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フォード V8 (モデル18) ロードスター アメリカ 1932年
フォード T型の後継車A型は4気筒エンジンを搭載していましたが、ライバルであったGMのシボレーが6気筒エンジンを搭載していたことに対抗して、1932年にV型8気筒3.6L(65HP)エンジンを搭載したフォード V8(モデル18)が追加されました。V型8気筒エンジンは現在でも高級車のエンジンですから、ずいぶん思い切った戦略をとったものです。(カローラにV型8気筒エンジンを載せるようなものですから) 画像は人気モデルであったスポーティなフォード V8 ロードスターでシンプルで魅力的なスタイルをしていました。
フォード V8と同じボディに4気筒エンジンを搭載したフォード B型も同時に販売されていました。V8との価格差は50ドル(当時の車両価格は500ドル程度)だったとのことで、V8のほうがよく売れたそうです。この安価なV型8気筒エンジンはフォードの中級車にも展開され、1953年まで20年間も基本設計を変えずに使われていました。ちなみにライバルのGM シボレーがV型8気筒エンジンを搭載したのは1950年代でした。フォード V8(モデル18)は1933年にモデル40に、1935年にモデル48に発展しました。1937年には外観を一新してスタンダードという名前になりました。(実車画像→ フォード スタンダード 1937)
ミニカーは1986年に発売されたエリゴール製です。フォード V8 ロードスター 1932年式をモデル化しています。プロポーションが良く初期型のフロントグリル、フロントウィンドー手前横にある小さなライト(ウインカーかな?)やホイールなどの細部がリアルに仕上げてあり、実車がうまく再現されています。エリゴールの初期物は同時期のノレブの型を流用していた物があったのですが、これはエリゴールのオリジナルのようです。エリゴールは4ドア/2ドアセダン、ポリス、商用バン、ピックアップなどのバリエーションを約50種類ほどモデル化していました。エリゴール以外のフォード V8のミニカーはテクノのビンテージ物の商用車(戦後型)、ソリドのセダン(フォード UK版)、マッチボックス ディンキーのセダン(フォード UKの戦後型)、デルプラド 世界の名車シリーズのクーペ、イクソ(ホワイトボックス)のセダンなどがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード V8 (モデル 48) ベルリーヌ アメリカ 1936年
前述したように1932年に登場したフォード V8は1935年に外観が大幅に変更されてモデル 48となりました。V型に折れ曲がったフロントグリルや丸みのついたキャビンなどボディは全体的にモダンになりました。またトランクがリアに組み込まれたのも目新しい点でした。(なおトランク無し仕様もありました) ボディ形式はロードスター、クーペ、2/4ドア セダン、コンバーチブル、ウッディ ワゴン、ピックアップとほぼなんでも揃っていました。アメリカでは1920年代にラジオ放送が始まり、フォード V8には車載ラジオがオプション設定されていたそうです。
このV型8気筒エンジンを搭載したシリーズはエンジンやシャーシに改良が加えられ1950年頃まで生産されました。フォードはT型の頃からヨーロッパなどに進出しており、V8も多くの国でノックダウン生産されていました。日本でも日本フォードがV8を販売していました。ただし当時の日本ではタクシーとして使われたことが多かったようで、それらには4気筒エンジンを搭載したB型が使われていたようです。
フォード V8は1936年と1938年のモンテカルロ ラリーで優勝していますので、操縦性なども含めて高性能な車だったようです。ただフォードは販売面ではライバルのGMに負けていました。1930年代前半のフォードにはこの大衆車と高級車リンカーンの2つのブランドしかなかったのに対して、GMにはシボレーなど6つのブランドがあり市場のニーズにきめ細かく対応していたからでした。(それ以外にも宣伝が下手だったことなど理由は色々あったようですが。。)
ミニカーは2014年に発売されたイクソの廉価版ブランドのホワイトボックス製です。イクソが製作している雑誌付きミニカーとほぼ同じ物がホワイトボックス ブランドで発売されています。このフォード V8もミニカー付雑誌「世界のタクシー」(ALTAYA Taxis du Monde)のNo.20用に作られたタクシー仕様を流用しています。安価な雑誌付きミニカーがベースですので仕上げレベルは簡素ですが、プロポーションなど基本的なところは結構良くできています。この時代のフォード セダンのミニカーは少ないので、その点では貴重なミニカーです。なおミニカーの台座には1937年式と明記されていますが、1937年式はフロントのデザインが変更されているので、1936年式としました。(アメリカ車の年式は年度制なので解釈しだいですが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン ゼファー コンバーチブル アメリカ 1939年
GMの中級車(ビュイックやオールズモービルなど)に対抗してフォードは1935年にリンカーンの廉価版リンカーン ゼファー(V型12気筒4.4Lエンジン)、1938年に新ブランドのマーキュリー(V型8気 4Lエンジン)を発売しました。リンカーン ゼファーはフェンダーに埋め込まれたヘッドライトなど空気力学に基づいてデザインされた流線形ボディを備えた先進的な車でした。4ドアセダン/コンバーチブル、2ドアセダン/クーペ/コンバーチブルのボディ形式がありました。8気筒エンジンを搭載していたライバルのキャディラックやパッカードの廉価版に対して、V型12気筒エンジンを搭載していたのは優位でした。
ゼファーは初年度に約15000台が販売され、リンカーン ブランドの販売台数の大半を占め、大ヒットしました。1941年以降は全てのリンカーンはゼファーをベースにしたモデルになりました。その為ゼファーという名前は戦前に使われただけで、戦後はリンカーンに統合され使われなくなりました。リンカーン ゼファーは「アメリカで最初に成功した流線型デザイン」といわれ、同時期に流線型を打ち出して失敗したクライスラーエアフローとは違い傑作車として高く評価されています。
ミニカーはシグネチャー製のクラシックカーシリーズで、2007年頃に購入しました。フロントグリルが大幅に変更された1939年式のリンカーン ゼファー コンバーチブル クーペをモデル化しています。このクラシックカーシリーズは1/32と中途半端な縮尺ですが、そのサイズを生かしてドア/ボンネット開閉などのギミック付きで室内やエンジンもそこそこ再現してありました。このゼファーもプロポーションが良く、実車の流線形ボディがうまく再現されています。室内やエンジンなどの細かいところもきちんと作ってあり、さらに前輪の操舵ギミック(ステアリングホイールとは連動しない)まで付いています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード ウッディ ワゴン アメリカ 1940年
ステーション ワゴンとは車体が2ボックスで室内には座席とそれに連続する荷室を備えている車体形式を示します。ワゴンの前にステーション(駅)が付いている理由は、当初この形式の車が列車で駅に到着した人と荷物を最終的な目的地まで運ぶ役割をしていたからだそうです。この形式の車両は商用車として扱われていましたが、それを乗用車的に使うことを最初に提唱し積極的に進めたのはアメリカのフォードでした。1910年代にフォードがT型に初めてステーションワゴン的なモデルを製作しましたが、当時の車体はまだ手作業による木製でしたのでこの車は「ウッディ(Woody)」と呼ばれていました。
その後鋼鉄製ボディがあたりまえの時代になると、製作に手間がかかる木製ボディは高級な仕様となって行きました。少し前までステーションワゴンの後部に木製パネル(又はそれに似せた化粧パネル)が使われていたのはその名残りです。このウッディ ワゴンはV型8気筒3.6Lエンジンを搭載した1940年式フォードのステーションワゴンです。ウッディ ワゴンという名前のとおり荷室部分に本物の木材が使用されていました。1940年頃にはボディは既に鋼鉄製となっていたので、手間がかかる本物の木材を使ったこのワゴンは高級な乗用車でした。
ミニカーは1987年に発売されたアーテル(ERTL)製です。初期のアメリカ車をモデル化したアーテルの「VINTAGE VEHICLES」シリーズの1台です。ドアに「WHISPERING PINES LODGE」とロゴが付いていますが、「WHISPERING PINES LODGE」とはコテージタイプの宿泊施設(ホテル)の名前のようですから、これはホテルの送迎車だと思われます。1940年式フォードの特徴である突き出したノーズ/フロントグリルやフェンダーに埋め込まれたヘッドライトが良く再現されています。後部の木材風の仕上げもそこそこリアルで当時のミニカーとして良く出来ていました。同時期のフォード ウッディ ワゴンのミニカーはダンバリーミントの1/24、ヤトミン、ミニチャンプス、ホットホイールの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1941年
フォードは1922年にリンカーンを買収して傘下に収めました。大衆車フォード T型の大量生産で成功した創設者ヘンリー フォードは、市場の狭い高級車販売には消極的でリンカーンの買収に乗り気ではありませんでした。ヘンリーの息子のエドセルには世界一の高級車を作りたいという夢があり、リンカーンの買収にはエドセルの意思が働いていました。
リンカーン部門のイメージアップを図るため、キャディラック シリーズ 60に対抗できる高級車開発が販売部門から要求されていました。そこでリンカーン ゼファーをベースにした試作車が作られました。この試作車は芸術的な素養があったエドセルの嗜好を盛り込んだ欧州風の品の良いデザインでした。この車を見たエドセルの友人から同じ車が欲しいという要望があり、この車は1940年にリンカーン コンチネンタルの名前で限定生産されることとなりました。
リンカーン コンチネンタル初代は月100台の限定生産といった高価な車(当時の定価約3000ドル 現在の貨幣価値で700万円ぐらい?)でしたが、そのスタイルには絶大な人気があり、リンカーンとして最も成功したモデルとなりました。第2次大戦で生産中止となり、1946年に戦後型が発売されて1948年まで生産されました。戦前からの総生産台数は約5000台でした。リア トランクにスペアタイヤを背負った独特のスタイルは、リンカーンの最上級ブランドの象徴として1980年代まで継承されました。
ミニカーは1973年頃に発売されたリオの初期モデルです。1970年代のミニカーですが、コンチネンタル初代のミニカーとしては現在(2023年)でも一級品の出来ばえといっても良いでしょう。フロント/リアの独特の個性的な造形がうまく再現されていて、実車の雰囲気が巧みに再現されています。(ヘッドライトは大きめにデフォルメされています) ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジン/シャーシなどのメカ部分や室内も良く再現されています。幌を開いた仕様とハードトップ リムジーンのバリエーションがありました。これ以外のリンカーン コンチネンタル(戦前型)のミニカーは、デルプラドの世界の名車コレクション、フランクリン ミントの1/24、イクソ、オックスフォードの1/76、グリーンライトの1/43などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。ボンネットの下にはトランペット型のホーンが2つ付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)