Sorry Japanese Only
プリンス (日産) グロリア S40型 スーパー6 日本 1963年
1962年にボディを近代的に一新した2代目グロリアが登場しました。ボディを一周するモールを特徴とする、フラットデッキ スタイルは当時のGM シボレー コルベアーに良く似ています。(モールが多用されているのはやや時代遅れでしたが) シャーシ構造は先代をベースにしており、エンジンは4気筒1.9L(94HP)で改良されています。4段変速で最高速145km/hの性能でした。ステーションワゴンや商用バンの設定がありました。
翌年には6気筒2L(105HP)G7型SOHCエンジンを搭載したスーパー 6が追加されました。国産量産乗用車としては初のSOHCエンジンで、以後他社も高性能なSOHCエンジンを搭載するようになりました。1964年にスーパー 6をベースとした上級車グランド グロリア(S44P型)が発売されました。西陣織の内装など内外装を豪華にし、エンジンは G7型を元に排気量を拡大した2.5L(130HP)G11型で、最高速170km/hの性能でした。1967年にグロリア 3代目にモデルチェンジしました。
当時は日産 プレジデント、トヨタ クラウン エイト、トヨタ センチュリーなどが官公庁の公用車として使われていましたが、グロリアは宮内庁御用達で各皇族が愛用されていました。ホイ ールベースを少しだけ延長したグランド グロリアの特注仕様車が少数製作されており、平成の天皇(当時は皇太子)が愛用されていました。ただ標準仕様のグロリアは営業的にはクラウンやセドリックのようには売れなかったようです。
ミニカーは2004年に発売されたエブロ製です。特徴的なフロントグリルやモール、細いピラーのキャビンがよく再現されていて、かなり良い出来ばえです。室内もコラムシフトのレバーやインパネのメーター類などが良く再現されています。当時物としてはダイヤペットとモデルペットがありました。最近ではファインモデル(アンチモニー製)やトミカ リミッテド、国産名車コレクション、マーク43(レジン製)などでモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=921
日産 ダットサン ブルーバード 411型 日本 1964年
1963年にブルーバード 2代目 410型が登場しました。日産初のモノコックボディが採用され、前輪独立懸架、エンジンは4気筒1L(45HP)/1.2L(55HP)が搭載され、3段変速で最高速120km/h(1.2L)の性能でした。4ドアセダンとエステートワゴンがありました。ボディはピニンファリーナがデザインしたのですが、このボディはベルトラインが尻下がりでリアエンドが下がって見えることが不評で、ライバルであったトヨタ コロナに販売台数で初めて負けることになりました。
1964年にスポーツ仕様のSSや65HPのハイパワーエンジンが設定され、フロントグリルが変更され2ドアセダンが追加されました。1965年のマイナーチェンジで411型となり、エンジンが1.3L(62HP)に代わり、1.6L(90HP)エンジン搭載のスポーツ仕様1600SSSが追加されました。1966年には不評であったリアのデザインがテールライト形状変更などで修正されました。410型は北米や欧州にも輸出され、知名度を上げる為にモータースポーツに参戦し1966年のサファリ ラリーではクラス優勝しました。1970年にブルーバード 3代目 510型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1965年に発売されたモデルペット製の当時物で、グリルが変更された後期型をモデル化しています。銀塗装だけのグリルと軸が貫通したホイールが1960年代のミニカーであることを感じさせます。タイヤが少し小さめながら、プロポーションはしっかりしていますので不評だったというボディのデザインが良く再現されています。(不評であった理由が私にはよく理解できませんが) 410型の当時物ミニカーはミクロペット(1964年式と1965年式)とその型を引き継いだダイヤペット(1965年式と1966年式)がありました。最近のミニカーはエブロ(後期型、サファリラリー仕様)、トミカ リミテッドヴィンテージ(後期型2ドア)、日産名車コレクション(前期型とサファリラリー仕様)、FIRST43の1966年式などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=914
日産 プレジデント 150型 日本 1965年
前述したセドリック 130型のモデルチェンジに際して、3ナンバー車を専用設計して最高級車として独立させたのがプレジデントでした。当時の国産車最大の5m超のボディに、最大の排気量であったV型8気筒4L(180HP)/6気筒3L(125HP)エンジンを搭載していました。性能は3段変速/3段自動変速で最高速185km/h(4L)でした。ボディは直線的なオーソドックスなデザインで、元々は上記セドリックのデザインだったのですが、セドリック 130型がピニンファリーナ デザインとなった為、プレジデントに転用されたものでした。
最上級仕様車の当時の価格は約300万円とこれも国産車で最高で、1960-1970年代の佐藤栄作首相の公用車として採用されました。ライバルのトヨタ センチュリー(1967年発表)が凝ったメカと個性的なデザインで保守的なユーザー層にあまり歓迎されなかったのに反して、オーソドックスなデザインのプレジデントは企業や官公庁に幅広く支持されました。1973年に前後のパネルデザインを変更して250型に発展しています。1990年にモデルチェンジするまで基本的な構成はそのままで、日産の旗艦として長く生産されました。
プレジデント 150型の当時物ミニカーはダイヤペットが作った物しか無く、それは大変貴重なレア物です。250型もダイヤペットが1976年にモデル化しています。→ダイヤペットの250型 画像のミニカーはアドバンスピリット製の150型で、2005年頃に発売されました。アンチモニー製なので非常に重く、プロポーションが良く室内などの細部もそこそこ良く再現されています。アドバンスピリットにはタクシーや要人警護車などのバリエーションが十数種類ありました。最近の物ではトミカ リミテッドの150型が数種類、エニフ(ENIF レジン製)の150型があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=916
日産 シルビア 1600 (CSP311型) 日本 1965年
日産 シルビアは1964年の東京モーターショーに「ダットサン クーペ 1500」として出品され、翌年に高級スポーツカー シルビアとして発売されました。(車名はギリシャ神話に登場する乙女の名前) フェアレディ (SP310型)のシャーシに2人乗りクーペ ボディを架装し、SUツインキャブ4気筒1.6L(77HP) OHVエンジンを搭載していました。日本初の4段フルシンクロ変速機を介して、最高速165km/hと高性能でした。
美しいボディ デザインはドイツ人デザイナーと日産デザイナーの共作で、当時としてはかなりレベルの高いデザインで、海外からも高く評価されたそうです。ただし少量生産で価格は高級車 日産 セドリック(当時は約100万円)より高い120万円もしたスペシャルティーカーの需要は少なく、1968年までに約500台ほどが生産されただけでした。スペシャルティーカーの先駆者として登場した意欲的な車でしたが、時代に合わず商業的には失敗作でした。1975年にシルビア 2代目が登場しました。
ミニカーは1965年に発売されたダイヤペット製の当時物で、ボディ全体がアンチモニー(鉛とアンチモンの合金)製です。キャビンが少し小さめな感じがしますが、フロントグリルの造形など当時のミニカーとして非常によく出来ていました。箱から出してガラス棚に並べていましたが、50年以上経過しても塗装やメッキはまだきれいな状態のままです。当時のダイヤペットの塗装品質が高かったことが分かります。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーではモデルペット製がありました。当時物以外ではエブロ、京商(ポリストーン製)、エニフ(ENIF レジン製)、日産名車コレクション、国産名車コレクションなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=918
プリンス (日産) スカイライン 2000GT-B S54B型 日本 1965年
前述したプリンス スカイライン(初代)の2Lクラスはグロリア(初代)に移行したので、スカイライン 2代目は小型車として開発され1963年に登場しました。オーソドックスな設計で当初は4ドアセダンとワゴン(バン)の設定があり、4気筒OHV 1.5L(70HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速135km/hの性能でした。ボディはフロントグリルなどがグロリア 2代目のデザインに準じた物でアメリカ車風でした。
1964年の日本グランプリに出場する為にグロリアの2Lエンジンを搭載したレース仕様車が開発され、この車はGT-IIクラスでポルシェ 904に次いで2位になりました。 この車をベースにして1965年に2000GT-A(105HP)と2000GT-B(125HP)が発売されました。2000GT-Bは最高速180km/hと高性能なスポーツカーで、後のGT-Rに繋がる車でした。1966年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、デラックスはテールライトが丸形から角型に変更されました。1968年にスカイライン 3代目にモデルチェンジしました。
プリンス自動車は前述したグロリアの販売が思わしくなく資金繰りが悪化して、1965年に日産自動車との合併を発表しました。(1968年に合併完了) 当時のスカイラインのレースでの活躍で合併後もプリンスの名声は残ったのですが、合併後に発売したスカイライン 3代目が大ヒットしたことを考えると、合併しなくてもやっていけたかもしれません。
ミニカーは2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、高性能版の2000GT-B (S54B)をモデル化しています。プロポーションが良く、ブラックアウトしたフロントグリルや灯火類などの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。同じ型の色違い(黒 白ルーフ)が日産名車コレクションのNo.8でも発売されました。スカイライン 2代目の当時物ミニカーとしては、ミクロペットのチェリカ フェニックスとその型を引き継いだダイヤペットがありましたが、どちらもレアなビンテージミニカーです。当時物ではないですが、ダイヤペットの当時物の復刻版やカドーの2000GT-Bなどもありました。最近の物ではエブロの2000GT-B、トミカ リミッテドの1500と2000GT-Bレース仕様、MARK43(レジン製)の2000GT-Bなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)