Sorry Japanese Only
メルセデス 37/65HP リムジン ドイツ 1908年
エドワード期のダイムラー社(DMG:Daimler-Motoren-Gesellschaft)が生産していたメルセデスの量産車にはベテラン期に登場した4気筒エンジンを搭載するジンプレックスとその上級車である6気筒エンジン搭載車がありました。この6気筒エンジンはチーフエンジニアのウィルヘルム マイバッハが設計したものでした。6気筒9.5L(65HP)を搭載する37/65HPと6気筒10.5L(75HP)を搭載する39/75HPがあり、当時のメルセデスの最上級車として1908年に登場しました。4段変速の後輪チェーン駆動で最高速90km/hの性能でした。フォーマルなリムジンや洒落たカブリオレなどが架装され、1911年まで生産されました。
なおウィルヘルム マイバッハは1906年にレーシングカー用にOHCを採用した高性能な6気筒12.9L(70HP)を開発していますが、このエンジンの使い方について上層部と対立し、前述した乗用車用6気筒エンジンを開発した後に会社を辞めています。マイバッハはその後1909年にマイバッハ社を設立しています。退社したマイバッハの後継者として他の会社に出向していた創業者ゴットリーブ ダイムラーの長男であるパウロ ダイムラーが呼び戻され、彼はメルセデス車のチェーンドライブをシャフトドライブに改良していきました。
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。リアのカタログには単にメルセデス リムジンとされていますが、6気筒エンジン搭載の37/65HPをモデル化していると思われます。ベテラン期に紹介したリオ製のジンプレックスの型を流用して、37/65HPに仕立てています。ジンプレックスのフェンダーやボディを変更してあり、長距離旅行用のリムジーンという設定で屋根上とリアに荷物を満載しています。ミニカーの箱に添付されていた解説書にはメルセデスのリムジーンはこのような長距離旅行用として快適かつ安全にドライブできることでよく知られていたと書かれていました。床下部分にはシャーシ/サスペンション、エンジン/排気管が再現されていて、左右後輪をチェーン駆動している構造がよくわかります。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=66
ベンツ リムジン 20/35HP ドイツ 1910年
前述したメルセデス リムジンはダイムラー社の高級車でしたが、同時期にはベンツ社の高級車もありました。ダイムラー社とベンツ社が合併して「メルセデス ベンツ」ブランドが誕生したのは1926年でしたので、当時の両社はライバル関係にありました。1900年代当時のベンツは4気筒2Lエンジン搭載のの8/20HPから4気筒10Lエンジン搭載の39/100HPまで数種類のモデルがあり、それらは後輪駆動にドライブシャフトとデファレンシャルギヤを介するシャフトドライブ方式を採用していました。(従来のようなチェーンドライブ仕様もありましたが)
1909年に登場したベンツ 20/35HPは4気筒5.2L(35HP)エンジンを搭載した中型車で、4段変速機からシャフトドライブで後輪を駆動し最高速80km/hの性能でした。1910年にはエンジンが4.8Lとなりました。この車のようにベンツが後輪駆動にシャフトドライブを採用したのはライバルのメルセデスよりも早かったのですが、それ以外はメルセデス流の設計を真似ていたそうです。またベンツの6気筒エンジン搭載車は1914年の25/65HPが最初でしたが、これはメルセデスより6年ほど遅れていました。
ミニカーは1960年代に発売されたチィス(ZISS)製です。ミニカーの底板には「BENZ LIMOUSINE 1910」と表示されていますので、年式とボンネット形状から判断して上述した4気筒4.8Lエンジンを搭載していた20/35HPをモデル化しているようです。ツィスのミニカーの特徴はプラスチック部品の少ないがっしりとした作りで、これもシンプルな作りながら実車の雰囲気がうまく再現されています。屋根の上にある飾り枠はルーフラックで前述したメルセデス ジンプレックスと同じようなボディのリムジンですので、これも長距離旅行に使われたのだと思います。なおベテラン期で紹介した同じチィス製のメルセデス クーペでは後輪のチェーンが再現されていますが、このベンツはシャフトドライブですのでチェーンの表現はありません。なおフロントグリルにベンツの大きなロゴ(スリーポインテド スター)が付いていますが、これは実車には付いていなかったようですのでチィスの創作です。チィスの型番50で幌を開いたバリエーションもありました。 以下はフロント/リアの拡大画像と底板部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=68
ベンツ ブリッツェン ドイツ 1911年
1909年以降にヨーロッパでは各国の利害の対立でフォーミュラーカー規定がまとまらなくなり、GPレースが開催されなりました。そこで自動車メーカは自車の宣伝をする為に、レースに使えなくなった大排気量のレーシングカーを使って各種の速度記録に挑戦することになりました。ベンツはこの目的で1909年にレーシングカー ブリッツェンを開発しました。ブリッツェンは4気筒21.5L(220HP)の巨大なエンジンを搭載し後輪をチェーン駆動していました。なお名前の「ブリッツェン」とは稲妻という意味です。
ブリッツェンは1909年にイギリス ブルックランズで202.7km/hの速度記録(往復の平均速度)、1911年にアメリカ デイトナ ビーチで228.1km/hの速度記録を達成しました。この228.1km/hの速度記録は当時の鉄道や航空機よりも速く、1919年まで破られませんでした。この速度記録を出したブリッツェンのカウル付フロントグリルを持つ流線形ボディやカバー付ホイールなどの空気抵抗を考えたデザインは先進的でした。エンジンの燃料供給は手動の圧縮ポンプで行っていたので、狭いコクピット内の助手席には圧縮ポンプを操作するアシスタントが乗っていました。(コクピット内をよく見ると2シータなのです) 製造された6台のうち2台が現存し、メルセデス ベンツ博物館とアメリカの収集家が保有しているそうです。
ミニカーは1970年代に発売されたカーソル(CURSOR)製です。このミニカーはダイムラー ベンツ社の100周年記念品として製作されたプロモーション モデルの一台でした。このプロモーション モデルは主にダイムラー ベンツ社のディーラーで100周年記念品として販売されたようですが、一般向けにも1978年頃にデパートなどで販売されました。 (参照ページ→ カーソルのミニカー) このミニカーは228.1km/hの速度記録を達成した流線形ボディの車をモデル化しています。全体がプラスチック製で後輪のチェーン駆動部などの細部までリアルに再現されているなど、当時の玩具的なミニカーとは一線を画するスケールモデル的な出来ばえでした。これ以外のベンツ ブリッツェンのミニカーはブルムの初期型など4種類、ボスモデル(レジン製)の1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)