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日産 ダットサン フェアレディ 2000 (SR311型) 日本 1967年
前述したフェアレディ(SPL213型)は1962年に輸出用のダットサン 1500(SPL310型)と国内向けのフェアレディ 1500(SP310型)に切り替わりました。ブルーバード 310型のシャシーにセドリックの4気筒1.5L(71HP)エンジンを搭載していました。デザイン的にはアメリカ向けのかなりモダンなスタイルで、当初は左向きの後部座席が備わる3人乗りでした。(1964年に2座に変更) 1963年の日本GPで海外のスポーツカー勢を相手に優勝し、日本のスポーツカーのレベルの高さを証明しました。
1965年にエンジンを1.6L(90HP)に変更し、フェアレディ 1600(SP311型)に切り替わり、1967年には2L(145HP)エンジン搭載のフェアレディ2000(SR311型)が追加されました。2000は5段変速で最高速度205km/hとかなり高性能で、国産初の200km/hオーバーカーとなりました。日本GPでのGTクラス優勝や、モンテ カルロ ラリーでの上位入賞などモータースポーツでも活躍しました。1969年に後継車のフェアレディ Z 初代(S30)が登場し、1970年まで生産されました。
ミニカーはダイヤペット製でダイヤペット コレクション クラブ オリジナルの特注品として1991年に発売されました。アンチモニー製でプロポーションはまずまずで実車の雰囲気はそれなりに再現されているのですが、メッキ箔を張り付けた灯火類の処理など今一つの出来ばえです。ダイヤペットは当時物ミニカーとして1965年にフェアレディ 1600 (SP311) (1/40 型番113 アンチモニー製)を発売していたのですが、それをベースにして製作した物と思われます。またこれとは別に2005年にはダイヤペット40周年記念として、型番113の復刻モデル(アンチモニー製)も発売されました。復刻モデルと称していましたが、ボンエット開閉ギミックが省かれているなどオリジナルとはかなり違っていました。ただこの復刻モデルの方がコレクション クラブ オリジナルの特注品よりも良い出来ばえのようです。当時物ミニカーとしてはミクロペット製(SP310型)がありました。当時物以外ではエブロのSP311/SR311型、日産名車コレクションと国産名車コレクションのSP311/SR311型、オートアートのSR311型 1/18、トミカ リミッテドのSP310/SR311型 1/64、MARK43(レジン製)のSR311型などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ブルーバード 510型 日本 1967年
1967年に日産 ブルーバード 3代目 510型が登場しました。先代の1.3Lクラス以下の顧客は1966年に登場したサニーが担うことになったので、ブルーバードは大型化されました。「スーパーソニックライン」と称する直線を生かしたシャープなボディは、旧型のイメージを一新する斬新な物でした。新開発された4気筒1.3L(72HP)/1.6L(92HP)のL型エンジンを搭載し、3段AT/4段変速で、最高速160km/h(1.6L)の性能でした。日産初の全輪独立懸架を採用するなど高度な内容の車で、この時代の国産車の最高傑作車といわれ、国内外で大ヒットしました。(個人的にも素晴らしい車だったと思います)
当初は2/4ドアセダン、4ドアワゴン/バンの設定で、1968年には2ドアクーペが追加されました。1970年のマイナーチェンジで1.3Lを1.4L(85HP)に拡大し、1.8L(110HP)エンジンを搭載する高性能版(最高速175km/h)の1800 SSS(スーパー スポーツ セダン)が追加されました。1970年のサファリラリーで総合優勝して、日本車の評価を高めたことも特筆すべき快挙でした。1971年に一回り大きくなったブルーバード 4代目 610型が登場しましたが、510型も併売されました。1972年に販売中止となり、実質的な後継車は1973年に登場したバイオレットでした。
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペットの当時物です。ダイヤペットはブルーバード 510型のミニカーを1968年に型番171で発売していて、これはそれの仕様変更品です。型番171との違いはトランク開閉ギミックを止めたこととドア内張をメッキ仕上げしたことでした。(当時のダイヤペットでドア内張が別パーツで付いているのは珍しいことでした) 510型の直線的なデザインがうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ボンネット/ドア開閉のギミック付です。これ以外のブルーバード 510型の当時物ミニカーとしてはダイヤペットのSSS クーペ、1970年に発売された最初のトミカのSSS クーペがありました。当時物以外のミニカーはファインモデル(アンチモニー製)のセダン、エブロの2/4ドアセダンとそのサファリ ラリー仕様、京商のポリストーン製クーペ、国産/日産名車コレクションの4ドアセダン、小スケールではトミカ リミッテドの4ドアセダンとクーペ、コナミの絶版名車(1/64)の4ドアセダン、レジン製ではMARK43やイグニッションモデルなどがあります。ブルーバード 510型は歴史的な名車ですからミニカーはたくさんあり、最近でも新規で何種類もモデル化されています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 グロリア A30型 日本 1967年
プリンス グロリア 3代目は日産との合併後の1967年に発表されたのでプリンスの名前は付きませんでした。日産とプリンスの合併中に設計が進められた車で、セドリックとの部品共有化が行われていました。特徴的な縦型4灯ヘッドライトとリアライトのデザインは、1965年頃のGM キャディラックあたりから始まったアメリカ車的デザインで当時の流行りでした。同時期に開発された皇室御料車のロイヤルにも同じデザインが使われていましたので、グロリア 3代目のこのデザインは今でも人気があります。セドリックよりやや高めの価格設定となっていたそうです。
エンジンはプリンス製の6気筒2L(105HP)G7型と日産製の4気筒2L(105HP)L型で、3段AT/4段MT変速で最高速160km/hの性能でした。なお6気筒エンジンは1969年には日産製に切り替わりました。モデル末期の1970年にはパワステやパワーウインドーを装着した最上級仕様のGLが登場しました。セダン以外にバン(4/6気筒)もありました。1971年にグロリア 4代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、ややキャビンが小さいような気もしますが、特徴的なフロントグリルがリアルでなかなか良い出来ばえです。安価な雑誌付きミニカーですので仕方ないですが、室内の造形は最近のミニカーとしてはやや物足りない感じがします。なおアシェット 日産名車コレクションでもNo.17で色違いの青があります。当時物ミニカーとしてはダイヤペットからアンチモニー製とダイキャスト製の2モデルが作られていて、どちらもプロポーションが良くで良い出来ばえでした。最近の物ではアンチモニー製のアドバンスピリット、トミカリミッテド、ENIFなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 プリンス ホーミー 日本 1967年
プリンス自動車は1955年に運転席の床下にエンジンを搭載するキャブオーバー型の小型トラック AKTG-1型を発売しました。キャブオーバー型は荷台の拡張がやり易いので、商用バンやマイクロバスなどのバリエーションがありました。1958年にAKTG-1型の後継車クリッパーが登場しました。クリッパー トラックは4気筒1.5(60HP)エンジンを搭載し2t積みの3人乗りでした。商用バンやマイクロバスもありました。(実車画像→ プリンス クリッパー 1963)
トヨタのトヨエース 2代目に対抗して、クリッパーの小型版ホーマーが1964年に登場しました。ホーマーは4気筒1.5L(70HP)エンジンを搭載した1.25t積みトラックでした。バリエーションとして商用バンがあり、その商用バンを乗用車仕様としたマイクロバス(15人乗り)がプリンス ホーミーの名前で1965年に登場しました。1966年に日産自動車とプリンス自動車が合併し、ホーミーは日産 プリンス ホーミーに改名され1970年には日産 ホーミーとなりました。1976年にホーミー 2代目 (E20型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2010年に発売された日産名車コレクション製でメーカーはノレブです。愛嬌のあるフロントなど実車の雰囲気がうまく再現され、雑誌付きミニカーながら良い出来ばえです。室内の15人乗りシートもそこそこ良く再現されています。プリンス ホーミー 初代のミニカーは現時点(2022年)でこれしかないようですので、車種的に貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 (プリンス) R380 II 日本 1967年
プリンス自動車はスカイラインにグロリアの6気筒2Lエンジンを搭載したスカイライン GT(S54型)で1964年の第2回日本グランプリに参戦しました。このレースではポルシェ 904(ドライバー 式場壮吉)が優勝しました。プリンス自動車はポルシェ 904に対抗できるレースカーとして、プリンス R380 Iを1965年に開発しました。(1965年にプリンス自動車と日産自動車が合併した後は日産 R380 Iと改名した) (実車画像→ プリンス R380 I)
R380 Iは日本初のグループ6 プロトタイプスポーツカーで、イギリスから輸入したブラバムの鋼管フレーム構造のシャーシを流用しボディはアルミ製でした。(デザインはポルシェ 904に似ています) エンジンはスカイライン GTのものをベースにDOHC化し、3連装キャブレターで200HPの性能でした。参戦する予定だった1965年日本グランプリが開催されなかったので、R380 Iは矢田部の高速試験場で速度記録に挑み国内速度記録(時速238.15km SS50㎞平均速度)を樹立しています。1966年日本グランプリでは、R380 Iは1-2フィニッシュで優勝しました。ちなみに3位はトヨタ 2000GTのレース仕様でした。
1967年にボディを大幅に変更したR380 IIが登場しました。1967年の日本グランプリでは、ポールポジションを獲ったポルシェ 906が優勝し、R380 IIは2-3-4位となりました。同年にノーズ形状を変更したR380-II改が矢田部で速度記録に挑戦し世界速度記録を樹立しています。R380はボディを大型化しルーカスの機械式燃料噴射で245HPにパワーアップしたR380 IIIに発展しました。1968年には後継車のR381が登場しましたが、R380 IIIはR381のバックアップとして併用され、1970年まで国内外のレースに参戦していました。(実車画像→ 日産 R381) 1969年にR382が登場しました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製です。1967年日本グランプリで4位となった車をモデル化しています。(同日本グランプリ出場車は4台ともモデル化されています) エブロらしい手堅い作りで、良くできています。エブロはR380 I、R381、R382もモデル化しています。R380の当時物ミニカーとしてはダイアペットがありましたが、かなりのレア物です。それ以外では京商が1/64の日産 レーシングカー コレクションでR380 I、R380 II、R381、R382をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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