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オースチン A135 プリンセス イギリス 1952年
小型車オースチン セブンで成功したオースチン社は、戦前のイギリスでは最大の自動車メーカーでした。戦後の1952年にライバルのモーリス社と合併してBMC(British Motor Corporation)社が誕生しました。オースチンが高級車シアライン(SHEERLINE)をベースにして開発した最上級車がプリンセスで、1947年に最初のオースチン プリンセス A120が登場しました。プリンセスは子会社であったコーチビルダー バンデン プラが重厚なセダン/リムジーンボディを架装しており、主に冠婚葬祭などに使われ、バンデン プラのブランド名でも販売されました。(リムジンはDM、サルーンはDSと呼ぶようです) 1952年にはより長いボディと 7座席を備えた全長5.4mのロング ホイールベース版が追加されました。
プリンセスは6気筒3.5L/4L(130HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。MK I(A120)、MK II(A135)、MK IIIとバージョンアップして1956年まで生産されました。1956年にはMK IVが登場し、エンジンが150HPにパワーアップしGM製の自動変速機が装備されました。外観もフロントグリルやヘッドライトのデザインが変更されていました。MK IVは1959年に生産中止となり、後継車として大幅に小型化されたバンデン プラ プリンセスが登場しました。(実車画像→ オースチン プリンセス MK IV)
ミニカーは2010年に発売されたオックスフォード製です。オースチン A135 プリンセスのロングホイールベース版のリムジンをモデル化しています。実車がでかいので、このミニカーも全長126mmの大きなサイズで迫力があります。ロールスロイスなどイギリスの古い高級車に見られる、トランクが張り出した独特のリムジーン スタイルが良く再現されています。フロント グリル周りはA135型の雰囲気がよく再現されていると思います。特に先端についているマスコットは多少ずんぐりしていますが、ベントレーのマスコットに似た形状までよく再現されています。室内はリムジーンの3列シートで、メーターパネルは茶色ですが、黒一色の内装の仕上げはやや芸がないです。ボディカラーはこの黒以外に赤もありましたが、やはりこの車は黒がおすすめです。この車が量産品ミニカーとしてモデル化されたのは、これが最初だと思いますので、イギリスのビンテージカーのファンにはたまらないミニカーだと思います。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランドローバー シリーズ I 消防車 イギリス 1952年
1878年に創業したイギリスのローバー社の前身スターレイ&サットン(Starley & Sutton Co)社は自転車を製作していました。1890年代にはエンジン付きのオートバイを製作しました。さらにガソリンエンジンの小型自動車を開発し、1904年にローバー 8として発売しました。(実車画像→ ローバー 8 1905) 1911年に発表したローバー トゥエルブ(12)は4気筒2.3Lエンジンを搭載した中型車で、安価ながら優れた品質でヒットしました。(実車画像→ ローバー トゥエルブ) その後空冷2気筒1Lエンジン搭載の小型車から6気筒2.5Lエンジン搭載の中型車までラインアップを広げましたが、業績は振るいませんでした。そこで1933年に車種を削減して生産合理化を行い、品質の向上をはかりました。その結果ローバーは高品質の中型車としての名声を確立していきました。第2次世界大戦中は軍用車のエンジン生産に専念しました。
戦後ローバー社が戦時中のジープにヒントを得て、小型の多目的車として開発したのがランドローバーで、1948年に登場しました。乗用車のローバー 60(P3)をベースにしており、当初は4気筒1.6L(50HP)エンジンを搭載し、4段変速機に2段のトランスファー(前後軸動力分配機)を追加し、後輪駆動と全輪駆動を切り換えられました。ラダーフレームの頑丈なシャーシにアルミ製ボディを載せ、最高速は90km/hほどでした。この車は発売されるとすぐに評判となり、軍用や民間用として世界中で大ヒットしました。戦後の復旧などでこの様な多目的車の需要があったのと頑丈で信頼性が高かったのが理由でしょう。ともあれこの車の大ヒットはローバー社の業績に大いに貢献しました。(実車画像→ ローバー 60(P3))
1952年に4気筒2L(52HP)エンジン、1957年に4気筒2L(55HP)ディーゼルエンジンが追加されました。当初はホイールベースが80インチ(2.03m)でしたが、1954年に86インチ(2.18m)に変更され、1954年には107インチ(2.72m)のステーションワゴン仕様が追加されました。1956年には86と107インチはそれぞれ2インチ伸ばされて、88インチ(2.24m)と109インチ(2.77m)に変わりました。1958年にシリーズ IIにモデルチェンジしました。
ミニカーはマッチボックスのYシリーズで、1994年頃に発売されました。ランドローバー シリーズ Iの消防車仕様のモデル化で、備品を収納したトレーラーを牽引しています。80インチの短いホイールベース(1/43換算で47㎜)で、ヘッドライトが中央に並んでいる初期型のランドローバーをうまく再現しています。屋根上のはしごや荷台のホースリール/ポンプなどの消防用備品もリアルに再現され、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。このYシリーズのYFEという型番はマニア向けの消防車シリーズの型番で、約20種類ほどのクラシックな消防車がモデル化されていました。(いずれも良い出来栄えで、デルプラドの世界の消防車シリーズにも流用されていました)
ランドローバー シリーズ Iの当時物ミニカーとしては、コーギー、マッチボックス、ディンキーのビンテージ物がありました。当時物以外ではバンガーズ、ミニチャンプス、オックスフォード、シュコーなどでたくさんモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード ポピュラー 103E型 イギリス 1953年
戦前型のフォードの小型車アングリア E04A型は小改良されて戦後も生産されました。(実車画像→フォード アングリア E04A) 1949年にフロントグリルのデザインを少し変えましたが、1953年の戦後型登場まで生産されました。姉妹車プリフェクトも同様で、1949年にライトをフロントフェンダーに埋め込んで見た目を変えましたが、こちらも1953年まで生産されました。
1953年にアングリア E04A型はフロント周りを変更して、名前をポピュラーに変更したポピュラー 103E型となり、フォードの最廉価モデルとして1959年まで生産が続けられました。モデルチェンジしました。4気筒1.2L(30HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速100km/hの性能でした。1959年にポピュラー 100E型にモデルチェンジしました。(実車画像→フォード ポピュラー 100E)
ポピュラーの上級車としてアングリア 100E型とアングリアの4ドア版プリフェクト 100E型が1953年に登場しました。前述したコンサルのようなフラッシュサーフェス、モノコックボディ、前輪独立懸架を採用した進歩的な車でした。アングリアは4気筒1.2L(31HP)エンジンを搭載する2ドアセダン/3ドアバン/ワゴンで、プリフェクトは同じエンジンでほぼ同じサイズながら4ドアセダン/5ドアワゴンでした。アングリア/プリフェクト 100E型は1959年まで生産されました。(実車画像→ フォード アングリア 1955、フォード プリフェクト 1953)
ミニカーは1997年頃に発売されたコーギー製で、ポピュラー 103E型をモデル化しています。主に1950-1960年代のイギリス車をモデル化したコーギーのクラシックス シリーズの1台で、このシリーズはビンテージ物のコーギーのようなレトロな作風が特徴でした。このフォード ポピュラーも作風はレトロですが、プロポーションはしっかりしていて、縦長のフロントグリルなど実車のイメージが良く再現されていました。1990年代は欧米メーカーによる中国でのミニカー生産が本格化した時期で、これも底板にMADE IN CHINAと表示されています。最近の中国製ミニカーはどのブランドも作風がほとんど同じですが、これはまだコーギー風の味わいが残っていました。ポピュラー 103E型はオックスフォードとバンガーズがモデル化していますが、バンガーズはこのコーギー製と同じ物のようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベントレー R タイプ コンチネンタル イギリス 1955年
1952年にロールス ロイス シルバー ドーンがマイナーチェンジしました。兄弟車であったベントレー MK VIもマイナーチェンジとなりましたが、こちらはベントレー Rタイプ(又はMK VI Rタイプ)と名前を変えました。エンジンが4.3Lから4.6L(132HP)に拡大されシャーシも改良されました。標準スチール製ボディは全長が少し長くなり、トランクが大きくなりました。
R タイプにはベントレーのスポーティさを追求したコンチネンタルというモデルが追加され、H.J.マリナー製の華麗なファーストバック クーペ ボディが架装されました。エンジンは圧縮比を高めて150HPにチューンされており、重量も10%程軽量化されていました。その結果最高速は180km/hを越え「サイレント スポーツカー」と称されたコンチネンタルは戦後ベントレーの傑作車として知られています。コンチネンタルにはH.J.マリナー製クーペ以外にもパークウォードなどがボディを架装していました。1955年にロールス ロイス シルバー ドーンがシルバー クラウドにモデルチェンジした際に、ベントレー R タイプはS タイプにモデルチェンジしました。R タイプの総生産台数は約2300台(コンチネンタルは約200台)でした。
ミニカーはマッチボックスがディンキー ブランドで1993年頃に発売したものです。コレクター向けのミニカーで、灯火類の表現などが往年のディンキー風のややレトロな作風になっていましたが、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。特にコンチネンタルの古典的で伸びやかなファーストバックスタイルがうまく再現され魅力的なミニカーに仕上がっていました。これ以外のR タイプのミニカーは、ミニチャンプスの1/43と1/18のコンチネンタル、ウエスタン モデル(ホワイトメタル製)のセダンとコンチネンタル、スパーク(レジン製)のセダンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャガー D タイプ イギリス 1955年
ルマンで優勝したジャガー C タイプの後継車としてジャガー D タイプが1954年に登場しました。C タイプをベースにしており、ロングノーズとショートノーズの2タイプがありました。ボディはC タイプより空力的に優れていて、コクピット後方につけられた垂直フィンが特徴で これには直進安定性の効果がありました。(フィンが付いてない仕様もありました) ボディは総アルミ製で、6気筒3.4Lエンジンは250HPまでパワーアップされ、4輪ディスクブレーキを装備していました。
1954年ルマンでは、フェラーリ 375に僅差で優勝をさらわれ2位でした。1955年ルマンにはロングノーズのボディで参戦しました。このルマンでは、メルセデス ベンツ 300SLRがルマン歴史上最悪の事故を起こしました。その事故のきっかけとなったのはD タイプだったのですが、D タイプは事故を免れて最終的に優勝しました。なおメルセデス ベンツはこの事故を契機にして1988年のルマンまでレース活動を自粛することになりました。1956年と1957年のルマンでもD タイプが優勝し、3年連続優勝の快挙を成し遂げました。1956年にD タイプを公道走行仕様としたXKSSがごく少数生産されました。1957年に生産工場が焼失したことで、D タイプは生産中止となりました。
ミニカーは2001年頃に発売されたビテス製のミレニアム コレクションという西暦2000を祝う企画物の一つでした。1955年ルマン優勝車(ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。付属品として車に飛び乗ろうとしているドライバーとコクピット背後の給油口にジョーゴで給油するメカニックのフィギュアが付いていました。D タイプもフィギュアもかなり良い出来なので、ちょっとしたミニジオラマ仕立ての楽しいミニカーとなっていました。D タイプの当時物ミニカーはソリド、ディンキー、マッチボックスなどがあり、当時物以外ではブルム、カルツォ、イクソ、オックスフォード、スパーク(レジン製)などたくさんあります。またXKSSのミニカーもスポットオンのレアな当時物やオートアートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)