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フィアット 131 ミラフィオーリ イタリア 1974年
1974年にフィアット 124の後継車としてフィアット 131が登場しました。サブネームのミラフィオーリとは生産工場の名前でした。124は平凡な設計ながらスポーティな味付けの車でしたが、131はごくオーソドックスな乗用車に変わりました。124に装備していた4輪ディスクブレーキは後輪がドラム式に代わり、クーペやスパイダーの設定は無くなり代わりに2ドアセダンが設定されました。ボディはシンプルなセダン スタイルで、エンジンは4気筒1.3L(65HP)と1.6L(75HP)の2種類、1.6L搭載車は丸型4灯式ヘッドライト、1.3L搭載車は角形2灯式ヘッドライトとなっていました。
フィアット 131は1978年のマイナーチェンジで、大型の角形2灯式ヘッドライトを採用し内装などが高級な物に変わりました。また4ドア版にエンジンをDOHC化した高性能版のスーパーミラフィオーリが追加され、2ドア版にはフィアット 132用のDOHCエンジン(2L 115HP)を搭載したレーシング(最高速180km/h)が追加されてスポーティさも加わりました。131は大衆車として大成功し、1983年に登場した前輪駆動のレガータを後継車として生産中止となりました。総生産台数は約150万台でした。
ミニカーは1975年に発売されたメーベトイ(マテル)製の当時物です。この頃はミニカーの簡素化(コストダウン)が進んでいた時期でしたので、この131もコレクションの対象として見ることは出来ますが、あまり良くない出来ばえです。プロポーションは良いのですが、バンパーと一体化したヘッドライトのフロントグリル造形や、安っぽいホイールなどがいただけません。ただし当時の廉価版ミニカーはほとんどがこんな感じでした。ドア開閉ギミック付です。これ以外の当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとブレーク、ポリトーイの1/25と1/43、Bブラーゴの1/24などがありました。当時物以外ではスターライン、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ アルフェッタ GT イタリア 1974年
トランス アクスル方式(前後重量配分が良くバネ下重量が軽い)やインボード式リアブレーキを採用したアルフェッタはスポーツカーのベースとして最適でした。そこでホイールベースを短縮したシャーシにイタル デザインのスポーティなクーペ ボディを載せたGTが1974年に登場しました。GTは期待どおりの優れた操縦性と居住性を両立させたスポーツカーに仕上がりましたが、セダンと同じ不具合(製造品質の問題、ボディ鋼板の錆など)を抱えていました。この不具合は1980年代に大幅な改良が行われるまで続きました。
当初はセダンと同じ1.8L(122HP)エンジンでしたが、1976年には廉価版の1.6L(109HP)エンジンと高性能版の2L(130HP)エンジン搭載のGTVが追加されました。このGTVはジュリア 2000 GTVを代替する車となりました。また1980年のマイナーチェンジでバンパーとフロントスポイラーが一体化されるなど外観が変更され、V型6気筒2.5L(150HP)の新型エンジンを搭載したGTV 2.5が登場しました。この優れたエンジン採用などの改良で不具合のイメージは回復していきました。1983年以降はアルフェッタが省かれアルファ ロメオ GTVと呼ばれるようになり、1987年まで生産されました。
ミニカーはプロゲット K製で、1998年頃に発売されました。プロゲット KはイタリアのPEGO ITALIA社のブランドで、安価ながらそこそこ良い出来ばえのイタリア車のミニカー(主にダイキャスト製)を製作していました。(2011年に製作をやめました) このアルフェッタ GTもプロポーションが良く、スポーティな実車がうまく再現されていました。灯火類や室内などの仕上げも値段相応でした。(当時の定価は3900円でした) アルフェッタ GTの当時物ミニカーはマーキュリー、ポリトーイ、ソリドがありました。当時物以外ではミニチャンプス、M4、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ウラッコ P250 イタリア 1974年
ランボルギーニがポルシェ 911クラスの2+2座スポーツカーのマーケットを狙って開発したのがウラッコで、1970年にプロトタイプが発表されました。ウラッコとは「小さな牡牛」の意で「ベビー ランボルギーニ」と呼ばれました。2+2座を実現するためにミドシップ横置きエンジンという難しい構造を採用したのは、ランボルギーニらしさを出すためだったのでしょう。この構造で価格をポルシェ 911と同程度とする必要があったことから量産には問題が多かったようで、実際に生産されたのは1973年からでした。
当初のP250のエンジンはV型8気筒2.5L(220HP)で、1975年に追加されたP300はDOHC V型8気筒3L(250HP)で、P300の最高速は265km/hでした。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)のデザインは直線的でモダンでしたが、全長が短いので寸詰まりな感じがしてあまりかっこよくありませんでした。結局この車は1979年までに約800台ほどしか生産されず、ポルシェ 911には遠く及ばない失敗作でした。1976年に後継車のシルエットが登場しました。(実車画像→ ランボルギーニ シルエット)
ミニカーは2004年に発売されミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいそつのない造形で、実車の寸詰まりなイメージがうまく再現されていてかなり良い出来ばえです。灯火類、リアウィンドーのルーバー、室内のインパネなどの細部もリアルに再現されています。当時物ミニカーとしてはメーベトイとポリトーイがありました。当時物以外では京商の1/18と1/64、イクソとその別ブランドのホワイトボックス、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ブラーボ イタリア 1974年
ランボルギーニ ブラーボは1974年にトリノ ショーで公開されたコンセプトカーです。ベルトーネのマルチェロ ガンディーニのデザインで、ウラッコをベースにしていました。ウラッコの後継車として実際に量産準備をしていた走行可能なプロトタイプでした。その為ボディの基本プロフィールはあまり奇をてらったところがないシンプルなデザインです。ただフロントピラーを隠してサイドとフロントを一体化した大きなウインドーは斬新でした。フロントとリアのルーバーパネルはシンプルなボディのアクセントになっていて、フロントのルーバー最前列の左右の2つはリトラクタブルヘッドライトとなっていました。
リア クオーターパネルの窓の切り欠きもデザイン上のアクセントで、この切り欠きのモチーフがフロントエンドとテールエンドに反復されていました。エンジンはウラッコのV型8気筒3Lで横置きミドシップ搭載されていました。ブラーボは量産化されませんでしたが、デザインの特徴(リアフェンダーのホイールオープニング形状など)は同時期に市販化が発表されたカウンタックとよく似ていました。またカウンタックに採用された5穴ホイールがブラーボ ホイールと呼ばれるのは、それがブラーボ用にデザインされた5穴ホイールと同じだったからです。
ミニカーは2008年に発売されたミニチャンプス製です。全盛期のミニチャンプスのそつの無い標準的な良い出来ばえです。実車に忠実でスモーク ガラス仕様になっているので、室内はほとんど見えません。特筆すべきはその見えない室内の造形も手抜きせずに再現してあることです。当方は興味本位でミニカーを分解して内部を確認してみました。ステアリング センターのランボルギーニのロゴやメータパネルまでちゃんと再現してありました。 当時のミニチャンプスはこのように真摯で良心的な物づくりをしていたので好きなブランドでしたが、最近はその姿勢が崩れました。(1/43のF1や1/18はそうでもないようですが、昔に比べると高価です) これ以外のブラーボのミニカーは、京商の1/64やホワイトボックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と俯瞰/分解して撮影した室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ カウンタック LP400 イタリア 1974年
ランボルギーニ ミウラの後継車として計画されたカウンタックのプロトタイプ LP500は1971年に発表されました。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)によるウェッジシェイプの未来的なデザインはセンセーショナルな評判を呼びました。またV型12気筒5L(440HP)エンジンを変速機側を前方に向けてミドシップで縦置きに配置するという構造も特異なものでした。
このような特異な構造にはやはり無理があり、エンジンの冷却などに問題が生じそのままでは量産化できませんでした。3年後の1974年に市販されたLP400は冷却用のエアインテークなどが追加され、エンジンはミウラ用のV型12気筒3.9L(375HP)に変更されていました。当時のライバルであったフェラーリ BBと張り合って最高速300km/hを公称していました。 LP400は1978年に改良型のLP400S、1982年に4.7Lエンジン搭載のLP500S、1985年に4バルブ化した5.2L(455HP)エンジンを搭載したLP500QVに発展しました。1990年まで生産され、総生産台数は約2000台でした。なお当時のランボルギーニ社はウラッコの失敗などで経営不振となり、1978年に一度倒産しています。その後イタリア政府の管理下となり、クライスラー傘下などを経て現在はVWグループのアウディ傘下となっています。
カウンタックという名前は本来は「クンタッチ」のような発音で、イタリア語でびっくりしたときに発する感嘆詞だそうです。確かに走行中のこの車を見るとこのような言葉がでます。私は路上でこの車と高速ですれ違ったことがありますが、近づいてくる幅の広い異様な車にびっくりしました。(すれ違った時点でカウンタックであると気づきましたが、実物はどちらかというと変わった車に見えます)
ミニカーは2002年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいリアルな造形で、とてもよく出来ています。1/43のダイキャスト製ミニカーとしてはプロポーションや灯火類などの細部の仕上げがベストに近い出来ばえだと思います。ただサイドウィンドーの透明度が低いのでそこから室内がほとんど見えないのが今一つです。(室内はサイドウィンドーからの撮影ができませんでしたので、フロントウィンドー越しに撮影しました) カウンタックのミニカーは非常にたくさんあります。プロトタイプ LP500のミニカーはポリスティル(ポリトーイ)の1/25、京商の1/18などがあります。LP400の当時物ミニカーは、ダイヤペット、トミカ、トミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、シンセイ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。最近の物では京商の1/43と1/18、オートアートの1/18、アイドロン(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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