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BMC ミニ クーパー S モンテ カルロ イギリス 1967年
レーシングカーを開発していたクーパー社のジョン クーパーがミニの優れた操縦性に目をつけ、BMCにスポーツ仕様の販売を提案し1961年に登場したのがミニ クーパーでした。オリジナルの848cc(34HP)をチューンした997cc(55HP)エンジンを搭載し、ディスクブレーキを備えていました。ラリーに参戦するため、当時のグループ2規格の認証に必要な台数(500台)がまず生産されました。1963年にはさらに高性能な1071cc(70HP)エンジンを搭載しブレーキを強化したミニ クーパー Sが追加され、さらに1964年には1275cc(76HP)エンジンも追加されました。
ミニ クーパーは様々なレースやラリーで大活躍していますが、ミニ クーパーの名前を最も有名にしたのはモンテ カルロ ラリーでの活躍でした。1961年に初参戦し、1963年には3位(#288号車)入賞しています。1964年に初優勝(#37号車)し、1965年も優勝(#52号車)して2連覇しました。1966年も#2号車が勝利をほぼ手中にしていたのですが、ヘッドライトのレギュレーション違反で失格となり3連覇を逃しました。翌1967年は前年の失格に対する抗議でBMCはワークスチームを出しませんでしたが、プライベートチームをサポートして3度目の優勝(#177号車)を果たしました。1968年も3位(#18号車)入賞しています。
ミニカーは1997年に発売されたコーギー製の当時物です。ミニのミニカーは非常にたくさんあります。当時物としては老舗コーギーがリアルタイムに発売していた物がありました。最初は型番317の1964年仕様、次に型番321の1965年仕様、3台目が同じ型番321の1966年仕様、4台目が型番339の1967年仕様となります。特にこの1967年仕様(型番339)はエンジンのアンダーガード、フロントバンバーガード、屋根上のスペアタイヤなど(実車と全く同じではないですが)ラリー仕様らしい外観となっていました。実車に比べるとライト(ラインストーン:カットされたガラス球)がやや小さいように感じますが、後にラインストーンを大きくしたバリエーションが発売されました。同じ型でホイールをフリーホイールに変えたものが型番308で1972年に発売されました。型番339は約70万台も生産されているので現在でもたまにオークションなどで見かけますが、型番339以外のコーギーのモンテ カルロ ラリー仕様はいずれもかなりのレア物です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 (プリンス) R380 II 日本 1967年
プリンス自動車はスカイラインにグロリアの6気筒2Lエンジンを搭載したスカイライン GT(S54型)で1964年の第2回日本グランプリに参戦しました。このレースではポルシェ 904(ドライバー 式場壮吉)が優勝しました。プリンス自動車はポルシェ 904に対抗できるレースカーとして、プリンス R380 Iを1965年に開発しました。(1965年にプリンス自動車と日産自動車が合併した後は日産 R380 Iと改名した) (実車画像→ プリンス R380 I)
R380 Iは日本初のグループ6 プロトタイプスポーツカーで、イギリスから輸入したブラバムの鋼管フレーム構造のシャーシを流用しボディはアルミ製でした。(デザインはポルシェ 904に似ています) エンジンはスカイライン GTのものをベースにDOHC化し、3連装キャブレターで200HPの性能でした。参戦する予定だった1965年日本グランプリが開催されなかったので、R380 Iは矢田部の高速試験場で速度記録に挑み国内速度記録(時速238.15km SS50㎞平均速度)を樹立しています。1966年日本グランプリでは、R380 Iは1-2フィニッシュで優勝しました。ちなみに3位はトヨタ 2000GTのレース仕様でした。
1967年にボディを大幅に変更したR380 IIが登場しました。1967年の日本グランプリでは、ポールポジションを獲ったポルシェ 906が優勝し、R380 IIは2-3-4位となりました。同年にノーズ形状を変更したR380-II改が矢田部で速度記録に挑戦し世界速度記録を樹立しています。R380はボディを大型化しルーカスの機械式燃料噴射で245HPにパワーアップしたR380 IIIに発展しました。1968年には後継車のR381が登場しましたが、R380 IIIはR381のバックアップとして併用され、1970年まで国内外のレースに参戦していました。(実車画像→ 日産 R381) 1969年にR382が登場しました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製です。1967年日本グランプリで4位となった車をモデル化しています。(同日本グランプリ出場車は4台ともモデル化されています) エブロらしい手堅い作りで、良くできています。エブロはR380 I、R381、R382もモデル化しています。R380の当時物ミニカーとしてはダイアペットがありましたが、かなりのレア物です。それ以外では京商が1/64の日産 レーシングカー コレクションでR380 I、R380 II、R381、R382をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード GT40 (MK I) アメリカ 1969年
フォード社は自社のイメージを上げる為に、耐久レース(ルマン、デイトナ、セブリングなど)に参戦することを計画しました。その手っ取り早い方法としてイタリアのフェラーリを買収する交渉を始めましたが、この交渉は失敗しました。そこでイギリスのローラ社と提携し、フォードのエンジンを搭載するローラ MK VI GTをベースにしたレーシングカーの自社開発に乗り出しました。(実車画像→ ローラ MK VI GT 1963)
1964年にフォード GT (MK I)が完成しました。鋼鉄製モノコックシャーシにFRP製ボディを載せる構造で、エンジンはインディカー用に開発されたV型8気筒4.7L(350HP)をミドシップ搭載していました。 この車は公開時に車高が40インチ(1016mm)であることに驚いた記者がつけたGT40という通称で呼ばれるようになりました。(正式な名前はGTで、GT40とは厳密にはスポーツカークラスに認証された市販レーシングカーを示すようですが、当サイトでは全て通称のGT40で統一しています)
1964年のデビュー戦はニュルブルクリングでリタイア、ルマンでもリタイアといった結果でした。1965年にはキャロル シェルビーがレースを統括することになり、デイトナで初めて勝利しましたが、あとは散々な結果でした。この経験を踏まえて、エンジンを7L(472HP)にパワーアップしたMK IIが1966年に登場しました。1966年ルマンでMK IIは1-2-3フィニッシュで優勝し、これはルマンでのアメリカ車の初優勝でした。
1967年にJカーという名前で新規開発した車がMK IVとして登場し、ルマンとセブリングに出場しどちらも優勝しました。(実車画像→ フォード Jカー) 1968年のレギュレーション変更で5Lを超える大排気量エンジンが使えなくなったので、フォードは1967年限りでワークス活動を中止しました。その後もフォード系列のレーシングチームがMK I(5Lエンジン搭載)で1968年と1969年に優勝し、ルマン4連覇を達成しました。なおスポーツカークラスの認証用に生産されたMK Iの市販仕様がMK IIIで、ヘッドライトが丸形4灯になり、内装などが変更されていました。2005年にフォード100周年を記念して、GT40をリメイクしたGTが限定生産されました。(実車画像→ フォード MK III 1966) (実車画像→ フォード GT 2005)
ミニカーは1992年頃に発売されたジョエフ製で、細部まで精密に再現したことを売り物にして数種類だけ製作されたシリーズの1台です。 GT40(MK I) 1969年ルマン優勝車(GULFカラー)をモデル化しています。ドアや前後パネルが開閉し、1/43サイズながらエンジンやシャーシなどがかなりリアルに再現されていました。プロポーション的にはややダイナミックさが物足りない感じも少しありますが、メカ部分の精密な再現は非常に高く評価できます。ルーフと一体化されたドアがスムーズに開閉し、室内もインパネが良く再現されています。フロントパネルの下にはスぺタイヤやエアダクトが再現されています。リアカウルを開くとエンジンと複雑な形状の排気管、ギヤボックス、リアサスペンションのコイルスプリングなどが実にリアルに再現されています。以下は/フロント/フロントパネルを開いた画像と/リア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マトラ スポーツ MS630 フランス 1969年
マトラはモータースポーツを担当するマトラ スポール(スポーツ)を1964年に設立し、フォーミュラカーとプロトタイプスポーツカーのレースに参戦しました。フォーミュラカーではまずF3にMS1で参戦しすぐにF3選手権を制覇し、F2でもMS7などでヨーロッパ選手権を制覇しました。(実車画像→ マトラ MS7 1967)
1968年から自社製V型12気筒3Lエンジンを搭載するワークスのMS11とフォード コスワース DFV エンジンを搭載するセミワークスのMS10でF1に参戦しました。MS10はJ.スチュアートのドライブでオランダGPでのF1初優勝を含めて3勝し、上位陣として活躍しました。1969年はセミワークスのみの参戦でしたが、11戦で6勝する圧勝で、J.スチュアートのドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンの2冠を獲得しました。
データーベースでマトラ MSのミニカー検索
1969年末にマトラは経営難からクライスラー傘下のシムカと合併し、社名をマトラ シムカに変更しました。これでフォード エンジンが使えなくなり、セミワークスだったマトラ インターナショナルはマトラから独立してティレルとなりました。またワークスは1970年にF1に復帰しますが、成績が振るわず1972年にF1から撤退しました。 ルマン制覇を目標にしたプロトタイプスポーツカーレースでは、BRM製V型8気筒2Lエンジンを搭載するMS620で1966年から参戦しました。その後1967年にMS630、1968年に自社製V型12気筒3Lエンジン搭載のMS650に発展し1969年ルマンでは4位入賞しました。1970年にMS660に発展し、1972年に登場したMS670はルマンで初優勝し、その後1974年までルマンを3連覇しました。1973年と1974年はメイクスチャンピオンにもなりましたが、1974年をもってマトラはワークス活動から撤退し、技術陣の多くはリジェに移籍しました。
ミニカーは1970年に発売されたポリトーイ製Mシリーズの当時物です。これはオークションで入手した物で、貼られていたゼッケンの一部が剥がされていました。MS630は好成績を残したわけではないので、どのレース仕様をモデル化しているのかは分かりませんが、ロングテールなのでルマン仕様でしょう。実車の平べったいイメージがやや誇張されていますが、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。フロンパネル/ドア/リアパネルが開閉するギミック付きです。Mシリーズの後期物ですので初期物ほど凝っていませんが、エンジンが立体的に再現されています。ポリトーイはMS660もモデル化していました。それ以外の当時物ではソリドのMS10 F1やMS650やMS670などがありました。最近のものでは、イクソのMS670とミニチャンプスのMS670に加えてスパークとビザールがF1やスポーツカーを非常に多くモデル化しています。以下はフロント/フロンパネルを開いた画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。エンジンは床下部分まで立体的に再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マクラーレン M8B カンナム イギリス 1969年
F1ドライバーであったB.マクラーレン(Bruce McLaren)がマクラーレン レーシング チームを1963年に設立しました。当時のB.マクラーレンはクーパーのドライバーでしたが、クーパーのF1活動に影響しないレースカーの開発/販売などを行ないました。1966年にクーパーから離れ自ら開発したマクラーレン M2BでF1に参戦しました。また1966年からカンナム(CAN-AM:カナディアン アメリカン チャレンジカップ)にもマクラーレン M1Bで参戦しました。(実車画像→ マクラーレン M2B、マクラーレン M1B)
F1ではマクラーレン M7Aが1968年のベルギーGPでF1初優勝し、このシーズンは3勝してコンストラクターとしてロータスに次ぐ2位となりました。1969年シーズンは1勝しコンストラクターの4位となりました。(実車画像→ マクラーレン M7A)
カンナムでは1967年にシボレーのV型8気筒5.9L(525HP)エンジンを搭載したマクラーレン M6Aが登場し、1967年のシリーズ チャンピオンとなりました。(実車画像→ マクラーレン M6A) 1968年にはエンジンを7L(620HP)にパワーアップした改良版のM8Aが登場し、1968年のチャンピオンとなりました。その後M8Aは1969年に大きなリアスポイラーが付いたM8B、1970年の7.6L(680HP)エンジン搭載で低いリアスポイラーの付いたM8D、1971年の8L(740HP)エンジン搭載でボディと一体化したリアスポイラーの付いたM8Fと改良されていきました。なお1970年にはM8Dのテスト走行中にB.マクラーレンが事故死する不幸な出来事がありました。
マクラーレンは1967年から1971年まで5年連続してチャンピオンとなり、この時期がマクラーレンのカンナムでの黄金期でした。当時カンナムといえばオレンジ色のマクラーレンというイメージが広く定着していました。マクラーレンは1972年末にカンナムから撤退し、以後はF1とインディ500に注力することになりました。
ミニカーは1970年に発売されたソリド製の当時物です。50年以上も前に作られたミニカーですが、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。コクピット背後にはV型8気筒エンジンの吸気パイプが再現されています。当時のミニカーは左側面が見える透明フィルム窓付き紙箱に入れて販売されていたので、左側面だけはデカールが最初から貼ってありました。残りのデカールは箱に添付されているので自分で貼るのですが、これは貼っていません。これ以外のM6/M8の当時物ミニカーとしては、ディンキー、ポリトーイ、メーベトイなどがあります。当時物以外ではミニチャンプス、GMP、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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