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メルセデス ベンツ L5 トラック ホルステン ビール ドイツ 1932年
ガソリンエンジンを搭載した最初のトラックはダイムラー社のダイムラー LKWとされていて、この車からトラックの歴史が始まっています。ベンツ社はディーゼルエンジンの開発に力をいれ、1923年にディーゼルエンジンを搭載した世界初のトラック ベンツ 5K3を発表しています。1926年にダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー ベンツ社となり、両社のトラックは統合され、L1、L2、L5の3タイプとなりました。(L1とL2は新型、L5はベンツ社の5CNの後継車)
LはLASTWAGEN(独語でトラック)のLで、数字は積載量(t単位)を意味していました。L1/L2/L5は4気筒3.7L(45HP)/5.8L(55HP)/8.1L(70HP)ガソリンエンジンを搭載していました。またトラック用よりも低いシャーシを持つN1、N2、N5があり、このNタイプにはバスなどが架装されました。(NはNIEDERWAGEN(独語でバス)のN) 1927年に世界初の6気筒ディーゼルエンジンがトラックに搭載され、同時にガソリンエンジンも6気筒版が設定され積載量が増えました。その後L1とL2の間を埋めるL45、L5より大きな7-9tクラスの3車軸仕様のN56が追加されました。
技術革新でL1の積載量が2tになるなど名前が実情に合わなくなったので、1930年に命名法が変わりました。積載量表示を4桁のkg単位に変え、L1はL2000に、L45はL2500、L57はL3000、L2はL4000、L5はL5000、N56はL8500に変更され、バス用の記号はNからLO又はO(OMNIBUSのO)に変わりました。この命名法は1954年まで使われました。1954年からは4桁の数字が3桁の社内識別番号に変わり、キャブオーバー式トラックにはLPという記号が付きました。(ダンプカーはLK、オフロード用トラックはLG、キャタピラー付トラックはLR、消防車はLFです)
1963年に3桁の数字は4桁に変わり、最初の1-2桁は最大積載状態の車両総重量(GVW)をt単位で示し、残りの2桁はエンジン出力を10HP単位で示すように変わりました。例えばGVWが9tでエンジン出力が110HPのトラックはL911となります。現在もこの命名法は有効なようですが、1995年以降はアクトロスやアクサーなどの車名を使うようになりました。
ミニカーはマッチボックス性のマニア向けY(イエスタイヤー)シリーズで、1995年に発売されました。ホルステン ビール(ドイツ最大の老舗ビールメーカー)の配送に使われたL5 トラックをモデル化しています。簡単な作りのミニカーですが、フロントグリルのベンツのロゴは結構リアルです。この種の商用車ミニカーの魅力はカラフルな塗装や会社名のロゴの面白さにあります。このトラックは白ボディにオレンジ幌と派手な配色で、HOLSTEN BIERのロゴがボディと幌に綺麗に印刷されていて、なかなかの出来ばえです。Yシリーズにはこのようなクラシックな商用車を多くモデル化していて、L5 トラックは消防車など3種類のバリエーションがありました。 以下はフロント/リア/幌を外した荷台の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41150 ベルリーヌ ド ヴォワヤージュ (6号車) フランス 1932年
ブガッティ T41 ロワイヤル 6号車はエットーレ ブガッティが自らデザインし、ブガッティ社内でボディが架装されたそうです。1930年代の車としてはやや古典的な馬車風のボディは「ベルリーヌ ド ヴォワイヤージュ(旅行用セダンの意)」と呼ばれていて、黄と黒のツートンカラーとなっていました。1号車(プロトタイプ)の2番目と3番目のボディも黄と黒のツートンカラーでしたので、このカラーリングはエットーレのお気に入りだったようです。(なお6号車の年式は5号車と同じ1932年としましたが、これは私の見解です)
この車も売れずにブガッティ家に保管されていました。1950年のルマンに参戦したアメリカ人の起業家でレーシングドライバーでもあったブリックス カニンガム(Briggs Cunningham)がブガッティ家を訪問し、同家に保管してあったこの6号車と5号車を格安の価格で購入しました。カニンガムは5号車と6号車を整備し、6号車は1952年にアメリカのコレクターに売却されました。その後6号車は有名なハラーコレクション(HARRAH'S COLLECTION)の所有となりました。1986年にハラーコレクションからアメリカの不動産会社経営者に転売され、その後もアメリカ国内を転々とし一時的にアメリカのブラックホーク コレクション(博物館)が所有していました。現在はブラックホーク コレクションが売却したそうですが、所有者は不明です。
ミニカーは1992年頃に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/43の「CLASSIC LUXURT CARS」シリーズ(全12種類)の1台です。フランクリン ミントのクラシックカーは1/24が標準で1990年代には最も精密なミニカーでしたが、この1/43のシリーズも当時としてはかなり良い出来ばえでした。このブガッティ T41も実車の古典的な馬車風ボディがうまく再現されています。4ドアが開閉でき室内も良く再現されています。さらにボンネットを取り外すと巨大なエンジンも再現されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 No.41111 ロワイヤル エズデール (2号車) フランス 1932年
ブガッティ T41 2号車はパリの富豪アルマン エズデール(Armand Esders)に1932年に販売されました。この2号車に最初に載せられたボディはエットーレ ブガッティの長男ジャンがデザインした2シーターのロードスターでした。全長6mの大柄なボディながら2シーターという贅沢なデザインで、夜間は運転しないということでヘッドライトが付いていませんでした。この車の名前「エズデール」はオーナーの名前にちなんだものでした。
この車は3年ほどでエズデールから、フランスの政治家のレイモンド パトノートル(Raymond Patenotre)の所有となりました。新しいオーナーは1938年頃に2号車のボディを前述した1号車クーペ ナポレオンに似せたクーペ デビル(COUPE DE VILLE)というボディに載せ替えました。その後この車はルーマニアの国王が購入することになったそうですが、その国王が第2次大戦で失脚したので引き渡されないままパリの下水道に隠されて戦火を逃れ、戦後になってアメリカのハラーコレクションに収められました。現在はブガッティのブランドを持つフォルクスワーゲン社が所有しているそうです。(実車画像→ ブガッティ T41 クーペ デビル 1938)
なお2号車の最初のエズデール ボディはブガッティのコレクターで1号車と4号車を保有していたシュルンプ兄弟がブガッティ工場に残っていた部品を使ってレプリカ作成に着手しましたが未完成でした。最終的にはシュルンプ兄弟のコレクションを引き継いだフランス国立自動車博物館が1990年にレストアを完成させました。現在もフランス国立自動車博物館が保存しているようです。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo1として2005年頃に発売された物で、当方はオークションで入手しました。メーカーはイクソで、イクソは同じ物(細部の仕上げが多少違う)を型番MUS004で2006年に発売しています。復元された2号車の実車を忠実に再現してあり、鮮やかなツートンカラーの魅力的なカラーリング(実車のフェンダーは青ではなく緑なので色合いが異なるが)や室内の造形など良く出来ています。これ以外のエズデールのミニカーはフランクリン ミントの1/24、ウエスタンモデルのハンドメイド品(ホワイトメタル製)があります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41141 コーチ ケルネル (5号車) フランス 1932年
ブガッティ T41 ロワイヤル 5号車はパリのコーチビルダー ケルネル(KELLNER)社が2ドアセダンボディを架装したので、コーチ ケルネルとして知られています。この車は顧客からの注文があって製作されたのではなく、1932年のロンドン モーターショーの展示車として製作されました。ロールス ロイスの3倍もする高価格の為に5号車は売れ残り、その後はブガッティ家が所有していました。
1950年のルマンに参戦したアメリカ人の起業家でレーシングドライバーでもあったブリックス カニンガム(Briggs Cunningham)がブガッティ家を訪問し、同家に保管してあったこの5号車と6号車を格安の価格で購入しました。カニンガムは5号車と6号車を整備し、6号車は1952年にアメリカのコレクターに売却されました。5号車は彼が設立したブリックス カニンガム博物館に展示されました。カニンガム博物館は1986年に閉鎖され、5号車は1987年にオークションにかけられスウェーデンのハンス チューリン氏が落札し、その後も所有者が転々とし1990年代に日本人でメイテック(株)の元社長の関口房朗氏が所有していたこともありましたが、最終的に現在の所有者がだれなのかは不詳だそうです。
この車は最近までミニカーがありませんでしたが、2008年ごろにフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.45でモデル化されました。画像はその「VOITURES CLASSIQUES」のWEBサイトから拝借しました。メーカーはイクソで、同社のクラシックカーはいずれも良い出来ばえでしたので、このブガッティ T41 5号車のミニカーもかなり良い出来ばえであるはずです。実物を入手したいのですが、国内のオークションに出てくることなどは無いようですので、イクソがカタログモデル化してくれるのを待ちます。(2023年現在でカタログモデル化されていないので、たぶんもう発売されないでしょう)
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ブガッティ T50 クーペ フランス 1932年
前述したブガッティ T44とT41 ロワイヤルの間を埋める車としてT46が1929年に登場しました。T46はホイールベースが全長約4.5m(ホイールベース 約3.5m)の大型車で当時のブガッティの最高級車となりました。(T41は別格の超高級車でしたので) エンジンはT44用のSOHC8気筒3Lエンジンを5.4L(140HP)に拡大して搭載していました。4ドアセダン/リムジンや2ドアクーペ/カブリオレなどのボディが架装され、3段変速で最高速136km/hほどの性能でした。1930年にスーパーチャージャーを追加して160HPにパワーアップしたT46Sが追加されました。T46は1936年まで生産され総生産台数は約400台でした。
1931年にT46のホイールベースを約3.1mに短縮したスポーツ仕様のT50が登場しました。T50はDOHCを初めて採用した新設計のスーパーチャージャー付DOHC 8気筒5L(225HP)の高性能エンジンを搭載していました。ボディはスポーティな2ドアクーペが架装されたものが多く、創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンがデザインした極端に寝かされたフロントスクリーンが特徴的なクーペが有名でした。3段変速で最高速175km/hほどの性能でした。ツーリングカー仕様のT50T、470HPにパワーアップされたレースカー仕様のT50Bがありました。T50は約65台が1934年までに生産されました。
ミニカーは1972年に発売されたリオ製です。T50では一番有名な極端に寝かされたフロントスクリーンを持つクーペをモデル化しています。実車の独創的なデザインが誇張したデフォルメでかっこよく再現されていて良く出来ています。特に側面からみるとこのデザインの独創性がよく分かります。赤/黒の派手なカラーリングも実車に即していますが、昔のミニカーなので赤と黒の塗り分け部分があまりきれいでは無いのが惜しいです。またミニカーのホイールベースは90㎜で1/43で換算すると約3.9mになりますので、1/43サイズとしてはかなり大きめに出来ています(実際には縮尺1/35ぐらいとするのが正しいでしょう) ボンネットを取り外すとエンジンが再現されていて、ドアが開閉し室内もリアルに再現されています。これ以外のT46/T50のミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)のT46、ルックスマート(レジン製)のT50、マトリックス(レジン製)のT46などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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