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テンポ 3輪トラック (ハンシート) ドイツ 1952年
テンポ社(正式名称 ヴィダル & サン テンポ ワークス社(Vidal & Sohn Tempo-Werke GmbH))は1924年に設立されたドイツの自動車メーカーでした。最初の車はオートバイとトレーラーを組み合わせた構造の小型3輪トラックのテンポ T1/T2で単気筒196㏄/440㏄エンジンを搭載していました。その後密閉されたキャビンを持つ3輪トラックに発展し、この3輪トラックは商業的に成功しました。第2次大戦前の1940年代は軍用小型車も生産していました。戦後の1949年に3輪車ハンシート(HANSEAT)と4輪車マタドール(MATADOR)の生産が始まりました。1958年にインドの自動車会社バジャイ トレーディング社(Bachraj Trading)と合弁してバジャイ テンポ モーターズ(BajajTempo Motors)が設立され、インドでもハンシート/マタドールが生産されました。
テンポ3輪車は中小企業や農家の輸送手段として開発された安価な3輪トラックでした。(1960年代の日本にも同じような3輪トラックがありました) 2ストローク2気筒396cc(15HP)エンジンを搭載し、4段変速で前輪をチェーン駆動する前輪駆動車でした。テンポ社は1966年にハノマーク社と提携し、その後はハノマーク ヘンシェル ブランドで販売されました。同社は1971年にダイムラー ベンツ傘下となりブランドは消滅しました。ハンシートとマタドールはインドでの人気が高く、ハンシートは2000年まで製造されました。
以下は1995年に発売されたシュコー製です。上述したハンシート 3輪車をモデル化しています。シンプルな構造のボディがうまく再現されています。前輪のチェーン駆動部も構造がある程度分かるレベルで再現されています。ヘッドライトの上に後付けする小さなバックミラーが付属していましたが、取り付けていません。シュコーはこのハンシートのバリエーションを20種類ほど発売していました。これ以外のテンポのミニカーはミニチャンプスの3輪トラック、ブッシュ(BUSCH)の3輪トラック 1/87、ノレブのマタドール、エポック(EPOCHE)のマタドール 1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ポルシェ 356 クーペ ドイツ 1952年
圧倒的なブランド力を持つポルシェの歴史は、フォルクスワーゲン ビートルをベースにして1948年に登場したポルシェ 356から始まりました。1949年の量産開始当初のボディはクーペのみで、室内は2座と補助席を備える2+2座でした。4段変速機、4輪独立懸架サスペンション、ブレーキはビートルと共通で、エンジンもビートル用を改造した4気筒1.1L(40HP)でした。エンジンは1951年には1.3L(44HP)と1.5L(60HP)の専用エンジンが追加されました。
性能的には高性能版の1.5L(1952年式)の最高速が160km/hで、当時の小型スポーツカーとしてはそこそこのレベルでしたが、リアエンジン方式によるオーバーステアー傾向のある操縦性は乗り手を選ぶ車でした。1951年にオープン仕様のカブリオレが追加されました。(2座オープンのロードスターは1952年に追加) 1952年にフロント ウインドーが折れ曲がった2分割物から一枚物に変更され、バンパー端のフェンダーへの回り込みが小さくなりました。1953年にフロントウインカーの内側にホーングリルが付きました。1956年に大幅な改良が行われ356Aとなりました。1959年には356B、1963年には356Cとなり、1964年に後継車の911が登場し1965年に生産中止となりました。
ポルシェ 356のミニカーは非常にたくさんあります。当時物ミニカーとしてはテクノ、メルクリン、ディンキー、ノレブなどがありましたが、いずれもレア物です。当時物以外ではオートアートの1/18、Bブラーゴ、ブルム、ヘルパの1/87、ミニチャンプス、シュコー、スパーク(レジン製)、トミカなどがあります。上記画像のミニカーは1985年に発売されたブルム製です。ポルシェ 356の初期型のクーペをモデル化しています。プロポーションとしては全体的にやや丸みが付きすぎている感がありますが、実車のレトロな雰囲気はうまく再現されています。カタログ上では1952年式のモデル化ということになっていますが、フロントウインドーやノーズ部分の造形は356A以降の形状になっていますので、年式による違いを厳密に再現しているわけではありません。(1980年代のブルムの初期物では、厳密な時代考証はしていませんでした) ブルムは356Aから356Cまでロードスター仕様、レース仕様、ポリス仕様などバリエーションが40種類ほどありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 235 コーチ フランス 1952年
戦前の135Mを後継する高級車 235が1951年に登場しました。戦前の高級車メーカーはシャーシだけを提供しそれにコーチビルダーがボディを架装してました。235も当初はこの方式を踏襲し、シャプロン、フィゴーニ、ソーチックなどが特注のボディを架装していました。(実車画像→ シャプロンのクーペ、ソーチックのロードスター) エンジンは135M用の6気筒3.6L(152HP)を搭載し、最高速170km/hの性能でした。ただコーチビルダーの架装するボディは重かったので、燃費は悪くブレーキの効きも悪かったようです。
コーチビルダーが架装する特注ボディは高価で、販売は芳しくありませんでした。そこで標準化されたシャプロン製ボディが設定されましたが、それでも6気筒エンジンを搭載したシトロエンの最上級車15CV シックスの3台分の値段だったそうです。戦後のフランスではこの種の高級車に高い課税がされたこともあって、販売不振から1954年にドライエはオチキス社に吸収され消滅しました。
ミニカーはイクソのCLCシリーズで、2013年に発売されました。このコーチという名前は標準化されたシャプロン製ボディを架装したモデルのようです。実車緒元の画像参照先の実車を忠実にモデル化しています。カラーリングやモール類、室内などが良く再現されていてかなり良い出来ばえです。ただ実車の全長から逆算すると、1/43よりも一回り大きめにできているようです。(資料の実車全長が間違っているのかもしれませんが) このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois(往年のフランス車)」のNo.3として作られたものでした。(イクソのカタログモデルのこれは内装などの仕上げレベルを変えています) ドライエ 235のミニカーはこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 8V イタリア 1952年
戦後のフィアットが一度だけ、スーパーカー的な高性能車を手がけたことがありました。それは1952年のジュネーブショーで発表した高性能スポーツカーの8Vでした。フィアット 1400の高性能版に搭載する予定で開発されたV型8気筒エンジンが、コストの問題などで1400には搭載できなくなり、このエンジンを活用するべく開発された高性能車が8Vでした。フィアット車のチューナーであったシアタ(SIATA)社の協力を得て新しくシャーシ/ボディが開発されました。エンジンは総アルミ製のV型8気筒2L (105-127HP)を搭載し、サスペンションは全輪独立懸架、4段変速で最高速195km/hと当時のフェラーリ並の高性能でした。
8Vにはフィアット自社製ボディの他にザガート、ベルトーネ、ピニンファリーナなどのカロッツェリアが個性的なボディを架装しました。1954年までに114台が製作されました。またV8エンジンはシアタにも供給されシアタ 208Sに搭載されました。8Vはレースを目的として開発されたわけではなく、このようなスポーツカーにフィアット経営陣が乗り気ではなかったので、ファクトリーチームとして国際レースに出ることはありませんでした。ただイタリア国内のGTクラスのレースでは圧倒的に強かったようです。(実車画像→ シアタ 208S 1953)
ミニカーはマニアックな車種選択が多いビザール製(レジン製)で2006年に発売されました。フィアットがデザインした初期型の8Vをモデル化しています。迫力のある実車のデザインがうまく再現され、フロントグリルや室内の細部もリアルで良く出来ています。ビザールはフロントのデザインが変更された後期型もモデル化しています。ビザール以外のフィアット 8Vのミニカーはノレブ、スターライン、マトリックス(レジン製)などがあります。なお当方のミニカーはレジン製ミニカーに起こる経年変化で、リアウィンドーのクロームモールが剥がれています。少し凝った造りのレジン製ミニカーはこの類の経年変化による不具合がほぼ例外なく起こり、それを直そうとして下手に触るとさらに症状が悪化してしまいます。(高価な上にこのような不具合が多いので、私はレジン製ミニカーをほとんど買いません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ C52 ディスコ ボランテ スパイダー イタリア 1952年
アルファ ロメオの戦前のGPカー 158(アルフェッタ)は、戦時中密かに動態保存されていました。戦後その158を改造してアルファ ロメオは1946年にGPレースに復帰しました。戦前の強敵であったドイツ勢の不在などもあって、アルファ ロメオは圧倒的な強さを示し、158とそれを発展させた159で1951年まで勝利を重ねました。しかしながら資金難のため、アルファ ロメオは1951年を最後にGPレースから撤退しました。
GPレースから撤退したものの、スポーツカーレースに未練が残るアルファ ロメオは新しいレーシングカー 1900 C52を試作しました。前述した1900をベースにして、エンジンを2L(158HP)までチューンし最高速は220km/hでした。当時としては驚異的に低い空気抵抗だったボディは、コーチビルダー トゥーリングのデザインでした。横風の影響を下げる為に側面が張り出したボディは、正面から見ると当時世間を騒がしていたUFOを思わせることから、「ディスコ ボランテ(空飛ぶ円盤)」と呼ばれました。オープンのスパイダーだけではなく、クーペも試作されたようです。ただこの車は競争力不足ということで試作だけで終わりました。
ミニカーは速度記録車など一風変わった車種をモデル化するビザール製(レジン製)で、2007年頃に発売されました。この車の特徴である横に膨らんだボディがうまく再現されていました。ビザールはクーペもモデル化していました。この車は最近まで量産ミニカーではモデル化されていませんでしたので、このビザールのモデルは車種的には貴重な物となります。ただ最近になってイタリアのミニカー付雑誌やテクノモデル(レジン製)でモデル化されました。最近ではこの手のマニアックな車もレジン製の少量生産でモデル化されるようになりましたが、レジン製は高価格なので個人の財布には厳しくなりました。(私は特別に気に入った車種しかレジン製ミニカーを買いませんが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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