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ダットサン (日産) 11型 日本 1932年
三菱 A型の解説に記載したように明治時代の自動車国産化は当時の日本の工業技術が未熟であった為成功しませんでした。その後の自動車国産化に影響を与えた会社として白楊(はくよう)社と快進社がありました。白楊社は1912年(大正元年)に創業された会社で、創業者豊川順彌氏が米国に滞在した経験から自動車開発に着手しました。1924年に国産技術で独自設計/製作した小型車オートモ号が完成しました。オートモ号は空冷4気筒943㏄(9HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速60㎞/hの小型車でした。4人乗りセダン/フェートン、2人乗りロードスターがあり1928年までに約250台が生産されましたが、採算が取れず会社は解散しました。(実車画像→ オートモ号 1924)
快進社は1911年に創業された日本初の自動車会社でした。1914年(大正3年)にV型2気筒(10HP)エンジンを搭載した小型車 脱兎(ダット)号を開発しました。ダット(DAT)とは同社の田、青山、竹内氏3名のイニシャルの組合せで、早く走るという意味の脱兎という意味もありました。 この会社を現在の日産自動車の前身であった戸畑鋳物株式会社自動車部が買取り小型大衆車として市販したのがダットサンでした。当初はダットの息子ということでダットソン(DATSON)と名付けられましたが、ソンは損に通じることからダットサン(DATSUN)となりました。1931(昭和6年)年にダットサン 10型が10台、1932年にはダットサン 11型(ダットサン 1号車)が150台製作されました。ダットサン 10型は4気筒495cc(10HP)エンジンを搭載し、ダットサン 11型は4気筒747cc(12HP)エンジンを搭載し3段変速機で最高速度65km/hの性能でした。
ミニカーは1978年に発売されたトミカ ダンディ製です。ダットサン 11型(ダットサン 1号車)のフェートン(セダンの幌仕様)をモデル化しています。当時の国産ミニカーとしては珍しい本格的なクラシックカーのミニカーでした。実車に忠実にモデル化してあり、ヘッドライト、フロントウィンドー横の腕木式方向指示器、室内などの細部もそこそこ良く仕上げてあります。ただし縮尺が1/36と中途半端で、メタリック塗装のボディカラー、メッキされたフリーホイールが実車のイメージに合わないのが今一つです。これ以外のダットサン 11型のミニカーはトミカの1/49、ダイヤペットの1/35、ミクロペットの1/35などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ガズ A ロシア 1932年
1910年代のロシアではルッソ バルト社が自動車を製造していましたが、1910-1920年代のロシアの自動車産業は未発達の段階でした。その為当時のロシアはアメリカのフォード社から乗用車やトラックを数万台規模で調達していました。1922年に成立したソビエト連邦(ソ連)は自動車の国産化を進める為、フォード社との共同事業としてガズ(GAZ: Gorkovsky Avtomobilny Zavod 露語で:ゴーリキー自動車工場の意)社が1929年に創立されました。ガズは自動車製造工場を新設し、フォードの部品を使ってライセンス生産を行うことになりました。
1932年にフォード A型のライセンス生産である中型乗用車ガズ-Aが登場し、ほぼ同時にフォード AA型のライセンス生産であるトラック ガズ AAも登場しました。1935年までに約10万台の車両(主にトラック)が生産され、フォードとソビエト連邦の契約は終了しました。その後製造技術を習得したガズはフォード V8をベースとしたガズ M1を1936年から生産し、1941年頃からは独自開発した国産車ガズ 11や初の全輪駆動車ガズ 61の生産が始まりました。(実車画像→ ガズ 11)
ミニカーは1985年頃に発売されたと思われるソ連製のミニカーです。(オークションで入手したので正確な発売時期がわかりません) ガズ Aの初期型をモデル化していますが、本家のファード A型と比べるボディの丸みが少なく古臭い感じがします。(ガズ Aはファード A型の一世代前のボディの型を使っていたようです) 1980年代のミニカーとしては、フロントグリル/バンパー/ホイールが金属製でレトロな作風ですが、かなり正確に実車がモデル化されています。ドアが開閉するギミック付きです。1970年代に日本国内に輸入されたソ連製ミニカーは粗悪なダイキャスト材が使われているなどあまり出来が良くなかったのですが、1980年代に作られたと思われるこのガズ Aはかなり良い出来ばえに変わっています。これ以外のガズ A/AAのミニカーはブッシュのAA 1/87、ソ連の車をモデル化しているDIP MODELS(レジン製)のA タクシー、デアゴスティーニのミニカー付雑誌 「Auto Legends USSR」シリーズのAなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ SS (W06) ドイツ 1933年
1926年にダイムラー社とベンツ社が合併して、ダイムラー ベンツ社となりました。合併前にダイムラーの技術部長であったF.ポルシェ博士は、スーパーチャージャー付4気筒エンジンのレースカータルガ フロリオを開発し、この車をベースとして6気筒6Lエンジン搭載の高性能なツーリングカー メルセデス ベンツ 24/100/140HP(課税馬力/実馬力/過給馬力)が登場しました。(実車画像→ メルセデス 24/100/140HP)
この車のホイールベースを短縮し、エンジンを強化したスポーツカー メルセデス ベンツ 24/110/160HPは「Kヴァーゲン」と呼ばれました。(KはKurz:短いの意) それをさらに発展させたのが「Sヴァーゲン」(SはSportの意)で、後のメルセデス ベンツ Sシリーズの最初のモデルとなりました。代表的なモデルは1926年の6気筒6.8L(120HP/過給時180HP)エンジンを搭載したSやその後継の1928年のSS(Super Sportの略)がありました。SSは当時最強のスポーツカーで、実車は100台ほどしか生産されていません。 6気筒7L(170HP/過給時225HP)の高性能エンジンを搭載し、最高速185km/hの性能でした。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUESシリーズ」のNo.30で、オークションで入手しました。メーカーはイクソでモデル化した実車がはっきりしないのですが、1933年式なのでSSの最終型と思われます。ミニカーの出来ばえはこのシリーズの標準的なもので、室内などの細部もある程度再現され良く出来ています。銀と黒のツートンカラーもこの車に良く似合っています。同じものがイクソのカタログモデル(型番MUS044)でも発売されていますが、そちらは地味な灰色でいまいちのカラーリングです。メルセデス ベンツ SSのミニカーはソリド(VEREMも含む)とマッチボックスの古いものしかありませんでしたので、このイクソのSSはうれしいモデル化でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41131 リムジン パークウォード (4号車) フランス 1933年
ブガッティ T41 4号車はイギリス人のカスバート W フォスター (Cuthbert W. Foster)大佐が1933年に購入しました。イギリスのコーチビルダー パークワード(Park Ward)社がイギリス的な落ち着いた雰囲気のリムジーンボディを架装しましたので、フォスターカー又はパークウォード リムジンと呼ばれています。実車の写真ではフロントグリル上にブガッティ T41のシンボルである象のマスコットが付いていますが、フォスター大佐は以前に所有してお気に入りであったロールス ロイスと同じフライイング レディのマスコットを付けていたとも言われています。
1946年にイギリスのブガッティのディーラー ジャック レモン バートン(Jack Lemon Burton)に売却されました。その後1956年にアメリカのブガッティ コレクターであるジョン シェイクスピア(John Shakespeare)に売却され、彼のブガッティ コレクションの1台となりました。その後財政難に直面したシェイクスピアは、1963年に彼の車のコレクションを同じブガッティ コレクターであるフリッツ シュルンプ(Fritz Schlumpf)に売却しました。現在は「シュルンプ コレクション」としてフランス国立自動車博物館に1号車 クーペ ナポレオンと一緒に展示されているそうです。
この車は最近まではミニカーがありませんでしたが、2008年ごろにフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.48でモデル化されました。画像はその「VOITURES CLASSIQUES」のWEBサイトから拝借しました。メーカーはイクソで、同社のクラシックカーはいずれも良い出来ばえでしたので、このブガッティ T41 4号車のミニカーもかなり良い出来ばえであるはずです。実物を入手したいのでイクソのカタログモデルが発売されるのを待っているのですが、2020年現在でまだ発売されていないようです。(2023年現在でもカタログモデル化されていないので、たぶんもう発売されないでしょう)
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ブガッティ T59 フランス 1933年
1920年代の傑作レーシングカー ブガッティ T35の後継車として、T51が1931年に登場しました。T51のエンジンはT35BのOHC 3バルブ8気筒2.3Lスーパーチャージャー(138HP)エンジンをDOHC 2バルブに変えて160-180HPにパワーアップしたものでした。外観的には、T51はT35とほぼ同じでした。1931年に排気量を4.9L(250HP以上)に拡大し、ホイールベースを延長したT54が登場しました。なおT51/T54は単座ではなく助手席の付いた2座のマシンでした。
1934年から始まった750㎏フォーミュラー(現在のF1)に向けて、ブガッティ最後のグランプリカーとなったT59が開発されました。T59は改良したT54のシャーシにDOHC 8気筒2.9Lスーパーチャージャー エンジンを搭載していました。1933年のスペイン GPに参戦し結果は4位とリタイアでした。1934年には排気量を3.2L(250HP)に拡大し、フランスGPで4位となっています。T59は美しいデザインのマシンでしたが、メルセデス ベンツ GPなどの強いドイツ勢に対して総合的な競争力で劣っていました。
そこで単座化などでシャーシを軽量化し、T50用の8気筒5Lエンジンをベースとする4.7L(402HP)/4.4L/3L(275HP)エンジンを搭載した改良型T59/50Bが1936年に開発されました。(外観も大幅に変わっていました) ただ基本設計が古いシャーシでは、このハイパワーを生かすことができませんでした。当時のブガッティは財政的に困窮しており、レースの予算は主にT57G(タンク)を有するスポーツカーレースに向けられてました。その為T59はこれ以上改良されることはなく、あまり活躍できませんでした。(実車画像→ ブガッティ T59/50B)
ミニカーは1981年頃に発売されたブルム製で、T59をモデル化しています。このミニカーがどのレースの参戦車をモデル化しているのかは明確ではないのですが、1933年式となっているのでたぶんスペイン GPに出場した車をモデル化しているのだと思われます。この型番R042は再生産された際には1934年 フランスGP #14(これも実車不明)に変更されました。ブルムの初期のミニカーは時代考証が適当なものが多いです。時代考証は今一つですが、ホイールやインパネのリアルな造形などは1981年当時のミニカーとして良くできていました。ブルムは10種類ほどのバリエーションを作っています。これ以外のT59のミニカーはBブラーゴの1/18などがあります。T51のミニカーはマッチボックスの1/35があり、T54はミニチャンプスのロードスターがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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