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オースチン A60 ケンブリッジ イギリス 1961年
1952年にオースチン グループはモーリスと合併しBMC(ブリティッシュ モーター コーポレーション)となりました。当時のオースチンにはA40 サマーセット(4気筒1.2L)、A70 ヘレフォード(4気筒2.2L)、プリンセス リムジーン(6気筒4L)などがあり、A40 サマーセットの後継車としてA40 ケンブリッジ(初代)が1954年に登場しました。A40 ケンブリッジは4ドアセダンの小型車で、4気筒1.2L(42HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速110㎞/hの性能でした。(実車画像→ オースチン A40 ケンブリッジ)
1954年にA40 ケンブリッジのボディに4気筒1.5L(50HP)エンジンを搭載したA50 ケンブリッジ(2代目)が登場しました。最高速が119㎞/hに向上し、デラックス仕様にはヒーターやカーペットなどが装備され、ラジオと時計がオプション設定でした。A50 ケンブリッジは日本の日産でダットサン 112型としてライセンス生産されました。
1957年にエンジンを51HPにパワーアップし、リアウィンドーを大きくするなど外観を少し変更したA55 ケンブリッジが登場し、A55をベースにした商用車(1/2t ピックアップと1/2t バン)が設定されました。1959年にサイズを拡大しピニンファリーナがデザインしたボディに変更したA55 ケンブリッジ MK IIが登場しました。この車はモーリス オックスフォードの姉妹車でもありました。1960年にエステート仕様のカントリーマンが追加されました。(実車画像→ オースチン A55 ケンブリッジ MK II)
1961年に4気筒1.6L(61HP)エンジンを搭載した、A60 ケンブリッジが登場しました。デザインは先代のピニンファリーナのデザインを継承していましたが、テールフィンは小さくなっていました。3段自動変速機が設定され、最高速130km/hの性能でした。1962年に4気筒1.5L(40HP)ディーゼルエンジンが追加されました。後継車のオースチン 1800が1964年に登場した後も、1969年まで生産され総生産台数は約28万台でした。
ミニカーは2004年に発売されたバンガーズ製で、A60 ケンブリッジをモデル化しています。バンガーズは老舗コーギー傘下のブランドで、往年のコーギーを思わせる作風のミニカーを作っています。実車に即したカラーリングでプロポーションが良く、実車の雰囲気が実にうまく再現されていました。エッチングメタル製のワイパー、フェンダーミラー、室内インパネなどの細かいところもリアルに仕上げてありますが、ラインストーン(ダイヤカットガラス)製のヘッドライトは往年のコーギー流です。このキラリと光るラインストーンのヘッドライトはリアルではないのですが、ミニカーの造形としては魅力があります。(コーギーのミニカーは子供のころから慣れ親しんできたので、私はコーギー流の造形を好ましく感じます) これ以外のケンブリッジのミニカーは、コーギーの当時物 A50 1/46、マッチボックスの当時物 A50 1/64?、オックスフォードのA60 1/76などがあります。 以下フロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン セブン (ミニ) カントリーマン イギリス 1962年
ミニのエステート(ワゴン)仕様であるオースチン セブン カントリーマンとモーリス ミニ マイナー トラベラーは1960年に登場しました。エステートより少し前に発売されていたホイールベースが104㎜(全長が245㎜)長い商用バンをベースにしており、リアには上下又は観音開きのドアがついていました。上級仕様車には、後部の荷室部分とリアドアに木製の飾り板が付いていました。これはアメリカ車のワゴンなどで見られる高級車風の飾りでした。
業務用として商用バンとピックアップトラックがあり、どちらもロングホイールベースでした。リアクォーターウインドウが無いパネルバンはイギリスでは税金が安くなるそうで、パネルバンが乗用的な使われ方もしたようです。1969年にミニの高級版としてクラブマンが登場し、1970年にカントリーマンとトラベラーはクラブマン エステートに切り替わりました。
ミニカーは、2015年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションで、メーカーはイクソです。横バーが目立つオースチンのフロントグリルとエンブレムなどが結構きちんと作ってあり、まずまずの良い出来ばえでした。ただボディ後部の飾り板を塗装ではなく別パーツにすれば、ぐっとリアルになるのですが、そこは今一つです。ミニのバンやエステートの当時物ミニカーは、ディンキー、コーギー、スポットオンのイギリス老舗ブランドがそれぞれ数種類をモデル化していたので、当時の人気ぶりが伺えます。最近の物では、エブロ、京商(1/18)、バンガーズ、オックスフォード、ホンウェルなどでたくさんモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー 3000 MK III イギリス 1963年
前述したオースチン ヒーレー 100は1959年に6気筒2.9L(124HP)エンジンを搭載したヒーレー 3000にモデルチェンジしました。古典的なラダーフレームに2+2座(BT7)又は2座(BN7)のオープンボディという基本構造はそのままながら、シャーシを強化しフロントにはディスクブレーキが採用され、最高速は182km/hと高性能でした。室内や装備が豪華になったのでヒーレー 3000は「ビッグヒーレー」と呼ばれ、ほとんどがアメリカ市場に輸出されました。ワイヤースポークホイール、脱着可能なハードトップ、ヒーター、ツートンカラーなどのオプション設定がありました。
1961年にエンジンを132HPにパワーアップしたMK IIとなりました。1963年にはMK IIIに発展しエンジンは148HPまで強化され、最高速は193km/hまで向上しました。1963年からWRCにワークスで参戦し、ラリーでも活躍しました。ヒーレー 3000は1967年まで生産され、総生産台数は約4.2万台でした。ヒーレーは1972年にBMC(オースチン)との契約が終了し、ヒーレー スプライト MK IIが最後のモデルとなり、オースチン ヒーレー ブランドは終わりました。
ミニカーは1985年に発売された初期のビテス製です。1963年式の3000 MK IIIで2+2座のハードトップ仕様をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、フロントグリルや室内などの細部も当時のミニカーとしては良く出来ていました。(ボンネット上のエアインテークが控え目で目立たないのが今ひとつですが) これ以外のビッグヒーレーのミニカーは、これと同じ型を使っていると思われる最近のビテス(サンスター傘下)、コーギー、京商の1/18、オートアートの1/18、バンガーズ、オックスフォード、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ミニ モーク (パラ モーク) イギリス 1964年
ミニの派生車ミニ モークはミニのシャーシを使った多目的車でした。当初はジープのような軍用車を目指して開発され、パラシュートで降下可能な軽車両として試作車がイギリス軍に提案されました。しかしタイヤが小さい故の低い最低地上高とパワー不足のエンジンはオフロード走行に使えないとして採用されませんでした。そこでBMCは後席やキャンバストップをオプション設定として、安価な一般向け多目的軽作業車としてミニ モークを1964年に発売しました。4気筒848ccエンジン、変速機、タイヤなどのメカはミニと共通で、駆動方式は前輪2WDのみでした。
多分ミニのブランド力のおかげだと思いますが、ミニ モークは世界各国のリゾートで使用されるビーチバギーとして成功しました。イギリスでは1968年まで生産され、生産台数は約1.5万台でその1/10がイギリス国内で販売されました。1968年以降はオーストラリアで生産されました。最低地上高を高めるためにホイールを10インチから13インチに変更し、1098ccエンジンを搭載したMK IIが設定されました。MK IIはオーストラリア陸軍に採用されるなど成功しました。オーストラリアでは1980年台まで生産され、その後はポルトガルで1990年代まで生産されました。ミニ モークの最終的な総生産台数は約5万台でした。
ミニカーはディンキー(英)製の当時物で1967年に発売されました。採用されなかったパラシュートで投下できる車両として試作された軍用車(PARA-MOKEと呼ぶようです)をモデル化しています。試作車なので一般市販した車とは少し感じが違っていますが、ミニカーは結構良く出来ていると思います。この型番601はミニ モークと車両を載せる車台とビニール製のパラシュートがセットになった物で、型番342でミニ モーク単体もありました。これ以外のミニ モークのミニカーとしては、ビテスとスパークがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン 1800 イギリス 1964年
ミニの上級車のADO16シリーズ(モーリス 1100など)をさらに発展させ大型化したのがADO17シリーズでした。第一弾としてオースチン 1800が1964年に登場しました。その後1966年にモーリス 1800、続いて1967年にウーズレー 18/85が登場しました。デザインはADO16同様にピニンファリーナで、ADO16を引き延ばしたようなスタイルをしていました。長いホイールベースを生かした6ライトの開放的なキャビン、前後輪関連懸架機能を持つハイドロ ラスティック方式サスペンション、簡易なアンチロック機能を持つブレーキシステムなど進歩的な技術が使われました。
オースチン 1800はスポーツカーMG MGBと同じ4気筒OHV1.8L(80HP)のBMCのBタイプ エンジンを搭載し、4段変速で最高速147km/hの性能でした。1965年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しましたが、このクラスの車では前輪駆動のメリットがあまり生かせず、商業的にはADO16シリーズほどは成功しませんでした。ADO17シリーズは1968年のマイナーチェンジでフロントグリルなど内外装を変更したMK IIになりました。1972年にはMK IIIとなり、6気筒2.2Lエンジンを搭載したオースチン 2200/モーリス 2200などが追加され、1975年まで生産されました。後継車はオースチン プリンセスでした。
ミニカーは1965年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。プロポーションが良く、ホイールベースが長いことで「Land crab:陸の蟹」と揶揄された独特のスタイルがうまく再現されていました。フロント周りの造形はうまく出来ていますが、B/Cピラーが少し太めなので開放的なキャビンの感じは今ひとつです。ボンネット/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物としてはスポットオンもありました。最近ではバンガーズがADO17の3ブランド(オースチン/モーリス/ウーズレー)をモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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