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フィアット 8HP イタリア 1901年
前述したフィアット 3.5HP(1号車)に次いで1900年にフィアット 6HPが登場しました。(参照画像→ フィアット 6HP 1900) 構造は3.5HPと同じでしたが、フレームが大きくなり直列2気筒1082cc(10HP)エンジンを搭載していました。また3段変速機にリバースが追加され、丸ハンドルが選択できました。6HPは20台が生産されましたが、フィアットはシャーシのみを製作しボディ架装はコーチビルダー任せでした。また6HPをベースにしてフィアット初のレース仕様車 6HP コルサが開発されました。6HP コルサは1900年に行われた都市間レースで優勝していますが、その時のドライバーであったヴィンチェンツォ ランチア(Vicenzo Lanzia)は後にランチア社を設立しています。
1901年にはフロントにエンジンを搭載した8HPが登場しました。8HPは3.5HPと同じようなサイズの小型車で、直列2気筒1082cc(10HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動していました。運転席後部に補助席が付いているので、3.5HP同様に3人が乗車でき、最高速度は45km/hに向上していました。ボンネット先端の黒い部分がラジエータ、ステアリングは丸ハンドルでした。6HPは80台が生産されたそうです。その後この車はフィアット 10HP、フィアット 12HPと発展していきました。
ミニカーは2010年に発売されたイタリアのリオ(RIO)製です。フィアット初期の車のミニカーは自国の車ゆえにリオがたくさんモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この8HPもラジエータの付いたボンネット周りの造形、床下の後輪駆動チェーンなどのメカがリアルに再現され、素晴らしい出来ばえです。なおリオは1970年代に型番31で8HPのミニカーを作っていましたが、この型番4276は最近になって幌を閉じたバリエーションとして発売されたものです。幌以外は1970年代の物とほとんど同じですので、昔のリオのミニカーが現在でも十分に通用するレベルの物であったことが良くわかると思います。(リオは現在でもイタリア国内で製作していて、この型番4276も昔と同じように仕上げているようです) 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジェネラル グランプリ イギリス 1902年
ジェネラル グランプリはイギリスのゼネラル モーターカー カンパニー(General Motor Car Company アメリカのGMとは別の会社です)が1902年に製作したレーシングカーでした。この車は最近まで実車画像が見つからず、その詳細が不明でした。この車に関する記載内容を更新する為に、最近再度WEBで実車を検索するとそれらしい画像が2件ほど見つかり、実車に関する情報も入手できました。
WEBで検索した情報とミニカーに添付されていた解説書の記載によると、この車の特徴的な4角錐形状のボディは空気抵抗を考慮した造形で、当時としては最新の空力的デザインだったようです。当時のフランスのエンジン製造会社 ビュシェ(BUCHET)社製の4気筒4.6L(40HP)エンジンを搭載し後輪をチェーン駆動し、最高速113km/h?の性能だったそうです。(当時の車としてはかなり高性能ですが、真偽のほどはやや疑問です) レーシングカーとして開発されたそうですが、実験車レベルでレースに出走したことはなかったとのことです。
ミニカーは1978年に発売されたリオ製です。WEBで見つけた実車画像と見比べると、実車を忠実に再現しているようです。最大の特徴である4角錐形状のボディがリアルに再現され、コクピット手前にあるクラクション、コクピットのシート配置、後輪のチェーンドライブなども実車に即した造形となっています。コクピットのインパネも再現されていますから、たぶん何らかの資料(実車?)に基づいてモデル化しているのでしょう。ほとんど知られていないこの車をリオがモデル化したのは、この変わったボディ形状がクラシックカー コレクターの興味を引くと考えたからでしょう。(自動車創世記のレーシングカーのプロトタイプということで興味深いモデルですから) なおジェネラル グランプリの量産ミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ジンプレックス 40HP ドイツ 1902年
前述したレーシングカーメルセデス 35HPをベースにして乗用車に発展させたのがこのジンプレックス 40HPでした。35HPに楕円形のヘッドライト、前後のフェンダー、クラクションなどが追加されています。実車はメルセデス ベンツ 博物館に保存されていて、茶色の木製スカットル パネルや黒いストライプが付けられた青いボディなど乗用車らしくなっています。4気筒6.8L(45HP)エンジンを搭載し、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し、最高速70km/h の性能でした。
ミニカーは2011年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 博物館に保存されている実車を忠実にモデル化しています。(実車諸元 画像参照のリンク先に実車画像があります) イクソはレーシングカー 35HPも型番MUS027で2010年にモデル化しています。どちらもシャーシのメカ部分などの細かいところまでよく再現されています。35HPと40HPが同じブランドで作られているので、この2台を並べるとレースカーから乗用車に発展したことがよく分かります。
縦長のヘッドライトはアセチレンガスを燃焼させる方式のアセチレンランプです。前後フェンダーに付けられた黒いラインとホイールに付けられた細い赤いラインは実に細かい細工です。ドライバー正面にある木製のスカットル パネルには縦長の金属製円筒が並んでいる装置がありますが、それぞれの円筒がエンジン各部の潤滑系統に接続されていて、潤滑系の作動状態を内蔵しているガラス管でチェックしたりオイルを供給する装置です。運転席右側にある2本のレバーはハンドブレーキ レバーと変速機のシフトチェンジ レバーです。なおリアフェンダーがやや後ろに長すぎる点と、ドライバーシートの右側面に追加されたはずのクラクションがついていない点は見なかったことにしておきます。以下フロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ジンプレックス 26/40HP ドイツ 1902年
前述したようにメルセデスという名前がつけられたレーシングカー 35HPが活躍したことで、ダイムラー社の車はメルセデスと呼ばれるようになりました。当時のチーフエンジニアのヴィルヘルム マイバッハはメルセデス 35HPの改良に着手し、1902年にメルセデス ジンプレックスと呼ばれた新型車が登場しました。ジンプレックス(SIMPLEX)とは英語のSIMPLE(簡潔)で、シフトチェンジのクラッチ操作を簡単にするなどして操作を簡素したことを意味する名前でした。ジンプレックスには4気筒4L(20HP)/5.3L(32HP)/6.8L(40HP)のエンジンを搭載する3モデルがありました。
6.8L(40HP)エンジン搭載のジンプレックス 26/40HPは当時の最上級車で、それ以前のメルセデス 35HPの後継車でした。全長約4.8mの大型車で、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し、最高速85km/hの性能でした。ジンプレックス シリーズは1910年まで生産され、途中で4気筒8L(50HP)と4気筒9.2L(60HP)エンジンが追加されました。なおこの時代の車名は課税馬力/実馬力を意味する表記で、例えば26/40HPとは課税上の馬力(排気量)が26HP(排気量262㏄程が1HPなので6800㏄に相当)で、実際の出力が40HPであることを意味します。(ただし課税馬力の定義や実馬力は変化しましたので、表記もそれに応じて変わっていきました)
ミニカーは1960年代に発売されたクラシックカーミニカーの老舗ブランドのリオ(RIO)製です。メルセデス ジンプレックスの最上級車である26/40HPをモデルしています。リオのミニカーは細部までリアルに再現されていて、当時のミニカーとしては別格の素晴らしい出来ばえでした。(値段もその分だけ別格でしたが) このジンプレックスもフロントグリル、灯火類などが実車に忠実に作りこまれていて、床下のフレーム構造やエンジン/変速機/サスペンションまで良く再現されています。リア フェンダーの前にある箱状の出っ張り部分は後輪駆動用チェーンのカバーで、床下部分をみるとチェーン駆動部が再現されてます。リオ以外のジンプレックスのミニカーはガマ、チィス(ZISS)、フランクリン ミントの1/24、イクソの2シータと60HP リムジンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル ダラック 8HP ドイツ 1902年
前述したようにオペルの第1号車 オペル ルッツマンは技術的に未熟で商業的には失敗作でした。そこでオペル社はフランスのルノー社やダラック社と提携しライセンス生産を行うことで自動車技術の習得に努めました。1902年に登場したオペル ダラックはダラックのライセンス生産車でした。オペル ダラックは単気筒1.1L(8HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動し最高速20km/hの性能でした。
ダラックは当時最も進んだ技術を採用していた車で、今日の自動車の基本的な構造は全て備えていました。オペル ダラックは商業的に成功し、オペルは自動車メーカーとしての基礎を固めることが出来ました。1906年にオペルはダラックとの提携を解消し、オペル ダラックは生産中止となりました。その後オペルは自社開発した車を発売するようになりました。
ミニカーは1960年代に発売されたイタリアのドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーは当時のクラシックカー専門ブランドで、「Miniautotoys」シリーズと「Museo」シリーズがありました。どちらのシリーズもトリノ自動車博物館が保管していたクラシックカーをモデル化していました。「Miniautotoys」シリーズは1/43スケールの高品質のミニカーで、「Museo」シリーズは1/43スケールでホイールなどの部品を共用し梱包箱を簡素化した廉価版ミニカーでした。このダラックは「Museo」シリーズの1台で、オペル ダラックではなくフランスの本家ダラックをモデル化したものですが、外観はほとんど同じだと思います。廉価版とはいえフロント床下のラジエータなど結構リアルな造形で、当時のクラシックカーのミニカーの標準以上の出来ばえでした。この車の後席にはリアシート背後のドアを開いて乗り込むようになっていて、リア中央に足を乗せるステップが付いています。これ以外ではガマもオペル ダラックをモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)