Sorry Japanese Only
MG MGA 1600 MK I イギリス 1959年
MG ミジェット TF型の古典的なボディを一新し、近代的な流線型ボディを採用したMGAが1955年に登場しました。外観は斬新でしたが、中身はミジェット TF型と同じラダーフレームに金属製ボディを載せた古典的な構造でした。エンジンは4気筒1.5L(72HP)で、4段変速で最高速160km/hの性能でした。当初はオープンのロードスターだけでしたが、1966年にハードトップのクーペが追加されました。
1958年にツインカム(DOHC)1.6L(108HP)エンジンを搭載する高性能版(最高速183km/h)が追加されました。1959年にはエンジンをOHV1.6L(79HP)に変更したMGA 1600 MK Iとなりました。1961年には新設計されたOHV1.6L(86HP)エンジンを搭載するMGA 1600 MK IIに発展しました。1962年にMGBにモデルチェンジしました。MGAの総生産台数は約10万台で、その半数はアメリカ市場に輸出されました。
ミニカーは1990年頃に販売されたコーギー製で、MGA 1600 MK Iをモデル化しています。これは当時のマニア向けミニカーでしたので、ややレトロなコーギー流の作風ながら、プロポーションが良く当時としてはそこそこ良い出来ばえでした。これは幌付ですが、オープンのロードスターやハードトップクーペのバリエーションがありました。MGAの当時物ミニカーではコーギー、スポットオン、マッチボックス、テクノがありました。当時物以外ではノレブ、バンガーズ、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=870
クーパー T51 F1 イギリス 1959年
クーパーの歴史は自動車修理工場を営んでいたクーパー父子が、1946年にレーシングカーを製作したことから始まりました。最初に開発されたクーパー 500はオートバイの単気筒500㏄エンジンをミドシップ搭載したF3マシンでした。この車はF2クラスに匹敵する性能があり好評でした。エンジンをミドシップ搭載したことで操縦性が優れていたのですが、ミドシップ搭載したのは単に後輪をチェーン駆動するのに最適だったからだそうです。戦前にはアウトウニオンがV型16気筒エンジンをミドシップ搭載していましたが、当時のハイパワーエンジン主体のマシンではエンジンをミドシップ搭載することの真価がわからなかったのでした。(実車画像→ クーパー 500 F3)
クーパー 500は1950年にF3マシンとしてFIAに認証されましたが、F3クラスではクーパーが圧倒的に強くレースが成立しなかったようです。1952年にはブリストルの6気筒2Lエンジンをフロントに搭載したF2マシン クーパー T20が登場しました。(この時はまだミドシップ方式の優位性に気づいていなかったようです) クーパー T20はF2規格で行われた1952-53年グランプリのプライベーター用マシンとして使われました。(実車画像→ クーパー T20)
1957年にクライマックス製 DOHC 4気筒2Lエンジンをミドシップ搭載したクーパー T43が登場し、クーパーはワークスとしてF1に参戦しました。デビュー戦の1957年モナコGPでは6位で、1958年のアルゼンチン GPでS.モスがドライバして初優勝しました。これはリアエンジン車によるF1初勝利でした。T43はサスペンションを改良したT45に変わり、1959年にエンジンを2.5Lに拡大したT51が登場しました。1959年シーズンのクーパーは9戦中5勝して、初のコンストラクターズ選手権を獲得し、J.ブラバムがドライバー選手権を獲得しました。1960年にT51を改良したT53が登場しました。(実車画像→ クーパー T43)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。1959年モナコGP 優勝車(ドライバー J.ブラバム)をモデル化しています。1970年代に発売されたブルムの初期物はややアバウトな出来ばえの物が多かったのですが、1990年代になると細部の仕上げが良くなりレベルの高い出来ばえに変わりました。(ウインドーの取り付けが少し浮いていますが、少し押さえてやれば治ります) クーパー初期のF3/F2マシンはテクノ、ソリド、ディンキー、ポリトーイなどの老舗ブランドが揃って当時物を発売していたことから、当時のクーパーの人気がうかがえます。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1747
ガズ M21 ボルガ ロシア 1959年
ロシアの自動車会社ガズ(GAZ:Gorkovsky Avtomobilny Zavod 露語でゴーリキー自動車工場の意)は、1929年にフォード社とソビエト連邦の共同事業として創立されました。1932年にフォード A型をベースにした中型乗用車ガズ Aとフォード AA型をベースにしたトラック ガズ AAの生産を始めました。フォード社との共同事業は1935年に終了しました。自動車製造技術を習得したガズはフォード V8をベースとしたガズ M1を1936年から生産し、1941年頃からは独自開発した国産車ガズ 11や、初の全輪駆動車ガズ 61の生産が始まりました。
第2次大戦後の1946年にはガズ M20 ポベーダ(Pobeda)が登場し、この車はセミモノコックボディに前輪独立懸架と進んだ設計で、4気筒2.1L(52HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速105km/hの性能でした。1956年にガズ M20はモノコックボディのガズ M21 ボルガに発展しました。4気筒2.5L(75HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速130km/hの性能でした。ボディは当時のアメリカ車と良く似たデザインでした。個人向け乗用車としては当時の最上級車で高価でしたので個人所有は少なかったようで、ほとんどが公用車やタクシーとして使われたそうです。1960年代にはワゴン仕様が追加され、1970年頃まで生産されました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製です。1959年に登場したガズ M21のシリーズ2をモデル化しています。このミニカーはもともとはデアゴスティーニのミニカー付雑誌「TAXI OF THE WORLD (TAXI DEL MONDO 世界のタクシー)」シリーズ向けに作られたミニカーでした。(このシリーズの日本語版は途中で休刊となりましたが、海外では全30号が刊行されたようです。参照WEBサイト→ Taxi Collection イタリア語 ) これはその型を流用してイクソのカタログモデルとして発売されたものです。このミニカー付雑誌が無ければこの車がミニカー化されることはなかったと思われます。プロポーションがしっかりしていて、実車がうまく再現されています。メッキされた大きなグリル、その上のエンブレムとマスコット(前足を上げた鹿)などの細部もそこそこ良く再現されています。 以下はフロント(マスコット拡大)の画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=901
ガズ 13 チャイカ ロシア 1959年
ロシアの自動車会社ガズ(GAZ Gorkovsky Avtomobilny Zavod ロシア語で:ゴーリキー自動車工場の意)は、1929年にフォード社とソビエト連邦の共同事業として創立されました。フォード社との共同事業は1935年に終了し、自動車製造技術を習得したガズはフォード V8をベースとしたガズ M1の生産を1936年から始めました。1941年頃からは独自開発した国産車ガズ 11や、初の4輪駆動車ガズ 61の生産が始まりました。
1958年に政府高官公用車としてガズ 12 ZIMが登場しました。ガズ 12 ZIMは6気筒3.5Lエンジンを搭載する全長5.5mの高級な大型リムジンで、3段変速で最高速120km/hの性能でした。この車は主に公用車として使われましたが個人所有も可能でタクシーや救急車としても使われました。 (実車画像→ ガズ 12 ZIM)
ガズ 12 ZIMの後継車としてガズ 13 チャイカが1958年に登場しました。(チャイカとはロシア語でカモメの意) この車は政府高官専用車で、独自開発したV型8気筒8L(195HP)エンジンを搭載する大型リムジンでした。フロント周りのデザインは当時のアメリカの高級車パッカード カリビアンに似ていました。セダン、リムジン(ガズ 13A)、パレード用のカブリオレ(ガズ 13B)、ステーションワゴンの霊柩車など1981年までに約3000台が生産されました。(ただし国家元首専用車はガズ 13 チャイカではなく最上級車のジル(ZIL)でした)
1977年にガズ 13 チャイカの後継車ガズ 14 チャイカが登場しました。外観が一新されアメリカのフォード リンカーンのような近代的なデザインになりました。全長は約6.11mで先代よりかなり大きい本格的なリムジンで、当時の最新の装備(オートエアコンなど)を備えていました。ただしドライブトレーンやサスペンションは先代をそのまま踏襲していました。V型8気筒8L(220HP)エンジンを搭載し3段自動変速で最高速175km/hの性能でした。リムジンと4ドアコンバーチブルがあり、1988年まで生産され総生産台数は約1000台でした。(実車画像→ ガズ 14 チャイカ)
ミニカーは1981年頃に発売されたソ連製の当時物です。1977年頃にソ連製ミニカーが大量に輸入されたことがありましたが、その時期に輸入されたミニカーは粗悪なダイキャスト材が使われているなど品質的に今一つの物が多くありました。このガズ 13はその後しばらくしてから輸入されたもので、品質的には向上が見られました。金属パーツのフロントグリル、クロームモール、バンパーなどレトロな造形ですが、クラシックな外観のガズ 13にはその作風が似合っていて、実車の雰囲気が良く再現されていました。4ドアとトランクが開閉するギミック付きですが、ドアの建付けはあまり良くありません。これ以外のガズ 13 チャイカのミニカーはIST MODELがあり、IST MODELにはガズ 12とガズ 14 チャイカもあります。またロシア車のミニカーはデアゴスチーニのミニカー付き雑誌「AUTO LEGENDS USSR」シリーズで150車種ほどがモデル化されていて、その中にもガズ 12、ガズ 13 チャイカ、ガズ 14 チャイカがあります。 以下はフロントの拡大画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2011
日産 ダットサン 211型 日本 1959年
1957年にダットサン 110型の後継車ダットサン 1000 (210型)が登場しました。オースチンのエンジンをベースにして開発したOHV式4気筒988cc(34HP)エンジンを登載し、4段変速で最高速95km/hの性能でした。210型は当時最大の顧客であった小型タクシーの排気量が1000ccまでに拡大されたことに対応したモデルチェンジでした。ボディは110型をリファインした物で、フロントウインドウに曲面ガラスが使われていました。1958年のマイナーチェンジで211型となり、フロントグリルなどが変更されました。
1958年に日産自動車はオーストラリア一周ラリー「モービルガス トライアル」に210型で出場しました。国際競技への初挑戦でしたが、出場した富士号は、1000cc以下のAクラスで優勝しました。(総合部門では完走34台中25位でした) この快挙は210型の優秀性を世界へアピールすることとなり、同時期に北米への輸出も始まりました。このように高性能で耐久性に優れた210型は小型乗用車市場でライバルを圧倒し、日産自動車の小型乗用車での地位を磐石なものとしました。1959年に後継車のブルーバード 310型が登場しました。
ミニカーは1977年に発売されたリーンレプリカ製です。リーンレプリカは個人コレクターが起ち上げたブランドで、ホワイトメタル製の1/43で初期の国産車を6車種ほどモデル化していました。これは1958年のマイナーチェンジでフロントグリルを変更しリアウインドウが拡大されたダットサン 211型をモデル化しています。窓ガラスも付いていない簡単な作りなのですが、プロポーションは前述したエブロ製のダットサン 112型よりも良く出来ていて、実車の雰囲気がよく再現されています。これ以外のダットサン 210型のミニカーはインターアライドが1990年代末に立ち上げたブランド ミニプロモが上述したオーストラリア一周ラリーの優勝車のミニカー(2台セット 1/43 コールドキャスト製)を発売していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=910
ページ « 前へ 1...113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 ...371 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.