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ド ディオン ブートン (タイプ DN) フランス 1912年
前述したようにド ディオン ブートン社は自社の高性能単気筒ガソリンエンジンを搭載した3輪車と4輪車を発売しました。さらにこのエンジンを他社にも供給していたので、1900年頃には当時最大の自動車メーカーになっていました。その後エンジンは2気筒、4気筒と大型化し、1910年にはV型8気筒まで開発していました。ただその後はエンジンの優位性がなくなりこれといった新規性のない車となり、だんだん人気がなくなっていきました。ただ堅実な設計で丁寧な仕上げがされていたので、1920年代の初めまではよく売れていたようです。
1912年に登場したド ディオン ブートン タイプ DNは世界初のV型8気筒7.8L(74HP)エンジンを搭載した大型高級車でした。4段ギアボックスからプロペラシャフトを介して後輪を駆動し最高速85km/hの性能でした。リアアクスルは同社お得意のド ディオン アクスルでした。主にツーリングカーやセダンボディが架装されたようです。ド ディオン ブートン社は1932年に乗用車生産を止めてトラックや鉄道車両の生産に主力を移して1953年まで存続しました。
ミニカーはクラシックカーを多く手がけていたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製で1960-1970年代に発売されました。1912年式のタイプ DNをモデル化しているようです。MINIALUXEのミニカーはプラスチック製でクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。このタイプ DNはモデルとなった実車(リムジン仕様)の画像が見当たらないのですが、フロントグリルの形状は当時のド ディオン ブートン車らしい形状となっています。また大きなサイズの黒いリムジンボディは当時の高級車の雰囲気をうまく再現していると思います。なおMINIALUXEのミニカーはプラスチック製ですので、経年変化でボディが変形するものが多く、これもボディが少し弓なりに変形しています。1910年以降のド ディオン ブートン乗用車のミニカーは2023年現在でもこれしかないようです。(デルプラド製で1923年式の消防車がありますが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット タイプ 0 (12/15HP) イタリア 1912年
前述したようにフィアットは1910年にタイプ 1からタイプ 6のラインナップを設定しましたが、自動車のさらなる普及を狙って1912年に小型車 タイプ 0を登場させました。タイプ 0は従来はカロッツェリアが架装していたボディをオープン4シーターに限定して自動車メーカー標準仕様とすることで大量生産しました。(この大量生産はアメリカのフォード T型と同じやり方です) 大量生産と小型化でタイプ 0は当時の同じクラスの車の約半値という低価格を達成しました。4気筒1846cc(19HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速度62km/hの性能は小型車として十分なものでした。
フィアットとしてはボディの標準化もこのような小排気量エンジン搭載もタイプ 0が初めてでした。またボディが標準化されたので、灯火などの電装品も標準装備されていました。標準ボディ以外には2シーターのスパイダーなどが架装されました。低価格の小型車としてタイプ 0は大ヒットし、自動車の大衆化の先駆けとなりました。タイプ 0はイタリア国内だけでなくヨーロッパ諸国に輸出されました。イタリアが第1次大戦に参戦したので、タイプ 0の生産は1915年に中止となりました。約3年間で2200台以上が生産されたようです。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。このタイプ 0はリオ初期のモデルですが、フロントグリルや灯火類などの細部がリアルで当時のミニカーとしては格段にレベルの高い仕上げでした。(2023年現在でも通用するレベルです) なお幌の前端とフェンダーを接続している革バンドは本物の皮革でできています。(ただし皮革が使われていたのは初期だけで、後にプラスチック製に変わりましたが) フィアット タイプ 0のミニカーはこのリオ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イターラ 25/35HP イタリア 1912年
第1次大戦前の1911年にイターラはイタリア初のスリーブバルブ エンジン(4気筒3.3L)を搭載した車を発売しました。スリーブバルブ エンジンとはシリンダー上部に吸排気バルブを設けるのではなく、シリンダー側面に吸排気口を設け開口部を持つスリーブをスライドさせることで吸排気を行うもので、静粛性が高いので1940年代以前には高級車に採用されたエンジンでした。イターラはこのエンジンを小型車から大型車まで様々な排気量で適用し、1913年のフランス GPに参戦したレーシングカーにも採用していました。1914年に第1次大戦が勃発しイターラは兵員輸送車両と航空機エンジンの製造を行いました。
第1次大戦後に最初に生産されたモデルは4気筒2813cc(35HP)スリーブバルブ エンジンを搭載したティーポ 50 25/35HPでした。その後も戦前同様にたくさんのモデルを製造していましたが、1925年に経営危機に陥りました。打開策としてSOHC 6気筒2Lエンジンを搭載したティーポ 61やDOHC 6気筒2Lエンジンを搭載したティーポ 65 を登場させました。1928年にはティーポ 65がルマンでクラス優勝しましたが、往年の栄光は取り戻せず、1929年にトラックメーカーのOMに買収されブランドは1934年に消えました。(実車画像→ イターラ ティーポ 65 )
ミニカーは1960-1970年代に発売されたイタリアのドゥグー製です。ドゥグーはクラシックカー専門のブランドで、イタリアの博物館で保存されていた車を40種類ほどモデル化していました。同時期に登場したリオのミニカーは当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでしたが、ドゥグーのミニカーもリオとほぼ同様の良い出来ばえでした。このイターラ 25/35HPはトリノ自動車博物館が所蔵する実車で、普通のオープン仕様よりも低いウインドスクリーンを持つスポーティなボディを架装した4ドア フェートンをモデル化しています。(この車のエンジンはスリーブバルブではないようです) リアルなフロントグリル、室内中央のウインドスクリーン、右側フロントフェンダーに付いた竜の形をしたホーン、本物の皮革を使った幌前端を固定するベルトなど細部がリアルに再現されていて、実に素晴らしい出来ばえです。ただ残念なことにドゥグー初期のミニカーにはタイヤのゴムに含まれる可塑剤がホイールを溶かすといった問題がありました。これもオリジナルのホイールは溶解したので、同じような形状の他のミニカーのホイールに交換してあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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SPA (スパ) スパイダー イタリア 1912年
SPAはSocieta Piemontese Automobili (ピエモンテ自動車協会)の略で、イタリアのトリノで1906年に設立された自動車会社でした。(ドイツの有名なSPAサーキットとは関係ありません) SPAの創立者の一人であったマッテオ セイラーノ(Matteo Ceirano)はイターラ社の設立にも関与した人物で、SPAの最初のモデルは4気筒/6気筒エンジンを搭載したスポーティな中型車で、シャフトドライブを採用するなどイターラと似た構造でした。SPAは軍用車両や航空機エンジンも製造していました。1925年に財政難となりフィアットに買収されましたが、SPAブランドは1947年まで存続しました。
1912年に登場したSPAのスポーティな小型車 14/16CVは、4気筒4.4L(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hと高性能でした。画像はその14/16CVのスポーツ仕様で2人乗りスパイダーのミニカーです。当時のレーシングカーのような外観で、リアエンドがボートのような形状となっているボディはボートテールと呼ばれるデザインです。シート背後のカバーがある部分は荷物を収納するスペースとなっていました。実車はフランスで新車として納車され、その後フランスのルマン自動車博物館に保管されていたそうです。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(RAMI)製です。当時のルマン自動車博物館に保管されていた実車を忠実にモデル化しています。ラミーのミニカーとしては後期の物なので、ホイールにプラスチック製メッキパーツが使われています。直線的なサイクルフェンダー、フロントグリルのSPAのデカール、小さなウィンドースクリーン、床下の排気管など当時のミニカーとしてはかなりリアルに実車を再現していました。このミニカーには灯火類を金属製からプラスチック製に変更した物や、ボディ全体をプラスチック製に変更した物も少量が製作されたようです。なおSPAの量産ミニカーは2023年現在でもこのラミー製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1912年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族の貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP)が発表されました。
初期のシルバー ゴーストはオープンカーが多かったのですが、密閉式キャビンを持つセダンもありました。画像のミニカーの実車はイギリス王室の馬車を製作していたコーチビルダーのバーカー(BARKER)がボディを架装した1912年式のリムジーンです。このバスのような一風変わったボディは長距離旅行用にデザインされたもので、古い列車の客室のような窓の構成から「Railway Carriage」と呼ばれていたそうです。室内はシルク張りの内装など豪華で、後席はソファーのようなシートで、広い足元にはアルコール燃料の湯沸かし器や茶器などのピクニックセットが装備されていました。この車は数年前にオークションに出品され、約7億円で落札されたそうです。
ミニカーは1966年に発売されたコーギー製です。本格的なクラシックカーを数点ほどモデル化したコーギーのクラシックス シリーズの一つで、1960年代のコーギーの傑作ミニカーでした。実車を忠実に再現した客室部分はプラスチック製ながら銀色に塗装されているなど丁寧な仕上げがされていて、コーギーのこのミニカーに対する心意気が感じられます。またかなり大きめに作られているグリル上のマスコット「フライング レディ(The spirit of Ecstasy)」は本物のような芸術的な出来ばえです。このミニカーは約20万台が販売され、実車が「コーギーのシルバー ゴースト」と呼ばれるようにもなりました。このミニカーは、実車が持つ魅力とは別物であるミニカーそれ自体が持つ魅力があります。なおこのミニカーを流用して1970年代のTVアニメ「The Hardy Boys」のキャラクター物ミニカーが1970年に発売されています。(このアニメとシルバー ゴーストとの関係が不明ですが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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