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アルファ ロメオ 6C 2500 スポルト イタリア 1939年
ビンテージ期の6C シリーズは1933年に6C 1900、1934年に6C 2300と徐々に排気量を拡大していきました。当時の2300にはティーポ Bをベースとするレースカーの8C 2300もありましたが、6C 2300は6C 1750をベースとする実用車(ツーリングカー)でした。ただ、実用車とはいっても、DOHC 4気筒2.3L(68HP)エンジンはチューンすればレースカーにも使えました。1935年に前輪独立懸架や油圧ブレーキなどの新技術を採用した2300Bに発展しました。前輪独立懸架の採用したことでラジエターが前車軸より前に移動し、近代的なプロポーションとなりました。
1939年には排気量を2.5L(90HP)に拡大して6C 2500となり、コーチビルダーのトゥリングなどがカブリオレやベルリネッタ(クーペ)のボディを架装しました。6C 2500は当時最も高価な車のひとつで、戦前に数百台が生産されました。戦後も戦後初のアルファ ロメオとしてフレッチア ドーロが生産され、1952年まで生産されました。1948年にはエンジンを3L(120HP)に拡大した6C 3000も登場しました。
ミニカーは1993年に発売されたソリド製です。高性能版のスポルトのモデルで、ライトがボディに埋め込まれていく過渡的なデザインとなっています。(実車にはフェンダー先端にヘッドライトがついているタイプもあります)型番が4000番台の4000シリーズは安価なミニカーであまり細かいところは再現していませんが、プロポーションなど基本的なところはきちんと押さえてある良い出来ばえです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。この当時はまだタンポ印刷技術がなかったので、室内のメーター表示は紙のシールです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ 8CTF イタリア 1939年
マセラティ社はイタリアのマセラティ兄弟によって1914年に設立されました。エンジンのチューニングが専門で、ディアット社でレースカーの製作を始め1926年にマセラティのブランドを立ち上げました。第1号車のティーポ 26(DOHC 8気筒 1.5L)は1926年タルガ フロリオでクラス優勝し、翌年にはイタリアのコンストラクターズ チャンピオンシップを獲得しています。1929年に8気筒エンジンを並列結合した16気筒エンジン(4L)搭載のV4が登場し、この車は世界速度記録を達成し、1930年トリポリGPで優勝しています。
1930年にエンジンを2.5Lに拡大したティーポ 26M(8C 2500)が登場 エンジンを2.8/3Lに拡大して1933年までレースで活躍します。1934年から750㎏フォーミュラが始めると、メルセデス ベンツ/アウトウニオンの強力なドイツ勢の登場で、主要なレースでマセラティは勝てなくなりました。1939年に4気筒1.5Lエンジンの4CLと8気筒3Lエンジンの8CTFが登場します。8CTFは1939年と1940年のインディアナポリスで優勝しています。4CLは1940年のタルガ フロリオで優勝しており、戦後の1948年に4CLTに発展し、1950-1951年にかけてプライベーターとして活躍しています。
ミニカーはブルム製で、1982年頃に発売されました。1939年のインディアナポリス優勝車(アメリカ人ドライバー W.ショウ)をモデル化しています。雰囲気は似てるのですが、前輪より前のノーズ部分が長めに出来ているようです。(サイズ的にも全長がかなり長いですし) ブルムは1940年インディ車もモデル化していて、それ以外ではシュコーが1939年インディ車をモデル化しています。4CLはマーキュリーやマッチボックスがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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