ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

MERCEDES 35HP 1901 GERMANY

MERCEDES 35HP
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35HP


CURSOR 969 1/43 73mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 車重 1200㎏ エンジン 変速機: 4気筒 5.92L 35HP/1000rpm 4段変速 後輪チェーン駆動
性能: 最高速86km/h  データーベースで初期のメルセデスのミニカー検索

メルセデス 35HP ドイツ 1901年

 

 メルセデスの名前がつけられた最初の車は当時のレーシングカーで、この車が1901年のレースで大成功したことでメルセデスという名前が有名になったとのことです。マイバッハ設計の簡潔で軽量かつ重心の低いシャーシに高性能エンジン(4気筒 5.92L 35HP)を搭載していて、当時としては極めて進歩的な車でした。この後のメルセデス車の基本設計はこの車がベースになっています。

 

 ミニカーは1978年に発売されたドイツのカーソル(CURSOR)製です。材質はプラスチックで、ダイムラー社の特注品でメルセデス ベンツの100周年記念品として作られた物でした。当サイトで紹介しているカーソル製のベンツ初期のミニカーは全てがその100周年記念品として販売されたもので、それらはメルセデス ベンツ博物館に展示されている実車をモデル化していました。それらはいずれも当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。

 

 

 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。床下部分にはエンジンの出力軸がボディ中央に搭載された変速機に接続され、その変速機出力のスプロケット駆動軸がチェーンで後輪を駆動するといった構造が再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

>MERCEDES 35HP 1
MERCEDES 35HP 2

 以下は2010年に発売されたイクソ製のメルセデス 35HP (1/43 型番MUS027)の画像です。上記のカーソル製と同じ車をモデル化しています。製作時期が新しいので、運転席周りのアクセルペダルや変速/ブレーキなどの操作レバーなどがリアルに再現されています。底板部分のメカも再現されていて、後輪を駆動するチェーンがリアルに再現されています。イクソはこれをベースにした乗用車仕様のジンプレックス 40HPも型番MUS036でモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35CV 3
MERCEDES 35CV 4

 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES 35CV 5
MERCEDES 35CV 6

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GENERAL GRAND PRIX 1902 UK

GENERAL GRAND PRIX
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
GENERAL GRAND PRIX


RIO 56 1/43 108㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.6m 全幅約1.7m エンジン 変速機: 4気筒 4.6L 40HP 
性能: 最高速 113km/h?  

ジェネラル グランプリ イギリス 1902年

 

 ジェネラル グランプリはイギリスのゼネラル モーターカー カンパニー(General Motor Car Company アメリカのGMとは別の会社です)が1902年に製作したレーシングカーでした。この車は最近まで実車画像が見つからず、その詳細が不明でした。この車に関する記載内容を更新する為に、最近再度WEBで実車を検索するとそれらしい画像が2件ほど見つかり、実車に関する情報も入手できました。

 

 WEBで検索した情報とミニカーに添付されていた解説書の記載によると、この車の特徴的な4角錐形状のボディは空気抵抗を考慮した造形で、当時としては最新の空力的デザインだったようです。当時のフランスのエンジン製造会社 ビュシェ(BUCHET)社製の4気筒4.6L(40HP)エンジンを搭載し後輪をチェーン駆動し、最高速113km/h?の性能だったそうです。(当時の車としてはかなり高性能ですが、真偽のほどはやや疑問です) レーシングカーとして開発されたそうですが、実験車レベルでレースに出走したことはなかったとのことです。

 

 

 ミニカーは1978年に発売されたリオ製です。WEBで見つけた実車画像と見比べると、実車を忠実に再現しているようです。最大の特徴である4角錐形状のボディがリアルに再現され、コクピット手前にあるクラクション、コクピットのシート配置、後輪のチェーンドライブなども実車に即した造形となっています。コクピットのインパネも再現されていますから、たぶん何らかの資料(実車?)に基づいてモデル化しているのでしょう。ほとんど知られていないこの車をリオがモデル化したのは、この変わったボディ形状がクラシックカー コレクターの興味を引くと考えたからでしょう。(自動車創世記のレーシングカーのプロトタイプということで興味深いモデルですから) なおジェネラル グランプリの量産ミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

GENERAL GRAND PRIX 1
GENERAL GRAND PRIX 2

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RENAULT TYPE K PARIS-VIENNE WINNER 1902 FRANCE

RENAULT TYPE K PARIS-VIENNE WINNER
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RENAULT TYPE K PARIS-VIENNE WINNER


SAFIR 7 1/43 84㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.5m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 4気筒 3770cc 35HP 3段変速 後輪シャフト駆動
性能: 最高速125km/h  データーベースで戦前のルノーのミニカー検索

ルノー タイプ K パリ-ウイーン レース 優勝車  フランス 1902年

 

 1890年代に実用的なガソリン自動車が登場し、プジョーの説明に記載したように、1984年には史上初の自動車レース「パリ-ルーアン」が開催され、その後も同じような自動車レースがさかんに行われるようになりました。当時はサーキットがなかったので、主に都市間を結ぶ公道で行われていました。馬車を走らせていた未舗装の道を高速で数100kmも走るのですから、初期の自動車(とドライバー)には相当過酷なレースでした。レースで勝利することで自社の車の優秀性を示す宣伝効果があったので、7Lや10Lの大排気量エンジンを搭載したレース仕様車が作られるようになりました。

 

 ルノーは1899年の「パリ-トルーヴィユ(Trouville)」レースに創業者のルイ ルノーがヴォワチュレットで参戦し、平均速度約39km/hで1位になりました。それ以後のレースでも好成績を挙げたことでヴォワチュレットは良く知られるようになりました。1902年の「パリ-ウイーン」レースにはタイプ Kのレース仕様車(4気筒3.77Lエンジン)で参戦し、メルセデス(4気筒6.6Lエンジン)やパナール ルヴァッソール(4気筒13.7Lエンジン)などの大排気量車を抑えて、平均速度約63km/hで優勝しました。1903年の「パリ-マドリッド」レースでは経営者のひとりであるマルセル ルノーがドライブする車が事故を起こしてマルセルが事故死を遂げ、さらに沿道の観客を巻き込んだ事故が多発したので、レースは中止となりました。(マルセルは先行車の砂ほこりでコーナーに気づくのが遅れ、コースアウトして死亡しました) この事故を契機として公道レースは禁止となり、レース用のサーキットが建設されるようになりました。

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このタイプ Kは「パリ-ウイーン 」レースの優勝車 #147でルノーが復元して展示していた実車をモデル化しています。特徴的な先端が傾斜したボンネット、ボンネット側面のラジエターなどが良く再現されていて、サフィールの傑作ミニカーの一つです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

RENAULT TYPE K PARIS-VIENNE WINNER 1
RENAULT TYPE K PARIS-VIENNE WINNER 2

 以下は1960-1970年代に発売されたMINIALUXE(ミニオール)製のタイプ K パリ-マドリッド 1903 (1/43 型番4)の画像です。これは1903年「パリ-マドリッド」レースに参戦したモデル Kをモデル化しています。MINIALUXEのミニカーはプラスチック製で、これもサフィールと同じぐらいに良く出来ています。これはゼッケンが#9ですが、#9以外にも#1や#8などのバリエーションがありました。なお2位で到着したルイ ルノーがドライバした車は#3で、事故を起こしたマルセル ルノーの車は#63でしたが、MINIALUXEはフランスのメーカーですから#3や#63はあえて作らなかったのだと思います。(ドイツのミニカーメーカーがナチス関係の車をモデル化しないことと似たような情緒的な対応です) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT TYPE K PARIS-MADRID 1
RENAULT TYPE K PARIS-MADRID 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT TYPE K PARIS-MADRID 3
RENAULT TYPE K PARIS-MADRID 4

 以下は1981年に発売されたイタリアのブルム製のタイプ O パリ-マドリッド 1903 (1/43 型番R027)の画像です。これも同じ1903年「パリ-マドリッド」レースの参戦車ですが、タイプ Kより新しいタイプ Oをモデル化しています。タイプ Oは4気筒6.3L(40HP)エンジンを搭載していてタイプ Kよりも高性能で、より傾斜したノーズなどいかにも速そうです。リアに満載したホワイトタイヤやそこそこ良く再現されたコクピットなど1980年代のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。この#63はマルセルが事故死した車で、歴史的には有名な車ですのでモデル化したのでしょう。(参照画像→ タイプ Oが走行している当時撮られた有名な写真) イタリアのミニカーメーカーはその辺は極めてドライで、ナチス関係の車もたくさんモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT TYPE O PARIS-MADRID 1
RENAULT TYPE O PARIS-MADRID 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT TYPE O PARIS-MADRID 3
RENAULT TYPE O PARIS-MADRID 4

 以下は1979年に発売されたブルムのルノー GP 3B (タイプ AK) (1/43 型番R018)の画像です。上記のタイプ Oの後継車として1905年にはタイプ AE/AF、1906年にはタイプ AKが開発されました。1906年にフランスのルマン サルト サーキットでフランス自動車クラブ グランプリ(現在のF1相当)が開催されました。このレースは自動車レースに初めてグランプリというイベント名を付けたことから「史上初のグランプリレース」と呼ばれています。このレースにはイタリアのフィアット、ドイツのメルセデス、フランスのパナール、ルノーなどが参戦し、ルノーがタイプ AKで優勝しました。ミニカーはこのタイプ AKをモデル化していますが、優勝した車の車番は3Aでしたので、優勝車そのものという訳ではないようです。タイプ Oのエンジンは4気筒6.3Lでしたが、タイプ AKは6気筒12L(90HP)を搭載していました。なおタイプ Oではボンネット横に付いていたラジエータがボンネット後部に移動しているのが分かります。タイプ AKの後もタイプ AQとATが開発され、タイプ ATが1909年にニューヨーク 24hレースで優勝しています。その後ルノーは第2次大戦後までモータースポーツからは距離を置いていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT 90HP 1
RENAULT 90HP 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
RENAULT 90HP 3
RENAULT 90HP 4

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DE DION BOUTON COURSE 1902 FRANCE

DE DION BOUTON COURSE
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DE DION BOUTON COURSE


RAMI 35 1/43 85mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.4m 全幅約1.3m エンジン 変速機: 2気筒 2250cc 18HP 1600rpm 3段変速
性能: 最高速90km/h  データーベースでド ディオン ブートンのミニカー検索

ド ディオン ブートン コルス フランス 1902年

 

 蒸気車製造で創業したド ディオン ブートン社が1895年に開発したガソリンエンジン(単気筒 137cc)は、コイル点火方式を採用し当時としては驚異的な3500rpmの高速回転が可能でした。この高性能エンジンは前述した初期のルノーのレーシングカーに使われていて、小型車クラスで圧倒的な強さを誇りました。ド ディオン ブートンはこの高性能エンジンを搭載した簡易な構成の3輪車を開発して成功しました。その後1899年には運転席と客席が向かい合わせに配置された「ヴィザヴィ」形式の4輪車を開発しこの車もよく売れました。またこのエンジンは高性能であった為に、多くの自動車メーカーに供給されました。

 

 ミニカーはド ディオン ブートン自社製のレーシングカーをモデル化しています。この車は2気筒2250cc(18HP)エンジンを搭載し最高速90km/hの性能で、1903年に開催されたパリーマドリード レースの小型車クラスに出場しています。このレースの大型車クラスには高性能な4気筒エンジンを搭載するメルセデスパナール ルヴァッソールルノーが参戦し、それ以外にも多数の自動車メーカーが参戦していました。レースではルノーの経営者のひとりであるマルセル ルノーがドライブする車が事故を起こしてマルセルが事故死し、さらに沿道の観客を巻き込んだ事故が多発したことで、レースは中止となりました。(したがって順位はつきませんでした)

 

 

 ミニカーは1960-1970年代にクラシックカーを専門にモデル化していたフランスのラミー(RAMI)製です。50年以上も昔に作られたものですので、現在のミニカーのようにリアルなわけではありませんが、それでも実車の雰囲気を良く再現していました。このド ディオン ブートン コルスはラミーのミニカーとしては後期のもので、フロントグリル、ボンネット、燃料タンクに実車に即したデカールが貼られていて特別に凝った仕上げがされていました。当時このようなデカールが貼られたミニカーはあまりありませんでしたので、当時としてはかなり良い出来ばえになっていました。なおこの凝った仕上げがされたのは初期のものだけで、後にはデカールを省略して仕上げを簡素化したものになりました。 以下はフロント/リアなど各部の拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DE DION BOUTON COURSE 1
DE DION BOUTON COURSE 2

 以下は上記と同じラミー 型番35のド ディオン ブートン コルスですが、デカールを貼っていない後期型の画像です。カラーリング変更とデカール省略以外にも、ハンドブレーキやシフトレバーが省略されステアリングホイールの取り付け角度も実車と異なる垂直になっているなど、かなり仕上げレベルが雑になっています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DE DION BOUTON COURSE 3
DE DION BOUTON COURSE 4

 以下は1970年代に発売されたドゥグー(DUGU)製のド ディオン ブートン ポピュレール 1903 (1/50 型番M05)の画像です。名前の「ポピュレール」は英語の「POPULAR」で大衆車という意味だと思います。この車は全長約3.3mほどの小型車で、単気筒727cc(6HP)エンジンをフロントに搭載し2段変速で最高速40km/hほどの性能でした。ミニカーは小さいですが、ステアリングホイール、シフトレバー、灯火類などがきちんと再現されていて当時のミニカーとしては良く出来ていました。フロント先端にぶら下がっている黒いものはラジエータで、これも実車を忠実に再現しています。(実車画像→ ド ディオン ブートン ポピュレール 193) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DE DION BOUTON POPULAIRE 1
DE DION BOUTON POPULAIRE 2

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FORD 999 RACING CAR 1902 USA

FORD 999 RACING CAR
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 RACING CAR


RIO R015 1/43 98mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.8?m 全幅約1.4m エンジン 変速機: 4気筒 18.9L 80HP 
性能: 最高速 不詳  データーベースでフォード 999のミニカー検索

フォード 999 レーシングカー アメリカ 1902年

 

 フォード自動車を設立したヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商が1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わりましたが、経営方針で意見が対立しヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。ヘンリーは自分が開発した車が優れていることを示すために、1902年に赤と黄のボディカラーの2台のレーシングカーを製作しました。赤は当時の速度記録を達成した急行蒸気機関車「エンパイヤステート No.999」にちなんで「999」、黄は「アロー(ARROW)」と名付けられました。このレーシングカーは国内レースで勝利し、その活躍をみた石炭商が資金を提供することになり、1903年にヘンリーは「フォード モータ」社を設立しました。

 

 「フォード モータ」社は資金繰りが苦しく、新しい出資者を得るために今度は速度記録に挑戦して自社をアピールすることにしました。そこでレースで破損していたアローを修復して改良し新しい999に仕立て、1904年にセントクレア湖の氷上トラックで時速147.05km/h(91.37mph)の氷上速度記録を達成しました。この速度記録車は国内を宣伝してまわり、フォードの名前を知らしめました。これで新しい出資者を得て増資することができた「フォード モータ」社は1908年に発売したT型の成功で大企業に発展していきました。

 

 

 ミニカーは1979年に発売されたリオ製です。1902年のフォード 999 レーシングカーをモデル化しています。(2台作られた赤のほうです) 剥き出しのラジエータ、4気筒エンジン、運転席の足元から見える床下の大きなフライホイール、後輪を駆動するギヤなどがリアルに再現され、かなり良い出来ばえです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FORD 999 1
FORD 999 2

 リオ製以外のフォード 999のミニカーはEXOTOの精密ミニカー 1/18、ブルムの999 レーシングカーと999 速度記録車があります。以下は1978年に発売されたブルム製のフォード 999 1902年(1/43 型番R015)の画像です。リオと同じレーシングカーのモデル化ですが、ラジエータの形状、運転席床下部分などが違っています。レーシングカーですからレース毎の仕様変更などがあったでしょうから、どちらが正しいということでもないでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 3
FORD 999 4

 以下はリオ製とブルム製の999を並べて比べてみました。エンジンの細部などが多少違うのは問題ないのですが、肝心の大きさが違っています。999の実車サイズは全長145inch(3.68m)という資料(参照サイト→フォード 999のスペック)がありましたので、これを信用するとサイズはリオ製のほうが正しいようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FORD 999 5
FORD 999 6

 以下は1981年に発売されたブルム製のフォード 999 速度記録車 1904 (1/43 型番R025)の画像です。999 速度記録車は実車写真が少なくあまりよく知られていないので、ミニカーもこのブルム製しかないようです。(参照→ 999 速度記録車 実車写真) 999 レーシングカーとはエンジン排気管の取り回し、エンジン上にある燃料タンク、カバーの付いたラジエーター、風避けのついたコクピットなど外観はかなり異なっています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 7
FORD 999 8

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 9
FORD 999 10

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