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BMW ターボ ドイツ 1972年
BMW ターボは1972年に開催されたミュンヘン オリンピックを記念してBMWが開発したコンセプトカーでした。BMW 2002のシャーシをベースにした未来的なスポーツカーで、大胆なくさび形の2ドアクーペボディにガルウィングドア、リトラクタブルヘッドライトを採用していました。ボディと一体化した大きな前後バンパーは衝撃を吸収する発泡材を充填していました。ミドシップ横置き搭載された4気筒2L(280HP)エンジンは後に登場した2002 ターボ用(170HP)を先取りしたものでした。0-100km/h加速が6.6秒、最高時速は250km/hの性能でした。
未来的な外観に合わせて、室内のコクピットも横長のスピードメーターなど目新しいデザインでした。また最新技術としてレーダーを使用して前方の車との車間距離を測定し室内のセンターコンソールのディスプレイに表示し、車間距離が設定レベルを下回った場合にドライバーへ警告する制動距離モニターを備えていました。BMW ターボは2台だけ製造され、オリンピックのパレード車両として採用されました。この車のイメージを踏襲した後継車として1978年にBMW M1が登場しました。
ミニカーは1975年に発売されたシュコー製の当時物です。シュコーの型番301***の1/43サイズのミニカーは、当時かなりレベルの高い出来ばえでした。このBMW ターボもプロポーションが良く、実車の特徴的なくさび形ボディがうまく再現されています。フロントパネル/ガルウィングドア/リアパネルが開閉するギミック付きで、室内は横長のスピードメーターがそこそこリアルに再現されています。ただ残念なことに、当時のシュコーには塗装品質が良くない物があり、このBMW ターボのボディ塗装はかなり劣化しています。ただし何故かバンパーの塗装は劣化していません。(ボディの下地処理が不十分だったのか、塗装そのものが良くないのでしょう) これ以外のBMW ターボのミニカーは、同じシュコーの当時物 1/66と最近のレジン製1/43、ノレブのJETCARシリーズの当時物、国産のマルシン ミニスターシリーズの当時物などがあります。以下はフロント/フロントパネルを開いた状態の画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。リアパネル下にはBMWのロゴが付いたエンジンが再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 80 GL (B1) ドイツ 1972年
前述したように1965年に復活したアウディの最初のモデルはDKW F102をベースとしたアウディ 75 (F103)で、縦置きエンジンによる前輪駆動車でした。1972年に登場したアウディ 80はそのアウディ 75の後継車で、4気筒1.3L/1.5Lエンジンを縦置き搭載した前輪駆動の小型車でした。この車はフォルクスワーゲンが次世代の主力モデルとして開発し1973年に登場したフォルクスワーゲン パサートのベースとなった車でした。アウディ 80は一般的なノッチバック セダンでしたが、パサートはハッチバック セダンでした。
デザインはイタルデザインのG.ジウジアーロによるもので、シンプルな面構成でバランスの良いデザインでした。2ドア/4ドアセダンと5ドアワゴンがありました。エンジンは4気筒1.3L/1.5L(85HP)が搭載され、標準モデルは2灯式で上級グレードは4灯式ヘッドライトでした。1973年に1.6L(100HP)エンジン搭載の高性能版80GTが追加されました。1973年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。1977年のマイナーチェンジでヘッドライトが角形に変更されました。1978年に2代目(B2)にモデルチェンジしました。(実車画像→ アウディ 80 1978)
ミニカーは1973年に発売されたシュコー製の当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。その1/43のダイキャスト製ミニカーはこのアウディ 80あたりから始まったもので、フロントグリル全体をメッキしたプラスチックパーツで造形する当時のシュコー独特の作風は、斬新で目新しい出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、可動部の隙間は小さく動作はスムーズでドイツ流の緻密な作りになっていました。(なお初期の物は塗装の質が良くないものがありました) アウディ 80の当時物ミニカーはこれぐらいしかなく、当時物以外ではミニチャンプス、ブレキナの1/87、Bブラーゴの1/24などがあります。 以下はフロン/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル レコード D ドイツ 1972年
1972年にオペル レコードはレコード Dにモデルチェンジしました。このレコード Dはディーゼルエンジン車という意味に取られることがあるので、レコード IIと表記することもあります。先代の曲線的なデザインから当時のGMの1971年式GM ビュイック リビエラのような直線を基調としたスクエアなデザインになりました。ボディタイプはセダン、キャラバン(ワゴン)、クーペがありました。エンジンは4気筒1.7L(83HP)/1.9(97HP)L/2L(100HP)と4気筒2.1L(60HP)のディーゼルがありました。
先代で設定されたスポーティな上級仕様車コモドールもレコード Dとほとんど同じデザインでコモドール Bにモデルチェンジしました。コモドール Bは当初は6気筒2.5L(130HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速182km/hの性能でした。1973年には6気筒2.5Lエンジンが2.8L(160HP)に切り替わりました。レコード D/コモドール Bは1977年まで生産され後継車のレコード E/コモドール Cにモデルチェンジしました。総生産台数はレコード Dが約110万台、コモドール Bが約14万台でした。
ミニカーは1973年頃に発売されたチィス(ZISS)製の当時物です。チィスはドイツのMINI-AUTO社のブランドで、1960-1970年代に当時のオペルやメルセデス ベンツの乗用車、トラック、農機などの1/43サイズのミニカーを生産していました。そのほとんどが実車販促用プロモーションモデルだったそうで、このレコード Dもおそらくはオペルの販促用プロモーションモデルとして作られたと思われます。バンパーが金属製パーツであるなどややレトロな作風ですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとして良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外のレコード Dの当時物ミニカーはポリスティルのELシリーズ 1/43、シュコーの小スケール 1/66がありました。当時物以外では、ミニチャンプスのセダン/クーペ/キャラバン(ワゴン)、ヴィーキングのセダンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 5 TL (サンク) フランス 1972年
全く新しいコンセプトの小型車として1972年に登場したのがルノー 5(フランス語の読みは「サンク」)でした。縦置エンジン方式の前輪駆動、全輪独立懸架などの基本構造はルノー 4を踏襲していましたが、ボディはきわめてモダンな2ボックススタイルで、市販車初の樹脂製バンパーの採用など斬新な設計の車でした。この先進的なデザインは大好評で、フランスだけではなくヨーロッパのベストセラーカーとして1980年代まで大ヒットしました。 (個人的にもこのデザインは素晴らしいと思います)
当初のエンジンは4気筒800cc(33HP)と950cc(44HP)の2種類で、4段変速で最高速が135km/h(950cc)の性能でした。1972年に850cc(36HP)/1.3L(46HP)エンジンが追加され、1979年に5ドアが追加されました。1976年に1.4L(93HP)エンジンを搭載し足回りを強化した高性能版のアルピーヌが登場し、さらに1979年にはターボで110HPにパワーアップしたアルピーヌ ターボが登場しました。1985年にフランス国内生産が中止となり、後継車のシュペール 5にモデルチェンジしました。ルノー 5の総生産台数は558万台でした。
ミニカーは1976年頃に発売されたオートピレン製の当時物です。基本的な造形は以下で紹介するソリド製をコピーしていました。ただし単なるコピーではなく、ボンネットとリアハッチの開閉ギミックを上手に追加していました。さらにホイール/テールライトなどの細部の仕上げを良くして、オリジナルのソリド製を上回る完成度の高いミニカーに仕上げていました。ルノー 5の当時物ミニカーの中では断トツの良い出来ばえで、ここまでやるともはやコピーとは言えないレベルで、オートピレンのオリジナルといっても良いでしょう。なお経年変化で前輪車軸の軸受けがへたっているので、前輪下にウレタンフォームをかました状態で写真撮影しています。これ以外の当時物ミニカーはソリド、ノレブ、ポリトーイ、メーベトイ、コーギーの1/36などがありました。当時物以外ではビテス、イクソ、ノレブの1/43と1/18、ソリドの新製品などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン DS 23 フランス 1972年
シトロエン DSは1970年にボッシュの電子制御燃料噴射をフランス車で初めて採用し、翌年には3段自動変速機が設定されました。1972年には排気量を2347ccに拡大しDS 23となりました。(トルク重視の設定で2.2Lの139HPから130HPに少しパワーダウンするも最高速は同じでした) このように改良が行われたシトロエン DSですが、基本設計が古いことはいかんともし難く、1974年に後継車のシトロエン CXが登場し1975年に生産中止となりました。
シトロエン DSは1955年の登場から1975年まで20年間生産され、廉価版のシトロエン IDを含めた総生産台数は約146万台(本国生産は約133万台)でした。シトロエン DSは世界の名車を選考したカーオブ ザ センチュリー(名車100選)において、1位のフォード T型、2位のモーリス ミニに次いで3位という評価を受けています。私は学生時代に一度だけDS 21に乗せてもらったことがありましたが、当時の国産車とは全く別物のしなやかな乗り心地だったことを憶えています。
ミニカーは1976年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。スペインのオートピレンがディンキー(仏)のライセンスで生産したミニカーで、 スペイン ディンキー(DINKY(ES))とも呼ぶこともあります。本家のディンキー(仏)はシトロエン DS 23をモデル化していないので、これはオートピレンが型を起こした物のようです。ディンキー(仏)のDS 19(型番530)の型を変更しているので、ややレトロですがシンプルな良い出来ばえです。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。オートピレンは自社ブランドでもほとんど同じ物を発売していましたが、そちらはホイールが車軸が貫通していないディスクタイプとなっていました。シトロエン DS 19/21に比べるとDS 23のミニカーは少ないのですが、これ以外のDS 23のミニカーはリオのバリエーションでセダンとラリー仕様、ノレブの1/64と1/43と1/18が10種類ほど、スパークのパリ-ダカール ラリー仕様などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像と室内/リア(トランク開閉)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)