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マセラティ ボーラ イタリア 1971年
マセラティは1968年にシトロエン傘下となりました。シトロエンの意向でマセラティは同社初のミドシップエンジンの2シータースポーツカーを開発し、1971年にボーラとして発表しました。デザインはギブリと同じイタルデザインのG.ジュージアーロで、ギブリのイメージをミドシップエンジン車として進化させたスタイルでステンレス製のルーフが特徴でした。ギブリ用のV型8気筒4.7L(310HP)エンジンを搭載し、マセラティ市販車初の全輪独立懸架サスペンションを採用し、シトロエンのハイドロニューマティック方式油圧システムがブレーキ制御/ヘッドライト開閉などに使われていました。
1973年にアメリカ排ガス規制対策で、アメリカ向けはエンジンが4.9L(300HP)に変更されました。1976年には4.9L(320HP)エンジンが標準になりました。フェラーリのミドシップスポーツカーは12気筒エンジンを搭載しており、8気筒エンジンのボーラは性能的に見劣りがしました。また外観的にも派手さが足りなかったのかボーラの販売は芳しくなく1978年に生産中止となりました。総生産台数は約500台でした。
ミニカーは1977年に発売されたダイヤペット製の当時物です。1970年代後半の日本はスーパーカーブームの真っ只中で、これはそのブームに乗じて作られました。現在的な見方ではいまひとつの出来ばえに見えますが、当時の国産品ミニカーとしては結構良い出来ばえでした。プロポーションは悪くないのですが、車高が高いので不格好に見えます。ボディを少し押し下げてやると見ばえが良くなります。リトラクタブルヘッドライト開閉、フロントトランク/ドア/リアエンジンカバー開閉のギミック付です。これ以外の国産当時物ミニカーではトミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、エーダイのグリップ(1/28)などがありました。国産品以外の当時物ではマッチボックスやメーベトイなどがありました。当時物以外ではミニチャンプスやイクソなどがあります。 以下はフロント(リトラクタブルヘッドライト開閉)/フロントトランクを開いた画像とリア/リアエンジンカバーを開いたエンジンルームの画像です。なお室内の助手席の前に見える赤い球の付いたレバーは、手前に押し込むとフロントのトランクが開くようになっていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デ トマソ パンテーラ イタリア 1971年
デ トマソはエンジンをミドシップ搭載したことを売り物にしてマングスタを販売していましたが、ランボルギーニやフェラーリがミドシップを採用するようになったことで新しい戦略を打ち出しました。それはフォードと提携しフォードの販売網を使ってミドシップ スポーツカーを量販するというものでした。この為に開発されたのがパンテーラで、1971年に登場しました。量産性を考慮してバックボーンフレーム構造がモノコック構造に変えられましたが、基本的なところはマングスタがベースとなっていました。
パンテーラはフォード製V型8気筒5.8L(330HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速は265km/hでした。マングスタに比べるとやや大人しくなったデザインはジウジアーロの後任トム ジャーダーによる物で、カロッツェリア ギアが製作しました。1973年にはエンジンを350HPにパワーアップして最高速を280km/hに向上させたGTSが追加されました。オイルショックの影響でフォードでの販売は1973年まででしたが、その間に約6000台が販売されました。その後も1980年にオーバーフェンダーを追加したGT4やGT5などが追加され、1992年まで少量ながら生産が続けられました。
デ トマソ社は1975年にマセラティやイノチェンティを買収して事業を拡大しました。デ トマソとしては4ドアサルーンの高級車ドーヴィル、2ドアクーペのロンシャンなど、マセラティではビトルボ、イノチェンティではミニ デ トマソなどを販売していました。2003年に創業者のアレハンドロが亡くなり、デ トマソ社は2004年に解散しました。2011年にデ トマソ ブランドは復活し、2019年にP72というスーパーカーを発表しています。(実車画像→ デ トマソ ドーヴィル) (実車画像→ デ トマソ P72)
ミニカーは1972年に発売されたマテル傘下のメーベートイ製の当時物です。当時のメーベトイの作風はシャープで、このパンテーラも当時のミニカーとしてはなかなか良い出来ばえでした。マテル傘下となって当時流行りであった走行性重視のフリーホイールを採用していますが、見た目が安っぽいタイプではないのでこの車の雰囲気を壊していません。フロントパネル/ドア/リアパネルが開閉するギミック付きです。当時の日本はスーパーカーブームの最中でしたので、パンテーラはダイヤペット、サクラ、エーダイ(永大)、シンセイなどの国産メーカーが競ってモデル化していました。海外ではノレブ、ポリトーイなどの当時物ミニカーがありました。当時物以外では京商の1/18、ミニチャンプス、VISION(レジン製)、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/フロントパネルを開いた画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モーリス マリーナ クーペ イギリス 1971年
モーリス マリーナはBMCのADO15からADO17シリーズまで続いた前輪駆動車の流れから外れた後輪駆動車で、1971年に登場しました。中型車オックスフォードの後継車として、フォードやヴォクスホールなどのアメリカ系ブランドのオーソドックスな後輪駆動車に対抗する車でした。画像はクーペですが、4ドア セダン、5ドア ワゴン、2ドア バンもありました。4気筒1.3L(60HP)/1.8L(82HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速153km/h(1.8L)の性能でした。
マリーナは旧式のサスペンションで操縦性に難があり、見た目もあまりぱっとしないのですが、このクラスにはこの手のオーソドックスな車を好むユーザーが多かったようで、商業的には成功しました。1975年にMK IIに発展し、1980年にジュジアーロがデザインした角張ったデザインのボディに一新し、アイタル(Ital)と改名しました。 アイタルは1984年まで生産され、この車がモーリス ブランドの最後の車となりました。(参照画像→ モーリス アイタル)
ミニカーは1971年に発売されたコーギー製の当時物です。1/43サイズのビンテージ物のコーギーとしては最後の頃のミニカーでした。当時の流行りだったスピードホイールがやや安っぽいですが、実車の雰囲気はまずまずうまく再現されていました。ラインストーンのヘッドライトや室内の造形はコーギー流の作風でした。ボンネットとドアが開閉するギミック付きで、エンジンもそこそこ再現されています。マリーナの当時物ミニカーはこれしかありませんが、当時物以外ではバンガーズとオックスフォードが4ドアセダンをモデル化しています。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス コーニッシュ ドロップヘッド クーペ イギリス 1971年
1971年にロールス ロイス シルバー シャドウの2ドア クーペとドロップヘッドクーペ(幌付オープンカー)には、より高性能で豪華な特別仕様のコーニッシュが設定されました。同時にベントレー Tにもコーニッシュが設定されました。コーニッシュはエンジンの出力を10%ほど向上させ、ラジアルタイヤを装着、ブレーキを強化するなどスポーティでオーナードライバー向けの仕様となっていました。ボディは熟練工によるアルミ製の手作りで、内装もシルバーシャドウより豪華だったそうです。(価格はシルバー シャドウの約1.5倍だったそうです)
当初はクーペとドロップヘッドクーペが設定されましたが、1982年以降はドロップヘッドクーペだけとなりました。コーニッシュはABSやエアバックの標準装備やエンジン制御の電子化など改良が続けられ、コーニッシュ IVまで発展し1996年まで生産されました。総生産台数は約6200台(I型が約4300台)でした。2000年にコーニッシュ Vにモデルチェンジしましたが、ロールス ロイス社がBMW傘下となったことで2001年に生産中止となりました。なお日本の皇室もコーニッシュを購入していて、現在の天皇のご成婚パレード(1993年 当時は皇太子殿下)で使われましたが、現在は廃車になったそうです。(実車画像→ ロールス ロイス コーニッシュ V)
ミニカーは1978年に発売されたポリスティル(ポリトーイ)製の当時物です。1960年代のポリトーイ初期のMシリーズほど凝ったところはありませんが、プロポーションはまずまずで当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンや室内もそこそこリアルに再現されています。これ以外のコーニッシュの当時物ミニカーはソリド(ロールス ロイスとベントレー)、コーギーの1/36、フランクリン ミントの1/24などがありました。当時物以外ではオックスフォードのドロップヘッド クーペ、トゥルースケール(レジン製)のドロップヘッド クーペ 皇室専用車、ネオ(レジン製)のクーペ/ドロップヘッド クーペなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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インターメカニカ インドラ イタリア 1971年
インターメカニカ社はイタリアのトリノでフランク ライスナー(Frank Reisner)が1959年に起業した自動車会社でした。当初は小型車のチューンナップキットを手掛けていました。最初の車は小型車シュタイア プフ(500㏄)をベースにした2シータークーペのスポーツカー インターメカニカ プフ IMPでした。ただこの車はオリジナルより高性能だったので、フィアットから部品供給を断られ20台ほどしか生産できませんでした。(実車画像→ インターメカニカ プフ IMP)
1966年にイギリスのTVRと共同開発したプリムス製V型8気筒エンジンを搭載したグリフィス GT(GRIFFITH GT)が登場しました。TVRの事業停止でこの車は製造権がアメリカのスティーブ ワイルダーに移管されフォード製V型8気筒エンジンを搭載し名前がオメガに変わりました。1967年に製造権がインターメカニカに戻り、オメガはトリノ(後にイタリア)という名前に変わり、1972年まで生産されました。1967年にはフォード製V型8気筒エンジン搭載でワゴンタイプのムレナが少量生産されました。
(実車画像→ インターメカニカ グリフィス GT、 インターメカニカ ムレナ)
1971年にオペルと共同開発で、シボレー コルベットのV型8気筒5.4L(230HP)エンジンを搭載したインドラが登場しました。ノッチバッククーペ、ファーストバッククーペ、カブリオレの3タイプがありました。1973年にGMの意向でコルベットのエンジンが使えなくなりオペルの6気筒2.8L(180HP)エンジンに変わり、1975年まで生産されました。総生産台数は125台でした。1975年からインターメカニカ社はアメリカに移りポルシェ 356などのレプリカを生産、1981年にカナダに移り現在もポルシェ 356のレプリカを生産しています。
ミニカーは1975年頃に発売されたオートピレン製の当時物です。インドラのノッチバッククーペをモデル化しています。初期のオートピレンのミニカーは他社のコピーや部分改良版でしたが、その後金型製作の腕を上げて自社製オリジナルを作るようになりました。このインドラはオートピレン オリジナルの型で、シャープな造形で当時のミニカーとして良くできていました。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、可動部の建付けも隙間が小さくうまく仕上げてあります。インドラのノッチバッククーペのミニカーはこれしかないようで、ファーストバックはBOS MODELSのレジン製があります。これ以外のインターメカニカのミニカーは、プフ、ムレナ、イタリアがレジン製でモデル化されています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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