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ベントレー 4.25L マリナー ピラーレス サルーン イギリス 1936年
前述したようにベントレーは経営難から1931年にロールス ロイスの傘下となりました。それ以後もベントレーの名前は残りましたが、その実体は小型のロールス ロイスにスポーティな味付けをして、フロントグリルのマスコットをベントレーに変えたものでした。そんな訳で1933年に登場したベントレー 3.5Lは、ロールス ロイス 20/25HPのベントレー版でした。1936年に登場したベントレー 4.25L(4 1/4Lとも呼ぶ)はロールス ロイス 25/30HPのベントレー版でした。
ベントレー 4.25Lはロールス ロイスよりホイールベースが6インチ(15㎜) 短く、6気筒4.25L(120HP)エンジンを搭載し、最高速154km/h(ロールス ロイスは128km/h)の性能でした。このマリナー ピラーレス サルーンはコーチビルダーのH.J.マリナーによる4ドアセダンで、ピラーレスとは観音開きするドアの中央に柱が無いという意味です。(実車画像→ ベントレー ピラーレス サルーン) 1938年にロールス ロイス 25/30HPがレイスに切り替わった際に製造中止となり、総生産台数は約1200台でした。後継車はレイスをベースにしたベントレー マーク Vでした。(実車画像→ ベントレー マーク V)
ミニカーは1980年代に発売されたウエスタンモデル製です。ウエスタンモデルはイギリスのコレクター向けミニカーのメーカーで、1970年代にホワイトメタル製ミニカーを最初に製造しました。ホワイトメタル製ボディだけではなくほとんどのパーツが金属なので、ずっしりと重く独特の味わいがあります。このベントレーもプラスチック製パーツを使っていないのでフロント回りなどレトロな作風になっています。ただ金属製パーツでも結構細かいところまで再現されていて、実車の雰囲気がうまく再現されています。室内も当時のミニカーとしては良く再現されています。これ以外のベントレー 4.25Lのミニカーは、MATRIX(レジン製)のサルーンやミニチャンプスのクーペ 1/43と1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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MG ミジェット PB型 イギリス 1936年
モーリス車のスポーティ仕様を製造するメーカーとして、「モーリス ガレージ(Morris Garages)」社が1924年に設立されました。MGとはMorris Garagesの略称で、最初に製作された量産車はモーリス オックスフォードのスポーティ仕様であったMG 14/28でした。MGの名前を有名にしたのは、1929年に発表されたミジェット(タイプ M)で、ルマンやスパに出場するなどレースで活躍しました。
ミジェットはタイプ Mから始まり、C、D、J、PA、PBと続き、戦後のTC/TDにつながっていきました。1934年に登場したミジェット PA型は4気筒847㏄(36HP)エンジンを搭載した2座ロードスターでした。1935年にエンジンを939㏄(43HP)に拡大したミジェット PB型が登場しました。PB型は1936年まで生産され1292cc(50HP)エンジン搭載のTA型にモデルチェンジしました。PA型とPB型の総生産台数は約2500台でした。TA型は1939年に新型の1250cc(54HP)エンジンに変更されTB型となりました。ミジェットは日常の足に使えてその上レースでも活躍できるという、ライトウエイト スポーツカーというジャンルを開拓した車でした。MGのこのオープンカー スタイルはその後この類の車の定番となりました。
ミニカーは1965年に発売されたイギリスのスポットオン製です。スポットオンはバスなどの商用車も含めて全モデルを1/42スケールで統一していたビンテージ ミニカーのブランドで、当時としてはレベルの高いミニカーを作っていました。これはミジェット PB型をモデル化しています。実車が全長3.3mほどと小さいので、ミニカーも小振りです。スポットオンらしい凝った作りで、フロントの顔つきなど実車のイメージがよく再現されています。室内のメータパネルはメーター下地とメーター文字がずれていることから、デカールではなく何らかの印刷処理?を行っていたようです。(具体的にどのような処理だったかは不明ですが) なおMG ミジェット 戦前型の量産ミニカーはこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ (ラーゴ) T23 フランス 1936年
タルボ パシフィックの解説に記載したように、タルボの親会社STD(SUNBEAM TALBOT DARRACQ)モーター社は財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収されました。1938年に「サンビーム-タルボ」ブランドができましたが第2次大戦後に消滅しました。タルボのフランス工場は起業家のアンソニー ラーゴ(Anthony Lago)が買い取り、後に「タルボ-ラーゴ」ブランドの車を製造しました。
1930年代のタルボの代表的なモデルであったT23が1936年に登場しました 当時のフランスの高級車らしい優雅なデザインの高級車でした。クーペ、カブリオレ、セダン、リムジンがあり、コーチビルダーのフィゴーニ-ファラスキーやソーチックがボディを架装していました。当初のエンジンは6気筒3L(90HP)で、後に6気筒4L(115HP)が搭載され、4段変速で最高速150km/h(4L)の性能でした。なおT23は前述したタルボ パシフィックの発展型らしいので、タルボ ラーゴではなくタルボとしました。1937年に新設計のモデルが登場しそのモデル(タルボ-ラーゴ T120/150など)からはタルボ ラーゴと呼ぶようです。
ミニカーは1981年に発売されたソリド製です。フィゴーニ-ファラスキーが架装した?と思われる2?ドアカブリオレをモデル化しています。ソリドの型番4000番台は1980年代に作られたクラシックカーのシリーズで、比較的安価で良く出来ていました。このタルボ T23も当時の定価が2000円ほどと安価でしたのであまり凝ったところはありませんが、実車の雰囲気がうまく再現されていて値段相応の良い出来ばえでした。後ろヒンジでドアが開閉するギミック付きです。ソリドは別ブランドのべレムで、2ドアセダンもモデル化していました。これ以外のタルボ T23の量産ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ AA型 日本 1936年
1930年代の日本では道路は舗装されておらず、自動車もあまり普及していないなど、自動車産業は欧米に比べて遅れをとっていました。当時の自動車の主たるユーザーはタクシー業者で、使用されていた自動車は日本でノックダウン生産をしていたアメリカのフォードやシボレーがほとんどでした。(当時は日本フォードと日本GMが日本市場を独占していました) 欧米の自動車産業の現状を知った豊田自動織機製作所の豊田喜一郎氏は社内に自動車製作部門(1937年にトヨタ自動車工業として独立した)を新設し、自動車製造に乗り出しました。
自動車製作部門は、当時の米国車を参考にして1935年に試作車A1型を完成させました。これを改良して1936年に発売を開始したのがトヨダ AA型でした。当初の車名はトヨタではなくトヨダでしたが、1937年にトヨタ自動車工業が創立されたことでトヨタに変わりました。トヨタ AA型は6気筒3.4L(65HP)エンジンを搭載する5人乗りセダンで、3段変速で約100km/hの性能でした。ボディは当時最先端の流線型ボディといわれたクライスラー エアフローを真似た斬新なデザインになっていました。戦時中の1943年まで生産され、総生産台数は約1400台でした。
ミニカーは1999年に発売された京商製ですが、このボディカラーが黒の物は愛知県のトヨタ自動車博物館にてTAM (TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM)ブランドで発売された特注品です。トヨタ自動車博物館に現存する実車を忠実に再現してあり、かなり良い出来ばえです。特にフロントグリル上に付いたマスコット(豊田の文字がデザインされている)や室内の造形などが良く出来ています。これ以外のトヨタ AA型のミニカーは京商の通常品、トミカ、トミカ リミッテド、ダイヤペットの10周年記念品などがあります。 以下はフロント/マスコット拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ G4 (W31) フランシスコ フランコ 総統車 ドイツ 1937年
1926年にドイツ陸軍の要請でメルセデス ベンツが6輪のオフロード用車両を試作しました。この車は6気筒3Lエンジンを搭載した8人乗りの大型車で、G1と呼ばれ生産化はされませんでした。1934年にG1の後継車としてG4が登場しました。(G2/G3も試作されたのかどうかは不明) G4は前述した最高級車メルセデス ベンツ 770をベースにしており、後輪を2軸(4輪)化して駆動していましたが、前輪は駆動していません。
車重が3.7tと重いことと全輪駆動ではないことから、オフロード性能はあまり優れていませんでした。また不整地用タイヤを使用することから最高速は67 km/hに制限されていました。生産台数は57台で、主にヒトラーや上級将校がパレードする際に使用されたようです。実車の画像をみると、このようなパレード用のカブリオレがほとんどでしたが、セダンタイプもあったようです。
ミニカーは2009年に発売されたミニチャンプス製です。ドイツのヒトラーが当時のスペインの独裁者フランシスコ フランコ総統にプレゼントしたメルセデス ベンツ G4をモデル化しています。ドイツのミニカーメーカーがナチスが使用した車をモデル化するのはタブーなので、ナチスが使用したG4ではなくスペインの独裁者が使用したG4としてモデル化しています。(ドイツではナチス関連の物を製品化するのは全てタブーです) ミニチャンプスらしいそつのない造形で、細部までリアルなフロントグリルやそこそこ良く再現された室内など、とても良く出来ています。また床下部分もサスペンションやドライブシャフトなどの構造が良く再現されています。 これ以外のG4のミニカーはイクソ(ホワイトボックス)とヤトミン(シグネチャー)の1/18などがあります。 以下はフロント(フロントグリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)