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BRM P57 F1 イギリス 1962年
BRMはBritish Racing Motorsの略で、ERAを退社したレイモンド メイズなどを中心に1945年に設立されました。BRMはERA同様にイギリス製マシンでGPレースに参戦する為、イギリスの自動車関連会社の協力を求めました。最初に開発されたタイプ 15(P30)はBRM製の極めて高出力/高回転のスーパーチャージャー付V型16気筒1.5L(500-600HP/12000rpm)エンジンを搭載していました。タイプ 15は1951年イギリスGPでデビューし5位となっていますが、それ以上の成績はあげていません。複雑なエンジンに問題が多かったようです。(実車画像→ BRM タイプ 15(P30))
1952年からF2規格のGPレースとなり、タイプ 15は使えなくなりました。チームはアルフレッド オーウェン卿に買収され、新たに開発した4気筒2.5Lエンジンを搭載したタイプ 25(P25)が1955年に登場しました。P25のデビュー戦は1956年イギリスGPで、結果はリタイヤでした。その後P25は熟成されて徐々に競争力を上げ、1959年オランダGPで初優勝しました。1960年にBRM初のミドシップ方式のP48が登場しましたが、この車は信頼性に乏しく1勝もできませんでした。(実車画像→ BRM P48)
1961年にF1の排気量が1.5Lに変わり、BRMはエンジンの開発が間に合わずコベントリー クライマックス製エンジンを搭載したP48/57が登場しました。P48/57は熟成不足で1勝もできませんでした。1962年に新開発したV型8気筒1.5Lエンジンを搭載したP57(又はP578)が登場しました。P57のデビュー戦は1962年オランダGPでG.ヒルのドライブで優勝しています。このシーズンにG.ヒルは4勝してチャンピオンドライバーとなり、BRMは初のコンストラクターズ チャンピオンを獲得しました。
その後P57はP26/P261に発展し、BRMは1965年までライバルのロータスと競いあうトップチームとして活躍しました。1966年からF1の排気量が3Lとなり、BRMはP83用として水平対向8気筒エンジンを2段重ねしたH型16気筒3Lエンジンを開発しましたが、このエンジンは失敗作で成績が低迷しました。1968年にV型12気筒3Lエンジンを開発し、そのエンジンを搭載したP153/P160/P180などで1970年代前半には少し勢いを盛り返しましたが、1977年にF1から撤退しました。なおBRM製エンジンはロータス、クーパー、マクラーレンなどに供給されていました。(実車画像→ BRM P153 1970)
ミニカーは2001年に発売されたブルム製です。1962年のオランダ GPでデビューして優勝したBRM P57(ドライバー G.ヒル)をモデル化しています。特徴的な垂直に立った8本の排気菅などエンジンがそこそこうまく再現されていて良く出来ていました。ブルムはエンジン部分が変更された改良型など数種類をモデル化しています。BRMの当時物ミニカーではコーギーとポリトーイ(初期のプラスチック製)がP25をモデル化しており、P57はソリド、ディンキー、マッチボックス、ポリトーイ(初期のプラスチック製)がモデル化しています。当時の老舗ブランドが揃ってモデル化していることで、当時のBRM F1の人気がうかがえます。当時物以外ではスパーク(レジン製)がP57、P160、P180などをモデル化しています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ 2000 MK I イギリス 1963年
1946年にトライアンフの自動車部門はスタンダード社に吸収合併されました。そのスタンダード社も1960年にレイランド社に吸収合併されました。スタンダード社の戦後の主力モデルであったバンガードの後継車として、1963年にトライアンフ 2000/2500が登場しました。ミケロッティのデザインによる斬新なスタイルの乗用車で、モノコックボディや全輪独立サスペンションなどを採用した進歩的な設計の車でした。直列6気筒2L(90HP)/2.5L(132HP)エンジンを搭載し、4段変速(3段AT)で最高速154km/h(2L)の性能でした。なおトライアンフ 2000/2500が登場した時点でスタンダード ブランドの車は消滅しました。
1969年のマイナーチェンジでフロントのデザインが変更されたMK IIとなりました。MK Iの総生産台数は約12万台でした。当初のトライアンフ 2000/2500のライバルはBMCのローバー P6で、4気筒エンジンを搭載したローバーに対して、トライアンフは6気筒エンジンで対抗していました。1968年にレイランド社はBMCと合併してBLMC(ブリティッシュ レイランド モーター カンパニー)となりましたが、ローバー P6の後継車であるローバー SD1が登場するまではローバーとトライアンフは併売されました。当時のBLMCはこんな具合に似たような車種が併売される効率の悪い経営をしていましたので破綻寸前となり、1975年に国有化されBL(ブリティッシュ レイランド)社となりました。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。60年前のビンテージミニカーですから素朴な作りですが、実車の雰囲気をうまく再現した味のあるミニカーでした。ボンネットとトランクが開閉するギミックが付いています。エンジンルームには簡単ですがエンジンがモールドされ、トランク内にはおまけとして大きな旅行鞄が付いていました。この独特のフロントグリルを持つ2000 MK Iの当時物ミニカーはこれだけでした。当時物以外では2013年にNEO(レジン製がMK Iをモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。
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ヴォクスホール ビバ (ヴィヴァ) HA イギリス 1963年
1963年に1Lクラスの小型車としてヴォクスホール ビバ HAが登場しました。ビバはその前年に発表されたGM傘下のオペルの小型車カデットに少し手を加えた兄弟車でした。4気筒1L(44HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。性能もデザインもカデットとほとんど同じでしたが、発表から1年も経たずに10万台が生産されて本家同様の大ヒット車になりました。1966年にHB、1970年にHCとモデルチェンジされました。
オペル カデットの成功でGMはグループ内の車種の国際的な共通化を進めるようになり、市場が大きく開発能力の高いオペルがGM ヨーロッパでは主導権を握ることとなりました。そんなわけで1970年以降はオペルとの共通化が進められ、ヴォクスホールの独自開発車はなくなりました。現在のラインアップにあるコルサ、アストラ、インシグニアなども全てオペルの兄弟車です。なおオペルもヴォクスホールも2017年にフランスのPSAグループ(プジョー/シトロエン連合)がGMから買収してPSAグループの傘下となりました。さらにPSAグループは2021年にフィアット クライスラー オートモービルズと経営統合し、ステランティス N.V.となりました。
ミニカーは1964年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。1960年代のミニカーですのでシンプルな作りですが、プロポーションなど押さえるところは手を抜かずきちんと作ってあり、当時としては良い出来ばえでした。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。なおディンキーは型番540でオペル カデットも作っていたのですが、全く別の型を起こしてこのビバを作っています。また同じ1/43ながらビバがカデットより大きなサイズとなっていました。ビバの当時物ミニカーはこれしかないようです。当時物以外ではバンガーズやオックスフォードなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ヒルマン インプ イギリス 1963年
ルーツ グループには前述したヒルマン ミンクスをベースにしたモデルしか在りませんでした。そのルーツ グループがBMCのミニに対応して開発した小型車がインプで1963年に登場しました。やや時代遅れながら、前輪駆動車に次いでスペース有効活用が可能なリアエンジン/後輪駆動方式を採用していました。4気筒875cc(39HP)エンジンをリアに搭載し、小型車ながら全輪独立懸架、4段変速で最高速120km/hとミニ同等の性能でした。なおリアウィンドーはハッチバックのように開きリアシート後部への荷物の出入れがやり易いようになっていました。ミニのような2ボックス スタイルではなく、リアに段差のある3ボックス スタイルは保守的なユーザーには好評だったようです。
ルーツグループ内の他ブランドの姉妹車として、スポーティなイメージのサンビーム インプ、上級サルーン的なイメージのシンガー シャモア(CHAMOIS)がありました。リアデザインを変更したクーペがヒルマン カルフォルニアン(シンガー クーペ)という名前で1966年に追加されました。インプは性能的にはミニと同等で、ミニよりも低価格だったので商業的に成功しました。ルーツグループは1967年にクライスラー ヨーロッパに統合されましたが、インプは1965年にMK II、1968年にMK IIIに発展し1976年まで生産されました。総生産台数は約50万台でした。RR方式の小型車とはいえ、走らせるとなかなかの操縦性だったらしく、モンテ カルロ ラリーに参戦するなどラリーで活躍しました。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。1960年代のミニカーですから素朴な作りですが、実車の雰囲気を良く再現してありました。小さなミニカーながら、フロントトランクとリアボンネットが開閉するギミック付で、エンジンもそこそこ再現されています。バリエーションでモンテ カルロ ラリー仕様もありました。これ以外の当時物ミニカーとしてはコーギーもポリスやラリー仕様を出していますので、この車は結構人気があったようです。当時物以外ではバンガーズとオックスフォードがモデル化しています。姉妹車のシンガー シャモア クーペをバンガーズがモデル化しています。 以下はフロント/トランク開閉の画像とリア/ボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DB5 イギリス 1963年
" 1963年にアストン マーチン DB4はDB5にモデルチェンジしました。DB4とDB5の外観上の違いはほとんどありません。このミニカーの画像ではヘッドライトにカバーが付いていて前述したDB4と違っていますが、ヘッドライト カバーはDB4のシリーズ4から既に採用されていました。DB5はDB4のDOHC 直列6気筒3.7Lエンジンが4L(282HP)まで拡大され、5段変速機が採用されて最高速は233km/hの性能でした。1964年にはエンジンを330HPまでパワーアップした高性能版ヴァンテージが追加されました。
" DB5を世間に知らしめたのはなんといっても映画「007 ゴールドフィンガー」(1964年)でジェームス ボンドが操るボンドカーに採用されたことでした。フロントから飛び出すマシンガンや射出される助手席などの特殊な装備が搭載されたDB5 ボンドカーは映画のヒットとともに有名になりました。007映画ではアストン マーチン DB5はボンドのプライベートカーという設定で、それ以外にも「007 リビング デイライツ」(1987年)のアストン マーチン V8、「007 ダイ アナザー デイ」(2002年)のアストン マーチン V12 ヴァンキッシュ、「007 スペクター」(2015年)のアストン マーチン DB10など特殊装備付のアストン マーチンが登場しています。それらのボンドカーはほとんどがミニカーになっていて、アストン マーチンだけではなく全てのボンドカーをあつめた雑誌付きミニカーのシリーズ(The James Bond Car Collection)まであります。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。これは自動車100年を記念したビテスのミレニアム シリーズの一つで、型番V98029のDB5とフィギュア2体をセットにしたものでした。フィギュアは007のボンド(ピアース ブロスナンをモデル化している?)とホテルのポーターで、007シリーズにあやかったものです。ミニカーはプロポーションが良く、ホイールや室内などの細部の仕上げもリアルで、レベルの高い出来ばえでした。ただボンドカーとしての特殊装備は付いていません。以下はフロント/リアの拡大画像とフィギュアを並べた画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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