Sorry Japanese Only
AMC ナッシュ メトロポリタン アメリカ 1959年
ナッシュ自動車はGMの5代目社長であったチャールズ W ナッシュ(Charles Williams Nash)がGMを退き、ランブラーを生産していたトマス B ジェフリー社を買収して1917年に設立した会社でした。同社は主に中型車を手がけていましたが、先進技術を採用した優れた車でした。特に高度な設計の直列8気筒エンジン、自動集中シャーシ注油システム、自動車初の温調付ヒーターなどの独自技術を採用してBIG3(GM/フォード/クライスラー)に対抗していました。1950年にはアメリカ初のコンパクトカー ランブラーが登場しこの車は人気がありました。ナッシュ社は1954年にハドソン社を吸収合併して、AMC(アメリカンモータース)が発足しました。
ナッシュ メトロポリタンは1954年に発表されたアメリカ車初のサブコンパクトカー(コンパクトカーより小さい小型車)で、2人乗りの2ドアハードトップ/とコンバーチブルでした。セカンドカーとして販売され4気筒1.2/1.5Lエンジンを搭載し、3段変速で最高速125km/h(1.5L)の性能でした。この車を企画したのはナッシュでしたが、アメリカ車らしく見えないのはイギリスのオースチン ケンブリッチ A40/50/60のパーツを流用していたからでした。当初はナッシュとハドソンの2ブランドで、1957年にナッシュがAMCに吸収されてからは AMC メトロポリタンと改名され1962年まで生産されました。(実車画像→ オースチン A40 1954)
ミニカーは1993年に発売されたビテス製です。ビテスとしては初期の物で、小さいながらも実車のイメージがうまく再現されていて細部まで良くできています。型番L025でハードトップもモデル化されています。これと同じ物を流用していると思われる物がマッチボックスのYシリーズでも発売されています。それ以外ではフランクリン ミントの1/24、アーテルの1/18、ジョニーライトニングの1/64でもモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=448
GM シボレー コルベア アメリカ 1960年
1950年代にヨーロッパ製の小型乗用車がアメリカに輸入され、セカンドカーとして使われました。この小型車需要へのアメリカ車メーカーの対応ではアメリカンモーターズ(AMC)のランブラーが先行していましたが、ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)も小型車(2L/3Lクラス)の開発に着手しました。フォードのファルコン、クライスラーのプリムス バリアントは単に大型車を小さくしただけのモデルでしたが、GMから登場したコルベアは空冷水平対向エンジンをリアに搭載しているなどかなり変わっていました。(実車画像→ フォード ファルコン 1960)
空冷リアエンジンを採用したコルベアは当時アメリカでセカンドカーとして人気があったフォルクスワーゲン ビートルに大いに影響されたようで、スタイルもヨーロッパ風でした。空冷水平対向6気筒2.3L(80HP)エンジンをリアに搭載し、3段手動/2段自動変速で最高速135km/hの性能でした。4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブル/ピックアップ、ステーションワゴンのフルラインアップでオプションも豊富でした。1962年にターボチャージャーで150HPにパワーアップしたスポーツ仕様が追加され、1964年にエンジンが2.7L(85HP)に拡大されました。1965年にコルベア 2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。1960年代の代表的なアメリカ車を1/43でモデル化した60年代シリーズの1台です。この60年代シリーズは全てボンネット/ドアの開閉ギミック付でエンジンや床下のサスペンションなども結構リアルに再現されていました。このコルベアはメッキパーツのヘッドライトなどがややレトロな作風ながら、実車の雰囲気はうまく再現されています。4ドアが開閉しリアパネルを開くと水平対向エンジンが結構リアルに再現されています。コルベアはその独創性で人気があったようで、コーギー、ディンキー、ノレブ(初期のプラスチック製)などの当時物のミニカーがありました。当時物以外ではフランクリン ミントの1/24、サンスターの1/18、エリゴール、レーシング チャンピオンの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=391
クライスラー ギア L6.4 アメリカ 1960年
イタリアのカロッツェリア ギア社は1916年に設立されました。第2次大戦前には主にフィアット、アルファ ロメオ、ランチアなどのカスタムボディを架装していました。代表的なモデルとしてはアルファ ロメオ 6C 1500やフィアット 508 バリッラ クーペなどがありました。1950年代にギア社はクライスラーのデザイナーであったバージル エクスナー(Virgil Exner)と共同で多くのコンセプトカーを発表しました。代表的なモデルとしてはクライスラー K310やクライスラー ノースマンなどがありました。(実車画像→ クライスラー K310 1951) (実車画像→ クライスラー ノースマン 1956)
1960年にはクライスラーの車体を使ってギアが製作したクライスラー ギア L6.4が登場しました。この車はハリウッドの俳優など著名人を対象にした極めて高価な特注車で、わずか26台しか作られていません。V型8気筒6.4L(335HP)エンジン搭載で、名前はエンジン排気量にちなんだものでした。オーナーには歌手のフランク シナトラやディーン マーティンなどがいました。(ディーン マーティンの車は外観がカスタマイズされていた) 当然ながら内装は豪華でエアコン、パワーウィンドー、パワステが装備されていました。(実車画像→ クライスラー L6.4 ディーン マーティンのカスタムカー)
ミニカーは1963年に発売されたコーギー製の当時物です。当時のコーギーのアメリカ車のミニカーはアメリカ車以外のミニカー(1/43サイズ)と大きさを揃える為に、縮尺を1/50ほどにしていました。このギア L6.4も縮尺1/48で1/43より一回り小さいサイズになっています。サイズは小さいのですが、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されています。当時としては画期的であったボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミックの付いたこのミニカーは、2年間で100万台以上も売れました。リアシート背後にコーギー ブランドのロゴに使われているコーギー犬のフィギュアが載っているのはコーギーらしい楽しい演出です。実車はほとんど知られていないので、ミニカーのほうが実車よりも有名ではないかと思います。
これ以外のL6.4のミニカーはネオ(レジン製)がデュアル ギア L6.4をモデル化していますが、このデュアル ギアとは当時ギアが製造したクライスラー系の特注車を販売していたアメリカの自動車会社の名前です。ギア L6.4はこの会社の派生モデルでもあったのでデュアル ギア L6.4とも呼ぶようです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンの中央部に黄色の丸い突起が見えますが、これは前車軸と連動してボンネットを押し上げる為の突起です。つまりボディを押し下げるとボンネットの先端が少し持ち上がって、ボンネットが開けやすくなるのです。昔のミニカーにはこんな具合のちょっとした仕掛け(ギミック)もついていたのです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=438
GM オールズモービル スーパー 88 ’0011 ナポレオン ソロ’ アメリカ 1961年
オールズモービルはGM グループではビュイックに次ぐ中級車で、1950~1960年代には先進的なデザインを特徴とするブランドでした。グレードとして下から60、70、80、90の4 シリーズがあり、88というのは80シリーズの8気筒エンジン搭載車です。(2桁目がエンジン気筒数を意味する) 88は最上級仕様の98の下のグレードですが、スポーティな性格の車でした。 88の初代は1949年に登場しました。1961年式の88は5代目で、スーパー 88はV型8気筒6.5L(325HP)エンジンを搭載した高性能版でした。
このスーパー 88のミニカーは1966年に発売されたコーギーの当時物です。コーギーのスーパー 88のミニカーは1962年に型番235で発売されたのですが、これは1965年から日本でTV放映されたドラマ「0011 ナポレオン ソロ」(原題 The Man from U.N.C.L.E.)の劇中車という設定のものです。このTVドラマは当時かなり人気がありましたので、私と同年齢ぐらいの方はよくご存じだと思いますが、知らない方はこちらの→「0011 ナポレオン ソロ」 Wikipedia サイトを参照してください。劇中車ということで、ボンネットに「U.N.C.L.E.」のロゴが印刷され、スポットライトが追加され、フロントウィンドーには弾痕が付いています。さらに屋根上のボタンを押すことで、銃を構えたフィギュアが運転席と助手席から交互に顔を出すといったギミックが付いています。コーギーのギミック付のミニカーとしてはやや地味な存在のミニカーでしたが、それでも148万台が売れました。(ボディカラーが白の色違いがありました)
以下はフロント/リアの拡大画像とギミックの動作画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1965
フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1961年
1961年にフォード リンカーンは革新的なモデルチェンジを行い4代目となりました。先代とは打って変わって無駄な飾りがない直線的でシンプルなデザインが採用されました。この4代目から「MK(マーク)」が付かないリンカーンのセダン系(4ドア セダンとコンバーチブル)の名前がタウンカー/プレミアからコンチネンタルに一本化されました。また高級車リンカーンのイメージを定着させる為、リンカーンはフォードの他のブランドより長期のモデルサイクルを採用することになりました。なお名前に「MK(マーク)」が付いた2ドアのコンチネンタルは1968年にコンチネンタル MK IIIとして復活しました。(実車画像→ フォード リンカーン コンチネンタル MK III 1968)
リンカーン 4代目はサンダーバード 3代目のホイールベースを延長したシャーシに、V型8気筒7L(315HP)エンジンを搭載していました。エンジンは1966年に7.6L(340HP)に拡大され、これはフォード最大の排気量でした。ボディは観音開きドアが採用されたセダンと、4ドアコンバーチブルがありました。(電動格納式ソフトトップ→ ソフトトップ格納動画) また4ドアコンバーチブルは戦後の車としては唯一のモデルでした。4代目リンカーンは大幅なデザイン変更なしに、1969年まで生産されました。この基本的なスタイルを変えないことでリンカーン コンチネンタル 4代目のイメージが世間に定着することになりました。
ミニカーは1960年代のアメリカ車をモデル化したフランクリン ミント製の1960年代シリーズの1台で、1990年に発売されました。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、実に素晴らしい出来ばえです。ボンネット/4ドアが開閉するギミック付きで、エンジンやサスペンションが再現され、カブリオレなので室内の細部も良く再現されています。ただフロントスクリーンが少し大きめでややアンバランスな感じがするのが惜しいです。これ以外のリンカーン コンチネンタル 4代目のミニカーは当時物ではテクノとディンキー(英)、コーギー、マッチボックス、ジク(SIKU)などがありました。当時物以外ではジョニーライトニングの1/64、グルーンライトの1/43と1/64、ミニチャンプスの大統領車、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と観音開きで開くドア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)