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パナール PL17 フランス 1960年
パナール ディナ Zは総アルミ製のボディでしたが、1960年にスチール製ボディを採用してデザインを一部変更したPL17に改名されました。このPLとは自動車黎明期に名声を博した「パナール ルバッソール」のイニシャルで、17とは2気筒、4段変速、5ドア(トランクリッド含む)、6人乗りの数字を足したものということらしい?です。 (これ以外にも17になるこじつけがあります) PL17の登場と同時に50HPに強化したエンジンを搭載し最高速145km/hの高性能版ティグル(TIGRE:虎の意)も追加されました。 4ドアセダンと4ドアブレーク(ワゴン)、2ドアカブリオレがありました。
この車のヘッドライト上のひさしのような飾りは当時の流行で、シトロエン アミ 6にも同様の飾りがついていました。1963年のマイナーチェンジでこのひさしはなくなり、テールライトが横長に変わりました。1964年から名前のPLが外されて単に17となりました。1965年にパナールの自動車部門がシトロエンに完全に吸収されたことで17は生産中止となり、後継車の24にモデルチェンジしました。総生産台数は約16万台でした。PL17 ティグルは1961年のモンテ カルロ ラリーで1-2-3フィニッシュで優勝していますので、PL17は総合的に優れた性能だったようです。
ミニカーは1960年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。1960年代のビンテージミニカーなので素朴な作りですが、ディンキー(仏)らしいうまい造形で実車の雰囲気が良く再現されていました。(経年変化で若干塗装が荒れてます) これ以外のPL17の当時物ミニカーはノレブ初期のプラスチック製のセダン/ブレークがあり、当時物以外ではエリゴールのブレーク、ソリドのセダン/カブリオレ、イクソのラリー仕様、ノレブのセダン/ブレーク/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 404 フランス 1960年
プジョーの4シリーズ(社名の1桁目が4)として403の後継車404が1960年に登場しました。404の最大の特徴はピニンファリーナがデザインした当時最新のセダンスタイルで、ランチア フラミニアに代表される美しいデザインでした。フェンダーより低いボンネットを実現する為にエンジンは45度傾けて搭載されていました。 この後1995年登場の406までプジョーはピニンファリーナがデザインすることになり、センスの良いデザインがプジョーの特徴となりました。1962年に2+2座の2ドアカブリオレ/2ドアクーペが追加され、さらに全長の長いブレークも追加されました。
エンジンは4気筒1.4L/1.6L(69HP)ガソリンと4気筒1.8L/1.9Lディーゼルで、ガソリンエンジンには燃料噴射仕様がありました。1964年には2Lディーゼルエンジンが追加されました。404はラジアルタイヤを前提にしたサスペンション設定など足回りも優れており、その証拠に1966年から3年連続してサファリ ラリーで優勝しています。1968年に後継車504が発表されるとクーペ/カブリオレなどの上級仕様は504に移されましたが、セダン系は1975年まで国内生産が続けられました。(国外では1988年まで生産された) 国内での総生産台数は約180万台でした。
4気筒2L(88HP)ディーゼルエンジンを搭載した404カブリオレの改造車が速度記録を樹立するなど、プジョーはこの当時からディーゼルエンジンに力を入れていました。プジョーは現在でもディーゼルエンジンのトップメーカーで、2009年のルマンではディーゼルの908 HDi FAPが優勝しています。
ミニカーは1997年頃に発売されたビテス製です。当時のミニカーとしてはやや物足りないレベルの出来ばえでした。ヘッドライトとその下のウィンカーが少し大き目にデフォルメされているので、ピニンファリーナのバランスの取れた美しいボディの再現が今一つでした。ビテスはサファリ ラリー仕様など15種類ほどをモデル化していました。これ以外の404のミニカーは当時物ではディンキー、ノレブ、CIJ、JRDがありました。当時物以外ではエリゴール、ノレブの新製品、イクソ、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 500D イタリア 1960年
前述したようにフィアット 600を一回り小さくした廉価版としてフィアット 500が1957年に登場しました。モノコックボディ、リアエンジン、サスペンションなど基本設計は600と同じでしたが、エンジンは空冷2気筒479cc(15HP)となっていました。全長3m程ながらも4人乗りで車重は約500kg、4段変速で最高速度85km/hとまずまずの性能でした。
1960年のマイナーチェンジでエンジンが499㏄(18HP)に変更された500Dとなり、リアライトが少し大きくなりました。同年にホイールベースを延長しエンジンを水平に寝かして床下に搭載したワゴンタイプのジャルディニエラが追加されました。1965年のマイナーチェンジで500Fとなり、ドアが後ろヒンジから一般的な前ヒンジに変わり、フロントウィンドーが少し大きくなりました。1968年に内外装を豪華にした500Lが設定されました。1972年に後継車の126が登場したことで500Fと500Lは生産中止となりましたが、126の廉価版として126用594㏄(23HP)エンジンを搭載した500Rが設定されました。500Rは1977年まで生産され、500シリーズの総生産台数は約400万台でした。(実車画像→ フィアット 500 ジャルディニエラ 1963)
ミニカーは2007年に発売されたブルム製です。キャンバストップを開いた500Dをモデル化しています。ヘッドライト下に追加されたウィンカー、前フェンダーの小さな丸型ウィンカー、少し大きくなったテールライトなど500Dで変更された外観がきちんと再現されています。この500Dにもキャンバストップの閉じたタイプがあり、それぞれにカラーバリエーションが12色もあります。ブルムは500F、500L、500R、500 ジャルディニエラ、500 アバルトもモデル化していますので、500シリーズの全てのモデルが揃っています。ブルム以外の500 後期型のミニカーはスポットオンの当時物 500D、マーキュリー製の当時物 500L、メーベトイの500F、デルプラド製世界の名車シリーズの500F、ビテスの500D、ミニチャンプスの500F、エブロの500Fなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット アバルト 750 速度記録車 イタリア 1960年
アバルトは量販車のチューニングやパーツ開発を行っていた会社で、フィアット車のチューニングで有名でした。フィアット 600のエンジンをベースにして自社開発した750ccエンジンの実力を宣伝するために、1956年にモンザ(モンツァ) サーキットにてそのエンジン搭載車による速度記録に挑戦しました。ベルトーネがデザインした流線形ボディの速度記録車は44HPにチューンした750ccエンジンを搭載していました。この車は24時間の平均車速で500-750ccクラスの世界記録となる156.985km/hを達成しました。(実車画像→ ベルトーネ デザイン 速度記録車 1956)
1957年に750㏄エンジンはDOHC化されて61HPにパワーアップしました。このエンジンを搭載したピニンファリーナ デザインの流線形速度記録車が、3時間の平均車速で500-750ccクラスの世界新記録となる197.826km/hを達成しました。この速度記録達成を記念して、1958年に登場したフィアット アバルト 750 ビアルベーロには「レコルト モンザ」という名前が付けられました。1958年には量産型のフィアット 500 アバルトが、1週間連続耐久走行で総走行距離18186.440km 平均時速108.252km/hを達成して大きな話題となりました。その後も1960年代に500㏄/1000ccエンジンを搭載したピニンファリーナ デザインの速度記録車が各種の速度記録を達成しました。。(実車画像→ ピニンファリーナ デザイン 速度記録車 3台 )
ミニカーは1961年に発売されたソリド製の当時物です。1960年の750㏄エンジン搭載のピニンファリーナ デザインの速度記録車をモデル化しています。このミニカーについては以前は「レコルト モンザ」の由来となった1957年のピニンファリーナ製速度記録車であると記載していましたが、今回記載内容を修正しました。(ただし1957年式と1960年式は基本的にはほとんど同じ外観のようですが) これ以外のこの速度記録車の当時物ミニカーとしてはドライバーが付いたガマ製もあり、このガマ製はソリド製と同じ型を使っているかのように似ています。当時物以外のアバルト速度記録車のミニカーはイタリアのミニカー付雑誌「アバルト コレクション」がベルトーネ デザインの500㏄/750cc速度記録車とピニンファリーナ デザインの500㏄速度記録車をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イノチェンティ 950 スパイダー イタリア 1960年
イノチェンティ社の前身はフェルディナンド イノチェンティ(Ferdinando Innocenti)が1920年に興した鋼管製造工場でした。1947年にイノチェンティ社が設立され、鋼管加工技術を生かしたスクーター ランブレッタ 125M (Lambretta 空冷単気筒123㏄(4HP)エンジン搭載)を発売しました。イタリアのスクーターとしてはベスパ(Vespa)が有名ですが、1950年代にはベスパより高性能で人気が高かったそうです。(実車画像→ ランブレッタ LD125 1956)
1960年にイノチェンティ社はイギリスのBMCのライセンス生産を行うことで自動車製造に進出しました。最初のモデルはオースチン ヒーレー スプライト 1958年(通称かに目)のシャーシに、ギヤがデザインしてカロッツェリア OSIがボディを架装した2座の950 スパイダーでした。950は4気筒950cc(41HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1963年には本家のスプライト MK IIと同様に1.1L(50HP)に排気量を拡大し、全輪ディスクブレーキを備えたスパイダーSに発展しました。イノチェンティはBMCのミニやADO16シリーズのIM3もライセンス生産しました。
ミニカーは1961年頃に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーの本業は自動車部品メーカーでしたが、1940-1970年代にミニカー製造も手掛けていました。1960年代のミニカーですので素朴な作りで、実車が小さいのでミニカーも全長75㎜ほどの小さなサイズです。実車はベースとなったオースチン ヒーレー スプライトを近代的にした軽快な車で、ホンダ初期のスポーツカー Sシリーズはこの車に似ていました。ミニカーは全体的に平板な造形で実車のイメージから少し外れていますので、いまひとつの出来ばえでした。ただプロポーションがそんなに悪いわけではありません。イノチェンティ 950のミニカーは2023年現在でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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