Sorry Japanese Only
スタッツ ベアキャット ロードスター アメリカ 1916年
アメリカのハリー C スタッツ(Harry Clayton Stutz)が友人と共同で1911年に「IDEAL MOTOR CAR」社を設立しました。同社が製作したスタッツ 1号車は1911年のインディ 500に出走し11位となり、翌年のインディ 500でも4、6位となるなど活躍しました。1913年に会社は「スタッツ モーターカー」社に改名されました。スタッツのレーシングチームは1915-1916年にもインディなどのアメリカのレースで活躍し高い評価を確立しました。
そのレーシングカーをベースにした市販車ベアキャットが1914年に発売されました。フロントウィンドーやドアがなく、シャシーの上にバケットシート、ガソリンタンク、スペアタイヤを備えただけの硬派仕様のロードスターで人気がありました。小さな丸いフロントウィンドーや一般的なドアを設けたロードスターもありました。エンジンは4気筒6.4L(60HP)が標準で、オプションで6気筒6.5Lエンジンもあったようです。スタッツ ベアキャットは同時代のマーサー レースアバウトを真似たものだったので非常によく似ており、両車は当時のスポーツカー市場を2分する人気がありました。ベアキャットはボディやエンジンの改良などが行われて1924年まで生産されました。1919年に創業者のC.スタッツが会社を去って経営者が変わり、1925年に8気筒エンジンを搭載した高級車スタッツ バーティカル エイトが登場しました。
ミニカーは1980年代に購入したレンウォール(RENWAL)製です。レンウォールはアメリカのプラモデル メーカーで、これはプラモデル完成品として販売されたものでした。最も人気のあった硬派仕様のロードスターをモデル化しています。プラモデルの完成品ですので、細かいところまでリアルに再現されていてかなり良い出来ばえです。ただプラスチック製ですので、軽くて安っぽいのと細かいパーツが壊れ易いのが難点です。これ以外のスタッツ ベアキャットのミニカーはフランクリン ミントの1/24、マッチボックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=132
レオ ツーリング アメリカ 1917年
アメリカの技術者ランサム E オールズ(Ransom Eli Olds)はオールズ モーター ビークル社を1897年に設立しました。同社は1899年に別の会社に買収され、その経営者とオールズはそりが合わず会社を離れることになりました。1905年にオールズは新たにレオ自動車会社を設立しました。会社名のレオ(REO)は自分の名前の頭文字をつなげたものでした。最初の車は単気筒/2気筒エンジンを搭載したオールズモービル カーブド ダッシュによく似た車でした。レオ社は順調に業績を上げて1907年には販売台数で業界3位となりました。しかし1908年以降は他社の追い上げでシェアは低下していきました。
1910年にはトラックの製造部門が追加され、カナダに製造工場を建設しました。1915年に登場した商用車レオ スピードワゴンは現在のピックアップの元祖のような車として知られています。1930年代になると大恐慌による不況で自動車販売台数が減少し、GMとフォードによる市場寡占化が進みました。1931年に登場した8気筒エンジンを搭載した高級車レオ ロワイヤルは流線形ボディをいち早く採用し、流線形ボディが流行するきっかけとなった車でした。1936年に販売不振でレオは乗用車市場から撤退し、トラックなどの商用車に特化することになりました。第2次大戦後もレオは商用車を生産し、1957年に同業のホワイト社の子会社となりました。(実車画像→ レオ スピードワゴン 1915) (実車画像→ レオ ロワイヤル 1931)
ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチュアー製です。1917年に登場した6気筒エンジンを搭載したモデル M ツーリングをモデル化しています。このシグネチュアーの1/32シリーズは定価約3500円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、マニア向けの本格的な出来ばえになっていました。(ただし縮尺1/32は中途半端なサイズですが) このレオ ツーリングも実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルとその上のレオのエンブレムをかたどったマスコット、室内の造形などがリアルに再現されています。またボンネットが開閉可能でエンジンが再現されていて、床下部分のシャーシ/サスペンションもそこそこ良く再現されています。開閉2タイプの幌が付いているのもマニア向けの配慮が感じられます。レオの乗用車のミニカーはこれ以外にはないようで、レオの商用車や消防車などは十種類ほどモデルされています。 以下はフロント(マスコット部拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2003
三菱 A型 日本 1917年
ドイツでダイムラーが世界初のガソリンエンジン自動車を製作したのは1886年(明治19年)のことでした。1898年にフランスのガソリンエンジン自動車 パナール ルバッソールが初めて輸入され、その後ガソリンエンジン自動車を輸入して販売する会社が設立されました。1907年(明治40年)にはそのような会社の技術者であった内山駒之助氏が国産ガソリンエンジン自動車の第1号「タクリー号」(2気筒1.8Lエンジン搭載) を完成させました。この車はフランスのダラックを参考にして製作したそうで、ガタクリと走ることから「タクリー号」と呼ばれました。(実車画像→ タクリー号)
その後も明治末期から大正にかけて自動車の国産化が試みられましたが、当時の日本の工業技術が未熟であった為、国産化は成功しませんでした。その試みの一つとして1917年(大正6年)に三菱造船神戸造船所でイタリアのフィアット タイプ 3を参考にして三菱 A型が製作されました。三菱 A型は4気筒2.8L(35HP)エンジンを搭載する7人乗りの大型セダンでした。1921年(大正10年)までに約30台が製作され、国産初の量産?乗用車とされています。なお三菱は軍関係の航空機製造を優先したので、民間用の三菱 A型の自動車製造から撤退したとのことです。
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製です。ダイヤペット10周年記念として初期の国産車が3車種(トヨタ AA型、ダットサン 14型、三菱 A型)モデル化されたのですが、これはその1つで三菱 A型をモデル化しています。一般的なミニカーではなく、ブロンズ仕上げの置物といった感じの物に仕立てあります。ホイール/タイヤも金属製でブロンズ仕上げになっていますが、固定式ではなく回転します。置物的なミニカーですが、一応実車に基づいてモデル化しているので、実車が大体どんな感じの車だったかはわかります。これ以外の三菱 A型の量産ミニカーは2023年現在でもありません。ただし三菱自工が1985年頃に販促用に作った特注ミニカー(1/32ぐらいのサイズ)がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=360
ギャレット 4CD ショーマンズ 蒸気トラクター ’ジョージ卿’ イギリス 1918年
1800年頃に実用化された蒸気機関は工場の動力用途だけではなく、農業においても脱穀や収穫物を運ぶために馬のかわりとして使われました。このような物を運搬する車は蒸気トラクターと呼ばれ、作業場所へ荷物を運搬し作業場所で発電機としても使われました。このギャレット製の蒸気車はその代表的な蒸気トラクターです。なおショーマン(SHOWMAN)とは興行師のことで、移動遊園地などを行う興行師がこの蒸気トラクターを使って回転木馬などの大型遊技施設を運んでいたとのことです。
ギャレット社(RICHARD GARRETT&SONS LTD)は1778年に設立された農業機械、蒸気機関の製造メーカーで1932年まで存続しました。同社は農業機械の製作から始め、蒸気エンジン、蒸気トラクター、蒸気トラック、電動トロリーバス、ディーゼルエンジントラックなどを製造しました。4CD 蒸気トラクターは1907年からの21年間で514台が製造された同社で最も成功した蒸気トラクターでした。画像のミニカーの実車はイギリスの愛好者が保存している「ジョージ卿(LORD GEORG)」というニックネームが付いた車で、1918年に軍需用に製作されたそうです。その後1921年にショーマンに売却されて使用された後に放置され、1950年代にレストアされたもののようです。ショーマンが使っていたトラクターでしたので、明るい色のカラーリングで塗装され、装飾された屋根を支える支柱は真鍮製のパーツが使われていました。
ミニカーは2005年頃に入手したコーギー製です。実在する蒸気トラクター「ジョージ卿」を忠実にモデル化しています。実車の雰囲気を再現する為に、真鍮製金具はプラスチック製パーツで再現していますがそれ以外は金属製パーツを使い、金属の質感が感じられる造形になっています。(金属でできているものをプラスチックで再現すると見た目は似ていても質感が違うのです) 前輪を操舵する為に使うと思われる床下の金属製チェーンやベルト駆動される発電機のプーリー/ベルトなどの細部がリアルに再現されていて、実によく出来ています。屋根の上に付いている黒い筒は停止中にエンジンを作動させる際に使用する延長煙突で、これを使って煙突を高くして煙突から出る煙が近くの人の迷惑にならないようにするものです。屋根に「GALLOPERS ON TOUR」「NEW DODGEMS ON TOUR」と表示されていますがGALLOPERSとは回転木馬、DODGEMSとはバンパーカー(遊園地によくあるぶつけて遊ぶカート)のことなので、この蒸気トラクターも移動遊園地の遊技施設の運搬に使われていたのでしょう。コーギーは同じような蒸気トラクターを20種類以上発売しています。同じようなミニカーはマッチボックスのYシリーズの1/68、オックスフォードの1/76などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=118
アトキンソン モデル D 蒸気ワゴン イギリス 1918年
蒸気ワゴンは蒸気エンジンで走行する荷物運搬用のトラックで、20世紀初頭に登場した最も初期のトラックでした。蒸気ワゴンは主にイギリスで使われ、イギリス以外の製造メーカーはほとんどなかったそうです。蒸気ワゴンの形式には、オーバータイプとアンダータイプの2タイプがありました。これは蒸気エンジンをシャーシの上に配置するか下に配置するかの違いです。オーバータイプは蒸気エンジンと横型蒸気ボイラーをシャーシの上に配置するので、蒸気機関車のような外観になりました。アンダータイプは縦型ボイラーの下に蒸気エンジンが配置されていました。
アトキンソン社は1907年創業の商用車メーカーで創業当時は蒸気ワゴンの製造メーカーで、1970年頃に同業の商用車メーカーに買収されました。この蒸気ワゴンはアンダータイプで、運転席の真ん中にあるのが蒸気を発生させる縦型ボイラーで煙突が付いています。その蒸気で動作する蒸気エンジンは床下に配置されています。トラックの積載量は4tぐらいで、ミニカーの箱に書かれた説明によれば蒸気エンジンは2気筒で出力は70HP(300rpm)、最大積載時の最高速は12mph(約20km/h)だったとのことです。なおトルクは十分だったので変速機はほとんど必要なかったそうですが、2段変速機が付いたモデルもあったそうです。
ミニカーは1985年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。アトキンソンの平ボディトラックを縮尺1/60でモデル化しています。荷台に表示された「BLUE CIRCLE PORTLAND CEMENT」とは実在したセメント会社です。運転席を巨大な縦型ボイラーが占拠していて、2気筒の蒸気エンジンはボディ床下中央にあり、そこから後輪(タイヤではなく鉄輪の付いたホイール)をチェーンで駆動する構造となっていました。運転席は冬は暖房?が効いたでしょうが、夏はさぞかし暑かったことでしょう。ミニカーは縦型ボイラーや床下の2気筒蒸気エンジンがリアルに再現されていて良く出来ています。Yシリーズにはバリエーションでアトキンソンの蒸気トラックが5種類ほどありました。蒸気ワゴン以外のアトキンソンの商用車はコーギーやオックスフォードがモデル化しています。 以下はフロント(室内)/リアの拡大画像と俯瞰/床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=119
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.