ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR 1937 GERMANY

AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR


BRUMM R352 1/43 128㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.52m 全幅約1.84m エンジン 変速機: 12気筒 6.3L スーパーチャージャー 545HP 5段変速
性能: 最高速408km/h  データーベースでアウトウニオン タイプ A-Dのミニカー検索

アウトウニオン タイプ C 流線形 速度記録車 ドイツ 1937年

 

 ドイツ ナチス政権はグランプリレースだけではなく、レースカーをベースにした車による速度記録達成でも国威掲揚を図っていました。この時期のドイツ車の速度記録は国内の公道やアウトバーンで達成されていました。当時のほとんどの速度記録はアメリカのソルトレークで達成されていたのですが、ナチスは国内にこだわったのです。

 メルセデス ベンツの主な速度記録(フライング キロメートル 国際B級 5L-8Lエンジン)としては、1936年の364.4km/h (V型12気筒4.8L 540HPエンジン)、1938年の432.7km/h (V型12気筒5.67L 736HPエンジン)がありました。なおフライング キロメートルとは助走をつけた状態から計測をスタートし、1000メートルのコースを往復してその平均速度を計測するものです。

 

 アウトウニオンの主な速度記録としては、1935年のタイプ B LUCCAによる320.267km/h (V型16気筒5L 375HPエンジン)、1937年のタイプ Cによる406.3㎞/h(V型16気筒6.3L 545HPエンジン)がありました。なお1938年にメルセデス ベンツが432.7kmを記録した時に、同じ場所でアウトウニオンも速度記録に挑戦していました。アウトウニオンはテスト走行で同等以上の速度を達成していましたが、その後の正式アタックで時速450㎞/h走行中に横風にあおられてクラッシュし、ドライバーのB.ローゼマイヤーが即死するといった悲劇が起きました。

 

 

 ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。1937年に史上初の400km/h超えの406.3㎞/hを記録した速度記録車をモデル化しています。流線形の滑らかなボディがうまく再現されていてとても良く出来ています。ブルムは同じ車のアヴァス サーキット仕様など数種類のバリエーションをモデル化しています。ブルム以外のミニカーではメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、ミニチャンプス、レベルの1/18などがあります。なおメルセデス ベンツの速度記録車(1938年)もメルクリンの戦前の当時物(超レア物)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR 1
AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR 2

 以下は2003年に発売された上記のバリエーション アウトウニオン タイプ C ストリームライン #31 アヴァス サーキット 1937 (1/43 型番R353)の画像です。この車は1937年にアヴァス サーキットで行われたスプリント レースに参戦したレーシングカーをモデル化しています。レーシングカーですのでゼッケン #31がついています。このレースにはメルセデス ベンツのGPカーとその流線形仕様車なども参戦していたそうです。上記の速度記録車とほとんど同じように見えますが、このレースカーはホイール上のボディの一部が開放されていてタイヤが露出していました。(最近のルマンカーでも同様のタイヤの露出があります) ミニカーでは開放部を黒く塗装してそれを表現しています。レベルも同じ車を1/18でモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR 3
AUTO UNION TYPE C STREAMLINE RECORD CAR 4

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1718

BUGATTI T57G LE MANS WINNER 1937 FRANCE

BUGATTI T57G LE MANS WINNER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T57G LE MANS WINNER


IXO LMC040 1/43 112mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.8m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 3.3L 200HP 4段変速
性能: 最高速210km/h  データーベースでブガッティ T57のミニカー検索

ブガッティ T57G ルマン 優勝車 フランス 1937年

 

 1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースーカー ブガッティ T32は、その独特のボディ形状からタンク(水槽)という名前が付けられていました。その後の1937年のルマンで優勝したブガッティ T57Gも同じタンクという通称で呼ばれました。T32 タンクは正面から見ると正方形の角ばったボディでしたが、T57 タンクはボディ全体が流線型になっていていました。T57 タンクは前述したブガッティ T57のレーシングカー仕様でしたので、馬蹄形のフロントグリルとライトの位置にT57のイメージを残していました。T57のDOHC 8気筒3.3Lエンジンを200HPにパワーアップして搭載していました。

 

 1939年にもスーパーチャージャー付きのT57Cをベースにした車がルマンで優勝しています。そのT57Cのテスト中に創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンが事故死してしまいました。その為その後のブガッティ社内には過去の設計に拘るエットーレに進言できる人がいなくなりました。その直後に第2次世界大戦が勃発し、ブガッティのような高級車は生産できなくなり、軍用の航空機部品生産を行うようになりました。戦後の1947年にエットーレは病死しました。

 

 

 ミニカーは2003年に発売されたイクソ製のルマン参戦車シリーズの1台です。1937年ルマンに出場してリタイアしたブガッティ T57G #1をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルの奥に配置された補助ライト、メッシュ金具で保護されたヘッドライト、右側側面の赤いランプ、細かい細工のワイヤーホイールなど細かい部分もよく作り込まれています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BUGATTI T57G LE MANS 1
BUGATTI T57G LE MANS 2

 以下は2019年に発売されたアシェットのルマン24時間レース カーコレクションの定期購読特典ミニカー ブガッティ T57G ルマン 優勝 1937 (1/43 No.無し)の画像です。上記のイクソ製はリタイアした出場車ですが、こちらは優勝した#2をモデル化しています。雑誌付きの安価なミニカーとしては良く出来ていますが、フロントグリルやヘッドライトなどの細部は上記のイクソ製に比べると見劣りがします。特にコクピット内の造形はかなり簡素です。このルマン カーコレクション シリーズはいずれもコクピット内の造形は簡素な仕上げでしたが、値段を考えればそこまでコストが掛けられないことは納得できます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T57G LE MANS WINNER 3
BUGATTI T57G LE MANS WINNER 4

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BUGATTI T57G LE MANS WINNER 5
BUGATTI T57G LE MANS WINNER 6

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=252

PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 1937 FRANCE

PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER


NOREV HACHETTE   1/43 97mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.2m 全幅約1.68m エンジン 変速機: 4気筒 2L 70HP 4段変速
性能: 最高速140km/h  諸元は標準仕様でルマン出場車のものではない データーベースでプジョー ダールマのミニカー検索

プジョー 302 ダールマ ロードスター フランス 1937年

 

 ダールマはパリの有力なプジョー販売店のオーナー エミール ダールマ (Emile Darl'mat)の発案で製作されたプジョーをベースにした少量生産のスポーツカーでした。当初はダールマの工場で製作されたようですが、1936年頃からはプジョーの工場で製作されました。代表的なモデルはプジョー 302のシャーシに70HPにチューンした402の4気筒2Lエンジンを搭載した302 ダールマで、コーチビルダーのプルート(POURTOUT)がクーペやカブリオレのボディを架装していました。1938年にはプジョー 402のシャーシを使った402 ダールマも登場しました。

 

 プジョー 302 ダールマのレース仕様車は1937年ルマンに出場し総合7、8、10位でクラス準優勝し、1938年ルマンでは総合5位でクラス優勝しました。このレース仕様のダールマはそのボンネットサイドの見た目から「八目鰻」とあだ名されました。この連続する丸い穴は模様ではなくエンジンの熱気抜き用の通気穴でしたが、フランス流のセンスでうまいアクセントになっています。戦後の1947年にプジョー 202をベースにした202 ダールマが1.1Lクラスの速度記録を達成し、1953年にプジョー 203をベースにした203 ダールマが少量生産されました。

 

 

 ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.8で、メーカーはノレブです。(国内販売されなかったのでオークションで入手しました) 1937年のルマンで8位となった車(#25)をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルや特徴的なボンネットサイドの通気孔など細部もそこそこリアルで、良く出来ています。ノレブはカタログモデルでは型番473201で10位となった車(#27)をモデル化していますが、それはこれより内装の仕上げが良く幌が付いています。ダールマのミニカーはノレブが1/18も含めて約10種類を発売していてほぼ独占しています。なおノレブがモデル化する以前は、エリゴール初期の402 ダールマが唯一のミニカーでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 1
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 2

 以下は上述したエリゴール製のプジョー 402 ダールマ 1938 (1/43 型番1033)の画像です。1979年頃に発売されたものですが、これはダイキャスト製の量産ミニカーではなく、ホワイトメタル製の少量生産ミニカーでした。(少量生産ミニカーながら当時の定価は2400円で、何故かエリゴールのダイキャスト製と同じような定価でした) プロポーションが良くボンネットサイドの通気孔やインパネなどの細部もリアルで、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。この当時はプジョー 402 ダールマのミニカーはこれしかなかったのでその点で貴重でした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 3
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 4

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 5
PEUGEOT 302 DARL'MAT ROADSTER 6

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1754

MERCEDES-BENZ W154 1938 GERMANY

MERCEDES-BENZ W154
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES-BENZ W154


SPARK S1032 1/43 ㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.6m 全幅約1.85m エンジン 変速機: DOHC V型12気筒 3L スーパーチャージャー 483HP
 5段変速
性能: 最高速309km/h  データーベースでメルセデス ベンツ W154のミニカー検索

メルセデス ベンツ W154 ドイツ 1938年

 

 1938年に新しい3Lフォーミュラ(過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したメルセデス ベンツ W154が開発されました。W125をベースにしてサスペンションを改良し、エンジンが小さくなった分ボディが低くなり空力的に改善されました。W125同様にW154も圧倒的に強く1938年の主要な6レースで勝利しています。1939年は戦前最後のグランプリシーズンとなり、W154はスーパーチャージャーを2ステージ化してパワーアップし、フロントグリルの形状などを変更したボディが載せられました。この1939年式のW154をW163と呼ぶこともあるようですが、これは厳密には正しくないようです。W154は1939年に5勝しています。

 

 ドイツと同じようにムッソリーニ政権下のイタリアでもグランプリレースを国威発揚に利用していました。ドイツ勢に対抗すべくイタリアは1939年5月のトリポリ GPを自国に有利な1.5Lフォーミュラで行うことを1938年8月に決定します。これに対してメルセデス ベンツは8ヶ月ほどでW165を開発しました。W165はW154のミニチュア版で、ホイールベースが短く、V型8気筒1.5Lエンジン(278HP)を搭載していました。W165はトリポリ GPで1-2フィニッシュし、イタリアの思い通りにはなりませんでした。

 

 

 ミニカーは2009年に発売されたスパーク製です。画像はスパークのWEBサイトから借用しました。1938年のトリポリ GPで優勝したW154(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。スパークはメルセデス ベンツの特注品としてW25、W125、W154、W154(1939)、W165をモデル化していて、このW154はそれを一般市販したものです。これ以外のW154のミニカーは、かなり昔のビンテージ物のメルクリンとマーキュリー、最近のブルムなどがあります。

 以下は1981年に発売されたブルム製のメルセデス ベンツ W154 1939 (1/43 型番R037)の画像です。1939年のドイツ GPで優勝したW154 #12 (ドライバー R.カラツィオラ)をモデル化しているようです。ただしミニカーの全長が88㎜程なので1/43換算で計算すると全長が3.7mとなり、W154の寸法と合いません。このサイズはW154の小型版W165の全長3.7mと一致します。ブルムは型番R037と同じ型を使った型番R037Bで1939年のトリポリ GPで優勝したW165をモデル化していますので、この型番R037はW154ではなく正しくはW165をモデル化したようです。ブルム初期のミニカーにはこんな具合に実車考証が適当なものがありました。(ただしこれが分かったのも最近のことで、それまでは全然気がつきませんでしたが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MERCEDES-BENZ W154 1
MERCEDES-BENZ W154 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES-BENZ W154 3
MERCEDES-BENZ W154 4

 以下は1989年に発売されたブルム製のメルセデス ベンツ W154 #46 インディアナポリス 1947 (1/43 型番R175)の画像です。年式が1947年となっていますが、これは戦後になって発見された車でアメリカのレーシングカーチームのオーナーのドン リー(Don Lee)が購入したものでした。そのW154は1947年のインディアナポリスに参戦しましたが、このミニカーはその車をモデル化しています。(ただしこれもW165のサイズになっていますので実車とは少し外観が違っていますが) ボディにはオーナーの名前「Don Lee」が表示されています。なおレースの結果はエンジン破損でリタイヤでした。(実車画像→ メルセデス ベンツ W154 1947 ) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES-BENZ W154 5
MERCEDES-BENZ W154 6

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1712

AUTO UNION TYPE D 1938 GERMANY

AUTO UNION TYPE D
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE D


BRUMM R109 1/43 99㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.2m 全幅約1.66m エンジン 変速機: 12気筒 3L スーパーチャージャー 420HP 5段変速
性能: 最高速330km/h  データーベースでアウトウニオン タイプ A-Dのミニカー検索

アウトウニオン タイプ D ドイツ 1938年

 

 1938年にGPカー(F1)の新しい3Lフォーミュラ(排気量上限 過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したアウトウニオン タイプ Dが開発されました。タイプ Cをベースにしていましたが、エンジンがV型16気筒6LからV型12気筒3L(420HP)に変更されてサイズが小さくなったのでコクピットが後ろに移動して一般的なGPカーのスタイルに近くなりました。1939年にはスーパーチャージャーが2ステージ化され、485HPにパワーアップされました。

 

 タイプ Dの主な戦歴としては1937年にチームに加入したイタリア人ドライバーのT.ヌヴォラーリがドライブしてイタリア GPとイギリス(ドニントン) GPなどで優勝しましたが、あまり芳しい成績は残せませんでした。1939年のフランス GPではドライバー H.ミュラーで優勝しました。アウトウニオンのミッドシップレイアウトは操縦性に問題が多い(運転が難しい)レイアウトでしたが、第2次世界大戦後のレーシングカー設計に多大な影響を与えました。大戦後の1947年にクーパーがF3でミッドシップレイアウトを採用し、その後1960年代になるとミッドシップがF1の標準レイアウトになりました。

 

 

 ミニカーはブルム製で1984年頃に発売されました。1938年のイギリス GPの優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、1980年代のミニカーとしては良く出来ていました。ただこれも前述した同じブルム製のタイプ Cと同様にデカールが経年劣化しています。ブルムは ドライバー T.ヌヴォラーリのフィギュア付でイタリア GP 優勝車もモデル化しています。これ以外のタイプ Dのミニカーは戦前のメルクリンの超レアな当時物、マーキュリーの古い当時物、ミニチャンプスのイギリス GPとイタリア GP仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUTO UNION TYPE D 1
AUTO UNION TYPE D 2

 以下は2004年に発売されたブルム製のアウトウニオン タイプ D #22 イタリア GP 優勝 (1/43 型番S061)の画像です。1938年のイタリア GPの優勝車にドライバー T.ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)のフィギュアを付けた限定生産品です。 T.ヌヴォラーリは1937年にスクーデリア フェラーリ(アルファ ロメオのワークスチーム)からアウトウニオンに移籍し、1938年のイタリア GPなどで優勝しました。彼は黄色のシャツを着てレースに臨んでいたそうですが、フィギュアはその服装や風貌などがうまく再現されています。当時はこのような軽装でF1レースをしていたのです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO UNION TYPE D 3
AUTO UNION TYPE D 4

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1719

 

ビンテージ期 ← ページ  « 前へ 1  2  3  4   次へ » → 戦後期

 

 

 

当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.