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マセラティ 3500GT イタリア 1957年
1957年にマセラティ 250FでGPレースのタイトルを獲得したマセラティは財政難からワークス活動から撤退し、量産車の販売に本腰をいれました。その年に発表された3500GTはカロッツェリア トゥーリング製の2+2座クーペ ボディにGPカー譲りのDOHC 6気筒3.5L(225HP)エンジンを搭載した高級車で、4段変速で最高速230km/hの性能でした。1960年にフロント ディスクブレーキが採用され、1961年にルーカス製の燃料噴射装置で235HPにパワーアップし5段変速を採用した3500GTIとなり、1962年にフロントグリルなどの外観が少し変更されました。3500GTは1964年までに約2000台が生産されて大成功し、マセラティの財政状況を回復させました。
1959年にミケロッティのデザインでカロッツェリア ヴィニャーレがボディを架装した3500GT スパイダー ヴィニャーレが登場しました。ホイールベースがクーペよりも100mm短く、ボンネットやトランクリッドはアルミ製で軽量化されていました。最高速はクーペと同じ230km/hでしたが、加速性能が向上していました。1961年に上述のクーペと同じ燃料噴射式エンジンに変更され、1964年までに約250台が生産されました。 (実車画像→ マセラティ 3500GT スパイダー ヴィニャーレ 1963)
ミニカーは1963年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーは実車パーツ製作が本業でしたが、1960-1970年代にはミニカーも手掛けていて、当時としてはレベルの高いミニカーを作っていました。この3500GTもダイナミックな造形で実車の持つ迫力をうまく再現していました。厳密なことをいうとキャビン部分がやや小さめにデフォルメされているのでプロポーション的には少し外れているのですが、そんなことは気にならないぐらいのビンテージ物の傑作ミニカーでした。ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、トランクにはおまけで荷物ケースが積まれています。当時物ミニカはこれしかなく当時物以外ではミニチャンプスのスパイダー、ネオ(レジン製)のクーペがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベントレー S1 タイプ コンチネンタル フライング スパー イギリス 1957年
前述したロールス ロイス シルバー クラウド I のベントレー版のベントレー S1は1955年に登場しました。この世代でロールス ロイスとベントレーは基本的に同じ性能になりましたが、2ドア クーペやオープンのドロップヘッド クーペを架装したベントレー コンチネンタルだけは圧縮比を高めてパワーアップがされていてスポーティになっていました。このフライイング スパー(飛翔する拍車)と名付けられたモデルは、H.J.マリナー製のコンチネンタル クーペのデザインを生かして4ドア化したものでした。アルミ製のボディは手作りで標準のS タイプより豪華な内装に仕立てられた特別なモデルでした。
フライング スパーは当時最も高速でかつ最も高価な4ドアサルーンでした。ロールス ロイス シルバー クラウド I と比べてみると、リアフェンダーあたりのデザインが少し違っていますが、これはフライイング スパーがコーチビルダーによる特別なデザインであったからです。なおこの頃にはセダンにコーチビルダー製のボディが架装されることは少なくなり、ほとんどがロールス ロイス内製の標準ボディとなりました。
1959年にベントレー S1はエンジンがV型8気筒6.2Lに変更されてS2(シルバー クラウド IIの兄弟車)となりました。S1の総生産台数は約3500台でした。(その中でコーチビルダー製のボディは約500台) 1962年には4灯式ヘッドライトを採用しボディが全面的に変更され、エンジンが少しパワーアップされたS3(ロールス ロイス シルバー クラウド IIIの兄弟車)となりました。S2の総生産台数は約2200台でした。1965年にS3からT シリーズ(ロールス ロイス シルバー シャドウの兄弟車)にモデルチェンジしました。S3の総生産台数は約1600台でした。
ミニカーは2007年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスの箱には1955年式と表示されていますが、フライング スパーが登場したのは1957年であると記載されたWEBページがありましたので、1957年式とするのが正しいようです。ミニチャンプスらしいそつのない造形で実車がうまく再現されていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もリアルに再現されています。これ以外のベントレー S タイプの当時物ミニカーはコーギーのS2、スポットオンのS2、ディンキーのS2などがありました。当時物以外では、べレムのS1、フランクリン ミントのS1 1/24、ミニチャンプスのS2、オックスフォードのS1、スパーク(レジン製)のS1とS3、ネオ(レジン製)のS3などがあります 以下はフロント(エンブレム拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ヴォクスホール ビクター FA イギリス 1957年
1910年代の傑作車プリンス ヘンリーで知られているヴォクスホール モーターズ社は、1925年にアメリカのGMに買収されました。その後GM傘下ながらも、ヴォクスホールはイギリスの国情に合った独自の車両開発を行いました。乗用車では小型車から大型車までのラインアップを整え、商用車ではベッドフォード(BEDFORD)ブランドを展開し、戦前には年間6万台を生産する量産メーカーになっていました。
戦時中は軍用トラックやベッドフォード エンジンを搭載したチャーチル歩兵戦車などを生産しました。戦後は1946年から乗用車生産を再開し、1951年には戦前型を改良しフラッシュ サーフェス ボディを採用した4気筒1.5L(45HP)エンジン搭載のワイバーン(WYVERN)と、同じボディに6気筒2.3L(55HP)エンジンを搭載したヴェロックス(VELOX)が登場しました。(参照画像→ ヴォクスホール ワイバーン 1952、ヴォクスホール ヴェロックス 1955)
1957年にワイバーンの後継としてビクターが登場しました。GMグループのドイツのオペル レコードをベースにした車で、4気筒1.5L(48HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速120km/hの性能でした。フロントスクリーンの形状や派手なモールなどアメリカ車的なデザインが採用されていました。1961年までに約40万台が生産され、商業的にはかなり成功したようです。1960年に後継車のビクター FBが登場し、1963年にビクター FC、1966年にビクター FD、1972年にビクター FEと続きました。(いずれもオペル レコードがベースでした)
ミニカーは2005年に発売されたコーギー系列のバンガーズ製です。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。全体的にはレトロな作風ながら、フェンダーミラーやエッチング材のワイパーは現代風でリアルに仕上げてあります。クローム モールやテールライトの塗装処理やヘッドライトへのラインストーン埋込みなどは昔のコーギー風で、この辺の処理は老舗ブランド コーギーの昔なじみのファンに対する心使いでしょう。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス エリート シリーズ 1(S1) イギリス 1957年
大学生であったコーリン チャップマンがオースチン セブンをベースにしたレースカーを製作し、この車が好成績をあげたことからロータスの歴史が始まりました。1952年にロータス エンジニアリング社が設立され、本格的なレースカーとして開発されたロータス マーク VIは高性能で安価であったことから、プライベートチームに好評を博しました。その後もマーク XIまでのレースカー販売で順調に資金を蓄えたロータスは、GPレースへの本格参戦と市販スポーツカーの販売に乗り出しました。 (実車画像→ ロータス マーク VI)
1957年に最初の市販スポーツカーのセブンとエリートが発表されました。エリートはFRPによるフルモノコックという特殊な構造のクーペ ボディで、ジャガー並みの価格の高級GTカーでした。エンジンは4気筒1.2L(76HP)、4段変速機で、最高速は軽量なボディの為185km/hと高性能でした。 1960年にシリーズ 2(S2)に発展し、85HPの高性能版SEが追加されるなどして、1963年までに約1000台が生産されました。エリートは結構売れましたが、特殊な構造故に製造コストが高く、営業的には失敗作でした。
ミニカーは2004年に発売されたイクソ製です。エリートの微妙なスタイルがうまく再現されていて良い出来ばえでした。室内も良く再現されていて、ワイヤースポークホイールもリアルな造形です。ブリティッシュグリーンのカラーリングはセンスが良いです。レース仕様など数種類のバリエーションがありました。エリートの当時物ミニカーはありません。このイクソ製以外のエリートのミニカーは、ヤトミンの1/18、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス イレブン ルマン イギリス 1957年
ロータスはレースカー マーク VIの成功を受けて、ルマンに出場するさらに本格的なレースカーの開発に着手しました。1954年にマーク VIIIが完成し、シルバーストーンでクラス優勝しました。(実車画像→ ロータス マーク VIII) マーク VIIIはマーク IX、マーク Xと発展し、1956年にXI(イレブン このモデルから名前にマークが付かない)が登場しました。イレブンの最大の特徴はアルミパネルを補強材とした航空機のようなスペースフレーム構造で、車重は約400kgと非常に軽量でした。フランク コスティンのデザインした流線形ボディで、コベントリー クライマックス製4気筒1.1L(76HP)エンジンを搭載していました。
1955年にマーク IXでルマンに初参戦しましたが、リバースギアを使ったことで失格となりました。(レース中にバック走行すると失格になるルールがあるそうです) 1956年ルマンにはイレブンで出場し総合7位(クラス優勝)、1957年ルマンではイレブンで総合9位(クラス優勝)となりました。イレブンにはフォード製4気筒1.2Lエンジンも搭載され、ボディもドライバー後方に大きなテールフィンがあるものとないものがありました。1957年にフロントサスペンションなどを改良してシリーズ 2となり、1958年まで生産され総生産台数は約270台でした。
ミニカーは2000年頃発売されたカルツォ製です。カルツォは旧ビテスグループのブランドで、1957年ルマンで総合14位となったイレブン(750ccエンジン搭載)をモデル化しています。このミニカーは保有していませんので、画像はWEBショップの商品画像を借用しました。画像で見る限りではなかなかの良い出来ばえのようです。これ以外のイレブンのミニカーは老舗コーギーの当時物、当時物以外ではスパークやBOSモデルなどがあります。
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