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NSU (エヌ エス ウー) スポーツ プリンツ ドイツ 1959年
1959年にNSU プリンツのスポーツ仕様として追加されたのがスポーツ プリンツでした。スポーツ プリンツはスタイリッシュなボディの2+2座クーペで、デザインは1953年に公開されたコンセプトカー アルファ ロメオ B.A.T.をデザインしたフランコ スカリオーネが行いました。エンジンはプリンツと同じですので、性能的には最高速120km/hとプリンツ セダンと大差ありませんが、見た目はかっこ良かったのだとと思います。 (実車画像→ アルファ ロメオ B.A.T.)
同時期に販売されていた同じような性格のフォルクスワーゲン カルマン ギア クーペの半額という低価格で人気があったようです。1967年の生産中止までに約2万台が販売されました。1964年にこの車をベースにして、世界初のロータリーエンジン搭載車であるNSU スパイダーが誕生しました。
ミニカーは1963年に発売されたコーギー製の当時物です。1960年代のミニカーですから、灯火類やバンパーを銀色塗装処理した素朴な造形です。素朴な造形ながらプロポーションが正確で実車の雰囲気がうまく再現され、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。なお1950年代のミニカーは室内の再現がなく内部はがらんどうでしたが、1960年代になると室内が再現されるようになりました。このコーギーのスポーツ プリンツは室内にシートとステアリングホイールを再現してあり、さらにスプリング サスペンションのギミック(車軸が板ばえで支えられていて実車のように上下動する)が付いていました。スポーツ プリンツの当時物ミニカーはこれしかないようで、当時物以外ではヘルパの1/87、ミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン ID 19 モンテ カルロ フランス 1959年
優れた乗用車であったシトロエン DS/IDは大柄のボディに非力な4気筒エンジンを積んでいたので高性能とは言えず、モータースポーツには無関係の車のように思えます。しかしDS/IDはその優れた操縦性を生かしてラリーでも活躍しています。1956年からプライベータがモンテ カルロ ラリーに参戦しており、1959年にはID 19が総合優勝しています。当時のラリーはまだ市販車そのままの車が活躍できる状況だったのです。
1960年からワークスがDS 19で参戦するようになり、1961年のコルシカ ラリーや1962年の1000湖ラリーで優勝するなど活躍していました。1966年にはパワーアップしたDS21が投入され、モンテ カルロ ラリーで優勝しています。なおこの勝利は1-3位で完走したミニ クーパーが失格になったことで、4位からの繰り上げ優勝でした。その後も動力性能よりも耐久性が重視されるサファリ ラリーなどに参戦しています。1969年にはホイールベースを短縮し軽量化したラリー専用のDS 21が開発され、この車は1969年と1970年のモロッコ ラリーで優勝しています。(実車画像→ シトロエン DS21 ラリー専用車 )
ミニカーは1992年に発売されたリオ製です。1959年モンテ カルロ ラリー優勝車をモデル化しています。実車に即したカラーリングで補助灯が付いていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。リオはこれ以外にもDS 19のミッレ ミリア、DS 21のモンテ カルロ、DS 21のサファリ、DS 21のモロッコ ラリーなど約20種類のレース仕様車をモデル化しています。リオ以外ではモンテ カルロやサファリ ラリー仕様車をビテスなどがモデル化しています。なお当時物ミニカーとしてはコーギーの1965年モンテ カルロ ラリー仕様車だけしかないようで、これはかなりのレア物です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シムカ スポーツ オセアーヌ (オーシャン) フランス 1959年
前述したシムカ 8のクーペ仕様として、シムカ 8 スポーツが1948年に登場しました。全長約4mの2シーターのクーペ/カブリオレで、デザインはピニンファリーナでした。製造はピニンファリーナから派遣された作業者が行ったそうです。当初は4気筒1.1L(32HP)エンジンを搭載していましたが、1951年からアロンドと同じ1.2L(50HP)エンジンに変わり4段変速で最高速140km/hの性能でした。1952年にシムカ 9 スポーツが登場し生産中止となりました。生産台数は約5000台でした。(実車画像→ シムカ 8 スポーツ 1948)
シムカ 9 スポーツは全長約4.26mの2シーターのクーペ(1955年にカブリオレが追加された)で先代と似たようなデザインでしたが、デザインはピニンファリーナではなくコーチビルダーのファセルとシムカの合作でした。50HPにパワーアップしたアロンドの4気筒1.2Lエンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1955年まで生産されましたが、生産台数は約1500台でした。(実車画像→ シムカ 9 スポーツ 1953)
1956年に大きなパノラマ式フロントウィンドーでデザインを一新したクーペのプラン シエル(PLEIN CIEL)とカブリオレのオセアーヌ(OCEANE)が登場しました。このボディはコーチビルダーのファセル製でした。エンジンは1.3L(57HP)に拡大され、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1959年にフロントグリルがアロンド P60とよく似た開口部の大きなデザインに変更されました。1962年まで生産され生産台数は約1.1万台、後継車はシムカ 1000 クーペでした。(実車画像→ シムカ アロンド クーペ/カブリオレ 1957)
ミニカーは1959年に発売されたソリド製の当時物です。シムカ アロンド P60と同じようなフロントグリルを持つオセアーヌ 1959年式をモデル化しています。1960年代のミニカーですから素朴な作りですが、オセアーヌの魅力的なデザインを良く再現していて、当時のミニカーとして良く出来ています。なお本来は座席に女性ドライバーのフィギュアが座っているのですが、これは欠品しています。これ以外のシムカ スポーツのミニカーはノレブ初期のプラスチック製当時物と最近の物、ディンキー(仏)の当時物、ノスタルジーなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 1800 イタリア 1959年
1959年にフィアット 1400とその上級車1900は、フィアット 1800/2100にモデルチェンジしました。フィアット 1800/2100は全長約4.5mの大型高級車で、当初は4ドアセダンと5ドアワゴン(ファミリアーレ)がありました。ピニンファリーナがデザインしたセダンは、この当時の最新のスタイルでした。エンジンは6気筒1.8L(75HP)と6気筒2.1L(82HP)で、4段変速で最高速146km/h(2.1L)の性能でした。2100にはホイールベースを延長して全長4.75mとし、4灯式ヘッドライトを採用したスペチアーレという上級モデルが設定され、このモデルが当時のフィアットの最上級車でした。(実車画像→ フィアット 2100 スペチアーレ)
1800は1961年に81HPにパワーアップして1800Bとなりました。2100にはギヤのデザインした2+2座のGTカー 2100S クーペが1961年に追加されました。2100は1961年に排気量を2.3L(105HP)に拡大して4灯式のヘッドライトを持つ2300に変わり、2100S クーペは2300S クーペに変わりました。2300にはフィアットとしては初の自動変速機が1966年にオプション設定されました。1800の廉価版として4気筒1.5Lエンジンを搭載した1500L(主にタクシー用途)もありました。1800/2300は1969年まで生産され、後継車はフィアット 130でした。
ミニカーは1960年に発売されたコーギーの当時物です。コーギーとしては初のイタリア車のミニカーで、縮尺1/47と小さめに出来ていました。まだドア開閉ギミックが付かない実にシンプルな作りですが、角ばったフロント造形やフロント/リアが逆スラントしている直線的なスタイルがよく再現されています。コーギーは同じ型を使い型番232で2100もモデル化していました。コーギー以外の1800/2300の当時物ミニカーはマーキュリーの1800、ディンキーの1800 ファミリアーレと2300 ワゴン、ガマの1800、ノレブ初期のプラスチック製の23000、ポリトーイ初期のプラスチック製の1800などたくさんありましたので、当時の実車は人気があったようです。当時物以外ではヴィーキングの1800、スターラインの2300 ワゴンなどがあります。ミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.66で1500Lがモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 250 GT SWB イタリア 1959年
250シリーズのレーシングカーには250 テスタロッサ、250 GTO、250LMなどがあり、いずれも成功しています。250シリーズのGTカー(市販車)には、ホイールベースの異なるショートホイールベース(SWB 2400㎜)とロングホイールベース(LWB 2600㎜)がありました。最初のGTカーは1954年に登場した250 ヨーロッパ GTでした。LWB仕様でV型12気筒3L(220HP)エンジンを搭載し、4段変速、最高速218㎞/hの性能でした。受注生産で16台だけ生産されたとのことです。(実車画像→ フェラーリ 250 ヨーロッパ GT)
1956年からレースを主目的とする250 GTの生産が始まりました。ピニンファリーナのデザインによるボディは総アルミ製で、当時流行りだったテールフィンを採用していました。LWB仕様でV型12気筒3L(230-280HP)エンジンを搭載し、4段変速、最高速250㎞/hの性能でした。この車はフランスのツール ド フランスで1956年から数年間連続して優勝したことから、250 GT TDF(ツール ド フランス)と呼ばれるようになりました。1957年にはオープン仕様の250 GT カブリオレや250 GT カリフォルニア スパイダー(アメリカ向け) が追加されました。(実車画像→ フェラーリ 250 GT TDF)
250 GT TDFの後継として1959年に登場したのが250 GT SWBです。操縦性を向上するためにホイールベースを短くしたのがSWB(Short Wheelbase Berlinetta(クーペ))という名前の由来です。基本的にはレース用の車ですが、このSWBあたりから本来の意味でのGTカー的な要素が加わってきました。ディスクブレーキ、ヒーター/ベンチレーターが初めて標準装備され、一般ユーザー用に操縦安定性が向上しました。TDFと同じピニンファリーナのデザインですが、テールフィンがなくなり、よりダイナミックで迫力のあるデザインに変わっています。(これ以外の250シリーズのミニカーについては250 GTEを参照してください)
ミニカーは1992年頃に発売されたバン製です。バンパーなどが付いたロードカー(ストラダーレ)仕様をモデル化しています。イタリアのメーカーはこの類のスポーツカーをモデル化するのが得意で、ライトの大きさやフェンダーのボリューム感をデフォルメして、実車のイメージをうまく再現しています。当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。バンは250 GTをレース仕様なども含めて約100種類ほどモデル化しています。これ以外の250 GTのミニカーとしては、ボックスモデル、ベストモデル、ジョエフなどイタリアのメーカーがたくさんモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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