Sorry Japanese Only
フォルクスワーゲン K70 ドイツ 1970年
フォルクスワーゲン K70は元々はNSUが開発したロータリーエンジンを搭載したNSU Ro80のレシプロ エンジン版として開発された車でした。しかし1969年にNSUがアウトウニオンと合併したことで、フォルクスワーゲンの傘下となった為、1970年にK70という名前でフォルクスワーゲンから登場しました。従来のフォルクスワーゲン車とまったく違った感じがするのはその為です。 4気筒1.6L(75/90HP)エンジンはNSU式に縦置き搭載されて前輪を駆動し4輪独立懸架サスペンションを採用して、4段変速で最高速158km/hの性能でした。
1972年に角型2灯式ヘッドライトが丸型4灯式ヘッドライトに変更されました。1973年には1.8L(100HP)エンジンを搭載する高性能版K70Sが追加されました。最新のデザインを採用した前輪駆動車K70で、同じ4ドアセダンでデザインが不評であった411の不振を挽回するはずでしたが、何故かこの車も人気が出ませんでした。1975年に生産中止となり、総生産台数は約21万台でした。この当時のフォルクスワーゲンは、前輪駆動車への移行期で色々と試行錯誤していました。
ミニカーは1971年に発売されたメルクリン製の当時物です。メルクリンは鉄道模型の老舗ブランドですが、当時はミニカーも手掛けていました。鉄道模型の老舗ブランドらしい巧みな造形でシンプルで直線的なデザインの実車の雰囲気がうまく再現され、当時物ミニカーとして良く出来ていました。個性的なフロントグリルは、ブラックアウトしたグリルと大きな角形のラインストーンを使ってそれらしく仕上げてあります。ボンネット/4ドア/トランクが開閉するギミック付で、開閉ヒンジ部に板バネを使っているので開閉動作に節度感があります。(4ドア開閉は当時としては凝ったギミックでした) これ以外のK70の当時物ミニカーはシュコーの1/66、ポリトーイの1/55があり、当時物以外ではノレブ、ヴィーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=520
アウディ 100S クーペ ドイツ 1970年
戦前に設立されたアウトウニオン社は第2次大戦中は軍用車両の生産を行いました。敗戦したドイツは東西に分断され、アウトウニオン社の主要な工場は東ドイツ側にあったので東ドイツの会社に統合されました。1947年に西ドイツのアウトウニオンの子会社が新生アウトウニオンを創立し、戦前のモデルをベースにしたDKW車を生産し始めました。1958年にダイムラー ベンツ社がそのアウトウニオン社を買収し、その後1964年にフォルクスワーゲン社がアウトウニオン社を傘下に収めました。
1965年にDKW F102の2ストロークエンジンを4ストロークに変更したアウトウニオン アウディ 75 (F103)が登場しました。(実車画像→アウトウニオン アウディ 75 1965) この車は後にアウトウニオンの名前が外れて、復活したアウディの最初のモデルとなりました。(この時点でDKWブランドは消滅しました) アウディ 75は4気筒1.7L(75HP)エンジンを縦置きする前輪駆動の中型セダンで、ワゴンのバリアントや高性能版のスーパー 90などが追加されました。1968年にはフォルクスワーゲン グループの最上級車としてアウディ 100が登場しました。(実車画像→ アウディ 100) アウディ 100は4気筒1.8L(100HP)エンジンを搭載した中型の前輪駆動車で、シンプルで品の良いデザインが特徴でした。当初はセダンだけでしたが、1970年に1.9L(115HP)エンジンを搭載するファーストバックのクーペが追加されました。アウディ 100は1975年に2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはドイツのメルクリン製の当時物です。アウディ 100 クーペをモデル化しています。メルクリンは鉄道模型の老舗メーカーで、1950-1970年代にはダイキャスト製ミニカーも作っていました。フロントの造形は実車のイメージ通りですが、キャビン後部の形状が実車とは少し違う感じで、より低く伸びた感じになっています。これはメルクリン流のデフォルメなのだと思います。ホイールは当時の流行だった走らせることを重視したフリーホイールになっていました。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、この開閉ギミックはヒンジ部に板バネを使うことで閉じたときの立付けが良くメリハリの効いた開閉動作を実現していました。メルクリンは型番1821で4ドアセダンもモデル化していました。これ以外のアウディ 100の当時物ミニカーはシュコーのセダンとクーペ 1/66、ジクのセダン 1/60などがありました。当時物以外ではミニチャンプスのセダンとクーペ、ヘルパのセダンとクーペ 1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=528
ポルシェ 908/3 プローバ ドイツ 1970年
ルマンに代表される国際(スポーツカー)メーカー選手権は1968年にプロトタイプカーの排気量を3L、スポーツカーの排気量を5Lに制限して両カテゴリーを統一しました。その為3Lを超える大排気量エンジンのフェラーリ 330やフォード GT40が出場できなくなり、ポルシェが総合優勝を狙えるようになりました。そこで空冷水平対向8気筒3Lエンジンを新開発し、907ベースのシャーシに載せた908が1968年に登場しました。
当初は907とほぼ同じスタイルで、テール左右にサスペンションと連動して仰角が変わるフラップが付いていました。また高速サーキット用のロングテール仕様の908LHもありました。1968年のニュルブルクリングで優勝していますが、クーペタイプの908はあまり活躍していません。(実車画像→ ポルシェ 908LH クーペ 1968)
1969年のレギュレーション変更でオープンルーフが可能となり、ルーフを外して軽量化した908/2に変わりました。さらにボディもフェンダーの膨らみが無くウインドスクリーンが無い平板なスパイダースタイル(フルンダー(FLOUNDER:ヒラメの意)と呼ばれた)に変わりました。1969年シーズンはタルガ フロリオ、スパなどで10戦中7勝(917の1勝含む)してポルシェはメイクスチャンピオンを初受賞しました。なお1969年ルマンでは僅差で908LH クーペがフォード GT40に次ぐ2位でした。後継車の917が登場した後も軽量化した908/3や、2Lターボエンジンを搭載した908/4、908/80として1980年頃まで活躍しました。
ミニカーは1992年頃に発売されたベスト モデル製です。908/3のPROVA(試験車 プロトタイプ)をモデル化しています。1990年頃のベスト モデルのミニカーは当時としては非常に出来が良かったので、現在のミニカーと比べてもあまり遜色がありません。(現在のようなタンポ印刷による細部の仕上げは出来ていませんが) ベスト モデルは908/2から908/4まで約80種類もバリエーションを作っていました。それ以外の908のミニカーはソリドやマーキュリーの当時物、当時物以外ではミニチャンプス、エブロ、シュコー、スパークなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下のリアサスペンション周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1764
オペル マンタ A SR ドイツ 1970年
1968年のオペル GTに続くスポーティイメージアップの第2弾として、1970年に登場したのがマンタでした。この車は2ケ月ほど後に登場する4ドアセダンのアスコナをベースにしたスポーティカーで、大成功したフォード ヨーロッパのカプリに対抗する車でした。テールライトなどにオペル GTのイメージをだぶらせたスポーティなデザインは魅力的でした。カデット用の4気筒1.2L/1.6L/1.9L(90HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速170km/h(1.9L)の性能でした。1974年に燃料噴射で105HPにパワーアップした高性能版のGT/Eが追加されました。
1975年にアスコナが2代目アスコナ Bにモデルチェンジし、マンタも2代目マンタ Bにモデルチェンジしました。基本的なデザインは先代を踏襲しながら、角形ヘッドライトのスラントノーズを持つデザインとなりました。エンジンなどの主要なメカも先代をそのまま踏襲していて、1976年に高性能版GT/Eは2L(110HP)エンジンに変わりました。1977年に3ドアハッチバックが追加されました。1981年にアスコナが前輪駆動化された3代目アスコナ Cにモデルチェンジした後も、マンタ Bは1988年まで生産されました。1981年にアスコナのWRCラリー仕様の後継車としてマンタ Bをベースにしたラリー仕様車 マンタ 400が登場し1984年まで使われました。(実車画像→ オペル マンタ B 1975)
ミニカーは1971年に発売されたソリド製の当時物です。マットブラックのボンネットでフォグラングを備えたスポーツ仕様のSRをモデル化しています。マンタの曲面的なデザインがうまく再現されていて、ソリドらしいレベルの高い出来ばえでした。ドアが開閉するギミック付きです。ソリドは型番188Rで、ラリー仕様もモデル化していました。マンタ Aの当時物ミニカーはこのソリド製をコピーしたオートピレン、メルクリン、シュコーの1/66などがありました。当時物以外ではミニチャンプス、ノレブ、シュコーなどがあります。マンタ Bのミニカーはシュコー、ノレブ、ビテスの400 ラリー仕様、イクソのラリー仕様などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=562
フォード カプリ MK I 2300GT ドイツ 1970年
1967年にヨーロッパ フォードが設立され、ドイツ フォードとイギリス フォードはモデルの共通化を進めていきました。その最初の取り組みは1968年に登場したイギリス フォードのエスコートで、1969年からドイツでも生産されました。(エスコートを左ハンドル化しただけでしたが) その後イギリスとドイツの製造工場で生産することを意図して開発され、同じボディに両フォードが独自のエンジンを搭載したフォード カプリが1969年に登場しました。
カプリはアメリカで大成功したマスタングのコンセプトをヨーロッパに適用したものでした。ロングノーズ ショートデッキのスポーティなスタイル、エンジンと内外装の豊富なオプション設定などマスタングと同じコンセプトが当たり、この車はアメリカ同様に大成功しました。ドイツ版のエンジンは4気筒1.3L/1.5L/1.7L、6気筒2.3L(108HP)/3L(138HP)など豊富なバリエーションがありました。3Lエンジン搭載車は最高速200km/hと高性能でした。 1974年にカプリ IIにモデルチェンジしました。(参照ページ→ イギルス フォードのカプリ)
ミニカーは1970年に発売されたメルクリン製の当時物です。6気筒2.3Lエンジンを搭載した2300GTをモデル化しています。鉄道模型メーカーとして有名なメルクリンは、数は少ないですが、戦前から1980年代までミニカーを発売していました。特に1970年代に作られたものは、同社の高度な鋳造技術を使った素晴らしい出来ばえの物が多くありました。このカプリもその1台でプロポーションが良く、シャープな造形で当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。ただしメルクリンのミニカーに共通して使われていたフリーホイールの外形が少し小さめな点、角型ヘッドライトに丸いラインストーンを使っている点、インパネの造形が簡素な点は今ひとつです。(フリーホイールの見た目はそう悪くないのですが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、板バネを使ったヒンジによる開閉動作はかっちりとした節度感がありました。これ以外のカプリ MK I ドイツ版(左ハンドル)のミニカーはソリドの当時物のレース仕様車、デルプラド製の世界の名車シリーズ、ミニチャンプスの1/43と1/18、本ウェル(カララマ)の1/43と1/72などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)