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フォード アングリア 105E イギリス 1959年
1959年にフォード アングリアは新型(105E型)にモデルチェンジしました。それまでのオーソドックスなデザインから、アメリカ車的な(スチュードベーカー風)フロント、クリフカット(リアウインドーが通常とは逆に傾いている)のルーフ、テールフィンなど個性的なデザインが採用されていました。このクリフカットは当時の流行で、シトロエン アミ 6、マツダ キャロルなどにも使われたデザインでした。新開発の4気筒1L(39HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hの性能でした。なお姉妹車のプリフェクトはエンジンが新型に切り替わりましたが、ボディはそのままで1961年まで生産されました。
1962年には上級車コルチナの1.2L(48HP)エンジンを搭載した高性能版のスーパーが追加されました。1968年に後継車エスコートに切り替わるまでに約130万台が生産され、ベストセラーの小型車として大成功しました。最近では2002年の映画「ハリー ポッターと秘密の部屋」の劇中車で「空飛ぶ車」として有名になりました。
ミニカーは2002年に発売されたバンガーズ製です。バンガーズはイギリスの老舗コーギーのブランドで、2000年頃から主に昔懐かしいイギリス車をモデル化しています。このアングリア 105はラインストーンを使ったヘッドライトや塗装で表現したテールライトなどレトロな作風ながら、実車の雰囲気が良く再現されていました。またレトロなだけではなくエッチングパーツのワイパーやユーザーが取付けるフェンダーミラーが添付されているなど細部にこだわった部分もありました。アングリア 105E型の当時物ミニカーとしてはディンキー、スポットオン、ノレブ、マッチボックスなどがありました。当時物以外では前述した映画で有名になったことで、オックスフォードやイクソなどでもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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アストン マーチン DB4 イギリス 1959年
アストン マーチン社は1910年代に創立されました。名前の由来は創始者の一人であるライオネル マーチンがアストン クリントンという場所で行われたヒルクライム レースで優勝したことから付けられたそうです。戦前は高性能なスポーツカーやレースカーを製作していたようです。1947年に実業家デビット ブラウンが経営に乗り出し、車名に彼のイニシャルであるDBが付くようになりました。1948年に試作されたレースカーは初戦のスパ フランコルシャンで優勝し、その性能を知らしめました。この車をベースにした市販車が2L スポーツ(後にDB1と呼ばれた)で、4気筒2L(77HP)エンジンを搭載し、最高速155km/hの性能でした。(実車画像→ アストン マーチン DB1)
1947年に高級車のラゴンダを吸収合併し、ラゴンダから移籍してきた有能な技術者 W.O.ベントレーが設計したDOHC 直列6気筒2.6L(105HP)エンジンを搭載したDB2が1950年に登場しました。ボディはアルミ製で、フェンダーがボディと一体化した戦後型の2ドア クーペで最高速は190km/hと極めて高性能でした。この車は1950年のルマンで優勝するなどレースで活躍し、高性能車としてのアストン マーチンのブランドを確立しました。DB2にはDB2/4という2+2座のハッチバックが追加され、エンジン排気量は3L(140HP)まで拡大されました。またレース仕様のDB3とその軽量版のDB3Sが各種レースで活躍しました。(実車画像→ アストン マーチン DB2、アストン マーチン DB3)
1958年にはDB4が登場しました。DOHC 直列6気筒3.7L(240HP)エンジンを搭載し、最高速240km/hと当時世界最速の高級スポーツカーでした。軽量アルミ製ボディはトゥーリングのデザインで、クーペとドロップヘッドクーペ(オープンカー)がありました。1959年にホイールベースを短縮し2座としてエンジンを3.7L(302HP)にチューンした高性能版のDB4GTが追加されました。DB4はシリーズ5まで発展し1963年まで生産されました。
ミニカーは2017年に発売されたアシェット製の国産名車コレクションです。メーカーはイクソで、イクソは型番CLC144でDB4をモデル化していて、これはその廉価版でした。コストダウンで内装仕上げが省略されワイパーとホイールが簡素化されていました。プロポーションが良くフロント/リアの造形が実車の雰囲気をうまく再現していたので、DB4のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。(ただフロントウィンドーがやや大きめに感じます) DB4の当時物ミニカーとしてはコーギーとソリドがありました。当時物以外では、イクソの前身のビテスがDB4GTの高性能版のザガート仕様など約20種類をモデル化していて、スパーク、トップモデルなどのレジン製もあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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MG MGA 1600 MK I イギリス 1959年
MG ミジェット TF型の古典的なボディを一新し、近代的な流線型ボディを採用したMGAが1955年に登場しました。外観は斬新でしたが、中身はミジェット TF型と同じラダーフレームに金属製ボディを載せた古典的な構造でした。エンジンは4気筒1.5L(72HP)で、4段変速で最高速160km/hの性能でした。当初はオープンのロードスターだけでしたが、1966年にハードトップのクーペが追加されました。
1958年にツインカム(DOHC)1.6L(108HP)エンジンを搭載する高性能版(最高速183km/h)が追加されました。1959年にはエンジンをOHV1.6L(79HP)に変更したMGA 1600 MK Iとなりました。1961年には新設計されたOHV1.6L(86HP)エンジンを搭載するMGA 1600 MK IIに発展しました。1962年にMGBにモデルチェンジしました。MGAの総生産台数は約10万台で、その半数はアメリカ市場に輸出されました。
ミニカーは1990年に販売されたコーギー製で、MGA 1600 MK I をモデル化しています。これは当時のマニア向けミニカーでしたので、ややレトロなコーギー流の作風ながら、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時としてはそこそこの良い出来ばえでした。これは幌付ですが、オープンのロードスターやハードトップクーペのバリエーションがありました。MGAの当時物ミニカーではコーギー、スポットオン、マッチボックス、テクノがありました。当時物以外ではノレブ、バンガーズ、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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クーパー T51 F1 イギリス 1959年
クーパーの歴史は自動車修理工場を営んでいたクーパー父子が、1946年にレーシングカーを製作したことから始まりました。最初に開発されたクーパー 500はオートバイの単気筒500㏄エンジンをミドシップ搭載したF3マシンでした。この車はF2クラスに匹敵する性能があり好評でしたので、1947年にクーパー カーズ社が設立されました。エンジンをミドシップ搭載したことで操縦性が優れていたのですが、ミドシップ搭載したのは単に後輪をチェーン駆動するのに最適だったからだそうです。戦前にはアウトウニオンがV型16気筒エンジンをミドシップ搭載していましたが、当時のハイパワーエンジン主体のマシンではエンジンをミドシップ搭載することの真価がわからなかったのでした。(実車画像→ クーパー 500 F3)
クーパー 500は1950年にF3マシンとしてFIAに認証されましたが、F3クラスではクーパーが圧倒的に強くレースが成立しなかったようです。1952年にはブリストルの6気筒2Lエンジンをフロントに搭載したF2マシン クーパー T20が登場しました。(この時はまだミドシップ方式の優位性に気づいていなかったようです) クーパー T20はF2規格で行われた1952-53年グランプリのプライベーター用マシンとして使われました。(実車画像→ クーパー T20)
1957年にクライマックス製 DOHC 4気筒2Lエンジンをミドシップ搭載したクーパー T43が登場し、クーパーはワークスとしてF1に参戦しました。デビュー戦の1957年モナコGPでは6位で、1958年のアルゼンチン GPでS.モスがドライバして初優勝しました。T43はサスペンションを改良したT45に変わり、1959年にエンジンを2.5Lに拡大したT51が登場しました。1959年シーズンのクーパーは9戦中5勝して、初のコンストラクターズ選手権を獲得し、J.ブラバムがドライバー選手権を獲得しました。1960年にT51を改良したT53が登場しました。(実車画像→ クーパー T43)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。1959年モナコGP 優勝車(ドライバー J.ブラバム)をモデル化しています。1970年代に発売されたブルムの初期物はややアバウトな出来ばえの物が多かったのですが、1990年代になると細部の仕上げが良くなりレベルの高い出来ばえになりました。(ウインドーの取り付けが少し浮いていますが、少し押さえてやれば治ります) クーパー初期のF3/F2マシンはテクノ、ソリド、ディンキー、ポリトーイなどの老舗ブランドが揃って当時物を発売していたことから、当時のクーパーの人気がうかがえます。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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ガズ M21 ボルガ ロシア 1959年
ロシアの自動車会社ガズ(GAZ:Gorkovsky Avtomobilny Zavod 露語でゴーリキー自動車工場の意)は、1929年にフォード社とソビエト連邦の共同事業として創立されました。1932年にフォード A型をベースにした中型乗用車ガズ Aとフォード AA型をベースにしたトラック ガズ AAの生産を始めました。フォード社との共同事業は1935年に終了しました。自動車製造技術を習得したガズはフォード V8をベースとしたガズ M1を1936年から生産し、1941年頃からは独自開発した国産車ガズ 11や、初の全輪駆動車ガズ 61の生産が始まりました。(実車画像→ ガズ M1)
第2次大戦後の1946年にはガズ M20 ポベーダ(Pobeda)が登場し、この車はセミモノコックボディに前輪独立懸架と進んだ設計で、4気筒2.1L(52HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速105km/hの性能でした。1956年にガズ M20はモノコックボディのガズ M21 ボルガに発展しました。4気筒2.5L(75HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速130km/hの性能でした。ボディは当時のアメリカ車と良く似たデザインでした。個人向け乗用車としては当時の最上級車で高価でしたので個人所有は少なかったようで、ほとんどが公用車やタクシーとして使われたそうです。1960年代にはワゴン仕様が追加され、1970年頃まで生産されました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製です。1959年に登場したガズ M21のシリーズ2をモデル化しています。このミニカーはもともとはデアゴスティーニのミニカー付雑誌「TAXI OF THE WORLD (TAXI DEL MONDO 世界のタクシー)」シリーズ向けに作られたミニカーでした。このシリーズの日本語版は途中で休刊となりましたが、海外では全70号が刊行されたようです。 (参照WEBサイト→ Taxis du Monde フランス語) これはその型を流用してイクソのカタログモデルとして発売されたものでした。このミニカー付雑誌が無ければこの車がモデル化されることはなかったと思われます。プロポーションがしっかりしていて、実車がうまく再現されていました。メッキされた大きなグリル、その上のエンブレムとマスコット(前足を上げた鹿)などの細部もそこそこ良く再現されています。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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