Sorry Japanese Only
フェラーリ 512S ベルリネッタ ピニンファリーナ イタリア 1969年
フェラーリ 512S ベルリネッタは1969年のトリノ ショーで公開されたコンセプトカーでした。ベースはレースカーの512Sで、ミドシップのスポーツカーの未来像を提案したものでした。当時はこのようなウェッジシェイプのコンセプトカーが多かったのですが、フロントのフェンダーラインの抑揚などにピニンファリーナ流が感じられます。
またキャビン横にあるインテークの形状やそれにつながるリアカウルには当時のカンナム(CAN-AM)マシンの影響が感じられます。なお512Sを使ったコンセプトカーとしては翌年に発表された512S モデューロもありました。512Sよりもモデューロのほうが圧倒的に未来的なデザインだったので、512Sのコンセプトはかすんでしまいました。
ミニカーはメーベトイ製の当時物で1976年頃に発売されました。全体的にややシャープさが足りないような気もしますが、当時のミニカーとしては上出来だったと思います。トラクタブルヘッドライトが可動し、キャノピー式のドアも開閉します。リアカウルを開くとあまりリアルじゃないですが、派手な色合いでエンジンが再現されています。(メーベトイは1969年にマテル傘下となったので、この色合いはマテルの影響かも?) テールライト部分は紙シールで表現されていて、リアカウルのスリット越しにエンジンが見えるのは結構リアルです。これ以外の当時物ミニカーはポリトーイとマーキューリー、ポリトーイをコピーしたジョアル、メーベトイをコピーしたオートピレンがありました。当時物以外ではTOPMARQUES(レジン製)があります。 以下はフロント(ヘッドライト開閉)とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1809
フェラーリ シグマ グランプリ ピニンファリーナ イタリア 1969年
フェラーリ シグマ グランプリは1969年のジュネーブショーで公開されたコンセプトカーでした。1960年代後半のF1は排気量拡大でコーナリング性能が向上したことなどで、ドライバーが負傷する事故が増えました。例えば1967年のフェラーリ 312の車両火災によるL.バンディーニの死亡事故や1968年のロータス 48で車外に放り出されたことによるJ.クラークの死亡事故などがありました。そこでエンツォ フェラーリなどのF1関係者のサポートをうけて、ピニンファリーナが安全な構造のF1の具体例を提案したのが、このシグマ グランプリでした。
提案された具体例は主に以下のようなものでした。
1.車幅を拡大しコクピット周辺の強度向上
2.前後輪間にクラシャブルゾーンとなるサイドポンツーン追加
3.コクピット背後にロールバーを兼ねたウイング追加
4.ボディ先端にバンパー機能を持つフェンダー追加
5.リアタイヤ後ろにバンパー追加
6.6点式シートベルト、自己消火機能のある燃料タンクの採用
など 現在に通じるアイデアが盛り込まれていました。
1970年代以降に安全な燃料タンクや複合材モノコック構造によるコクピット周りの強度向上など、安全基準が強化されていきました。それでも1982年のG.ビルヌーブ(フェラーリ 126C2)や、1994年のA.セナ(ウィリアムズ FW16)などの死亡事故が発生し、そのたびに安全対策が追加されていきました。
ミニカーは1971年に発売されたマーキュリー製の当時物です。全体のプロポーションは悪くないのですが、ウインドスクリーン、ホイール、エンジン部形状などの細部が大雑把な作りで現在的な感覚で見るとあまり良い出来ではありません。(当時物としては標準的な出来ばえでしたが) ただこの車で具体化されたアイデアは、ミニカーでも良くわかると思います。シグマ グランプリの量産ミニカーは、マーキュリーの小スケール版のSPEEDY(1/66)とマーキュリーをコピーしたナコラル製ぐらいしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1832
マセラティ インディ イタリア 1969年
マセラティ メキシコ/ギブリの上級車としてインディが1969年に登場しました。ギブリのようなクーペ スタイルで大人4人が乗れるというのがインディの特徴でした。名前のインディはマセラティがインディ 500を1939年から2連覇したことにちなんだものでした。大容量のラゲッジスペース、パワーステアリング、総革張りの豪華な内装など、居住性に配慮した高級なGTカーに仕上げられていました。ギブリに似たクーペ スタイルながら落ちついた雰囲気も感じられるのは、当時カロッツェリア ヴィニャーレに所属していたミケロッティのデザインだからでしょうか。
当初はDOHC V型8気筒4.2L(260HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速250km/hの性能でした。1970年にV型8気筒4.7L(290HP)エンジンが追加されました。1973年にはV型8気筒4.9L(330HP)エンジンに変わり最高速は280km/hに向上しました。同時に内装などが変更され、当時の親会社であったシトロエンの油圧制御式ブレーキシステムが採用されました。1975年まで生産され総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1971年に発売されたソリド製の当時物です。ソリドらしいシャープな造形で実車のイメージが良く再現され、当時のミニカーとしては素晴らしい出来ばえでした。現在のミニカーに比べるとワイパーやミラーなど細かなパーツが付いていないですが、そのような細かいパーツがない昔のミニカーの方がかえって実車のイメージをうまく再現できることもあるのです。(1/18ぐらいの大きさになると、ワイパーやミラーがないのは違和感が出てきますが) ドアとハッチバックが開閉するギミック付きです。これ以外のインディのミニカーはガマの当時物、ミニチャンプス、イクソ(廉価版のホワイト ボックス)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=758
ビッザリーニ マンタ イタリア 1969年
アルファ ロメオやフェラーリの技術者であったジオット ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)は1962年に独立し、ランボルギーニの初期のV型12気筒エンジンやイソ グリフォなどの開発を行いました。1964年にイソ グリフォをベースにしたレーシングカー イソ グリフォ A3Cを開発しビッザリーニ社(Societa Prototipi Bizzarrini)を興しました。その後グリフォ A3Cの市販車仕様のビッザリーニ 5300GTやオペル GTをベースにしたビッザリーニ 1900GT ヨーロッパなどを少量生産しました。ビッザリーニ社は財政的な問題で1969年に自動車生産を止めましたが、その後もランボルギーニなどの開発に携わったようです。(実車画像→ ビッザリーニ 5300GT)
ビッザリーニ マンタは1968年のトリノ ショーで公開されたコンセプトカーで、G.ジウジアーロが興したイタルデザインの最初の作品でした。ノーズ先端からリアエンドまで滑らかな曲線でつながった斬新なデザインが特徴で、G.ジウジアーロ流の美しさがありました。ベースはビッザリーニが設計したミドシップエンジン搭載のレーシングカーP538でした。大きく傾斜したフロントウインド下にあるシートは3人掛けで、ドライバーが中央に座るのでハンドルは中央にありました。上部をカバーしたハーフコンシールド ヘッドライトや3人掛けシートなど、後の量産車デザインに影響を与えたコンセプトカーでした。(実車画像→ ビッザリーニ P538)
ミニカーは1971年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーとしては後期のモデルでプロポーションは悪くないのですが、コストを下げる為に細部が簡素化されたやや残念な出来ばえになっています。(ただ当時の量販廉価版ミニカーはほとんどがこのような出来ばえでした) それでもハンドルが中央にある室内やリアカウル下に見えるエンジンはそれなりに仕上げてありました。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外のビッザリーニ マンタの当時物ミニカーは、コーギー ジュニア(1/55)とこのマーキュリーをコピーしたナコラルがありました。当時物以外では最近スパークがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1833
BLMC ミニ クラブマン イギリス 1969年
1969年にミニはMK IIIとなりましたが、フロントグリルと室内をモダンに変更したミニの高級版がクラブマンの名前で追加されました。同時にミニのワゴン版のカントリーマンとトラベラーはクラブマン エステートにかわりました。クラブマンはメカ的にはMK IIIと同じで、セダンとエステートは4気筒998cc(39HP)エンジン、ラジアルタイヤや3連メータを装備した高性能版の1275 GTは4気筒1275cc(60HP)を搭載していました。なお1275 GTの正式名称は「ミニ 1275 GT」で外観はクラブマンですが、クラブマンのシリーズではなく、1971年に生産中止となったミニ クーパーの後継車でもありました。
クラブマンはノーズが長いので衝突安全性に優れているなどオリジナルのミニより時代に即していました。ただミニの独特な顔付を変えてしまったことと高価であったことから評判は良くなかったようです。(確かにフロントと従来のキャビンのデザインには違和感があります) クラブマンと1275 GTは1980年に生産中止となり、オースチン メトロにモデルチェンジしました。 (実車画像→ オースチン メトロ) クラブマン シリーズの総生産台数は約47万台、1275 GTの生産台数は約11万台でした。オリジナルのミニは1976年にMK IV、1984年にMK V、1990年にMK VI、1996年にMK VIIに発展し外観やメカに大きな変更がないままで、2000年まで生産され総生産台数は530万台でした。
ミニを生産していたBLMCは1975年に破産寸前となり、国有化され社名はブリティッシュ レイランド(BL)となりました。1986年に社名はローバー グループとなり、1988年にはイギリスのブリティッシュ エアロスペースに売却されて民営化され、会社名はローバー カーズとなりました。1994年にローバー カーズはBMW傘下となり、2000年にはBMW製ミニが登場しました。
ミニカーは1975年に発売されたディンキー(英)の当時物です。当時のディンキーは最盛期を過ぎてまともな乗用車のミニカーは少なかったのですが、これはその中でもましなミニカーの一つでした。1/38と中途半端なサイズでフリーホイールがやや見苦しいですが、プロポーションは悪くなくまずまずの出来ばえでした。実車が不人気だったせいで、当時物ミニカーはこれぐらいしか無いので、その意味では貴重なミニカーでした。最近の物では、バンガーズ、オックスフォード、スパーク(レジン製)のセダンとエステートと1275 GTなどがあります。なおオースチン メトロはコーギーの1/36とオックスフォードの1/76があります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=771
サラブレッド期 ← ページ « 前へ 1...106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 ...298 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.