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ヴォクスホール プリンス ヘンリー イギリス 1914年
蒸気エンジン製造会社であったヴォクスホール アイアンワークス社は、1903年に単気筒1Lエンジンを搭載する小型車5HPを開発して自動車製造に進出しました。その後小型/中型車のメーカーとして発展し、1906年には4気筒2.4Lエンジンを搭載した12-16HPが登場し人気を博しました。この車に採用されたボンネットの両肩部分が凹んだライン(フルート FLUTE:丸溝の意)となっているデザインはその後のヴォクスホール車のシンボルとして継承されることになりました。 (実車画像→ ヴォクスホール 12-16HP 1906)
後に優れた自動車技術者となったローレンス ポメロイ(Laurence Pomeroy)が1907年にヴォクスホールに入社しました。主任技術者が不在だった為に、彼は新型車Aタイプ用の4気筒3Lエンジンの改良を任され、彼の改良したエンジンは高性能を発揮し、Aタイプは1908年のRACのトライアルレースで優勝しました。Aタイプはその後も速度記録を達成するなど、ヴォクスホール車の名声を高めました。Aタイプを改良したCタイプは1910年にドイツで開催されたプリンツ ハインリヒ トライアル レースで活躍したことでプリンス ヘンリーと呼ばれることになりました。その後改良されたDタイプ(25HP)やEタイプ(30-98)が市販されました。それらは各種レースで活躍しプリンス ヘンリーは当時最も優れたスポーツカーでした。高性能車を少量生産するヴォクスホール社は第1次大戦後には経営不振となり、1925年にアメリカのGMに買収されGM傘下となりました。
ミニカーは1970年に発売されたマッチボックス製です。年式が1914年式となっているので、4気筒4L(75HP)エンジンを搭載したDタイプをモデル化しているようです。マッチボックスのYシリーズ(クラシックカー)は安価でしたので細部が簡素化されていますが、実車の雰囲気はうまく再現してありました。このプリンス ヘンリーもヘッドライトがラジエーターグリル横から生えているなどの簡素化がされていますが、V字型の鋭く尖ったノーズやヴォクスホールの特徴であるボンネットの凹んだライン(フルート)はちゃんと再現してあります。当時の定価は950円と安価で、値段相応ながら良く出来ていました。これ以外のプリンス ヘンリーの量産ミニカーは、2023年現在でも見当たらないのでその点では貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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