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オペル オリンピア ドイツ 1951年
1920年代に小型車ラウプフロッシュで成功したオペルは中大型車への進出を目指し、1931年にGMと提携しGM傘下となりました。1930年代にオペルはヨーロッパ有数の自動車メーカーに成長しました。1930年代後半のモデル構成はラウプフロッシュの最終型P4とカデットの小型実用車が中心で、上級小型車のオリンピア、中型車のカピタンも揃えていました。第2次大戦が始まるとGMは撤退し、オペルはナチ政権の命令で軍用車の生産体制に組込まれていきました。(実車画像→ オペル P4 1935) (実車画像→ オペル カデット 1938)
戦後オペルの工場は一時的にソ連に接収されていましたが、GMが経営権を取り戻し、1947年に戦前モデルの生産を再開させました。最初に生産されたのは4気筒1.5L(37HP)エンジンを搭載した上級小型車オリンピアでした。1935年に登場したオリンピアは1936年のベルリン オリンピックにちなんで命名された車で、4気筒1.3Lエンジンを搭載していました。1937年のマイナーチェンジでエンジンが1.5Lに拡大されフロント周りの意匠が新しくなりました。生産が再開されたのはこの戦前型で、1950年のマイナーチェンジでラジエターグリル全体が横に拡大されてよりモダーンなデザインとなりました。1950年から1953年まで生産され、総生産台数は約16万台と大成功でした。1953年にオリンピアはオリンピア レコードという名前に変わり、フェンダーが一体化されたフラッシュサーフェース ボディの戦後型に変わりました。(実車画像→ オペル オリンピア レコード 1953)
ミニカーは2007年に発売されたミニチャンプス製です。戦前型のマイナーチェンジでラジエターグリルが拡幅された1951年式をモデル化しています。デザイン的には戦前型のアメリカ車に良く似ていました。ミニチャンプスらしいそつのない良い出来ばえで、実車がうまく再現されていました。フロントグリルや室内などの細部も良く再現されていました。これ以外のオリンピアのミニカーは同じミニチャンプスのカブリオレ仕様、ブッシュの1/87、ホワイトボックスのバンなどがありますが、戦前の1930年代のオリンピアはブッシュ(BUSCH)の軍用車1/87ぐらいしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル カピタン (カピテーン) ドイツ 1951年
第2次大戦後の1947年に戦前型のオペル オリンピアが再生産され、1948年に戦前型のカピタンも再生産が開始されました。第2次世界大戦直前の1939年に登場したカピタンは6気筒2.5L(55HP)エンジンを搭載した中型車で、当時のオペルの最上級車でした。ボディは同じGMグループ内のオールズモビルなどとよく似たデザインで、フェンダー先端に埋め込まれた独特な形状のヘッドライトが特徴でした。なお車名のカピタン(キャプテン:艦長の意)は現在ではカピテーンと表記するのが一般的なようですが、私にはしっくりこないので昔流にカピタンと記載しています。 (実車画像→ オペル カピタン 1939)
カピタンの再生産も戦前型そのままのモデルからはじまりましたが、戦後の資材不足で特徴的だったヘッドライトは一般的な丸形に変更されました。1951年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更され、トランクスペースが大型化し、エンジンが58HPにパワーアップされました。1953年にオリンピアが戦後型に変わりましたが、同時にカピタンもフラッシュサーフェース ボディの戦後型に変わりました。戦前型カピタンの総生産台数は約8万台でした。戦後型カピタンは1953年から1958年まで生産され、後継車のカピタン P1にモデルチェンジしました。総生産台数は約15万台でオリンピア同様にこの車もヒットしました。(実車画像→ オペル カピタン(戦後型) 1953)
ミニカーは1996年に発売されたミニチャンプス製です。戦前型カピタンでマイナーチェンジでフロントグリルが変更された1951年式をモデル化しています。これも前述したオリンピアと同様にミニチャンプスらしいそつのない良い出来ばえで、実車がうまく再現されていました。オペルの赤いロゴがついたフロントグリルや室内などの細部も良く再現されていました。これ以外の戦前型カピタンのミニカーはイクソとその別ブランドのホワイトボックスの1950年式、シュコーのモンテ カルロ ラリー仕様などがあります。なおイクソは特徴的なヘッドライトを持つ戦前型の1939年式もモデル化していました。戦後型カピタンはジク(SIKU)の当時物、シュコー、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T101 ガングロフ フランス 1951年
ブガッティの創始者エットーレ ブガッティの長男ジャンが1939年にレースカーのT57G タンクのテスト中の事故で他界しました。ジャンの死の直後に第2次世界大戦が勃発しブガッティのような高級車は生産できなくなり、ブガッティは軍需用の航空機部品の生産を行いましたが、工場は戦争で破壊されました。エットーレは戦後の混乱のなかで1947年に病死しました。その後もう一人の息子ローランが事業を統括することとなりましたが、ローランは父親のような優れた才能には恵まれていませんでした。
1951年に新型車としてT101が登場しました。T101は戦前の傑作車T57のシャーシをベースにして開発された車で、内容的にはT57に新しいボディを載せただけの車だったようです。そのような車でしたのでT101はたったの9台しか生産されませんでした。T57と同じDOHC 直列8気筒 3.3L(135HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。コーチビルダーのガングロフ(GANGLOFF)などが4/2ドアセダン、クーペ、カブリオレなどのボディを架装しました。戦後のブガッティ社は主に航空機用エンジンを生産していましたが、1963年に同業のイスパノ スイザ社に吸収されました。1987年にイタリアの実業家がブガッティの商標を入手しブガッティ アウトモビリ社を設立し、1991年にブガッティ EB110が登場しましたが、1995年に倒産しました。
ミニカーは2013年に発売されたイクソ製です。実車はシャーシNo.57454にコーチビルダー ガングロフが2ドアクーペ ボディを架装したもので、1951年のパリ サロンで公開されました。2ドアながら全長5.2mの大柄な車で、実車はフランス国立自動車博物館(シュルンプ コレクション)に展示されていました。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois」シリーズのNo.5として作られたミニカーで、それをリファインしてイクソのカタログモデルとしたものです。実車と見比べると、ボディカラーからAピラー近くの小さなアンテナ(ラジオ用)まで忠実にモデル化されていました。フロントグリル上のブガッティの赤いエンブレム、クロームモール類、精緻なエッチング材を使ったスポークホイールとワイパーなどの細部も良く仕上げられています。T101はブガッティとしてあまり知られておらず、量産ミニカーとしてはこれが初めてのモデル化でした。これ以外のT101のミニカーはマトリックス(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 159 イタリア 1951年
戦前のグランプリレースで大活躍したアルファ ロメオ P3の後継車として1936年にティーポ C(12C)、1938年に3Lフォーミュラの308/312/316が登場しましたが、ナチス政権がバックアップする強いドイツ勢には対抗できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C) 1937年に1.5Lフォーミュラ用としてDOHC 8気筒1.5L スーパーチャージャー(195HP)エンジンを搭載する158(アルフェッタ)が開発されました。 この車は1.5Lフォーミュラで行われた1939年のトリポリ GPでドイツ勢に勝つことを期待されていたのですが、結局3位で終わりました。ただこの車はこのクラスのレースでは活躍し、1940年のトリポリGPでは1-3位を独占しました。
第2次大戦後の1947年に新しいフォーミュラ(過給1.5L 無過給4.5L)が施行されました。アルファ ロメオは戦時中密かに動態保存されていた158を改良して参戦し好成績をあげました。1949年はレースに参加しませんでしたが、1950年から始まったF1世界選手権に350HPにパワーアップした158で参戦しました。158は戦前のドイツ勢をも上回る圧倒的な強さを誇り、1950年には出場した11レース全てで勝利し、初代ドライバーチャンピオンをG.ファリーナが獲得しました。またレースの平均速度も戦前のドイツ勢より早くなっていました。
1951年にはリアサスペンションをド ディオンアクスルに変更し、スーパーチャージャーの過給圧を上げて425HPにパワーアップした159が登場しました。1951年にはフェラーリ 375がライバルとして登場しましたが、159が6勝をあげて世界選手権を獲得しました。残念なことにアルファ ロメオは資金難のため1951年を最後にF1から撤退しました。燃費が悪く大量の燃料を消費するスーパーチャージャー式エンジンの時代は159とともに終わり、その後は1970年代まで自然吸気式エンジンの時代が続きました。
ミニカーは2007年に発売されたミニチャンプス製です。1951年のスイス GP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ミニチャンプス最盛期に作られたミニカーなので、とても良く出来ていました。ボンネットのルーバー(墨入れ処理)、ワイヤースポークホイール、サスペンションのアーム、コクピット内部などが非常にリアルに再現されています。ミニチャンプスはこれ以外にもイギリス GP仕様など数種類をモデル化しています。ミニチャンプス以外のミニカーでは、メーベトイやマーキュリーの158、ブルムの158と159などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア アウレリア B20 GT イタリア 1951年
第2次大戦後ランチアは戦前のアプリリアの小型版アルデア(ARDEA)を生産していました。(実車画像→ ランチア アルデア) 1950年にアプリリアの後継車アウレリア B10 (4ドアセダン)が登場しました。アウレリアの設計はアルファ ロメオでレースカーを設計していたヴィットリオ ヤーノによるもので、世界初のV型6気筒エンジン(1.8L 56HP)が搭載されました。さらにデフとギアボックスを一体化したトランスアクスル、四輪独立懸架サスペンションとインボード式ドラムブレーキなど先進的で高度な技術が採用されていました。(実車画像→ ランチア アウレリア B10)
1951年には排気量2L(70HP)のB21が追加され、ホイールベースを短縮したピニンファリーナ製ボディの2ドアクーペでエンジンを2L(75HP)にパワーアップしたB20 GTも追加されました。GTとはグランツーリスモの略ですが、この名前を初めて使ったのはこの車で、その優れた操縦性から最初のGTカーとされています。1953年にエンジンが2.45L(118HP)に拡大され、1954年にオープン仕様でホイールベースがGTより短縮されたB24スパイダーが追加されました。1956年にセダンが生産中止となり、クーペ/スパイダーは1958年まで生産され後継車のフラミニアに変わりました。総生産台数は約1.8万台でした。優れた操縦性で1952年のルマン 6位、1954年のモンテ カルロ ラリー優勝などGTがレースで活躍しました。(実車画像→ ランチア アウレリア B24 スパイダー アメリカ 1955)
ミニカーは2000年頃に発売されたソリド製です。ソリドの4500シリーズ(型番45**)は1950-1970年代の往年の名車をモデル化したシリーズで、細かなパーツを省いてシンプルに作ってありましたので当時の値段は約2000円と安価でした。ただ安価ながらも基本的なプロポーションは正確で、フロントグリルの造形など肝心な部分はしっかり押さえた作りでした。このアウレリア B20 GTもフロント周りの造形など実車の雰囲気がうまく再現された良い出来ばえで、室内などの細部もそこそこ良く再現されていました。これ以外のアウレリアの当時物ミニカーはマーキュリーの当時物でB10 セダン、ノレブのプラスチック製当時物でB20 GTがありました。当時物以外ではブルム、イクソ、エリゴール、スパーク(レジン製)などでB20 GT、ブルム、Bブラーゴの1/18、スパーク(レジン製)などでB24 スパイダーがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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