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オペル 4/8HP ドクトルワーゲン ドイツ 1909年
オペル シュタット クーペの解説に記載したようにオペルの独自設計した車が1906年から登場しました。その当時のオペルの一番有名な小型車が1909年に登場した4/8HPでした。4/8HPは4気筒1029cc(8HP)エンジンを搭載し3段変速機で最高速度60km/hの性能でした。2シータの小型車で狭い路地などにも入っていけるので、患者を診察するために長距離を運転する地方都市のお医者さん向けということで「ドクトルワーゲン」の名前が付けられました。またこの車は信頼性が高く安価であったことから、お医者さんだけではなく一般人にも広く使われるようになりました。
オペルはこのような実用車でその地位を固め、1910年頃には年間数千台を生産するドイツで最大の自動車メーカーになっていました。1911年に同社の工場は火事で大部分が焼失しました。工場の再建にあたり、オペルはミシン製造を止めて自動車製造に専念することを決め、自動車製造用の最新設備で新工場が建設されました。当時の自動車メーカーは自社の優秀性を示すためにレースに参戦していました。オペルも1904年から参戦し1907年のカイゼルプライス(Kaiserpreis) レースでは4気筒8L(75HP)エンジンを搭載したレースカーが3位/4位となりドイツ車として最高の成績を残しています。(優勝したのはフィアットでした) その後もオペルは1920年代半ばまでレース活動を続けていました。(実車画像→ オペル レースカー 1907)
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS-MODELL)製です。チィスはMINI-AUTO社のブランドでドイツ車中心でクラシックカー、乗用車、商用車などのミニカーを1960年代に生産していました。チィスのミニカーはフロントグリルや灯火類などに金属部品を使っていましたのでがっちりとしたつくりとなっていました。このドクトルワーゲンも上述したシュタット クーペ同様にロゴ入りのラジエータグリルに独特の雰囲気があります。灯火類や幌も金属製でややごついですが、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。これ以外のドクトルワーゲンのミニカーはマッチボックス、ガマなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イターラ 35/45HP パロンベッラ (PALOMBELLA) イタリア 1909年
前述したように「北京-パリ」レースの勝利で有名になったイターラは業績を伸ばし、1910年頃にはフィアットに次ぐイタリア第2の自動車メーカーになっていました。当時のガソリンエンジン車はほとんどが後輪をチェーンで駆動していましたが、イターラ車はプロペラシャフトとベベルギアを使って後車軸を駆動するシャフトドライブ方式を採用していました。(長距離レースでの優勝がシャフトドライブが耐久性に優れていることを証明しています) イターラはスリーブバルブ エンジンやロータリーバルブ エンジンなど新しい技術を採用したエンジンを開発し、小型車から大型車まで幅広い車種を生産しました。1914年に第1次大戦が勃発しイターラは兵員輸送車両と航空機エンジンの製造を行いました。
イターラ 35/45HPは前述した「北京-パリ」優勝車と同じパワートレインにリムジンボディを架装した高級車でした。特にこのパロンベッラ(PALOMBELLA)と呼ばれた車は、当時のイタリア皇太后であったマルゲリータ ディ サヴォイア(Margherita di Savoia)の御料車としてイタリアを代表するコーチビルダー、ミラノのチェーザレ サラが特別に架装したリムジンでした。(PALOMBELLAとは地名か家名のようですが、詳細は不明です) とても気品のある美しいデザインの車で、客室ドア下のステップ、鷲の紋章のドアの取っ手、運転手背後のガラス仕切りに付いた伝声管など特別な仕様となっています。またフロントグリルの上部にはイターラのロゴの代わりに王家の車であることを示す「PALOMBELLA」のロゴが表示されていました。実車はイタリアのトリノ自動車博物館が所蔵しています。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたイタリアのドゥグー製です。ドゥグーはクラシックカー専門のブランドで、イタリアの博物館の車を40種類ほどモデル化していました。同時期に登場したリオのクラシックカーのミニカーは、当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでしたが、ドゥグーのミニカーもマニア向けでリオと同様レベルの出来ばえでした。特にドゥグーのMiniautotoysシリーズはリオよりもさらに緻密な出来ばえでした。(参照ページ→ ドゥグーのミニカー一覧ページ) このイターラ パロンベッラもそのMiniautotoysシリーズの一つで、気品のあるリムジンボディがうまく再現されていて、ドアの取っ手、足下のステップ、フロントグリル上部のPALOMBELLAのロゴなど細部が良く再現されています。実車に即したカラーリングも綺麗で、とても素晴らしい出来ばえです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード T型 ツーリング (セダン) アメリカ 1909年
1908年に登場したフォード T型は基本的なデザインを変えずに20年間生産されました。一番生産量が多かった1923年には年間で約200万台が生産され、当時アメリカで生産されていた車の約半数がT型だったそうです。この台数は2022年の日本の軽を含めた自動車販売台数(約420万台)の約半数にあたる台数ですから、とてつもない台数であったことが分かります。しかもほとんどのボディカラーが黒だったのです!
1920年代になると、フォード T型は密閉式ボディの採用や装備が充実していくことで増加した車重に対して、エンジン性能が不足してきました。競合他社(GM シボレーなど)には6気筒エンジン搭載車があり、動力性能で見劣りするようになりました。また安価な大衆車とはいえ、多彩なボディカラーや目新しいデザインを採用する他社に対して商品の魅力という点でも見劣りするようになりました。そこでファード T型もボディカラーのオプション設定などの対抗策をとりましたが、もはや時代遅れな車であることは明白でした。1927年に生産中止となり、1928年に後継車のA型にモデルチェンジしました。
フォード T型のミニカーはたくさんあります。ここでは1990年以降に発売されたミニカーで、スケールモデル的にリアルな出来ばえの物をまとめてみました。初めに紹介するのは2001年頃に発売されたイクソ製です。初期のT型を極めて忠実に再現しています。プロポーションが正確で、白タイヤと折畳まれた幌の具合も実車に忠実です。室内もハンドル下のスロットル操作用の2本のレバー、足下の3つの操作ペダル、ハンドブレーキなどT型フォードの特徴的な操作系がきちんと再現されています。また底板部分の前後サスペンションもリアルに再現されています。私の知る限りでは、2023年現在でもフォード T型の1/43ミニカーとしてこれが最高の出来ばえです。バリエーションで幌を立てた状態のミニカーもありました。またイクソは2002年に1925/1926年式のT型最終仕様のランナバウトもモデル化しています。以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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チャルマーズ デトロイト アメリカ 1909年
チャルマーズ デトロイト社の前身はミシガン州デトロイトで1906年に設立されたトーマス デトロイト社でした。1908年にNCR(National Cash Register)社の副社長であったヒュー チャルマーズ(Hugh Chalmers)が社長に就任し、車名がチャルマーズ デトロイトに変わりました。さらに1910年からはチャルマーズとなりました。同社の第1号車は4気筒3.7Lエンジンを搭載した中級車のチャルマーズ 30(Therty)でした。
チャルマーズ社はストックカーレースなどのモータースポーツに参戦して優勝することで、自社の宣伝を行いました。その結果チャルマーズは1910年代には国内でよく知られた自動車メーカーとなりました。1920年代になり第1次大戦後の不況で売上げが低下したことで、マックスウェル社と協力関係を結びました。チャルマーズ社は1922年にマックスウェル社に吸収合併されましたが1923年まで高級車の生産を続けました。最終的には1925年に設立されたクライスラー社傘下となりました。
ミニカーは1971年頃に発売されたリオ製です。チャルマーズ デトロイトの第1号車であるチャルマーズ 30をモデル化しています。リオとしては初期のものですが、クラシックカーには付き物の灯火類や操作レバーなどがうまく再現されていて良く出来ています。特に幌先端を固定している革ベルトに本物の皮革を使っているのは、初期のリオの特徴でした。(ただし経年変化で革は腐る可能性が高いので要注意のパーツでしたが) チャルマーズのミニカーはこれしかないようですので、車種的には貴重なミニカです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イソッタ フラスキーニ イタリア 1909年
イタリアのミラノで輸入車のディーラを営んでいたチャザーレ イソッタ(Cesare Isotta)と技術者のヴィンチェンツォ フラスキーニ(Vincenzo Fraschini)は1900年にイソッタ フラスキーニ自動車会社を設立しました。当初はルノーの小型車のノックダウン製造を行い、1904年にルノーを真似たイソッタ フラスキーニ社のオリジナルモデルを開発しました。1905年に4気筒17L(100HP)エンジンを搭載する大型のレーシングカー ティーポ Dを開発し、この車をベースにした市販車を発売しました。この車は評判が良かったのですが、あまり売れませんでした。
資金難に陥ったイソッタ フラスキーニは1907年にフランスのロレーヌ ディートリッヒに買収されました。1908年に4気筒1.2Lエンジンを搭載する小型レーシングカー ティーポ FEが開発され、この車は1908年のタルガ フローリオで優勝するなどレースで活躍しました。そこでティーポ FEをベースにして4気筒1.3Lエンジンを搭載する市販車ティーポ FENCが発売され、この車をベースにした小型車が成功しました。その後イソッタ フラスキーニは4気筒10.6Lエンジン搭載の大型車(KM型)を発売するなど車種を拡大していきました。(→ ビンテージ期のイソッタ フラスキーニ)
ミニカーは1962年に発売されたポリトーイ製です。WEBサイトで見つけた実車画像の「イソッタ フラスキーニ ティーポ AN 20/30HP 1909」とそっくりですので、それをモデル化しているようです。ポリトーイ初期のクラシックカーシリーズの1台でプラスチック製です。プロポーションが良くクラシックカーに付き物の灯火やレバーなどの金具類がきちんと作られていて、当時のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。当方はWEBオークションで入手したのですが、入手した時から右側ヘッドライトに明らかに異品が付いており、これは前の所有者が変更したものと思われます。ポリトーイは型番112で1902年式イソッタ フラスキーニもモデル化しています。ベテラン期のイソッタ フラスキーニのミニカーはこのポリトーイ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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