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アルファ ロメオ 16C ビモトーレ イタリア 1935年
GPレースで圧倒的に強かったアルファ ロメオ P3も、1934年から始まった新しい規定のフォーミュラ 750(重量750kg以下)ではナチス ドイツが国策で後押しするメルセデス ベンツ W25などのドイツ勢に圧倒されるようになりました。そこで当時アルファ ロメオのワークス チーム(スクーデリア フェラーリ)を監督していたエンツォ フェラーリが開発したのが、16C ビモトーレでした。ビモトーレという名前は2つのエンジンという意味で、コックピットの前後に8気筒エンジンを搭載し、2倍のパワーで後輪を駆動します。2つのエンジンは長いクランクシャフトで連結され、その中間からP3独特の2つのドライブシャフトを介して左右のタイヤを駆動しています。(複雑な構造です)
1935年のテストでは最高速321.5Kmを記録しており、確かに早かったのですが、名ドライバー T.ヌヴォラーリをしても操縦が難しかったそうです。さらに当時の細いタイヤがハイパワーに耐えられず、その為タイヤ交換に時間を取られることも問題でレースでは活躍できませんでした。結局P3の後継は12気筒エンジンを搭載したティーポ C (12C)となりましたが、このマシンは活躍できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C)
ミニカーは1997年頃に発売されたトップモデル製で材質はレジンです。ボディ後端のリアのエンジン始動用のクランクハンドル、リアの右サイドから出る2本目の排気管が2つのエンジンを搭載していることを示しています。量産ミニカーはトップモデルしかなく、バリエーションが数種類あります。(戦前のメルクリンのミニカーもありましたが、それは別格のレア物です) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 500A トポリーノ イタリア 1936年
1936年にフィアット 508 バリッラよりも小型で低価格な車として500Aが登場しました。この車は見た目がかわいらしいので「トポリーノ」(Toporino:小さなネズミの意)という愛称で呼ばれました。大きさは全長3215mmX全幅1275mmで車重600kgと日本の軽自動車よりひとまわり小さく、4気筒569cc(13HP)エンジンをフロントに搭載し最高速度85kmの性能でした。価格が安くその上軽量で燃費も良いこの車は圧倒的な成功をおさめました。500Aはイタリアで10万台以上も生産され、フィアットが資本参加していたフランスのシムカでもシムカ 5の名前で生産されました。戦後の1948年にはエンジンが16HPに強化され500Bとなりました。
500は低価格な車でしたが、その中身は4気筒エンジン、前輪独立懸架、シンクロ付きギヤボックス、油圧ブレーキなど上級車並みのメカが使われていましたので、単なる安物の我慢車ではなかったのです。キャンバストップ仕様があり、この2座席の小さな車のキャンバストップを開放して、4人以上?も乗り込んでいたそうです。つまり後ろに大人が乗る場合は上体を外に出して乗っていたようです。このような使い方をされたので後輪の板バネが折れるトラブルが起こり、1938年には板バネが強化されました。戦後の1949年にフロント周りを近代的に意匠変更した500Cが登場し、1955年まで生産されました。
私の好きな映画「ローマの休日」(1953年)にはこの500 トポリーノがでてきます。オードリー ヘップバーン扮するアン王女が助手席に座りグレゴリー ペック扮する新聞記者がキャンバストップから頭を突き出して後部に乗っていて、大柄なグレゴリー ペックが降りる時に苦労しているシーンがあります。(映画「ローマの休日」DVDから引用した画像→ 「ローマの休日」のトポリーノ)
ミニカーは1979年に発売されたブルム製の初期物です。実車の愛嬌のあるデザインがうまく再現されていて、当時のミニカーとしてとても良く出来ていました。なお2023年現在でもこれ以上の出来ばえの物はないと思います。ブルムはイタリアのメーカーですから、この車の雰囲気がうまく再現できたと思います。(イタリアの名車ですからブルムも力の入れ方が違うはずです) ブルムは500A/Bのキャンバストップ仕様や商用車仕様など20種類以上をモデル化しています。これ以外の500A/Bのミニカーは1970年代のドゥグーとイタリアのミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.82ぐらいしかありませんので、500A/Bのミニカーはブルムの独壇場となっています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 508C (1100) イタリア 1937年
1937年にフィアット 508 バリッラの後継車として508Cが登場しました。フロントのデザインは小型車500 トッポリーノとそっくりで、ボディ全体も500を一回り大きくしたような4ドアセダンとなっていました。しかし508のエンジンを拡大した1089cc(32HP)エンジン以外は全くの新設計で、4段変速機、前輪独立懸架を採用し最高速110km/hと当時の1Lクラスの量産車としてはかなり高性能で操縦性も優れていたそうです。508Cは1939年にフロントグリルがアメリカ車風に変えられ名前が1100に変わりました。当時のヨーロッパ車はこのようなグリルを採用した車が多く、アメリカ車に対するあこがれがあったようです。1100は戦後も生産され、1948年に1100Bとなりました。
以下は1920-1930年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
この508Cの下級車として前述した500 トッポリーノがあり、上級車には1935年に登場した1500(6気筒1.5L)と1933年に登場した518(4気筒1.8L/2L)があり、さらに1938年に登場した最上級車2800(6気筒2.8L)がありました。 ただし2800は生産台数がかなり少なかったようです。1100、1500、2800は同じようなフロントグリルを持ったよく似たデザインの車でした。ただ1100は全長4mの小型車ですが、1500、2800はそれぞれ全長4.5m、5.5mの中型、大型車でした。(実車画像→ フィアット 1500 1935) (実車画像→ フィアット 2800 1938)
ミニカーは1981年に発売されたブルム製です。ブルム初期の物ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ブルムは実車同様に2ドア カブリオレや商用車のバリエーションをたくさん出しています。508Cの量産ミニカーはブルム製とイタリアのミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.77(たぶんノレブ製)ぐらいしかないようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア アプリリア イタリア 1937年
1937年に登場したランチア アプリリアはビンテージ期の名車ラムダに次ぐ戦前のランチアの傑作車で、ラムダ同様に革新的な車でした。ボディは当時最先端のモノコック構造でセンターピラーのない観音開きの4ドアを採用していました。またピニンファリーナ製のボディはトリノ工科大学と協力して自動車としては初めて風洞実験でデザインされたものでした。テールの形状に特徴があり戦前の車として空力的に優れたデザインでした。サスペンションは前輪はラムダと同じスライディングピラー式 後輪はスウィングアクスル式の4輪独立懸架でした。
ランチア独自のV型4気筒1.4L(47HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速度130km/hの性能でした。1939年にエンジンが1.5L(48HP)に拡大され、サスペンションが改良されました。標準のセダンボディの他にカロッツェリアによる特注ボディ(クーペやカブリオレ)も架装されました。アプリリアという名前はイタリアの都市名にちなんだもので、フランスではアルデンヌという名前で販売されました。アプリリアは小型実用車ながら同クラスの車とは比較にならないほど上質の車で、ランチアの名前を有名にしました。第2次大戦後の1949年まで生産され、総生産台数は約2.7万台でした。
ミニカーは1981年に発売されたブルム製です。ブルムのミニカーとしては初期の物で、アプリリアの先進的なデザインが良く再現されています。特に絞りこまれたリアの独特な造形がよくわかります。この造形はフォルクスワーゲン ビートルのデザインに通じるものがあります。ブルムはミッレ ミリアのレース仕様や戦時中の代燃車仕様など数種類をモデル化しています。これ以外のアプリリアのミニカーはマーキュリーの当時物、ノレブのアルデンヌ、EDISON GIOCATTOLIのランチア100周年記念モデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 8C 2900B ルンゴ イタリア 1938年
アルファ ロメオ 16Cの解説に記載したようにアルファ ロメオのGPカーはメルセデス ベンツやアウトウニオンのドイツ勢に対抗できなくなったので、アルファ ロメオは国内のスポーツカーレースに軸足を移しました。6C、8Cで確立したスポーツカーレースでの優位を維持する為に開発されたのが8C 2900Aで、1935年に登場しました。エンジンはGPカー P3(ティーポ B)用の8気筒エンジンを220HPにディチューンして搭載していました。この車は1936年と1937年のミッレ ミリアで優勝しました。
アルファ ロメオ 8C 2900Bは8C 2900Aのエンジンを180HPにディチューンした市販スポーツカー(当時のスーパーカー)で、1937年に登場しました。ホイールベースが2900A(2718㎜)より長く、ショートホイールベース(2799㎜)のコルト(CORTO)とロングホイールベース(3000㎜)のルンゴ(LUNGO)の2タイプがあり、ほとんどはカロッツェリア トゥリングがボディを架装していました。市販車ながらもショートホイールベースのレース仕様が1938年のミッレミリアで、ロング ホイールベースのレース仕様が1947年のミッレミリアで優勝しています。8C 2900Bはたった30台ほどしか生産されませんでした。
ミニカーは2005年に発売されたミニチャンプス製です。ミニカーの収納箱(ディスプレイケース)には実車の写真が使われていて、解説には「世界で最も美しい最速の車と評された」と書かれています。後傾したフロントグリルと長いボンネットの古典的なスポーツカーの美しさが、このミニカーで見事に再現されています。良く出来たリアルなワイヤースポークホイール、ボンネットのルーバー部の墨入れ、室内の造形など細かいところもレベルの高い仕上げがされています。2005年前後に発売されたミニチャンプスの1/43のミニカーは、非常に凝った仕上げで出来が良いものが多かったです。(2023年現在では同社にそのようなレベルの1/43ミニカーを望むべくもありません 最近販売されている再生産のマキシチャンプスの仕上げレベルはコストダウンで雑誌付きミニカー並みです) これ以外の8C 2900のミニカーは約30数種類あります。レース仕様ではミッレ ミリア仕様をブルムとトゥルー スケールが、ルマン仕様(レース結果はリタイヤ)をミニチャンプスがモデル化しています。CMCの1/18 超精密モデルの8C 2900Bではレースカーだけではなくエンジン単体やフレームを再現したものもあります。 以下はフロント/リア(後輪拡大)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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