ロイスはボディとシャーシを一体化したモノコック構造を本格的に採用し始めたので、仕事が減ったコーチビルダー フーパーは1959年に廃業しました。その為このフーパー エンプレス ボディを架装したシルバー クラウド Iは十数台しか製作されなかったようです。
ミニカーは2018年に発売されたオックスフォード製です。オックスフォードの1/43は以前から出来が良かったのですが、このフーパー エンプレスも特徴的なエレガントなボディをうまく再現していました。またツートンカラーの塗装、フロントグリルの造形、そこそこ良く再現された室内などもとても良い出来ばえでした。なおロールスロイスのマスコットを大きめのサイズでリアルに作っているのは、マニアの嗜好をよくわかっているからです。(正確にスケールダウンすると小さくなってみすぼらしく見えますので) この出来ばえで定価6300円ですから、ミニカーの価格が高騰している現在では実にリーズナブルな価格設定でした。(イクソの1/43ダイキャスト製ミニカーは2022年現在でも約7500円ですから、この値段ぐらいで充分やれるはずです) これ以外のフーパー エンプレスのミニカーは、モデルカーグループのシルバー レイス(1/18)やネオ(レジン製)のシルバー レイスなどがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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