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メルセデス ベンツ W25 ドイツ 1934年
自動車の歴史にモータースポーツは欠かせないものですが、現在のF1(フォーミュラ1)のような規格化された車(グランプリカー)によるレースが始まったのは1930年代からです。それ以前にも緩い規格はありましたが、1934年に総重量が750kg以下、ボディ全幅850mm以下という規格(エンジンに関しては無制限 俗称:750㎏フォーミュラ)が決まり、1937年まで適用されました。
それまでSシリーズでレースを席巻してきたメルセデス ベンツはこの規格に対応する車としてW25を開発します。W25は8気筒3.4Lエンジンを搭載し徹底的な軽量化で重量を750㎏以下に抑え、流線形ボディ、全輪独立サスペンションを採用するなど古典的な設計のSシリーズとは全く異なる画期的な車でした。W25は緒戦から勝利を重ね、1935年には圧倒的な強さをほこり、ドライバーの R.カラッチオラはドライバーズ選手権チャンピオンとなりました。
当時のドイツはヒットラーが率いるナチス党が政権を握っていました。ヒットラーは国威発揚の手段としてモータースポーツを利用することを決め、国策としてメルセデス ベンツとアウトウニオンを援助しました。それゆえ第2次世界大戦前のグランプリレースでドイツ勢は圧倒的な強さを発揮しました。
W25のミニカーは最近まで戦前のメルクリン製しかありませんでした。(とてつもないレア物です) それは1980年代に復刻版が作られており、たまにオークションなどに出品されているのは復刻版です。このミニカーは2009年に発売されたスパーク製で、画像はWEBサイトから借用しました。W25のボディはアルミ地肌の銀色ですが、これはプロトタイプをモデル化しているので白色になっています。なおスパークはW25の速度記録車仕様(クローズドルーフ仕様)もモデル化しています。
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アウトウニオン タイプ A ドイツ 1934年
1932年にホルヒ、アウディ、DKW、ヴァンダラーのドイツ民族系4社は協同でアウトウニオン社を結成しました。アウトウニオンは自社を宣伝する為に750㎏フォーミュラ グランプリ(現在のF1グランプリ)に出場することを決めました。またメルセデス ベンツ W25の解説に記載したように当時のドイツ ナチス政権はメルセデス ベンツとアウトウニオンのグランプリレース活動をバックアップしていました。
アウトウニオンはF.ポルシェ博士(フォルクスワーゲン ビートルの設計者)にレーシングカーの設計を依頼し、博士はV型16気筒エンジンをリアに搭載する世界初のミッドシップエンジン搭載式レーシングカーを設計しました。この車はポルシェ博士の頭文字PをつけてPヴァーゲンと呼ばれ、タイプ Aからタイプ Dがありました。
1934年にホルヒの工場でアウトウニオン タイプ Aが作られました。最初のレースは1934年のドイツのアヴァス GPで3位となりました。その後ドイツ GPで初勝利し、スイス GP 優勝、イタリア GP 準優勝などの成績でした。(メインのドライバーはH.スタック)
ミニカーはミニチャンプス製で、アウディの特注品です。画像はアウディのWEBサイトから借用しました。画像で見ただけですが、良く出来ていると思います。これ以外のアウトウニオン タイプ Aのミニカーはシュコーの1/24 組立てキットぐらいしかないようです。
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マイバッハ DS8 ツェッペリン カブリオレ ドイツ 1934年
ダイムラー社でゴットリーブ ダイムラーの片腕として主任技術者を務めていたヴィルヘルム マイバッハ(Wilhelm Maybach)は、ゴットリーブが1900年に亡くなった後に経営者とそりが合わず1907年にダイムラー社を去りました。彼は友人のツェッペリン伯爵の飛行船事業に加わり飛行船のエンジンを設計し、息子のカールと1909年に設立したマイバッハ社でエンジン製造を行いました。当時の有名な大型飛行船ツェッペリン LZ127型に搭載されたV型12気筒33L(550HP)エンジンはマイバッハ製でした。(飛行船画像→ 飛行船ツェッペリン LZ127)
第1次大戦後の1920年後から20年間ほどマイバッハ社は高級車の設計/製造を行いました。1921年に登場した最初のモデル マイバッハ W3は、6気筒5.8L(70HP)エンジンを搭載しドイツ初の全輪ブレーキを備えた先進的な車でした。この車は排気量が7Lに拡大されたW5に発展し1929年までに約数百台が販売されました。1928年にドイツ初のV型12気筒7L(150HP)エンジンを搭載したツェッペリン DS7が登場しました。(DSはDoppel Sechsの略で意味はダブル シックス 12気筒のことです) 1931年には排気量を8L(200HP)に拡大したDS8が登場しました。 DS8は1934年まで生産されましたが、当時のメルセデス ベンツの超高級車グローサー メルセデスに次ぐ高級車でしたので生産台数はごく少量でした。1935年には6気筒4.2Lエンジンを搭載した高級車SWシリーズが登場しましたが、戦後は自動車生産を止めました。なお1997年にメルセデス ベンツがマイバッハ ブランドを復活させ、2002年にマイバッハ 57と62が登場しました。
ミニカーは1992年に発売されたフランクリン ミント製です。マイバッハのほとんどを架装していたコーチビルダー スポーン(SPOHN)製のDS8 ツェッペリン 4ドアカブリオレをモデル化しています。フランクリン ミントの1/24のクラシックカーのシリーズは現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツで再現されドアやボンネットが全て可動する当時の最も精密なミニカーでした。当時フランクリン ミント製ミニカーは通信販売でしか購入できないかなり高価で特別なミニカーでしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。このマイバッハ DS8もカラーリングから室内の細部に至るまで実車を忠実にモデル化しています。特に前後フェンダーやボンネットに空力パーツ的なアクセントラインが入っている独特のボディが良く再現されています。またフロントグリル上のマイバッハのエンブレム、細かなモール類などもリアルです。ボンネットと4ドアの開閉ができエンジンや床下のサスペンションなどもリアルに再現され、前輪もステアリングホイールで操舵できます。これ以外のマイバッハ ツェッペリンのミニカーはミニチャンプス、イクソ(ホワイトボックス)、RICKO(リッコー)の1/87、アンソンの1/18などがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/前輪操舵の画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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BMW 315/1 ドイツ 1934年
BMW ディキシーのライセンス生産を終了したBMWは、1933年に6気筒1.2Lエンジンを搭載した303を自社開発しました。2ドアセダンと2ドアカブリオレがあり、BMWを象徴するキドニーグリルはこの車のフロントグリルが始まりでした。さらにこの車はBMW初の6気筒エンジン搭載車で、これがBMWのシルキー6と呼ばれる滑らかに回る直列6気筒エンジンのはじまりでした。(実車画像→ BMW 303 1933)
BMW 303をベースにして、1934年に4気筒845㏄(22HP)エンジンを搭載した309、1934年に排気量を1.5L(34HP)に拡大した315、1935年に排気量を1.9L(34HP)に拡大した319が登場しました。319は1937年に329(カブリオレ)と320(2ドアセダン)に変わりました。
BMW 315/1は315 セダンをベースにしたロードスター形式のスポーツカーで、40HPにパワーアップしたエンジンを搭載し、最高速130km/hと上級車を凌ぐ性能でした。319をベースにした319/1 ロードスター(エンジン55HP)もありました。315/1は1934年のアルペン トライアルの優勝など、レースで活躍しBMWの名前を有名にしました。1937年まで生産され後継車328にモデルチェンジしました。
ミニカーは1996年頃に発売されたシュコー製です。全長89㎜の小さなミニカーですが、ウインドー枠、ワイパー、フロントグリルなどにエッチングパーツを使っているので、ウインドー周りやフロントグリルはかなりリアルです。また塗装がきれいで室内の造形もリアルなど、非常に素晴らしい出来ばえです。なお2023年現在でもBMW 315/1の量産ミニカーはこのシュコー製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 150 スポーツ ロードスター (W30) ドイツ 1935年
メルセデス ベンツ 150は前述した130Hをベースにして開発された2シーター クーペ/ロードスターで、ごく少数が1935年に生産されました。私が参考にしていた昔の書籍では、この車のシャーシは130Hと同じで後車軸より後ろにエンジンが配置されていると記載されていました。しかし今回この車についてWEBなどで調べたところ、エンジンがミドシップ配置されていたことが分かりました。(参照WEBサイト→ Mercedes-Benz 150 Sports Roadster) つまりこの車は世界初のエンジンをミッドシップ搭載したスポーツカーだったことになります。
メルセデス ベンツ 130Hと同じエンジン配置にしてはリアシートの後ろのスペースが大きすぎるように思っていたのですが、ミドシップ配置であったことが分かり納得しました。またエンジンも排気量の拡大だけではなくバルブがサイドからオーバーヘッドに変更され55HPの高出力で、最高速125km/hとかなり本格的なスポーツカーを目指していたようです。ただこの当時に価格が130Hの倍もする2シーターの小型スポーツカーを買うような人はおらず、数台しか売れなかったようです。
ミニカーはイクソ製で元々はミニカー付き雑誌「MERCEDES-BENZ COLLECTION」のNo.17として2007年頃に作られたミニカー(ボディカラーは赤)で、これはその色違いで当方はネットオークションで入手しました。これと同じものがイクソのミュージアム シリーズでは型番MUS018(ボディカラーは銀色で仕上げがレベルアップしている)で2009年に発売されています。独特なリアデザインのボディがうまく再現され、実車の雰囲気が良く再現されています。グリルの無いフロント、スリット/開口部のあるリアの造形、サイドのスペアタイヤなどの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーながら良く出来ています。前述したメルセデス ベンツ 130H同様に150もこれが初めての量産ミニカーで、ベンツ車の歴史を知る上で貴重なミニカーです。(2023年現在でもこのイクソ製以外の150のミニカーはありません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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